視線を上げ、空を眺める──大山エンリコイサムの巨大壁画《FFIGURATI #652》は都市を行き交う人に何を問うのか

3月13日から23日まで開催される「渋谷ファッションウィーク(SFW)2025春」のアートプログラムとして、現在は一部の施設を除き休館中のBunkamuraを舞台に3組のアーティストが「渋谷の街(ストリート)」に焦点を当てた作品を発表する。アーティストたちは渋谷をどのように見つめ、アートワークに映し出すのか。今回参加作家のひとりであり、Bunkamuraの高さ30メートルほどある外壁に巨大壁画《FFIGURATI #652》を制作した大山エンリコイサムに話を聞いた。

人の営みを感じる地に「空を見上げる」壁画を

──今回、ゴンドラにも同乗させて頂きましたが、空中で絵画を仕上げる作業を目の当たりにして感動しました。地上30メートルという浮遊感のある空間で非常に細かく筆でタッチアップされていましたね。

今回の壁画作品《FFIGURATI #652》は、Bunkamura東側の延べ縦33メートル、横23メートルにおよぶ2つの外壁にわたって制作しました。過去の壁画作品は「あいちトリエンナーレ2010」で発表した14.6メートル × 23メートルの作品が最大でしたが、今回はそれと並ぶサイズです。あいちでは足場を組んで僕ひとりでエアロゾルスプレーを手に制作したのに対して、《FFIGURATI #652》は複数人でゴンドラに乗りこみ、刷毛と油性ペンキで描画するという、これまで経験したことのないプロセスで制作しました。

天候や壁面の凹凸などコントロールできない条件もあるなか、限られた時間を配分して制作の段取りを組みました。建物の壁に制作する作品は行政が定める広告規制に沿う必要があり、その申請を担当してくれた主催側のスタッフやゴンドラのオペレーター、カッティングシートを貼るチームなど、多くの協力者によって本作は実現しました。自分の身体ひとつでは実現できないものがあることを実感した貴重な機会でした。

──本作を見上げるという行為を通じて、いつもはどちらかというと俯いて早足で通り過ぎる渋谷という街にも「空があったんだ」ということを再認識しました。

そうですね。朝の8時ごろから夕方までゴンドラに乗って制作をしていると、街の時間の流れを感じられるんです。午後5時きっかりに子どもたちの帰宅を促すアナウンスが流れて、渋谷という、どちらかというと外部から訪れる人が多い街にも、地元住民の営みがあることに気づかされます。

──壁画には、歴史的にもそれがあるコミュニティの思想や連帯、帰属意識などを促す役割があると思います。大山さんは壁画を描く際、そういった意識をもって制作されているのでしょうか。

僕はニューヨークにも活動拠点がありますが、ニューヨークの壁画には、例えば地域で亡くなった人を追悼するなど、コミュニティに根差したものも多い。それらと比較すると、僕の作品は抽象なので、タイプが異なります。しかし、場のことを意識していないわけではなくて、いかに空間を読み解いた作品にするかを考えています。今回のBunkamuraの壁面は東急百貨店本店の解体によって露呈しているため、フラットではなく、さまざまな要素が凹凸として混在していて複合的です。そのなかで壁面上のあるパーツが、右下から左上に向けてリズムを生み出しているように思える箇所がありました。そこで僕の主要なモティーフである「クイックターン・ストラクチャー」を、その壁面のリズムを反復するように右下から左上に、そしてさらに空に繋がるようなレイアウトで制作しました。この作品を見た人がそのまま視線を上げて、ひととき空を眺めてくれたらと思います。

《FFIGURATI #652》はSFW後もそのまま残される予定ですが、すでに進行中の東急百貨店本店跡に建つ新しいビルの建設が進むにつれて、次第に見えなくなっていきます。都市の新陳代謝のなかにあるその感じがよいと思っていて。Bunkamuraからハンズ方面に抜ける道沿いの駐車場に、複数台の自動販売機に隠されたストリートアートがあるんです。僕が学生の頃からそこにあり、都市の考古学というか、よく気にして隙間から見ていました。そんなふうに未来の若者が、Bunkamuraと隣のビルとの隙間に《FFIGURATI #652》があることを発見して、そこからインスピレーションを受けてくれたら嬉しいですね。

大山エンリコイサム《FFIGURATI #652》2025年 Artwork ©︎Enrico Isamu Oyama / EIOS Photo ©︎Shu Nakagawa
大山エンリコイサム《FFIGURATI #652》2025年 Artwork ©︎Enrico Isamu Oyama / EIOS Photo ©︎Shu Nakagawa
大山エンリコイサム《FFIGURATI #652》2025年 Artwork ©︎Enrico Isamu Oyama / EIOS Photo ©︎Shu Nakagawa
大山エンリコイサム《FFIGURATI #652》2025年 Artwork ©︎Enrico Isamu Oyama / EIOS Photo ©︎Shu Nakagawa

──大山さんは、もともとクラブなどでライブペインティングを行うなど、ストリートアーティストに近い立場としてキャリアを築かれた印象があります。ご自身の現在の実践とストリートアートの間に、明確な線引きがあるとお考えですか?

東京の私立高校に通っていた頃にストリートアートに出会い、制作活動を始めました。しばらくして、とくに不自由のない中流家庭で育った自分が、法を踏み越えてまで公共物にマーキングして、自分の存在を誇示する必要があるのかと疑問に感じてしまったんです。一方でこのアートフォームに強い影響を受けていることも事実で、そのうえでどう自分独自の表現を構築するかを模索していました。結果、ストリートで本格的に活動するライターのコミュニティにも、より伝統的に美術学校で教育を受けたアーティストのコミュニティにも属すことができない葛藤が当初はありました。

当時、僕以外にもそういう人たちがいて、クラブでのライブペインティングの活動を通して知り合っていきました。最初は楽しかったのですが、次第に内輪の馴れ合いを感じて物足りなくなり、より批評的な視点が必要だと考えるようになりました。そして現代美術には「批評」があることを知り、東京藝術大学の大学院に進学しました。そこで実際に批評をやっている先輩や同級生から大いに刺激を受け、さまざまなことを学びました。

自分の作品や活動はストリートアートの文脈で語られる可能性もありますが、実際はどちらかというと現代美術として位置づけられることが多いです。同時に、近年はストリートアートの可能性や魅力にあらためて気がつくことも少なくありません。ただ美術か、ストリートかという問い自体、あまり本質的ではないと感じています。ナスカの地上絵のように、数百年後に作品が再発見され、異なる価値観や文脈で評価を受けることがあるかもしれません。僕にとって重要なのは、異なる世代や文化的背景において、多様なリテラシーをもった鑑賞者にさまざまな仕方で響く強度のある作品を制作することです。

ゴンドラでの作業用に工夫を凝らした道具。

──現代美術にはないストリートアートの可能性とは、どういうことでしょうか。

かつての現代美術にはある種のメタジャンル性があったように思います。例えばメディアアートサウンドアート、ストリートアート、地域アートなどの言葉には、特定のメディウムや文脈に限定されたアートのいちカテゴリーのようなニュアンスがありますが、現代美術にはそうした制限を超えたメタな深さや広さ、包括性があるはずでした。もしくは建築のバックグラウンドがあるが、従来の建築の作法には当てはまらない作品を作りたい人が、現代美術としてそれをやり始めるというように、他の分野では成立しないことが、現代美術なら成立するというような側面がありました。ですが昨今のアートシーンを見ていると、現代美術はメディアアートやサウンドアートと同列の「現代アート」といういちカテゴリーに過ぎず、かつてのようなメタ性を失ってしまったように感じることがあります。

そのようななか、どちらかというと「ストリートアート」に、より正確にはストリートアートをバックグラウンドにもつ一部の作家の活動に、メディウムやジャンルを横断するメタ性を感じることがあります。例えばバンクシーは、コンテンポラリーアートとストリートアート両方の文脈やメカニズムを理解したうえで、トリックスターとして両方の業界に働きかけるような振る舞いをしています。どちらでもあり、どちらでもない。その結果、自分自身の圏域を確立している。作家性はまったく異なりますが、僕自身もそのような活動をしようとする傾向があります。

──次世代のアーティストのことを考えたとき、現在の都市はあまりに均質化され、美しく整えられていて、大山さんが高校生の頃にはあっただろう「隙間」のような空間があまり残っていないのではないかと感じます。それこそ、「自販機の裏に隠されたストリートアート」が生まれる余地など、今の東京にあるのだろうかと。

若者や子どもが、街でクリエイティビティを発揮したり、実験する余白の空間や機会があるかというと、そのために用意された(つまりは管理された)場所はあっても制約が多く、そこから逃れた自由な隙間は明らかに減っています。東京には公園も多いですが、何時までしかボール遊びをしてはいけませんという具合にルール化されている。一方で、「ルールを守る/破る」という観念がもつニュアンスも変化している気がします。僕が学生の頃は、新しい発想や強度のある表現はルールを打破してこそ生まれるという暗黙の感覚がありましたが、いまの若者にとってルールブレイクは単に非生産的な行為として敬遠する傾向があります。それを「つまらなくなった」と嘆く気持ちもわかりますが、時代のリアリティそのものが次の局面にきているようにも思います。

タッチアップの進捗を示した《FFIGURATI #652》の設計図。©Enrico Isamu Oyama/Eios

ストリートアート文化を次の世代へ

──大山さんはアーティストであると同時に、ストリートアートについての研究者としての側面もあります。今回、Bunkamura地下1階にある旧Bunkamura Studioでは、大山エンリコイサムスタジオが今年の夏に渋谷に開室する資料室/ギャラリー「LGSA by EIOS(ラグサ バイ エイオス)」の小展示「資料でひもとくストリート LGSA by EIOSの視点から」も行われます。

もともと自分の制作や研究のためにストリートアートの文献や資料を集めていたのですが、10年前に単著を出してから、学生を中心に「ストリートアートについて論文をかきたいが、何から読めばいいか」「資料がなかなか手に入らなくて困っている」というような問い合わせが届くようになりました。ストリートアートに関する学術資料はもともと多くないうえに、日本語で読めるものはほぼなく、大半が英語です。こうした状況を受けて、大変ささやかではありますが、大山スタジオが所有する文献や資料を閲覧したり、コピーできる資料室を開室することで、ストリートアートに学術的な関心を寄せる人のためのインフラのような役割を果たせるのではないかと考えました。また、そうした場があると僕自身の研究も促進されますし、LGSA by EIOSの名義でさまざまな展示や企画も行なうことで、個人の表現との相互作用もあるだろうと思います。収集資料はまだ500冊ほどですが、今後時間をかけてさらに体系的に充実させていく予定です。

「資料でひもとくストリート LGSA by EIOSの視点から」展示風景、2025年 Bunkamura 地下1階、旧Bunkamura Studio(渋谷、東京) ©︎EIOS Photo ©︎Shu Nakagawa
「資料でひもとくストリート LGSA by EIOSの視点から」展示風景、2025年 Bunkamura 地下1階、旧Bunkamura Studio(渋谷、東京) ©︎EIOS Photo ©︎Shu Nakagawa
「資料でひもとくストリート LGSA by EIOSの視点から」展示風景、2025年 Bunkamura 地下1階、旧Bunkamura Studio(渋谷、東京) ©︎EIOS Photo ©︎Shu Nakagawa
「資料でひもとくストリート LGSA by EIOSの視点から」展示風景、2025年 Bunkamura 地下1階、旧Bunkamura Studio(渋谷、東京) ©︎EIOS Photo ©︎Shu Nakagawa

今回の小展示「資料でひもとくストリート」では、学術的な視点からストリートアートを捉え、体系的に資料を収集していく「LGSA by EIOS」の特徴がよく伝わる映像資料1点と書籍12冊を選定し、解説を添えて紹介します。日本で出版された昭和の落書きに関する著作や、1930年代のニューヨークで子どもたちが道路にチョークで落書きした様子を収録した写真集などは、ストリートアートに精通していない人にとっても、それが都市のどういう位相から生まれたのかを知る手がかりになると思います。

──「LGSA by EIOS」を通して、日本のストリートアートにどう貢献したいですか?

ストリートアートはSNSとの相性もよく、近年ますます知名度と市民権を得てきています。一方でストリートアートに対する学術的関心の高まりは、グローバルにその兆候があるとはいえ、まだ芽生えつつある段階です。LGSA by EIOSのような資料室を本格的に活用する人は、数字上はけっして多いとは言えないかもしれません。しかし数は小さくても、LGSA by EIOSがあることで、そこから意味のある成果を生み出していく少数の人たちは、かならずいると思います。点在する関心が、相互につながって線となり、面となることで活性化され、それ自体がさらなる利用者の増加をうながすでしょう。スペースの開室後は、収集資料のデータベースを作成して、全国からオンラインでアクセスできるようにします。僕がストリートアートに影響を受けて自分のスタイルを構築できたのは、先人が残したレガシーの恩恵を受けてきたからです。そうして先人から受け取ったものを、自分ができる仕方で、次の世代に引き継いでいきたいという思いもあります。LGSA by EIOSを通して、社会に少しずつストリートアートの価値や意義が伝わっていくことを願っています。

SHIBUYA FASHION WEEK 2025 Spring × Bunkamura
Bunkamuraの未来を照らす新しいアート体験 2025

会期:2025年3月13日(木)〜23日(日)
場所:Bunkamura(東京都渋谷区道玄坂2-24-1)
時間:13:00〜20:00(23日は18:00まで)

Photos: Kaori Nishida  Edit: Maya Nago Text: Kazumi Nishimura

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