いまさら聞けないヴェネチア・ビエンナーレ──構成・賞・歴史、そして政治性を読み解く

今年で第61回を迎えるヴェネチア・ビエンナーレが、5月9日から11月22日まで一般公開される。1895年に初回が開催されて以来、豊かな歴史と数々の興味深い伝説に彩られたこの美術の祭典について、押さえておきたい基礎知識を紹介する。

ヴェネチアの大運河に架かる16世紀建造のリアルト橋から見た風景(2026年4月13日撮影)。Photo: NurPhoto via Getty Images
ヴェネチアの大運河に架かる16世紀建造のリアルト橋から見た風景(2026年4月13日撮影)。Photo: NurPhoto via Getty Images

2026年のヴェネチア・ビエンナーレが間もなく開幕を迎える(プレビューは5月6日〜8日、一般会期は5月9日〜11月22日)。過去に何度か中断はあったものの、130年以上というアート界で最長の歴史と最大の知名度を誇り、最も権威あるイベントの1つと評される同ビエンナーレの開幕には、数千人もの人々が押し寄せる。前回の記録的な来場者数から考えると、11月下旬の閉幕までにはおそらく80万人以上がこの美術展を訪れることだろう。金獅子賞などの賞が授与されるヴェネチア・ビエンナーレはまた、現代アート界の新星が世界から関心を集める場としても広く知られている。

以下、この重要イベントに関する代表的な疑問に答えよう。

1. ヴェネチア・ビエンナーレの基本構成

「美術界のオリンピック」とも称されるヴェネチア・ビエンナーレは、以下の3つのセクションで構成される国際イベントだ。

1)セントラル・パビリオンで芸術監督がキュレーションするメイン展示。会場はカステッロ地区の公園(通称ジャルディーニ)と、歴史的な造船所跡(通称アルセナーレ)の2カ所。

2)数十カ国がそれぞれ1組または複数組のアーティストによる展示を行う国別パビリオン。

3)上記2つとは別に開催される独自企画の展覧会で、ビエンナーレから公式承認されたコラテラル・イベント。

さらに、ビエンナーレと同時期に開催が計画されているが、公式な提携関係はない展覧会やイベントもある。これらの主催者はアーティスト自身のほか、市内の美術館や財団、国内外の商業ギャラリーなど。また、パフォーマンス、パネルディスカッション、上映会、ディナー、パーティといった各種イベントがビエンナーレ中の街を盛り上げる。

2. 運営者とキュレーターは?

アート、建築映画、ダンス、音楽、演劇など幅広い分野の活動を統括するビエンナーレの組織は現在、右派ジャーナリストのピエトランジェロ・ブッタフォーコ会長に率いられている。また、メイン展示をキュレーションする芸術監督が開催ごとに選出されるが、この慣行は1980年、伝説的なスイス人キュレーター、ハラルド・ゼーマンのときに始まった(ゼーマンは1999年と2001年の芸術監督でもある)。これまで女性の芸術監督が指名されたのは3回で、アフリカ地域から選ばれたのは1回のみ。

今年のキュレーターに選出されたのはカメルーン出身の著名キュレーター、コヨ・クオだった。クオはここ数十年で最も重要なアフリカ現代美術展を複数手がけてきたが、自身のキュレーションによるメイン展示のタイトル「In Minor Keys(短調で)」とキュレーションテーマが発表される数週間前の2025年5月、惜しくも57歳で死去した。ビエンナーレはクオの企画を予定通り実行することを決定し、5人のキュレーションアドバイザーが彼女に代わって展覧会を運営する。

3. ビエンナーレの起源

1868年4月21日、イタリアの国王ウンベルト1世がサヴォイア家のマルゲリータと結婚。その25年後、ヴェネチア市は国王夫妻の銀婚式を記念し、国が運営する2年ごとの美術展と孤児院を1893年4月19日に設立した。ヨーロッパにおける国際的な美術博覧会の始まりは、18世紀の大規模美術展にまでさかのぼることができるが、その中でビエンナーレ主催者の直接的な着想源となったのは、1887年にヴェネチアで開催された国内美術展だった。

第1回ビエンナーレは1895年4月30日に、ウンベルト1世と王妃マルゲリータが臨席して開幕。このときの展示作品は516点で、うち188点がイタリア人作家、残りは外国人アーティストによるものだった。イタリアのほか14カ国からの参加に加え、事前に提出され、審査員によって承認された作品も展示されている。初回に約22万5000人の来場者を集めたビエンナーレは、瞬く間に観光と商業の要としての地位を確立していった。

4. 今年が「第61回」の理由

ビエンナーレは通常2年ごとに開催されるが、特別な事情で中断したことがある。1916年と18年は第1次世界大戦のため開催が見送られ、第2次世界大戦中の1944年と46年にも中断された。1974年は、前年のクーデターでアウグスト・ピノチェト将軍が政権を掌握したチリへの連帯を示すイベントがイタリア共産党の支持を得て行われた一方で、「民主主義と反ファシズム文化」をテーマにした展覧会が開催され、公式な回数が付けられた美術展は開催されなかった。

以来、ビエンナーレでこうした事態に陥ることはなかったが、これを契機に統一テーマが選定されることになった。回数のカウントは1976年の第37回展に再開され、この年のテーマは「環境、参加、文化的構造」とされた。

5. 第2次世界大戦中にも開催された?

戦前の数年間は一部の国が参加を取りやめた。たとえば、1936年にはイタリアの政治情勢を理由にアメリカ、ソ連、イギリスがボイコットしている。しかし、ビエンナーレ自体は1942年まで継続された。

6. なぜ偶数年開催が存在するのか

1909年の第8回の翌年、1910年の第9回から偶数年に開催されるようになった。この変更は、イタリア統一50周年を記念して1911年にローマで計画されていた大規模な美術展との重複を避けるためだった。その後、1995年に100周年記念展を行うため、1992年の3年後から奇数年に戻り、新型コロナウイルスの世界的流行で2021年の開催が22年に延期されて以降は再び偶数年に実施されている。

7. 今年の参加国

2026年は参加国が大幅に増加し、前回の86カ国から16%増の100カ国となった。国別パビリオンの半分弱にあたる43カ国がヨーロッパ、約20カ国がアジア、13カ国がアフリカ、12カ国が中南米、5カ国が中東、4カ国がオセアニア、3カ国が北米(カナダ、アメリカ、キューバ)だ。初参加はギニア共和国、赤道ギニア共和国、ナウル共和国、カタール、シエラレオネ共和国、ソマリア連邦共和国、ベトナム社会主義共和国で、エルサルバドルは過去に参加歴があるが、国としてパビリオンを出展するのは今回が初となる。

8. 国別パビリオンとは

ビエンナーレ主催者は、各国に独自のパビリオンを設置して展示を行うよう奨励している。パビリオン建設費、維持費、プログラム運営費は、それぞれの国が負担する。国別パビリオンを最初に出展したのは1907年のベルギーで、1909年にドイツ、イギリス、ハンガリーが加わり、その後1930年にはアメリカが9番目の国として参加を決めた。ジャルディーニには30のパビリオンしか設置できないため、ここに入れなかった国々はアルセナーレや市内の別の場所を会場としている。

9. アメリカ館の設立経緯と変遷

アメリカのパビリオンは、政府主導のものではない点が他の国と異なる。設立したのはニューヨークのグランド・セントラル・アート・ギャラリーで、1930年に3つの部屋からなるパラーディオ様式の建物がオープンした。1954年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)がこのパビリオンを購入し、1986年にグッゲンハイム財団に売却している。

10. 日本館の設立経緯と変遷

日本館は、戦前からビエンナーレに参加してきた日本が、恒久的な展示拠点を持つために整備したもので、1956年にジャルディーニ内に開館した。設計は建築家の吉阪隆正で、近代建築の合理性と日本的な空間感覚を折衷した構成が特徴と言われる。以降、日本館は文化庁や国際交流基金の関与のもとで運営され、各回ごとに選出される作家やキュレーターによって展示が更新されてきた。1990年代以降はキュレーションの役割が強まり、単独作家に限らない構成やテーマ型展示も増加。国家代表の枠組みの中で、日本の現代美術の多様性を提示する場として変化を続けている。

11. アーティストの選考方法

メイン展示のアーティストを選出するのはその年の芸術監督で、2026年の展示には単独、デュオ、コレクティブ、アーティスト主導の組織など、計111組が参加する。国別パビリオンの代表作家はそれぞれの国が選考を行うが、ビエンナーレのテーマに沿った内容であることが理想とされる。

アメリカ合衆国の場合、全米芸術基金が国務省との合意に基づいて招集した専門家グループ、国際展覧会諮問委員会が各種機関の提案をもとに選定する。2026年の代表はメキシコを拠点とするアーティストのアルマ・アレン、キュレーターはジェフリー・ユースリップ。委託機関はアメリカン・アーツ・コンサーバンシー(AAC)で、同団体の創設者でエグゼクティブディレクターのジェニ・パリドがパビリオンの公式コミッショナーを務める。ユースリップはAACの諮問委員会のメンバーでもある。

日本館の代表作家は、国際交流基金が主催者として主体的に運営する枠組みのもとで選出される。国際交流基金が実務全般を担い、同基金より委嘱された外部有識者からなる国際展事業委員会が候補者を審議・選定する仕組み。選考は公募制ではなく、委員会による推薦・協議を経て決定されるのが通例で、近年は作家とともにキュレーター(コミッショナーに相当する役割)が指名され、展示構成を担う体制が定着している。最終的な決定は国際交流基金が行い、日本館の展示は国としての公式参加として位置づけられる。

12. 3つの主要な賞

ヴェネチア・ビエンナーレには、「最優秀国別参加部門への金獅子賞」「メイン展示最優秀参加者への金獅子賞」「メイン展示の有望な若手参加者への銀獅子賞」の3つの主要な賞がある。これらは、開幕式典の後に国際審査団から授与される。また、メイン展示の参加アーティストを対象にした特別賞が2枠、国別パビリオンを対象にした特別賞が1枠用意されている。さらに、生涯にわたる功績を讃える「栄誉金獅子賞」は、芸術監督の推薦をもとに理事会が承認し、ビエンナーレの開催前に発表される。ただ、今回はコヨ・クオクオが2025年5月に死去したため、授与されない。

なお、今年の審査委員長はソランジュ・オリヴェイラ・ファルカスで、ゾーイ・バット、エルヴィラ・ディアンガニ・オセ、マルタ・クズマ、ジョヴァンナ・ザッペリがそれに加わる。

賞の歴史には複雑なところがある。まず、1968年から1986年まで賞は授与されなかった。時期によっては、絵画や彫刻の最優秀作品に賞が贈られるなど、メディウム別に受賞者が決まったこともあり、ファシズム全盛期には母性をテーマとした最優秀作品賞が存在した。初期には著名アーティストの参加を促すため賞金が設けられていたが、今日、受賞者が手にするのは翼のあるライオンのトロフィーと栄誉だ。なお、現在の賞の体系は、1938年の旧制度を基に1986年に定められた。

13. 出品作品は販売される?

1970年まで作品の購入は可能で、販売事務所が取引を記録していた。第1回は186点が販売され、1909年には最多の1209点が売れている。1960年代後半には、政治情勢や美術商取引の変化の影響でフェアでの作品販売中止が決定した。今でも展示アーティストを取り扱うギャラリーを通じて作品を購入することは可能だが、人気アーティストの作品はビエンナーレ開幕前に売約済になることも多い。

(翻訳:清水玲奈)

編注:本記事は、2019年の第58回ヴェネチア・ビエンナーレ開催時にアンドリュー・ラセスが執筆して公開。それにハリソン・ジェイコブス、およびARTnews JAPAN編集部が第61回ヴェネチア・ビエンナーレの情報を加筆し、記事を更新した。

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