大英博物館はなぜ「SAMURAI」展を企画したのか。世界を魅了する「神話」を解体

大英博物館で開催中の「SAMURAI」展は、世界が熱狂するサムライ像の起源と虚構を問い直す試みだ。キュレーターへのインタビューを通じて、本展企画の意図を紐解く。

Suit of armour and helmet Iron, silk, wool, leather, gold and lacquer, Japan, 1519 (helmet), 1696 (armour) and 1800s (textiles) Purchase made possible by the JTI Japanese Acquisition Fund. © The Trustees of the British Museum
鎧と兜(鉄、絹、羊毛、革、金、漆)(兜:1519年、鎧:1696年、織物:1800年代)Photo: © The Trustees of the British Museum 江戸時代には武士が政権を掌握し、戦場に出ることはなくなるが、地位の象徴として豪華な鎧が依然として求められた。この鎧は、ポルトガル兵の鎧を模した鉄製の胸当てを備えている。日本独自の現象である武家文化が、国際交流を通じて発展してきたものであることを示す一例だ。胸当ての背面に付けられた金の飾りはアヤメの葉の形をしており、着用者を識別しやすく、威圧感を与えることを意図していた。

大英博物館で、「SAMURAI」と題する大規模な展覧会が開催中だ(5月4日まで)。

展覧会は時系列構成で、室町時代や安土桃山時代、そして江戸時代に武士たちが行政や文化を司っていたことを紹介し、展覧会の最後は、「グローバル・サムライ」とキュレーターたちが呼ぶ世界的な「サムライ」のイメージの展開を、近現代アートの作品、映画マンガアニメファッションなど、多様な展開を通して紹介している。

展示作品は、絵画や巻物、鎧兜から映像・現代アートまで、国内外29の機関から集めた約280点に及ぶ。その75%は大英博物館の所蔵品だが、光に弱いため、日本の工芸品、日本の美術品の多くは、通常、5年に一度、6カ月間のみ展示している。その意味でも、今回はとくに貴重な展示物が見られるチャンスとなった。

サムライ神話はどう形成されたのか

キュレーターの一人であるロジーナ・バックランドは、企画意図をこう説明する。

「長期的な日本ブームの中で、アニメやビデオゲーム、テレビドラマを通して日本に興味を持ったり、日本に旅行したりする人が爆発的に増えています。何か日本に関する展覧会をやりたいということになり、数年をかけて企画してきました」

その背景には、時代的な必然性もある。2026年は、武士階級の特権を廃止した「廃刀令(帯刀の特権廃止)」から150年に当たる節目の年だ。しかも、「サムライ」は、「ゲイシャ」や「スシ」などと並んで、海外でとりわけよく知られている日本語。キュレーター陣は、このうち「サムライ」をキーワードにすることは、日本の芸術や文化、歴史の様々な側面を探求する上で有用な手段だと判断したという。

過去にも大英博物館では、「サムライ」をテーマに掲げた展覧会が複数回開かれていたが、「かなり因習的で型にはまったもの」であったため、今回の展覧会ではキュレーターの独自性を重視し、35歳以下の若者をターゲットに、斬新な展示を目指した。そうした姿勢のもと、バックランドらキュレーター陣は、研究パートナーであるオレグ・ベネシュ教授との協業を通じて「サムライ」の概念について探究するうち、「サムライとは、大きな神話である」という認識を得たという。こうして、「神話がどのように形成され、いかに強力になり得るか」という問題意識が、展覧会を通底するテーマになった。

サムライは文化人であり、芸術家だった

室町時代(1336–1573)末期に制作された銀箔と金箔を用いた屏風。権勢ある武家大名は、公式の社交の場を利用して、同盟者や家臣との関係を強固にし、その忠誠を維持していた。屏風には、春を象徴する桜と、夏を表す紫陽花が描かれている。Photo: © The Trustees of the British Museum

武士階級は、12世紀に武家政権が成立し、朝廷から権力を奪取した際に、朝廷から正当性を認められなければならなかった。「将軍」という称号は天皇から授けられるものであり、武士階級は朝廷の貴族と同等の地位を望んでいた。そこで重要な役割を果たすようになったのが、文化だ。展覧会では、足利幕府が広範なジャンルにわたって展開した文化活動である東山文化にスポットを当てている。

「武士はそもそも理想化されていたし、さらにニュアンスを込めて言えば、確かに、そこには英雄的な魅力を否定できません。16世紀後半の朝鮮半島への侵攻を描いた絵巻物を見ると、戦争における残虐性が顕著であり、美化しようとしているわけではありません。ただ、その複雑さを示したいのです」

政治が安定すると、足利家のもとで武家文化がさらに花開く。本展では、日本独自の文化である茶道の茶道具、能楽の能面とともに、大英博物館に数百点ある狩野派の所蔵作品も展示されている。

「茶の湯は政治の話し合いが持たれる場でもありました。そして、洗練され、教養ある人間でありたいという武士階級の願望は、江戸時代へと続いていきます。武士としてのアイデンティティを維持するために訓練は行っても、実際に戦場に出る必要は一度もありません。主な活動は、国や都市を統治すること。さらに自由な時間と収入があれば芸術を支援しました」

日本の水墨画を習っているというバックランドは、筆巻きに包まれた自分の筆を取り出して見せながら、こう語る。

「ちょっとやってみると、水墨画は、筆と墨さえあれば、特別な訓練を受けていなくても描けることがわかります。武士階級の子どもたちはこうして絵を描き、武士階級の様々な階層や位階に属する男性や、一部の女性も、生計のために絵画や詩作を行うようになったのです」

歌舞伎から現代へ、イメージの系譜

元禄の頃には、木版印刷の読本で武士の物語とイメージが人々を魅了した。特に源平合戦は数多くの物語を生み出し、1700年代、1800年代にかけて巨大な出版産業へと発展した。また、「オペラやダンス、歌など、ありとあらゆる芸術に匹敵する江戸時代の総合芸術」とバックランドが称する歌舞伎においても、武士の物語は人気を呼んだ。

バックランドは、世界を魅了する江戸時代の文化に読み取るべきなのは「平和の尊さ」であると述べ、こう続ける。

「サムライは社会の安定にとって極めて重要な役割を果たしていました。こうして平和が実現すると、武士階級の男女双方が、安定した暮らしと芸術の担い手として、日本文化の発展に貢献しました」

葛飾北斎《源為朝と鬼ヶ島図》(掛軸)(1811) 江戸時代(1603年~1868年)、武士も町人も、かつての内戦で活躍した伝説的な武将に魅了されるようになる。平安末期の武将、源為朝は、北斎が挿絵を担当してベストセラーになった読本『椿説弓張月』の主人公。読本の完結を記念して制作され、鬼ヶ島の鬼たちに挑む様子が描かれている。Photo: © The Trustees of the British Museum
絹と金糸による刺繍をあしらった女性の消防服(1800-1850年)。木造建築の街・江戸では火災が頻発、幕府は消防隊を組織し、高位の武士が警報の発令、消火活動および避難の監督、略奪の防止を担当した。江戸城内で働く女性たちも、(将軍を除く)男性の立ち入りが禁じられていた大奥を守るために同様の訓練を受けた。火を鎮めるのにふさわしい水辺のモチーフが施されている。Photo: © John Bigelow Taylor. John C. Weber Collection.
江戸時代の画家で蘭学者であった渡辺崋山による《竹扇図》(1837)。徳川政権の専制に批判的だった一部の武士は、異議を寓意や歴史的参照に託して表現した。本作の詩で崋山が言及するのは、元朝に仕えることを拒んだ宋代の画家・鄭思肖で、体制に協力した趙孟頫とは対照的な存在。崋山はこの思肖に自らを重ねたが、その反骨的な姿勢により自宅謹慎を命じられ、最終的に自害した。Photo: © The Trustees of the British Museum

西洋が「サムライ」に見た魅力

展覧会の前半の目玉は、英国王室の所蔵品を中心とした見事な細工の甲冑だ。これらは、儀式に使われたか、戦闘用に用意されたものの使われなかった状態の良いコレクション。さらに、大英博物館が誇る日本刀コレクションから数点が展示された。これらは、1950年代、日本刀と西洋美術を併せてコレクションしていた個人の寄贈品250点に含まれるものだ。

「鎧兜や日本刀には、見事な鋳造技術と細工が生かされています。重要なのは、サムライのイメージについて語ることです。なぜ武士たちがこれらの儀式的なデザインにこだわり、そしてその姿が芸術作品に描かれてきたのか。それを考え、事例を辿るうちに、現代のポップカルチャーにおけるサムライのイメージの活用は、古くは17世紀から脈々と続いてきたのだと気づきました。ヨーロッパの人々は、英雄的な日本の武士のイメージに熱狂していたのです」

アルキッタ・リッチ《支倉常長》(1615) 慶長遣欧使節団を率い、ローマ貴族となった支倉常長の肖像画。芸術のパトロンだったスキピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の注文により制作された。絹の羽織袴に、伊達政宗の九曜の家紋をデザインした2本の刀を帯び、金の首輪をした犬を従え、ヨーロッパの肖像画のポーズをとっている。Photo: © The Trustees of the British Museum
日本で制作されたバルディ伯爵アンリ・ド・ブルボン像(掛け軸)(1887年)。 ヴェネツィア東洋美術館(Direzione Regionale Musei Vento)所蔵。Photo: © Museum of Oriental Art, Venice – Direzione Regionale Musei Vento, by permission of the Italian Ministry of Culture.

武士道と特攻隊

前述のオレグ・ベネシュ教授の研究によれば、1876年の廃刀令によって武士階級が廃止されてから約20年後の1890年代、武士に結びつけられた倫理体系として武士道の概念が人工的に構築され始めた。実際、江戸時代の武士社会においても、絶対的な忠誠や自己犠牲といった規範は存在しなかった。それを新渡戸稲造が1900年の著書『武士道』でヨーロッパの騎士道になぞらえて体系化・理想化し、西洋世界に広めた。20世紀初頭には、軍国主義と植民地拡張の波の中で、武士道は国家によって意図的に利用・操作されていった。

「展覧会では、複雑な物語の負の要素を確実に扱わなくてはならない」という考えから、明るく軽やかな戦後の時代へと進む前に、軍国主義や植民地主義の歴史について、少し立ち止まって振り返るような展示を試みたのだとバックランドは語る。「特攻隊には、サムライ精神、武士道精神が結びついて」おり、日本人や日系アメリカ人の中から、戦地での経験に基づいた作品を生み出したアーティストの作品を紹介した。

さらに、日本側で従軍した2人のアーティストに加えて、シンキチ・タジリの彫刻も取り上げている。タジリは日系アメリカ人で、アリゾナ州の日系人収容所に送られ、そこを出る唯一の手段として米陸軍に志願し、非常に過酷なイタリア戦線に送られた。そのなかでも死傷率が極めて高いことで知られる部隊に属していたが膝に負傷しながら生き延び、戦後アメリカでの人種差別を経験し、フランス、のちにオランダへ移住した。バックランドは、「第二次世界大戦の両陣営で従軍した経験のあるアーティストたちの作品を展示できて良かったと思います」と振り返る。

林康夫《波形の如く》(1985) 林は特攻隊に属していたが、攻撃命令を発令されることなく、終戦を迎えた。「マットな黒い釉薬を使った、とても感動的で心に響く彫刻《波形の如く》は、水上で行われた夜間の訓練飛行から着想を得ている作品です」とバックランドは説明する。Photo: Courtesy British Museum
シンキチ・タジリ《Ronin/Sentinel》(2008) 日系アメリカ人のタジリは、武士や浪人に高い関心を寄せ、《戦士》《浪人》などと名付けた巨大な彫刻を制作した。「タジリは、これらの作品を平和の守護者だと説明していました。今日においても非常に重要なテーマです」 Photo: Courtesy Mayor Gallery, London
吉田堅治《Moment décisif 決定的時間》(1972) 大英博物館では1993年に個展を開催した吉田堅治の作品を100点ほど所蔵。「吉田も特攻隊員でありながら任務に派遣されず、戦死した仲間に対する喪失感や罪悪感、そして責任感を抱えていました。本作にも、命の尊さが表現されています」Photo: Courtesy British Museum

サムライはなぜ私たちを魅了するのか

作られた幻想である武士道は、戦後は影を潜めていたもののリバイバルを繰り返している。「侍」という言葉も、日本の中世史に登場する武士を指す言葉としてほとんど用いられておらず、「武者」や「強者」などが一般的だった。それどころか、「さむらう」つまり「仕える」という言葉に由来する「侍」は侮蔑的に使われることさえあったという。

展覧会では、矢頭保撮影の三島由紀夫写真集『体道 日本のボディビルダーたち』(1966年)から、三島が日本刀を手に、鍛えた体を披露するポートレート写真を取り上げている(本書では三島が序文も寄せている)。

「三島は自分のセクシュアリティを公に認めることはなく、引き裂かれたような、複雑な人物でした。三島の『葉隠入門』には、戦後、武士道が抑圧されていたという事実、そして1960年代後半に再興の波があったということが示されています」

野口哲哉《Duck and Man》(2025)ミニチュアの武士像を多数制作している現代アーティスト、野口哲哉が、大英博物館の依頼を受け、同館のショップで一番人気のアヒルをモチーフに作品を制作。「サムライは私たちと同じ人間だ、というメッセージです。退屈そうな、あるいはちょっと落ち込んでいるビジネスマンを思わせます」Photo: © Noguchi Tetsuya, © The Trustees of the British Museum
武田秀雄《源平 扇の的》(1985) 源平合戦という伝統的な題材を現代風にアレンジした「源平シリーズ」のうちの1点。平家物語で、那須与一が平家の女性が船の上に掲げる扇に向けて矢を射ろうとしている場面を描いている。Photo: Courtesy British Museum
天明屋尚による、サムライとしてのサッカー選手を描いたポスター作品《蹴球之図》。Photo: © 2005 FIFA, Courtesy British Museum

そして80年代には、武士道は日本経済の成功を担うサラリーマンのシンボルとして利用され、今日では、世界に広がった「サムライ」という言葉は日本にも逆輸入され、スポーツの世界でもしばしば用いられる。

「サムライは、様々な事柄を簡潔に表現するための非常に魅力的な比喩なのです。私たちは常にヒーローを求めています。絵巻物や浮世絵に描かれた武士たちは、西洋へと輸出され、19世紀には熱狂的に受け入れられ、そしてそれは現代まで続いています。おそらく不安な時代ほど、人々は強い英雄を、正義をもたらしてくれる誰かを求めるのです」

そしてバックランドは、こう続ける。

「サムライとは、サムライ・スピリットとは、一体なんでしょうか? 国際的に認知されているサムライ神話の再検証と、武力だけでなく行政や社会の広範な側面を備えた実像を提示することが、私たちの狙いでした。神話を問い直し、解体すれば、その奥に非常に豊かな物語が広がっているのです」

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