紆余曲折を経てついに決定──ヴェネチア・ビエンナーレ米代表、アルマ・アレンとは何者か

2026年ヴェネチア・ビエンナーレアメリカ代表作家が、ようやく正式発表された。選出されたのは彫刻家のアルマ・アレンだが、そのプロセスは異例のものだった。アレンのキャリアや作品について、また、募集要項の変更から決定までの前例のない経緯についてまとめた。

2025年にニューヨークのパーク・アベニューで展示されたアルマ・アレンの作品。Photo Charlie Rubin
2025年にニューヨークのパーク・アベニューで展示されたアルマ・アレンの作品。Photo Charlie Rubin

11月24日、アメリカ合衆国国務省は第61回ヴェネチア・ビエンナーレのアメリカ代表作家を正式に発表した。波乱に満ちた選考プロセスを経て2026年のアメリカ代表に選ばれたのは、メキシコを拠点に活動するユタ州生まれの彫刻家、アルマ・アレンだ。来年5月に開幕するこの世界最高峰のアートの祭典には、さまざまな地域から大勢のキュレーターやコレクター、ジャーナリストらがイタリアの水の都に集結する。そして、出品作の質だけでなく、各国パビリオンが発信する政治的メッセージの吟味を行う。

トランプ政権の発足以来、アメリカでは芸術文化領域のイデオロギー的な再編が進んでいる。その中での代表作家の人選は、アート分野でトランプが何を重視しているかを推し量る材料になるだろう。特に今回は選考ガイドラインが更新され、展示企画の要件として「アメリカ的な価値観を反映・促進する革新的かつ魅力的な芸術作品を国外の観客に見せることで、アメリカ的価値観に対する国際的理解を促すものであること」と明記された点が注目された。

アメリカ代表作家、アルマ・アレンとは?

1970年にユタ州ヒーバーシティで生まれ、同地で育った彫刻家のアレンは、カリフォルニア州ジョシュアツリーに数年住んだ後、現在はメキシコシティの約80キロ南にあるテポストランという街にブロンズ鋳造設備を備えたスタジオを構えている。

どんな作品を制作しているのか?

アレンは抽象的かつ有機的な造形の彫刻を制作している。2014年に行われたホイットニー・ビエンナーレの出展作は原始的な海の生き物のようだったが、その他の作品には森の中の生物を連想させる形状のものが多い。ほぼ独学でアーティストになった彼は、手彫りのほか、大規模作品では工作機械を使うなど幅広い技法を駆使している。

アレンがかつて所属していたギャラリー、メンデス・ウッド DM(本拠地はブラジルサンパウロ)は彼のキャリアを、「ソーホーの路上で手彫り彫刻を売る無名作家」からホイットニー・ビエンナーレの参加作家へ大きく飛躍した、と評している。ホイットニー・ビエンナーレに出展された彫刻は、彼の作品の多くと同様、形式的にはシンプルだが、それが何を意味するのか読み取りにくいものだ。プレス向けの資料ではしばしば、「自然発生的」で「何かに突き動かされるかのような」制作アプローチと解説される。

アレンの作風は、トランプ大統領の好みにかなっているように思える。その作品は何らかの人物を写したものではなく、スケールが大きく、貴金属のように輝いているものが多い。彫刻という分野では完成した作品と同じくらい素材が重視されるが、その点、産業の発展に熱心な大統領の関心を引くのには有利だろう。アレンは堅固なブロンズ、パロタウッド(中央アメリカ産の高級木材)、黒曜石、石筍(鍾乳洞にできる石灰質の石)、メキシコ・オリサバ産の大理石などを作品に用いている。

アーティストとしての実績は?

アレンは1990年代初頭からロサンゼルスやコロラド州アスペン、東京などで作品を発表しており、ニューヨークではチャールズ・カウルズ・ギャラリーでのグループ展(1997年)でデビューした。個展の大半はブラム&ポー(後のブラム)、メンデス・ウッド DM、カスミン(現オルニー・グリーソン)で開催されてきたが、今年の夏にブラムが閉廊したのに加え、最近アレンはメンデス・ウッド DMとオルニー・グリーソンから離れることになった。アレンがニューヨーク・タイムズ紙に語ったところによると、アメリカ代表作家を辞退するよう助言していた両ギャラリーは、それに従わなかった彼との関係を断ったという。

2021年にヨーロッパでの初個展を企画したのはメンデス・ウッド DMだった。同ギャラリーのブリュッセルの拠点、そして同市のヴァン・ビューレン・ミュージアム&ガーデンで開催された個展では、異世界からやって来たような艶やかなコイル状の彫刻が展示されている。また、カリフォルニア州のロサンゼルス・カウンティ美術館とパームスプリングス美術館に作品が収蔵されているほか、2020年には初の作品集がリッツォーリ・エレクタ社から刊行された。アレンは商業ギャラリーのほか美術館でも2度──2018年にパームスプリングス美術館で、そして2023年にはメキシコシティのアナワカリ博物館で──個展を開いている。

アメリカ代表作家に選ばれた経緯は?

アレンがニューヨーク・タイムズ紙の取材に答えたところによると、彼はヴェネチア・ビエンナーレのアメリカ代表選考委員会に正式な企画書を提出していたわけではなかった。アメリカ館のキュレーターに指名されたジェフリー・ユスリップから直接オファーを受け、(それまでユスリップとは面識がなかったが)すぐにオファーを受け入れたという。

独立キュレーターとして活動しているユスリップには、2022年のヴェネチア・ビエンナーレでマルタ館のキュレーションを担当した実績がある。また、以前はセントルイス現代美術館でチーフキュレーターを務めていたが、2016年に同美術館で開催されたケリー・ウォーカー展が人種差別的だと物議を醸す中で職を辞している。

US版ARTnewsが11月6日に報じたように、アレンは11月初旬にはアメリカ代表作家に選出されていたものの、政府機関の閉鎖の影響で発表が遅れていた。同じ日のワシントン・ポスト紙の報道によると、当初は独立キュレーターのジョン・ラヴェナルおよびサウスフロリダ大学現代美術館と共同で企画案を提出していたロバート・ラザリーニが代表作家に内定していたが、国務省とサウスフロリダ大学との交渉が合意に至らず、彼の企画案は撤回された。

これは従来にない選考プロセスの末の異例の結末だった。トランプ政権が全米芸術基金(NEA)など芸術文化関連連邦政府機関の改編を進める中、一時は2026年のヴェネチア・ビエンナーレでアメリカ館の展示が実現するのかさえ疑問視され、政府機関の閉鎖が行われるとさらに不透明感が増していた。

これまでヴェネチア・ビエンナーレのアメリカ代表作家は、政府が企画案を募集し、NEAと国務省が組織する国際展覧会諮問委員会が提出された案を選定する形で決まっていた。また、国別パビリオンで展覧会を開くのは一大事業なので、通常なら開幕の約1年半前には選考プロセスが始まり、NEAによる諮問委員会招集の数カ月後に募集で集まった企画書を審査するというのが従来の流れだった(今回NEAは選考に関わっていない)。

しかし、ヴェネチアは展覧会を開くのに極めて難しい場所として知られているにも関わらず、2026年のビエンナーレに向けた展示企画案の募集が始まったのは今年5月と、その時点で開幕まで1年弱になっていた。また、国務省の募集要項には「アメリカ的価値観を反映・促進する」展示であることと記載されていただけでなく、DEI(多様性・公平性・包摂性)に関するアートに反対する現政権の方針に沿って、これまで記載されていた文言が削除されるという変更があった。

応募者は、「反差別に関する連邦法に全面的に準拠していること」を証明する必要があり、「反差別に関する連邦法に反するいかなるDEI推進プログラムも運営してはならない」という規定もある。

アレンの展示について現在分かっていること

アメリカ館で開かれる予定のアレンの展覧会「Alma Allen: Call Me the Breeze(アルマ・アレン:そよ風と呼んで)」は、セントルイス現代美術館で展示担当副館長を務めた経験を持つユスリップがキュレーションを担当する。コミッショナーはトランプ派の団体、「アメリカン・アーツ・コンサーバンシー」の創設者ジェニー・パルドだ。

展示されるのは約30点の彫刻で、その中に含まれる「サイトレスポンシブ」な作品について国務省は、「トランプ政権が重視するアメリカの卓越性を世界に示すため、物理的なフォルムとして、また国民が共有する楽観主義と自己実現の気質の象徴として『上昇』の概念を探求する」と明かした。また、アメリカ館の前庭に展示される作品が少なくとも1点あるという。アレン自身は声明の中でこう説明している。

「私の彫刻の多くは何らかの行為の最中にあります。去っていく、あるいは立ち去ろうとする、あるいは目に見えない何かとの相互作用の途中です。それらは静止した物体に見えるかもしれませんが、私にとっては静止していません。私の心の中でそれらは、はるかに大きな宇宙の一部なのです」

さらにコミッショナーのパルドはこう述べている。「アルマ・アレンはアメリカで最も優れた人材の資質を体現しています。彼は独学で成功を収めたアメリカンドリームの象徴です」(翻訳:野澤朋代)

from ARTnews

あわせて読みたい