どうすれば個人が都市における行動の可能性を広げていくことができるのか──SIDE COREと渋谷、都市と人々のつながり

「Bunkamuraの未来を照らす新しいアート体験2025」と題された「渋谷ファッションウィーク(SFW)2025春」共催アートプログラムが3月13日から23日まで開催される。このイベントに参加する3組のアーティストの中から、松下徹、高須咲恵、西広太志と映像ディレクターの播本和宜の4人からなるアーティストユニット、SIDE COREに、「都市とアート」の関係について話を聞いた。

──SIDE COREは「都市空間における表現の拡張」という大きなテーマで作品制作をしてきました。今回の展示は渋谷という街が舞台なので、まずは皆さんと渋谷との関係から教えていただけますか?

松下徹(以下、松下):渋谷は90年代から2000代初頭にかけて日本におけるストリートカルチャーを牽引する存在だったと思います。もちろん、個々人による小さな活動が街の性格形成に寄与したことは無視できませんが、歴史的に振り返ると、そうした風土が醸成された背景には渋谷PARCOや西武百貨店を起点とした「セゾン文化」の貢献が大きいと思います。

例えば日本においてヒップホップが広がるきっかけを作った映画『ワイルド・スタイル』が1983年10月に日本で公開された際、本作でフィーチャーされたニューヨークのグラフィティ・ライターやラッパー、ブレイクダンサーたちが来日して様々な関連イベントが行われたそうなのですが、その舞台の一つとなったのが池袋と渋谷の西武百貨店でした(編注:西武百貨店で開催されたグラフィティ・アートの展覧会「ニューヨーク展」の一環として、出演者がイベントを行った)。そんなふうに、日本のストリートカルチャーの黎明期において、渋谷が果たした役割は大きかった。

松下徹。

──松下さんは公開当時、まだ生まれていませんよね。

はい。なので『ワイルド・スタイル』公開時の熱狂はのちに知ることになるんですが、これが与えたインパクトは、僕自身を含めた後進の行動意識にも受け継がれていると思います。

僕は実家が横須賀だったので、若い頃は東横線でよく渋谷のダンスイベントやクラブイベントに遊びにきていました。あと、KOMPOSITIONというNPO法人が「リーガルウォール」というグラフィティライターに活動場所や機会を提供するプロジェクトを行っていたのですが、その一環で、渋谷の街中にも、のちにマスターピースと呼ばれるような絵画的な完成度を追求したグラフィティが合法的に描かれていたんです。それを見るために渋谷にきていましたね。

西広太志(以下、西広):僕は2006年に上京したのですが、当時からグラフィティが好きだったので、渋谷にはよく来ていました。あとはタワーレコードに行って、上階にあるタワーブックスでグラフィティ関連の本を見たり。タワーブックスのバイヤーの方の中に、ストリートカルチャーに詳しい人がいたんです。そんなふうに、カルチャー好きの若者にとって、当時は渋谷に来る理由がたくさんありました。情報収集や学びの機能が街にあったとも言えるかもしれません。でも今は、情報の発信・収集のインフラが街からインターネットやSNSへと移行し、東京のあらゆる場所に文化発信の拠点が分散している。それは、いいことだとも思うんです。

──時代とともに、街の「使い手」も移り変わりますよね。

松下:どの世代も自分が若かった頃の渋谷のイメージがあるんだけど、みんな過去を振り返って異口同音に「渋谷は終わった」って言うんです。開発が終わらない街でもあり、そのたびに規制が進んでいくことから、自分が体験したあの渋谷はもうない、という喪失感を抱くのかもしれません。でも、渋谷はそもそも複数線が乗り入れるターミナル駅ということもあるので、今の若者にとっても「とりあえず渋谷に出てくる」みたいな側面はあるように思います。例えば今の10代の人たちと話していると、僕らの頃とは全然違う遊び方を渋谷で満喫している。何かと「隙間」を見つけては、自分達の空間にしてるんです。確かに、渋谷が昔ほど文化を体現する街ではなくなったかもしれませんが、それでも、その時代時代におけるストリートカルチャーの行動規定のようなものを渋谷は定義してきたんだと感じます。

 西広太志。

松下:それぞれのマインドマップにおける渋谷の定義がありますよね。

西広:そう。そのマインドマップは個々人で違うのですが、渋谷で遊んでるという雰囲気は今の若い人たちからも感じます。そういう人たちがいるということを、自分を含め、上の世代も知っておくべきだなと思います。

松下:渋谷はかつて、「つくる人の街」でもあったように思います。東急ハンズ(現ハンズ)はもちろんですが、裏道にあるレコード屋にもヨーロッパのスプレー缶が売られていたりして。渋谷の店には、ストリートカルチャーやアートに精通した「専門家」が結構いて、そういう人たちから技術的な知識を教えてもらうということも少なくありませんでした。

高須咲恵(以下、高須):私にとって、渋谷といえばギャル文化の生誕の地。渋谷の音楽やグラフィティとは全く異なるエネルギーをもったムーブメントで、すごく面白いと思っています。

高須咲恵。

──確かに、欧米文化に影響を受けた音楽やストリートカルチャーに対して、ギャル文化は完全に日本、しかも渋谷特有の美意識を体現するものとして世界的な注目を集めました。決して洗練されることも権威やシステムに取り込まれることもない強さとキッチュさがあったように思います。高須さんご自身はギャルではなかったんですか?

高須:私はどちらかというと渋谷よりも池袋派でしたので違います(笑)。ですがそもそも、自分がある都市文化の当事者である、という意識は希薄で、むしろ、都市に生きている人たちにとっての「自然」としての都市のありようを、どこか複眼的に、俯瞰して見ているかもしれません。そうして都市を見たときに、そこに表出している人間の不完全さやキッチュさみたいなものに興味を駆り立てられるんです。渋谷のギャル文化は、まさにそうしたものの一つです。

播本和宜(以下、播本):僕は若い頃、よく渋谷に音楽を聞きに来ていました。クラブイベントで音入りの映像で記録するということを繰り返しているうちに、そこにあるのに誰も気づいていない事象を撮影して収集することに興味が移っていきました。そうして集めた素材を並べてみると、あるコンテクストが見えてくる。それが今、僕が映像を通じてやっていることに繋がった感はあります。その意味では、僕も高須と同様に、自分が当事者というよりはいつもレンズ越しに街を客観的に見ているかもしれません。でもそうして街を見ていくと、至るところにいろんな手垢があることがわかるんです。

播本和宜。

──手垢というのは、人間の営みの痕跡という意味ですか?

播本:人の場合もあるし、街に生息する動物の「手垢」もあります。例えば、ネズミが壁伝いに移動するときに体の油分によって残される「ラットサイン」と呼ばれる痕なんかもそうです。そういう都市に残された手垢みたいなものを追いかけていくと、例えばラットサインに詳しい人に出会えたり、逆に外国人観光客に「お前はネズミマスターなのか?」って声をかけられたり。表からは見えないけれど確実に存在している都市の奥行きのようなものが見えてくることがあるんです。

──街の文化の当事者性という点では、グラフィティを含めストリートアートには個々人の怒りや主張が生々しく込められていることが多いですよね。そうした当事者性は、SIDE COREの作品制作においてどう扱われるのでしょうか。

松下:社会に対する怒りや鬱憤のようなものがあるとき前面化して、それが例えばストリートアートという形で表出してきたことは、歴史を振り返っても明らかです。その意味でストリートアートは、アクティビズムの一形態であると思います。一方、僕たちSIDE COREは確かにグラフィティやストリートカルチャーを作品の要素や題材の一つとして扱ったりしていますが、アクティビズムそのものではありません。じゃあアートは何をすべきかというと、社会に存在する問題への導入をつくること、そして、そうした問題に対して、あり得たかもしれないことを提案したり、問題に対する鑑賞者の想像力を掻き立てることなのではないかと思います。

──身近な問題や事象を起点としつつも、メタ視点でそうした問題意識に普遍性を持たせるということですか?

松下:よく翻訳という言葉を使うのですが、僕たちの作品に通底するのは、東京や都市に限定しているよりも、たとえ東京の話が起点になっていたとしても常にそれが他の地域にどう繋がっているのか、という視点があることだと思います。個人と都市との関係や、どうすれば個人が都市における行動の可能性を広げていくことができるのか、ということは僕たちの重要なテーマです。

その考え方に大きな影響を与えたのは東日本大震災でした。今回も展示しているシャンデリア状の作品シリーズ「rode work」は、夜間工事用の照明機材で構成されています。これらの機材は東京の様々な工事現場でも使われているのですが、震災の復旧工事をきっかけに、東北のメーカーが作った機材が全国的に使われるようになったそうなんです。また、福島の山間部には標準電波の送信施設があり、日本中の電波時計はそこから送信されるデータを受信することで正確な時を刻むことができているんです。しかし、未曾有の震災で約2カ月にわたって停波を余儀なくされました。そんなふうに、震災、そして福島第一原子力発電所の事故はほかの場所の話ではなく、東京をはじめとする都市全般の問題であり、交通の問題であり、日本の資源の問題でもあります。そうやって見ていくと、東京のような大都市とそうではない地域とのつながりや、それらの不均衡な関係性が見えてくる。鑑賞者の拠点がどこであれ、つまりは当事者か否かにかかわらず、自分の暮らしと必ずどこかで繋がっている問題であるということを重視しています。

──SIDE COREは、都市という公共空間の盲点や隙間に目を向けた作品も多く制作しています。都市の「公共性」についてはどんな考えをもっていますか?

松下:公共性というものは定義できないという前提に立つべき、という意識があります。結局のところ、社会というのは異なる視点を持った個人の集まりであって、異なる個々人の行動の自由をいかに守ることができるのか、ということが、公共の原則なのではないかと思うんです。

高須:いろんな人がいるということを受け入れていくということですよね。実際には共に生活する家族のことすら受け入れ難いこともあるわけですが......。

播本:違いを受け入れることで新しいことが生まれていくということもあると思います。

西広:自分も一人の街の構成員であるという自覚から、街の公共性や自由さが失われることには小さな憤りを感じることがありますね。

高須:それでも西広は、例えば規制が強まって街がつまらなくなったからもうここには来ない、ということを自分に許さないんです。だからどんなに忙しくても、まるで毎日歯を磨くように街に出て行って、そこで起きている面白いことを記録している。環境が変わってもその中でなんとか面白いものを見つけよう、ここにはまだ自由がある、という発見を通じて、大きな力に抵抗している、というふうにも言えるのかもしれません。

松下:それはSIDE COREにとっても重要な態度だと思います。監視や規制によって公共性が担保されるという同調圧力がある中で、行動する権利をどう作品を通じて表現できるのか。どこまでできるかわかりませんが、前の世代から受け継いできたものの情報的・教育的・文化的価値を、作品制作を通じてできるだけ面白く提示していかなきゃいけないという思いがあります。

加えて、都市開発の一番の問題は、市民が投票できないことだと思うんです。新しい建物が建ち、みんなの生活や行動様式を変えるほどのインパクトがあることなのだから、本当は民主主義的に投票すべきなのではないでしょうか。

──都市の所有者は誰なのか、という問いにも繋がりますね。

高須:渋谷を例に考えると、圧倒的に渋谷の住人というよりも「来ている人」のものだという印象があります。

松下:イタリアの美学者で哲学者のパオロ・ダンジェロは、自著『風景の哲学』で、風景というのは、そこにアイデンティティを見出すことができる人のためのものだと書いています。そうなのだとしたら、やはり都市というのは、そこに集う若者や外国人を含め、風景を発見できる外部の人のための場所だとも言えると思います。

今回の展示では、そういう意味でも渋谷という都市、そこにあるこの空間がもつ文脈や意味を排して自分達が作りたいものをインストールするべきではない、という意識が強く働きました。

SIDE CORE《rode work shibuya》2025
SIDE CORE《柔らかい建築の為の習作》2025
SIDE CORE《day by day》2025
渋谷の土を使用したネズミの立体作品。ドゥマゴのどこかにいるので探してみてほしい。

──具体的に、それはどういうところに現れているのでしょうか。

松下:Bunkamuraのこの空間は、渋谷の中心部に空いた巨大な空洞のような存在です。同じ街の中に存在する異なる時間の断片と、その時間における様々な営みが、この巨大な空洞に落ちてきて滞留するようなイメージでインスタレーションを考えました。前述した「rode work」というシャンデリアのシリーズと一緒に、音と映像という物理的な実体を持たない作品も、そうした都市の時間の断片を表現するものとして展示しています。

また、渋谷の地名は、渋谷川の底に溜まった赤土の影響で川の水が赤く見えたことが由来になっているという説もあり、昨年10月には渋谷川の暗渠で採取した土を使って作品を作り、代官山で野焼きするというプロジェクトを行いました。今回も渋谷で採取した土を用いて、建築模型のような彫刻作品を制作しています。東京が常に可変的であるように、この作品も、土の乾きとともに一部がひび割れたり崩れたりしてその姿形が変わっていく。それは建築を壊すことにも重ねられるし、あるいは逆に作られている過程を象徴するものでもあるかもしれない。この作品も、都市の時間のようなものを表現する構造体です。

──アートには、社会に存在する問題への導入をつくること、そうした問題に対する想像力を掻き立てる役割があるとおっしゃっていましたが、そういったことを含むSIDE CORE的な視点の全てが融合したインスタレーションと言えそうです。

松下:そうですね。都市開発を含めた政治への参加の仕方は色々ありますが、僕たちはアーティストとして、この空間(街)に対してどんな視点を持ち、どんな行動を提案できるのか。それを作品制作を通じて実証していくことも、政治参加の一つなのではないかと思っています。

SHIBUYA FASHION WEEK 2025 Spring × Bunkamura
Bunkamuraの未来を照らす新しいアート体験 2025

会期:2025年3月13日(木)〜23日(日)
場所:Bunkamura(東京都渋谷区道玄坂2-24-1)
時間:13:00〜20:00(23日は18:00まで)

Photos: Kaori Nishida  Edit&Text: Maya Nago

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