わたしたちの永遠の「偶像」──マリー・アントワネット・スタイル【EDITOR’S NOTES】
フランス革命によって処刑された悲劇の王妃、マリー・アントワネット(1755-1793)。彼女の生涯と後世に与えた影響をたどる展覧会が横浜美術館で開催中だ。

マリー・アントワネットに焦点を当てたイギリス初の展覧会が2025年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)で開催された。その巡回展となる本展では、日本国内の所蔵品約20点を加え、ドレスやジュエリー、家具、絵画、版画、写真など約200点を通して、18世紀から2025年まで約250年にわたるアントワネットの影響をたどる。
なぜいま、イギリスでアントワネット展が企画されたのか。V&Aシニアキュレーターのサラ・グラントは記者説明会で、その背景のひとつとして、イギリスの歴史作家アントニア・フレイザーが2001年に刊行した伝記『Marie Antoinette: The Journey』(Weidenfeld & Nicolson)の存在を挙げた。同書は、1755年にウィーンで生まれたアントワネットが、14歳でフランスへ嫁ぎ、慣習に縛られたヴェルサイユ宮廷で王太子妃、王妃、そして母となり、革命を経て断頭台へ向かうまでの道のりを描いたものだ。これを原作にソフィア・コッポラ監督の映画『マリー・アントワネット』(2006)が制作されたことなどを通じ、英語圏ではアントワネット像の「再評価」が進んできたという。
会場には、主にV&Aが所蔵する当時のドレスや、アントワネットゆかりの品々が並ぶ。例えば、1760年代のフォーマルドレス「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」は、青と白のストライプ地に、まるで日本の絣(かすり)のようなバラとリボンの模様が浮かび上がり、現代の感覚で見ても新鮮だ。これは、仕上がりを計算しながら絹糸をあらかじめ染め分ける高度な技法「シネ・シルク」によるもの。アントワネットは、こうした意匠を大変気に入っていたという。
見た瞬間、かわいらしさに思わず気分が高揚したのが、アントワネットのために1788年、サン=クルー城の私室用に作られた肘かけ椅子だ。椅子は金色に装飾され、白と淡い紫色の張り地には可憐な小花が散らされている。また、セーヴル磁器製作所がアントワネットのために手がけた食器セットには、彼女が好んだヤグルマギクと真珠の意匠がさりげなくあしらわれている。これらの品々からは、アントワネットの類いまれな美意識と洗練された感性が伝わってくる。
V&Aにアントワネットゆかりの品々が数多く収蔵されている背景には、18世紀のイギリスとフランスの王侯貴族による国境を越えた交流がある。革命に際しては多くのフランス貴族が財産を持ってイギリスへ逃れ、革命後にはフランス政府が旧王家から接収した財宝を資金調達のために売却した。それらをイギリスの王侯貴族や富裕層が買い集め、後にV&Aへ収蔵されていったという。
ルイ16世一家の行く末を知る者にとって、感慨深い品もあった。大粒の天然真珠119粒を連ねた、アントワネット旧蔵の3連ネックレスだ。これは、フランス脱出に備えて故郷オーストリアへ運ばせた宝飾コレクションのひとつとされる。革命後、一家で唯一生き残った娘マリー・テレーズがオーストリアへ移った後、母の宝飾品は彼女のもとへ返還された。テレーズの死後は姪のルイーズへ受け継がれ、その後も時代の流行に合わせて仕立て直されながら、現在まで伝えられてきた。
アントワネットは1793年10月16日、ギロチンで処刑された。本展は、その最期からも目をそらさない。会場には、彼女の処刑に使われたとされるギロチンの刃や、斬首後に型取りしたと伝えられる蠟製胸像を撮影した写真が並ぶ。
展示は、アントワネットがその死後、後世の人々に与えた影響にも多くを割いている。パステルカラーやヒョウ柄、プリント布「トワル・ド・ジュイ」など、彼女のイメージと結びつけられてきた意匠が、現代に至るまで繰り返し引用されてきた様子が紹介されている。
なかでもモスキーノやシャネル、ヴィヴィアン・ウエストウッドなど、現代のファッションブランドによる作品が印象的だった。大胆なミニ丈や、ドレスにパンツを組み合わせた装いなど、挑戦的なデザインが並ぶ。そこに映し出されているのは、宝石や豪華なドレスをまとった華麗な王妃だけではない。厳格な宮廷の慣習に縛られながらも自らのスタイルを貫き、最後まで運命と向き合ったタフな女性の姿ではないだろうか。
マリー・アントワネット・スタイル
会期:8月1日(土)〜11月23日(月祝)
場所:横浜美術館(神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1)
時間:10:00〜18:00(入場は30分前まで)
休館日:木曜(8月13日、9月24日、11月19日を除く)






















