私たちの視線はどう変化してきたのか?──マーティン・パー「We are Martin Parr」【EDITOR’S NOTES】
イギリスを代表する写真家のひとりであり、いち早く社会の「観光」化に目を向けてきたマーティン・パーのアジア初となる回顧展が韓国ソウル市立写真美術館で開催されている。世界各地の観光地を巡りながら写真を撮ってきたパーの写真は、現代社会の変化を浮き彫りにしてもいる。

アジア初のマーティン・パー回顧展
2025年12月、イギリスの写真家、マーティン・パーが死去した。生涯を通して大量の写真集を発表してきたパーは、『VOGUE』のようなファッション誌のエディトリアルやラグジュアリーブランドのキャンペーン撮影も手掛けるなど、イギリスを代表する写真家のひとりであり、同時に異色の写真家でもあった。
それは、彼の写真がどこか世俗的で、下世話なものでもあったからだ。特に1987〜94年のシリーズ「Small World」は、観光地で記念写真を撮ったりよそ見をしたりしている人々の姿をドギツいとも思われるほど鮮明なカラーで写し取ったものであり、従来のドキュメンタリー写真やファッション写真とは大きく異なる世界観を提示したことで知られている。
そんなパーのアジア初となる大規模回顧展が、韓国のソウル市立写真美術館(Photography Seoul Museum of Art)で開催されている。館内では500点超の写真作品と90冊の写真集、1点の映像作品が展示されており、パーの活動を一望できる貴重な機会だと言えるだろう。なお、本展は2024年から準備が始まったものであり、当初は新作や今後の活動について語ることやパーの渡韓も検討されていたという。結果として制作が予定されていた映像もパー本人のインタビューではなく、マーティン・パー財団スタッフやキュレーターの証言をつないだ作品《Everyone's Martin Parr》として公開されている。

私たちはパーになった
展示は初期から晩年までの14シリーズを、ほぼ全館にあたる4つの展示室でたどっている。2階の展示室に並ぶ作品は、パーが同時代の社会を切り取る視線を浮き彫りにしている。イギリス北部の宗教共同体を記録した初期のモノクローム作品《The Non-Conformists》や雨天の奇妙な身振りを集めた《Bad Weather》から、カラーへの転換点となった《The Last Resort》、中産階級の消費を捉えた《The Cost of Living》、大衆観光が世界を均質化する過程を追った《Small World》へ。イギリスの小さな共同体を見つめた写真家の視線が、半世紀をかけてグローバルな観光と消費へ広がっていったことがわかるだろう。
そして3階の展示室では、食品や皮膚、土産物を極端な接写で並べた《Common Sense》や自撮りする観光客を集めた《Death by Selfie》が展示され、焦点が社会の記録から、画像そのものが生産され消費される仕組みへと移っていくことがわかる。そして北朝鮮の風景を捉えた《North Korea》と韓国の消費社会を写し取る《South Korea》が対置され、パー自身のさまざまなポートレートから構成される《Autoportrait》へと続いていき、消費や国家、観光、自己表象をひと続きの視覚文化として見せていく。さらには、希少な初版本を含む90冊の写真集が集められたブースが設けられ、写真家だけでなく編集者、出版人、収集家でもあったパーの活動を補っている。

かように本展は多岐にわたるパーの活動を辿っていくものだが、そのメッセージは明確だ。「We are Martin Parr」という展示タイトルが示すように、「(2026年の社会を生きる)私たちはみなマーティン・パーだ」と語っているのである。たしかにそのメッセージはある程度妥当であるように思われる。かつては些か奇妙に思えた鮮明なカラーや観光客の姿は、いまでは違和感なく受け入れられるようになっている。老若男女がスマートフォンを持ち世界中を巡りながら大量に写真を撮ってSNSで発表している現代社会においては、誰もがパーのような存在になったと言えるのかもしれない。

私たちに日常を飲み込む観光
しかし、会場に展示された多種多様な写真を観て回るなかで、「私たち」がマーティン・パーではないと気づかされることも確かである。外国の観光地を回って写真を撮るパーの視線はたしかに現代人の視線と重なりはするものの、韓国や日本のようなアジア人の視線と完全に一致することはない。それが特に際立つのが、韓国の日常的な風景を捉えた《South Korea》が展示されたエリアだろう。それまでパーと同じように海外の観光地へ目を向けていた鑑賞者(言うまでもなく本展においてはその多くが韓国人である)は、突如として、その視線が自分たちにも向けられていることにも気づかされる。パーになった私たちは、パーに眼差される存在でもあるのだ。事実、現地の報道には安易に展示タイトルの「We」を韓国に暮らす「私たち」と重ねることを疑問視する声も見られた。
もっとも、現代社会においては、そんな転換が常態化しているとも言える。私たちは自国の風景だけを慣れ親しんだ風景として見ているわけではない。同じ国の人々や風景に対してもエキゾチックな視線を投げかけることもあれば、むしろ外国の風景の中に自分の暮らしを重ね合わせて見ることもあるだろう。もはや自国/外国という二項対立が常に成立するわけではなく、グルグルと見る/見られるは入れ替わりつづけてもいる。

そう考えるならば、「We are Martin Parr」というタイトルは私たちがパーと同じ視線を共有する存在になったというよりも、パーがある種の外側から観察していた観光の回路が私たちの日常を飲み込み、その外側がなくなってしまったことを意味しているのかもしれない。展示会場入口をはじめ、あちこちの壁が鏡面になっていることは、そんな状況を表してもいる。鏡にプリントされた展示ロゴやパーの発言を引用したと思しきテキストを撮影するとき、私たちは見る存在であり見られる存在でもある。50年以上にわたるパーの活動を彼の視線を追体験するようにして巡っていくこの展示は、パーの視線の鋭さと彼が現代社会の変化をどう捉えてきたか教えてくれるものだと言えるだろう。
マーティン・パー「We are Martin Parr」
会期:2026年7月16日(木)〜10月18日(日)
場所:Photography Seoul Museum of Art(68 Madeul-Ro 13-Gil, Dobong-gu, Seoul)
時間:10:00〜19:00(火〜金)、10:00〜19:00(土・日)
休館日:月曜