元R.E.M.のマイケル・スタイプ、アウトサイダー・アーティストとの交流を語る
マイケル・スタイプとアウトサイダー・アートとの出会いは、ごく若い頃のこと。ジョージア州アセンズで伝説のオルタナティブ・ロックバンドR.E.M.を結成し、リードボーカルとして活動を始めようという時だった。
40年あまりのキャリアを経た今、スタイプはデビュー当時のインスピレーションを新たな形で発信しようとしている。3月3日〜6日にニューヨークで開かれたアウトサイダー・アート・フェアで、過去数十年にわたって収集してきた作品を展示したのは、その試みの一つだ。
各地から65のギャラリーが出展したフェアの会場には、「Maps and Legends: Featuring Works from the Collection of Michael Stipe(地図と伝説:マイケル・スタイプのコレクション)」と題する特別ブースが設けられた。そこで展示されたのは、ソーントン・ダイヤル、St. EOM、ディルムス・ホール、ベッシー・ハーベイ、ハワード・フィンスター、R・A・ミラー、ロイヤル・ロバートソン、ファニタ・ロジャース、ジミー・リー・サダスなど、スタイプがジョージア大学在学中から集めてきた絵画やドローイング、彫刻だ。
展示のキュレーションを行ったのは、ニューヨークのイーストビレッジに新しくMarch Gallery(マーチ・ギャラリー)を開いたフィリップ・マーチ・ジョーンズ。以前は、アウトサイダー・アート・フェアのオーナー、アンドリュー・エドリンが運営するAndrew Edlin Gallery(アンドリュー・エドリン・ギャラリー)のディレクターを務めていた。また、ケンタッキー州レキシントンにある非営利アートスペース、Institute 193(インスティチュート193)の創設者でもある。
ARTnewsは、ジョージア州アセンズの自宅で展示作品の準備をしていたスタイプにインタビューを行った。さまざまなアウトサイダー・アートとの長年にわたる関わりから、自身で手掛けたR.E.M.のビジュアル、そして今も尊敬する恩師たちから学んだことまで、じっくり語ってくれた。
──アウトサイダー・アートのコレクションを展示しようと決めるまでの経緯を教えてください。何がきっかけだったのですか?
マイケル・スタイプ:若い頃からずっと、アウトサイダー・アーティストと呼ばれる正式な美術教育を受けていないアーティストが好きだったんだ。ジョージア州アセンズで、そういうアートに囲まれていたし、R.E.M.のビジュアルにも取り入れ、さまざまなアルバムに今回の展示に含まれているアーティストたちの作品を使っている。
アンドリュー・エドリン・ギャラリー(アウトサイダー・アート・フェアのオーナーが運営するギャラリー)は、ニューヨークの家の近所にあるので、何年も前からよく立ち寄っていた。今回、アンドリューが声をかけてくれたのは、僕がアウトサイダー・アートの作品を持っているのを知っていたから。とはいえ、自分がコレクターだと思ったことはないし、今もそう思っていない。昔から、自分にインスピレーションを与えてくれ、一緒に暮らしたいと思う作品を買っているうちに、結果としてそこそこの数のコレクションになっていた。それを多くの人に見てもらえるのは、すごくうれしいね。
──アウトサイダー・アート・フェアでの展示タイトルは「Maps and Legends(地図と伝説)」です。この言葉にはどのような思いが込められているのですか?
キュレーターのフィリップ・マーチ・ジョーンズのアイデアだった。今回の展示作品の大部分は南東部のアーティストのもので、1980年代から1990年代に実際に会ったことのあるアーティストや、親しくなったアーティストの作品を取り上げている。「Maps and Legends(地図と伝説)」は南東部を意識したフレーズで、僕が昔書いたR.E.M.の曲のタイトル。どのアルバムに収録されているか覚えてないが、初期の曲だね。
──1985年のアルバム「フェイブルス・オブ・リコンストラクション(玉手箱)」ですね。
なるほど、確かにテーマが共通してるね。
──フォークアートとも呼ばれるような、こういう作品に興味を持つようになったのはいつですか。きっかけになった出来事は?
都会に住んでいなかった自分にも身近に触れられるものだったからね。ただ、1979年当時の僕は、大都市の美術館やギャラリーを見に行くこともあった。特によく覚えているのが、ニューヨークで見たピーター・ヒュージャーの小規模な写真展で、ポートレートや人体、セクシュアリティなどについて、それまでの考えがひっくり返ったのをはっきり覚えている。
自分が通っていたジョージア大学アートスクールの先生たちが、アウトサイダー・アーティストに傾倒していたのも大きい。ハワード・フィンスターやSt. EOM、ディルムス・ホール、ビリー・レミングといった作家たちだ。レミングには会ったことはない。一度会いに行ったら、僕を見るなり家の中に逃げ込んでしまったんだ。とてもシャイで、ドアをノックしても返事をしなかった。ファニタ・ロジャースやベッシー・ハーベイにも会ったことがないが、会ってみたかったな。
──その先生たちは、たとえば誰ですか?
興味を持つようになったきっかけは、彫刻を教えていたアンディ・ナシスだった。アウトサイダー・アートの膨大なコレクションを持っていて、僕は彼の家に行ってはあれこれ質問したよ。1987年には一緒にメキシコに行き、ジェレミー・エアーズも加わってユカタン半島を回った。3人で3週間かけて、アーティストに会いに行ったり、トルテック文明やアステカ文明の古代遺跡を訪ねたり。地面に落ちていた土器を見つけた時はびっくりしたね。
アンディ・ナシスを通してジェームズ(ジム)・ハーバートとも知り合ったが、ジムはアウトサイダー・アーティストには興味がなかったようだ。R・A・ミラーと知り合った時は、ジムも一緒にゲインズビル(ジョージア州)のR・Aの自宅まで行った。丘の上の家で、風車の形の作品が何百も置かれていた。当時、R・Aは作品を地元だけで売っていたんだ。ジムはバンドに付いてきて、MTV用のビデオ素材を撮影した。当時、局が注文してきたような映像は作ってなかった。「ふざけるな、自分たちの作品を作るんだ」ってね。ジムはこの時の映像に触発されて、「Left of Reckoning(レフト・オブ・レコニング)」を制作した。ユーチューブで見られるけど、すばらしい作品だよ。自分を含むバンドメンバーは20代半ばのピークとも言える時期で、4人のイケてる男たちが当てもなくうろついている様子を捉えている。それで、この作品をアウトサイダー・アート・フェアの展示に出すことにした。R.E.M.で何度もジムとコラボレーションできて本当によかったと思うが、特にこれは傑作だ。
──その映像はMTVに送ったのですか?
もちろん。日曜日の夜に流れたよ。インディーズのビデオとしてね……。
──「120ミニッツ」(MTVが当時放映していたテレビ番組)ですか?
そうだったと思う。変なビデオなんで、普通の番組で見せるのは無理だったんだろうね。
──アウトサイダー・アートで他に影響を受けた人はいますか?
恩師のアート・ローゼンバウム。アートと奥さんのマーゴは、南部一帯でフィールドレコーディングをやっていて、フォークミュージック界では有名なんだ。代表作の「The McIntosh County Shouters: Slave Shout Songs from the Coast of Georgia(マッキントッシュ郡で叫ぶ人たち:ジョージア州沿岸の奴隷の叫びの歌)」は、フィールドレコーディングの最高傑作の一つだ。彼らは今もこの分野で活動している。それにマーゴはすごい写真家でもある。最近、自費出版した写真集を見たけれど、本当にすばらしい。撮影した人物の顔ぶれも多彩で、エライン・デ・クーニングやジェイムズ・ボールドウィンなど、マーゴとアートの二人が1960年代に出会った伝説的な人物がたくさん写っている。
トム・パターソンにも会ったことがある。トムはノースカロライナ州出身だけど、アセンズを拠点として南東部の各地に足を伸ばし、St. EOM、ハワード・フィンスター、R・A・ミラー、J・B・マーレーなんかを訪ね歩いたり、アセンズのディルムス・ホールにも会いに行っていた。
あとは、今はノースカロライナ州立大学のグレッグ美術館の館長になっているロジャー・マンリー。彼らに共通しているのは、アウトサイダー・アートの作家がやっていることをよく理解していて、美術教育を受けている現代アート作家や、有名なモダンアートの作家と同じように評価したこと。たとえば、ジャスパー・ジョーンズとビリー・レミング、デュシャンとリロイ・パーソンの類似性を見つけたことだと思う。
彼らは、アーティストを「イェール大学で美術を学んだ人」と「掘っ立て小屋で育ち、電気もない暮らしをしていた人」に区別しないことで、こうしたすばらしいつながりを見出したんだ。アーティストとは、どんな理由であれ、創作をせずにはいられなかった人たちだという認識があった。それぞれが選ぶ手段が違ったり、教育を受けたり受けられなかったりすることに関係なくね。それは、自分の美術教育にとっても重要なことだった。おかげで、近現代アートの作家たちとリロイ・パーソンのような作品を同列に見て、両方の良さを味わえるようになったよ。
──名前が挙がったアーティストの中で、最も親しかったのは誰ですか? ハワード・フィンスターでしょうか。
そうだね。真の友情と言っていいものだ。学生の頃、彼がアセンズのジョージア州立植物園で講演をしたのを聞きに行ったのが始まりだったと思う。アンディ・ナシスが「このアーティストは必見だよ、すごい才能だから」と勧めてくれたんだと思う。実際、ハワードはアセンズのパンク・ロック・シーンで名を知られる存在になった。R・A・ミラーとも親しくなって、何度も彼の自宅で一緒に過ごしたよ。飼っていたニワトリを見せてくれて、ニワトリがいかにおかしく見えるかなんていう話をしたこともある。愛すべき人物で、すばらしい才能があり、温かく、優しく、賢く、そしてとても面白かった。しかも伝道師だったという経歴の持ち主なんだ。自分も伝道師の家系なんだが、R・Aは神から授かったユーモアの持ち主だったね。
──ハワード・フィンスターとの関係は、どんな感じでしたか?
ハワードとの付き合いは、たとえば僕がエスプレッソをダブルで飲んでいる時にやってきて、ちょっと一緒に過ごすような感じなんだ。基本的に、こっちはただ座って話を聞くだけ。まともな会話はなく、ハワードがずっとしゃべっている状態。彼は糖尿病だったんだが、砂糖入りのコーヒーを2、3杯飲むと行ってしまう。聞く側としては、点と点を結んでようやく話を理解できれば上出来だよ。
R・Aとはもっとギブ・アンド・テイクな関係で、R.E.M.が独自の音楽活動をしているアーティストで、その音楽に合わせたグラフィックアートを彼とのコラボで制作したいのだということをよく理解していた。ハワードもR・Aも、僕が興味を持ったことで自分の作品がより多くの人に見てもらえるんだと分かってくれていた。見事な作品を生み出していて、人柄もすばらしいアーティストたちの役に立てたのは自分でもうれしかったね。
──R.E.M.やその音楽について、アーティストたちは何か言っていましたか?
彼らの周りには、R.E.M.の活動やミュージックシーンでの位置付けについて理解している若い人たちがいたから、なんとなく伝わっていたと思う。でも、作品をじっくり聴いてくれたことがあったかどうかはわからない。
──R.E.M.の「Lifes Rich Pageant(ライフス・リッチ・ページェント)」のジャケット裏面には、ファニタ・ロジャースの絵が使われています。また、ハワード・フィンスターの作品は、「Radio Free Europe(レディオ・フリー・ヨーロッパ)」のビデオや「Reckoning(レコニング)」のカバーアートに使用されていますね。他にもR.E.M.のビジュアルに登場した作品はありますか?
グッズとして、ハワードがハンカチをデザインしてくれたことがあった。メンバー4人が描かれていて、LP盤と同じ大きさのもの。ハワードらしい温かみがある面白い作品だよ。これもフェアの展示に出すつもりだ。
──それはすごい。どこかで買ったりできるでしょうか?
多分無理じゃないかな……。
──eBayに349.99ドルで出てますね。
なんてことだ……。ハワードとの友情は本当に誇りに思っている。「Radio Free Europe」はR.E.M.のミュージックビデオ第一作目で、「MTVの思い通りにはならない、自分たちのやりたいことをやるんだ」という思いがあった。それで、ハワードのところに行って一つの物語を作ろうと。そんなふうにしてできた作品だ。
──アウトサイダー・アート・フェアで展示した中には、販売対象の作品もあります。今になってコレクションを手放すことを決めたのはなぜですか?
ちょうど自分の人生で、物を捨てたり、持ち物や物質的なものを見直したりしている時期なんだ。自分の身の回りにある物を見直し、考え直している。大量に処分してるよ。
──コロナ禍の最中はアセンズで過ごすことが多かったそうですが、南部にいると、アウトサイダー・アートをより深く理解できるとか、他の場所にいる時とは見方が変わることがあるのでしょうか?
意外に思うかもしれないが、南部には寛容と許容があると思う。自分らしい道を歩んだり、縁の下で生きることを選んだり、ある種の衝動に従ったりする人たちに対する不文律の寛容だ。南部という言葉で連想されるような問題とは違うものだね。南部では、不寛容だと思われている場所でも、ありのままの自分でいることができるし、それを許容する環境がある。
自分では南部を弁護しなければならないとも感じるし、もちろん南部の人たちの選択が恥ずかしいと思うこともある。でも、たとえばジョージア州だけでも、ジェシー・ノーマン、ジェームズ・ブラウン、B-52sが出たところだから悪くないだろう。これにジミー・カーターとマーティン・ルーサー・キング・ジュニアを加えれば、ジョージアは、無視や憎しみの対象になりやすい人がいるとしても、全体としてはいい線行っているんじゃないかな。
別の答え方をすると、アセンズの水に何かがあるからとも言える。それが何なのか、どう説明したらいいのかわからないが、ここには何かがある。ジョージア州と南北カロライナ州の大部分は、ピードモント台地に向けて移動する巨大で非常に古い山脈の端にあるが、ここには特別な何かがある。それが何なのか自分でもよく分からないが。でも、正体がつかめなくても、それを確かに、しかも強く感じる。どこに行ってもここが自分の居場所だと感じたことがない自分にとって、アセンズが拠点であることはとても重要だ。これは、このインタビューで触れたアーティストたちの作品とも強く関係しているように思う。(翻訳:清水玲奈)
※本記事は、米国版ARTnewsに2022年3月2日に掲載されました。元記事はこちら。