画材からアートの力を発信する──PIGMENT TOKYOがつなげる人・知見・未来
2015年に東京・天王洲に誕生したPIGMENT TOKYOは、日本画に用いられる岩絵具や和紙、筆をはじめとする様々な絵画材料や道具を軸に置いた画材専門店として、国内外の業界関係者やアートファンを惹きつけている。しかしここは、単なるショップではない。国境を越えて作り手と使い手、技術や知見をつなげていくための実験や教育普及の役割も担う、画材を通じたプラットフォームだ。2025年夏に10年の節目を迎えるにあたり、改めてPIGMENT TOKYOとは何かを紹介する。
様々なアート事業を手掛ける寺田倉庫が「最上流」と位置付ける方針「つくるを支える」を象徴する施設が、東京・天王洲にある。2015年にオープンしたPIGMENT TOKYOだ。ここはそもそも、同社が展開する保存修復事業で使われる国内外の希少な画材を確保・提供することを目的の一つとして設立されたが、現在では画材の販売店という枠組みを超え、画材の作り手と使い手の交流を通じた知見共有・商品開発が行われるラボとしての機能から、アートファンだけでなく企業に対してもワークショップやレクチャーを行う教育普及の役割、さらには画材を介した国際交流まで、実に多様な側面を持つ施設として進化を遂げてきた。画材から美術についての理解を深め、文化芸術の発展に貢献する、まさに研究機関としての存在感を強めてきたのだ。
天井に張り巡らされた細い竹材が繊細かつダイナミックに波を描く隈研吾が手がけた空間に入るとまず目を奪われるのが、店名の由来となったPIGMENT(フランス語読みでピグモン、顔料を意味する)のセクションだ。約4500色を取り揃えており、そこには、オレゴン州立大学のサイエンスチームによって200年ぶりに発見された新しい人工顔料のインミンブルーや、非常に希少かつ高価なラピスラズリなどの天然顔料、最新技術で製造されたエフェクト顔料も含まれる。また、こうした顔料を画面に定着させるために用いられる日本画には必要不可欠な膠も、PIGMENT TOKYOのオリジナルほか多数の種類を扱うと同時に、日本の職人技術が光る希少な絵筆や刷毛は600種以上、それ自体がもはや美術品といえるアンティークの硯や越前和紙、そして西洋の伝統絵画技法に用いられる画材までが、美しくディスプレイされている(しかもその多くを実際に試すことができる!)。プロはもちろん、趣味で日本画や西洋画を嗜む人、あるいは、たとえアートに高い関心を持たない人であっても、ここに来れば自ずと創造力やインスピレーションが掻き立てられるだろう。
取り扱い商品からワークショップなどの「ソフト」面まで、PIGMENT TOKYOの高次元のサービスを支えているのが、ほかでもないアーティストたちの存在だ。ここでは、専門も様々な現役の気鋭アーティストたち、すなわち取り扱われる画材の実際の使い手がスタッフとして勤務しており、接客からワークショップの企画・運営まで担っている。
PIGMENT TOKYOの企画段階から参画している能條雅由もその一人。大学で学んだ日本画の伝統的な美意識や技法と、写真を含む様々なメディウムを融合させたプログレッシブかつ繊細な表現で国内のみならず海外にも活躍の場を広げる注目の才能だ。能條はここでの経験が、自身の作家活動、とりわけコミュニケーション能力を磨く上でも大いに役立っていると語る。
「作品制作はもちろん作家活動の中心ですが、自分の作品を様々な相手に伝えることも重要な仕事であることは、日本の美術大学ではあまり教えられていません。PIGMENT TOKYOには、多数の訪日外国人のお客様がいらっしゃるので、日本語だけでなく英語でのコミュニケーション力も鍛えられますし、将来自分のスタジオを構えたときのマネジメントスキルを身につけることができる場だと感じています」
PIGMENT TOKYOで扱われる画材の実際の使い手としての課題意識が役立つことも少なくない。たとえば、職人の後継者不足は日本の美術業界にとって長らく深刻な問題であり続けているが、それ以外にも、顔料に対する法規制や動物性の画材使用に対する倫理観の変化、地政学が画材製造に与える影響など、時代と共に問題の質も複雑化している。それを「外国人顧客との会話から気付かされることもある」と話す能條は、「こうした問題をただ憂うのではなく、アーティストとして、画材メーカーにアイデアやお客様からのご要望をフィードバックしたり課題共有ができることも、PIGMENT TOKYOで働く意義の一つであり、美術業界の未来に対してできる貢献の一つ」だと続ける。
「確かに問題は山積しているが、PIGMENT TOKYOがプラットフォームとなってメーカーの新しい商品開発に貢献できることは多数ある」と能條に同意するのが、開業2年目からPIGMENT TOKYOに携わるアーティストの斉藤桂だ。「時代の変化に合わせてメーカー側も相当な努力をしている。それが次の素材革新や価格の民主化に繋がるきっかけになる可能性も。メーカーとアーティストが協業して、未来を見据えたポジティブな進化を促進できる可能性がPIGMENT TOKYOにはあると思います」
ここで働く経験を通じて斉藤は、自身の作品制作にもある種のイノベーションが起きていると認める。「PIGMENT TOKYOで伝統的な文化財に触れる中で考えたのが、そうしたアナログなものと最新テクノロジーとを組み合わせたら何ができるか、ということ。今後さらに表現の新しい展開を考案できたらと考えています」
PIGMENT TOKYOでワークショップの企画制作を担当する斉藤はまた、ここが「文化の相互理解」を深める場になっているとも語る。
「日本画の技法や画材を学びにきた海外のアーティストもいますし、PIGMENT TOKYOで働くアーティストがブータンに出張して、現地の職人たちに岩絵具と膠を用いた修復技術のワークショップを行なったこともあります。チームビルディングやアート思考の実践のために日本の企業からワークショップの依頼を受けることも少なくありません。こうした体験を通じて総じて言えるのは、画材の原理に触れることで、自分達の国の文化や他文化との違いだけでなく、他者への理解も深められるということ。さらに、画材を使うという行為には失敗も付き纏い、紆余曲折があります。それを乗り越えていく経験も含めて、画材側から創造的行為の醍醐味に触れることができる場所は、PIGMENT TOKYO以外にあまりないと思います」
最後に能條は、PIGMENT TOKYOの未来をこんなふうに話してくれた。
「PIGMENT TOKYOは1人のアーティストのような存在。そのポテンシャルをどう引き出せるか、どう展開すべきかを皆で考え、支援し、オープンから約10年をかけてようやくみんなに評価されるようになってきた。まさに、僕たち若手アーティストと同じです。ここでまた次の才能が研鑽を積み、羽ばたいていくことを願っています」
ではここからは、PIGMENT TOKYOで扱われる素材や道具の中でも特に注目すべき5点を紹介していく。
1. 岩絵具
PIGMENT TOKYOでは顔料を約4500色揃えている。岩絵具は天然の鉱石を砕いた顔料で、古墳時代に中国から日本に伝わったと言われており1500年近い歴史を持つ。その中でも象徴的な色は藍銅鉱(アズライト)が原料の「群青」。古来は銅山を有していた秋田県で産出されたという記録があるが、精製が難しいためラピスラズリと同様に希少性が高いものだった。群青は、琳派の尾形光琳が描いた国宝《燕子花(かきつばた)図》の燕子花にも使われている。岩絵具には、前述の天然素材のものと、ガラスに金属酸化物を加えて化学的に生まれた人工石が原料の新岩絵具がある。岩絵具は粒子の大きさで濃淡が異なるのが大きな特徴。粒子が大きくなるほど色が濃く、小さくなるほど淡くなる。粒子の大きさは番数で表されており、PIGMENT TOKYOでは各色、最も大きい5番から小さい13番、最小の「白(びゃく)」まで取り扱う。
2. カラーチタンパネル
日本製鉄株式会社「TranTixxii®」とPIGMENT TOKYOが5年かけて共同開発したオリジナルの基底材。軽量で堅牢な金属チタンを素材としており、独自技術によって表面の酸化被膜をコントロールすることで、豊富なカラーバリエーションを生み出した。油彩やアクリルが適しており、耐久性が高い支持体として、また、カラフルな素材の色彩を生かすことで表現の幅を広げることが出来る。この素材はアートの領域を越え、特性を生かして瓦や屋根の素材としても活用されている。これまで東京・浅草寺の本堂や、北野天満宮の宝物殿、フランク・ゲーリーが手掛けたスペインのホテル「ホテル・マルケス・ド・リスカル」にも使用された。このようなダイナミックな展開は他ジャンルのメーカーとの協業ならではだ。
3. 膠(にかわ)
膠(にかわ)は岩絵具を溶いたり、支持体である和紙や絵絹の滲みを止める「ドーサ引き」に使ったりと、日本画においてなくてはならない素材だ。動物の皮や骨などを原料としており、棒状のものから板、粒など様々な形状がある。使用時には水を加えて湯煎し「膠液」を作る。PIGMENT TOKYOではその時手に入る膠から最適なものを選び、オリジナルの膠液を製造している。膠の原料は牛、魚、豚、鹿、ウサギなど多岐に渡る。ドーサ引きに最適な牛、定着力の高い魚などそれぞれに特性があり、ユーザーは用途や好みに合わせて使い分けている。膠は現在の日本で製造者がほとんどおらず安定供給が難しい現状があるが、PIGMENT TOKYOは従来のメーカーに加え、これまで培ってきた独自のルートに特注して供給を補っている。
4. 筆
日本画は輪郭を「線」で描くのが大きな特徴。線描だけでも、穂先が長く柔らかい表現になる「則妙筆」、こしがあり、強弱の表現に強い「削用筆」、全体が細く細かい線描に適した「面相筆」というバリエーションがある。また、明治期に岡倉天心の指導の下、横山大観と菱田春草らが編み出した没線描法「朦朧体」の表現になくてはならない「空刷毛」など、技法によっても様々な筆が使い分けられる。ゆえに日本画における筆の種類は西洋画に比べて驚くほど幅広い。PIGMENT TOKYOでは600種類程度を取り扱っている。その9割が天然毛だ。近年では天然毛の材料価格の高騰や入手が困難になってきていることから、各画材メーカーはナイロンなどの人工毛の筆を開発しているが、PIGMENT TOKYOで働くアーティストたちのフィードバックもそこに活かされている。
5. 硯(すずり)
線描はもちろんのこと、水で薄めた墨に濃い墨を差し込む「たらし込み」など墨を使った多彩な「黒」の表現が日本画にはある。墨は古代中国で生まれ、2世紀頃に日本に入ってきた。固形墨をするための硯も重要なアイテムだ。硯は中国産の「唐硯」と日本産の「和硯」があり、PIGMENT TOKYOでは様々な種類を取り揃えているが、中には古美術的価値を持つものも。中国・広東省肇慶市端渓の渓谷から採られたきめの細かい石で作られた「端渓硯(たんけいけん)」の中でも最高峰と言われる「老坑」は、使用する墨の艶や、墨色の良さを最大限に引き出すと言われている。装飾の彫りも美しい。こうした貴重な品々は、中国の文化大革命期に日本に輸出されたことで破壊を免れたという。
PIGMENT TOKYO
住所:東京都品川区東品川2-5-5 TERRADA Harbor Oneビル 1F
営業時間:11:00 - 19:00(月休 *祝日の場合は営業)
Tel:03-5781-9550
Photos: Tohru Yuasa Text: Maya Nago, Kazumi Nishimura Edit: Maya Nago