ドレイクが復活させた現代アートの遊園地が「残念」。NYの「ルナルナ」体験レポート
ラッパーのドレイクが約150億円もの資金を投じ、1980年代のアート遊園地「ルナルナ」をよみがえらせた。キース・ヘリングやバスキア、ダリなど名だたる現代アーティストが参加して作られたこの遊園地の乗り物やアトラクションは、資金難などのために何十年も倉庫に眠っていたという。ニューヨークで開幕した「復活版ルナルナ」のレビューをお届けする。
ドレイクが1億ドル(直近の為替レートで約150億円、以下同)を投じて復活させたアート遊園地、ルナルナ。有名アーティストたちが参加したこの移動式遊園地は、資金や輸送などの問題で暗礁に乗り上げ、30年以上も倉庫に眠っていた。しかし数年前に復活計画が持ち上がり、昨年12月にロサンゼルスで実現。それに続きニューヨークに姿を表したルナルナが、マンハッタンの文化複合施設、ザ・シェッド(The Shed)で11月20日に開幕した。
このイベントが謳う「楽しさ」に「没入」するため、会場に足を踏み入れようとしたとき、突然地鳴りのように音楽が鳴り響いた。思わず振り返ると、そこにはバイクに乗った男がいて、物議を醸した歌詞がステレオから爆音で流れてくる。
「Tryna strike a chord, and it’s probably A minorrr(コードを鳴らしてみたところで、Aマイナーなんだろ)」
そう、ケンドリック・ラマーがドレイクをディスって話題になった「Not Like Us(ノット・ライク・アス)」だ(*1)。
*1 今年、ドレイクとケンドリック・ラマーの間で「ビーフ」と呼ばれるラップによるディス合戦が繰り広げられ、「Not Like Us」でラマーはドレイクを小児性愛者だとこきおろしている。上記歌詞の「マイナー」には「未成年」の意味もある。
バイクの男は、私たちのように44ドル(約6600円)の観覧料を払ってこのルナルナを見るわけではなさそうだ。ラマーとドレイクの確執がピークに達したこの夏、ブルックリンで車かステレオを持っている人なら誰もがそうしたように、この曲を流すことでラマ―支持を(お金をかけずに)表明しているのだろう。
バイクはスピードを上げて走り去り、目の前には豪華なアミューズメントパークがある。私は入場料を出して中に入った。
バスキアの観覧車やキース・ヘリングのメリーゴーランドも
かつてのルナルナは屋外遊園地だった。1987年の(雨の多い)夏の間、当時西ドイツだったハンブルクの野原を会場に、幻想的なカーニバルを演出したのはウィーン出身の人気ミュージシャンでアーティストのアンドレ・ヘラーだ。ヘラーはドイツの雑誌、ノイエ・レヴューから50万ドル(約7500万円)の資金援助を受け、当時の代表的ビジュアルアーティストたちがデザインした乗り物やアトラクションが楽しめるアミューズメントパークという途方もないアイデアを実現した。なお、アミューズメントパークは「ルナパーク」とも呼ばれるため、ヘラーの企画はルナルナと名付けられた。
オーストリアの風刺画家、マンフレッド・デイクスが手がけた《Palace of the Winds(おならの宮殿)》は、「クラシックバイオリンの伴奏付きで、大音量のおならの生演奏」を行う劇場だった。ニューヨークを拠点とする画家、ケニー・シャーフは、1930年代に作られたビクトリア調のブランコ型遊戯機械をアレンジしたアトラクションを作り、最晩年のサルバドール・ダリは、合わせ鏡効果を用いたジオデシックドーム、《Dalídom(ダリドム)》を制作。そして亡くなる前年のジャン=ミシェル・バスキアは、巨大な観覧車をデザインしている。この観覧車はマイルス・デイヴィスの曲「TUTU(トゥトゥ)」(1986)に合わせて回転し、バスキアの絵(串刺しのローストチキン、裸の人体、サックス奏者など)や文字(「JIM CROW©」と「THE END」)で飾られていた。
また、レベッカ・ホルンの《Love Thermometer(愛の温度計)》は、カップルがガラス容器の底を手で包み込み、温められた赤い液体が「孤独」、「気づき」、「イメージ」から「真実」、「狂気」、「ダメージ」へと上昇していくのを見守るアトラクションで、キース・ヘリングは、自らの絵に登場するキャラクターを配したメリーゴーランドを作っている。そこには、「LUNA LUNA IN THE SKY./ WILL YOU MAKE ME LAUGH OR CRY?(空のルナルナ/僕を笑わせる? それとも泣かせる?)」というルナルナのキャッチフレーズになりそうな詩を添えた月の絵も描かれていた。
会場の壁にはヘラーのこんな言葉が掲示されている。
「アートは型破りな形で表現されるべきで、普通の環境でならアートを求めないような人たちに届けられるべきである」
プレスリリースに掲載されているヘリングの言葉はさらに的を射ている。
「アートは、ありとあらゆる人々に届かなければ意味がない」
すばらしい理念だ。しかも、それは現実のものになった。1987年夏のハンブルクで、老若男女がルナルナを楽しんでいる貴重な写真が残されている(これはベルリンの壁の崩壊によってもたらされる新自由主義的世界秩序を不気味に予感させる光景でもあったのだが、それはまた別の話だ)。
しかし残念ながら、今回ニューヨークのザ・シェッドによみがえった「Luna Luna: Forgotten Fantasy(ルナルナ:忘れられたファンタジー)」に、当時の陽気な雰囲気はない。87年当時の入場料は20ドイツマルク(22ドルに相当)で、平日は子ども無料だった。今回は観覧内容によって料金が異なるが、最低でも大人44ドル(約6600円)、子ども35ドル(約5300円)だ。ただし、どの乗り物も見るだけで、乗ることはできない。
「没入型インスタレーション」も今ひとつ
「忘れられたファンタジー」を訪れた人は、ないないづくしの遊園地にがっかりするだろう。まず、ロイ・リキテンスタイン、サルヴァドール・ダリ、デイヴィッド・ホックニーによるカラフルだがパッとしないインスタレーションを除けば、没入型体験はない。サーカス芸人や象などの狂気じみたパペットが、怒りを抱えて迷う魂のように会場の一番大きな部屋を出たり入ったりするパフォーマンスも、美術館の展覧会のようだとは到底言えない。しかも、遊園地とすら言えない。子ども向けというよりも、「事情通」のブルジョワな大人とその子どもたちを対象にしているように感じるのだ。
料金体系について言えば、昨年12月にロサンゼルスのボイルハイツ地区にルナルナが登場したときには、94ドル(約1万4000円)の「ムーンパス」さえ持っていれば、あれこれ注意事項はあるものの、ダリとホックニーの展示には入場できた。とはいえ、ホックニーのほうは単なるだだっ広い空間で、過激な表現で知られるラース・フォン・トリアー監督が思い描く偽のグリム童話の森のような代物だ。不規則に点滅するストロボライトがいくつも並び、(没入体験の一部だったのかどうかはわからないが)部屋の反対側にごく普通の服を着た男がいて、私の一挙一動を真似するので気味が悪かった。ダリの鏡張りの部屋にしたところで、自分が5人いるように見えるセルフィーを撮りたいという人以外、入る価値はほとんどない。
ニューヨークでの料金体系は、また異なる切り分けになっている。94ドルの「ムーンパス」では、会場や「没入型インスタレーション」に優先入場でき、高価なグッズの割引も受けられる。さらに241ドル(約3万6000円)の「スーパームーンパス」では、これらの特典に加え、どのアトラクションも待ち時間なしで体験できる。ただし、金にものを言わせたところで乗り物は鑑賞するだけだ。もちろん、一般の入場者たちの長い列に並ばなくても、ロイ・リキテンスタインの家やガラスの迷路に入ることができるという利点はある。これは、私の閉所恐怖症と広場恐怖症を同時に発症させる「一粒で二度おいしい」アトラクションだ。
最大の呼び物は、ルナルナの発案者であるヘラーによるアトラクション、「Wedding Chapel(ウェディング・チャペル)」かもしれない。ここでは、誰でも公開結婚式を挙げることができる。相手は自由で、意中の人、親友、パートナー、あるいはスーパームーンパスの購入者から未来の配偶者を選んでもいい。87年のハンブルクでは、犬の飼い主が犬と結婚する例が相次ぎ、カメラと結婚した写真家もいた。作家のウィリアム・パウンドストーンによると、「私が目撃した結婚式の新郎新婦は、ほとんどが父親と娘だった」という。ルナルナの黄色い結婚証明書には、幸せそうなカップルを撮影したポラロイド写真が貼り付けられるが、離婚するには写真を剥がすだけでいいとも書かれている。「司祭」と「助手」は、「離婚オプション」をみんなに勧めていた。
このアミューズメントパークの中で最も風変わりかつ最高なのが、87年当時「Sonne statt Reagan(レーガンではなく太陽を)」というヒット曲を生み出したフルクサスのアーティスト、ヨーゼフ・ボイスによるテキストだ。乗り物でもなく、りんご飴の屋台でもなく、ましてや小便器用の尿石除去剤でもない真面目な作品で、入口付近に、ほとんど読めないくらいのなぐり書きで掲示されている。
題名は「資本と創造性に関する文章」。ドイツ語がわかる私の友人によると、その文章には「お金は資本ではない。しかし、能力は資本である」、「私はマルクス主義者ではないが、マルクスを盲信するだけのマルクス主義者よりマルクスを愛しているかもしれない」といった珠玉の言葉が並んでいる。おならコンサートの劇場から出てきた子どもたちがこれを見たら、どんな衝撃を受けるだろう。
ルナルナの会場を出た後、地下鉄の駅に向かって歩きながら空を見上げた。私は笑うだろうか、それとも泣くだろうか? そのとき夜空にきらめくものが見えたが、それは月でも星でもない。4年ぶりに再オープンした巨大アート「The Vessel(ベッセル)」(「vessel」には「船」の意味もある)のクリスマスイルミネーションだった。自殺が相次いだため閉鎖されていたこの階段状の構造物は、飛び降り防止用のネットが上から下まで取り付けられ、営業を再開している。これならみんな「乗ることができる」というわけだ。(翻訳:清水玲奈)
from ARTnews