EUが悪名高き「付加価値税制」を改正も、対応にバラツキ。勝ち組になるのはどの国か?
EUの付加価値税制改正は欧州のアート市場にどんな影響を及ぼすのか。昨年末に新ルールへの移行期限を迎えた各国の対応状況と、その違いによって競争環境にもたらされるであろう変化について解説する。
あまりに複雑で評判が悪かったEUの付加価値税(VAT)制度。それを加盟国間で標準化することを目的として、欧州連合(EU)が新たに改正VAT指令2022/542を導入した。1月1日から本格施行されたこの指令については、1年以上前からヨーロッパのアートディーラーや市場ウォッチャーの間で注意喚起されてきたが、蓋を開けてみれば加盟国によって対応にはバラツキがある。
VAT指令2022/542では、加盟国が美術品の販売にかかるVATを税率5%まで軽減することを認めるが、条件として従来の複雑な課税システムの廃止を求めている。これを受けてフランスは、美術品に対するVATの軽減税率を従来通りの5.5%で維持し、ドイツは税率を7%に引き下げた。一方で、オランダなど税率を引き上げる予定の国や、ベルギーやイタリアなど今後の方針をまだ発表していない国もある。
なお、1月1日までに改正指令への移行が間に合わなかった加盟国をEU本部が処罰する意思はない模様で、対応の遅れている国々は現時点で従来システムの継続を許されている。しかし、各国に部分的な決定権を委ねる新たな制度は、それぞれの国でアート市場に大きな恩恵をもたらす可能性も、逆にマイナスに働く可能性もある。
フランスは美術品の税率を一律5.5%に、ドイツは大幅引き下げ
オーストリアを拠点とする大手ギャラリー、タデウス・ロパックのオーナーは、最近US版ARTnewsの取材に応じ、VAT税率の国ごとの違いは欧州のアートシーン全体だけでなく、個々のアーティストのギャラリーでの売れ行きに影響を与えるだろうとの見解を述べている。ロパックはまた、ドイツでは19%という従前のVAT税率がいかに同国のアーティストやディーラーにとって負担であったかを挙げ、こう指摘した。
「(コレクターが)もし自分の注目しているアーティストが税率の低い国で展覧会を開くと知れば、間違いなくその国での購入が魅力的に映るでしょう。今までとは状況がガラリと変わります」
2020年のブレグジット以降、フランスはEU圏における美術品販売の50%以上を占め、オークション市場では世界シェアの6~9%を占めるなど、さまざまな調査リポートで世界第4位のポジションであることが示されている。EU最大の美術品販売大国であるフランスに次ぐのはドイツで、2023年に世界のオークション販売のシェアが約2.5%となったことが、昨年発表されたアートプライス(Artprice)の報告書で明らかになった。今回のVAT改革を先頭に立って推し進めてきたのも、この2国だ。
フランスでは、新たな税制で美術品取引にかかるVAT税率が一律5.5%と定められた。それまではマージン課税方式が採用されており、国内で最近アーティスト自身によって販売された作品、またはギャラリーやアートフェアなどの一次市場で販売された作品の場合、価格の総額ではなく、美術品の転売によって得られる利益に対して20%という高税率のVATを課していた。新しい税制は、このマージン課税方式(EU内には現在もこの制度を採用している国がある)よりもアート業界にとって有利なものとなる。またドイツは、VATをこれまでの19%から2014年以前の税率である7%へと大幅に引き下げた。
最悪の状況を回避したベルギーだが……
こうした環境でリスクに直面しているのがベルギーだ。議論の俎上に乗せられたのは、美術品に21%のVATを課し、EUから認められなくなったマージン課税方式とアーティストによる直接販売や輸入美術品への6%の軽減税率適用を廃止するという案だった。このうち、VATの包括的引き上げは阻止されたが、同国政府はまだ最終方針を決めていない。もし税率21%で決定していたら、ベルギーの「アート市場は息の根を止められる」ことになったと吐露したのが、ベルギー王立美術商組合(ROCAD)の会長を務めるアンティークディーラー、パトリック・メストダフだ。彼はUS版ARTnewsに対し、輸入美術品はディーラーにとって利益幅が少ないため、作品総額に21%の消費税が課されると、特に中価格帯の作品ではビジネスに深刻な打撃を与えることになると説明する。
「近いうちに問題になると思います。なぜなら、同じ作品でもフランスとベルギーでは価格に大きな差が生じることになりますし、税率が5.5%のフランスが有利なのは明らかです。また、美術品は移動可能なので、ディーラーがフランスで販売を行ったり、フランスに拠点を移したりするのは比較的容易です。主要なディーラーはみな国外に出て、(ベルギーの)アート市場の収益は、日向に置いた氷のように溶けて消えるでしょう」
ベルギー政府に対しては、ROCADのほか、アートフェアのBRAFAやアート・ブリュッセルなど直接的な影響を受ける地元の組織がVAT税率の引き下げを求めるロビー活動を行っている。また、ROCADは昨年4月、従来の6%税率維持を求める嘆願書を作成し、ディーラーやアーティストなど7000人以上の署名を集めた。これに対し、同国のヴィンセント・ヴァン・ペテゲム財務大臣付き報道官は、「(アート市場)セクターとの建設的な協議を複数回行って懸念に耳を傾けた」としたうえで、新たなEU規制については、昨年6月の総選挙以降、いまだ樹立されていない新政権に委ねられるべきだと述べている。
なお、今年初めに改正VAT指令が全面適用になるまで加盟国に許されていたのは、輸入美術品、骨董品、コレクターズアイテム、そしてアーティストが直接販売する美術品に対するVAT税率の軽減だけだった。新しいルールでは、一貫性があれば、各国は美術品全体に一律の軽減税率を適用することができ、標準税率の維持または引き上げも選択できる。
オランダは税率引き上げ、イタリアはギャラリーの国外流出に懸念
フランスが5.5%のVAT税率を一律適用するというシンプルなシステムを採用したことについて、美術品税率の引き下げをフランス政府に働きかけた団体の1つ、パリのアートギャラリー委員会(CPGA)で共同代表を務めるガエル・ド・サン=ピエールはこう語る。
「美術館や博物館も税率統一によって恩恵を受けるので、アート界全体にとって非常に有益です。一律の税率を採用したことで、これまで非常に複雑だったシステムがより透明で明確なものになるでしょう」
一方、数千にのぼる美術品取引業者を代表する国際美術商連盟(CINOA)のエリカ・ボシュロー事務局長は、「フランスがこの分野でリーダーな存在となり、他の国々も続いてくれることを強く期待しています。なぜなら、公平な競争条件を整えるべきだからです」と主張する。しかし現状は、「EUのアート市場において不公平な競争と差異が生まれるリスク」があり、特にアートフェアにおいてVAT税率が「非常に大きな差」をもたらすと指摘。
「私たちは注意深く見守っていますが、国際間レベルで実際にできることは何もありません」
そのボシュローが一例として挙げたのが、オランダ政府の決定だ。オランダでは、輸入美術品やアーティスト自身が販売する作品を含む文化商品に対する9%の軽減税率が廃止され、これらの品目の税率は2026年から21%に引き上げられる。また、イタリアでは、政府がアート業界の要請を受け入れ、美術品の二次販売にかかるVAT税率を現状の22%から5~10%に引き下げるのではないかと期待されていたが、今のところ悲観的な見方が強い。
たとえば、国際法曹協会(IBA)で芸術・文化施設・遺産法委員会の委員長を務める法律家のジュゼッペ・カラビは、イタリア政府には美術品のVAT税率を「引き下げる余裕はない」と明かした。イタリアの美術業界団体グルッポ・アポロの執行委員会メンバーでもあるカラビは、標準VAT税率を「5~10%の間」に引き下げるよう引き続き働きかけていくものの、実現は容易ではないと言う。マージン課税方式に加え、VAT税率を10%に抑える特別措置が採用されているイタリアの現状を、カラビはこう表現した。
「イタリアはEUのアート市場においてシンデレラのように不遇な状況にあります。その市場には大きな可能性があるにもかかわらず、(イタリアの)税制や規制の枠組みはコレクターやアートディーラーにとってかなり厳しいものだからです。そのため、イタリアはヨーロッパの中でも業界環境が厳しく、ギャラリーはすでに、規制が少なく税制面で有利なフランスやモナコ、スイスなどへの移転を検討しています。これはもちろん、イタリアのアート市場にとって良いことではありません」
低VAT税率で期待される経済的な波及効果
VAT税率を高く維持するべきだという意見の背景には、美術品はぜいたく品であり、高いVAT税率が適用されるのが当然だとの考え方がある。一方、軽減支持派は、美術品は文化財でもあり、VAT税率が低くなることでアーティストや文化施設に利益がもたらされるばかりでなく、アート業界の活性化で雇用創出が促進されることによる経済的な波及効果もあると主張する。
「アート業界に対する間接的な経済的影響は、VATによる直接的な影響よりもはるかに大きい」
2023年に発表されたリポートでこう分析しているのは、文化経済学者のクレア・マッキャンドルーだ。同リポートの試算では、フランスにおける美術品取引に5.5%のVAT税率を適用することでもたらされる歳入は、3800万ユーロから最大6億1800万ユーロ(約62億〜1000億円)に上るとされている。
近隣諸国との競争に関してCPGAのサン=ピエールは、VAT税率5.5%の効果は、パリに拠点を構える国際的なギャラリー数の増加という面にすでに表れているとし、今後さらに多くのギャラリーの進出が続くことへの期待を示している。(翻訳:清水玲奈)
from ARTnews