中世の城に秘密の地下通路? ダ・ヴィンチの記録と「愛の伝説」が発見の手がかりに
ミラノ工科大学らによる研究チームが、イタリア・ミラノにあるスフォルツァ城の地中を調査したところ、複数の地下通路を発見した。これには、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)が作成した図面が一役買っていた。

イタリア・ミラノにあるスフォルツァ城の地中をミラノ工科大学らによる研究チームが調査したところ、複数の地下通路が見つかったとアートネットが伝えた。
スフォルツァ城は、1450年、ミラノ公フランチェスコ・スフォルツァがヴィスコンティ家の居城を城塞とするため改装・増築に着手したところから始まる。その後1494年に、フランチェスコの息子ルドヴィーコが装飾担当としてレオナルド・ダ・ヴィンチを招いた。ダ・ヴィンチは有名な「アッセの間」をはじめ各部屋にフレスコ画を描いただけでなく、その傍らで、城の秘密の地下通路を細かく記録した図面をも作成した。

ダ・ヴィンチが記したいくつかの地下通路は、軍事目的で使われていた可能性が高い。だがそのうちの1本は、城から少し離れた場所にあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院へと繋げられていた。この通路には伝説がある。ルドヴィーコの妻ベアトリーチェ・ダステは1497年、出産中に死去した。愛妻の死を悲しんだ彼は、妻が埋葬された同修道院へと地下道を作り、人知れず会いに行っていたというのだ。因みに同修道院には、かの有名なダ・ヴィンチ《最後の晩餐》(1495-98)がある。
現在それらの地下道は塞がれ、ダ・ヴィンチの図面と伝説だけが残っている。そこで、ミラノ工科大学と調査会社Codevintec、スフォルツァ城がチームを作り、最新テクノロジーを使った調査に乗り出した。彼らは地中レーダーとレーザースキャナーを駆使して、城の地下30~60センチをマッピングした。すると、複数の空洞と通路が見つかった。そのうちの1本は、あのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院へと続くものだろうと考えられている。

地下通路に関する具体的な研究は始まったばかりだ。研究者はインディペンデント紙への寄稿で、「この城は単なる記念建造物ではなく、物語の宝庫です。今回見つかった石の層からは、この城を築いた人々の生活や遺産を知ることが出来るでしょう。これまで隠されていた部分を明らかにしていくことは、この城が地元の人々や来館者の集合的意識の中で生き続けることを確かなものにします」と語った。
ミラノ工科大学のジオマティクス教授、フランコ・グゼッティは大学発表の資料で、「スフォルツァ城の現在の外観だけでなく、もはや見ることができない歴史的要素までもを復元した、過去を探求出来るデジタルモデルを作成することが目標です」とコメントした。研究チームは、調査で得たデータとVR(仮想現実)やAR(拡張現実)を用いて城の来館者の体験を向上させる展示も考えている。