《モナリザ》が描かれた舞台がついに判明? イタリアの地質学者兼美術研究家が新説を発表
レオナルド・ダ・ヴィンチによる《モナリザ》(1503-1519頃)がどこで描かれたのか。この大きな謎をめぐって多くの学者たちがさまざまな説を唱えてきたが、このほどイタリアの地質学者兼美術研究家が新説を打ち立てた。
その繊細な描写、人物の謎めいた微笑みなどで人々を魅了してきたレオナルド・ダ・ヴィンチ《モナリザ》(1503-1519頃)は、その魅力ゆえに、盗難事件(1911年)やアートアタックのターゲットになってきた。最近では、アマゾン創業者で熱心なアートコレクターであるジェフ・ベゾスに《モナリザ》を購入して食べてもらおうという荒唐無稽な署名活動が起こり、現在1万8000を超える署名が集まっている。
そんな《モナリザ》の謎を秘めたモチーフの数々は、学者たちの心を捉え続けてきた。中でも特に大きな関心を集めてきたのは、「どこを舞台に描かれているのか」ということ。2021年には、描かれた橋と道路がエミリア=ロマーニャ州ボッビオのものだという説や、2023年には、橋はイタリア・トスカーナ州ラテリーナにあるものであるという説が発表されたが、このほど、地質学者でルネサンス美術研究家のアン・ピッツォルッソが新説を発表した。
その舞台は、イタリア北部のロンバルディア州、コモ湖のほとりにあるレッコであるというのだ。
ピッツォルッソは数年前に旅行でレッコを訪れた際に、その地形から、ここが《モナリザ》の舞台なのではないかと思いはじめたという。当時は発見の重要性に気が付かずに軽く話題に出すだけだったが、学術的な価値があると気づいたのは、同僚が《モナリザ》が描かれた可能性のある場所についての情報を求めてきたときだった。
英ガーディアンが報じたところによると、ピッツォルッソは研究を進めるにあたり、これまでの《モナリザ》の背景の研究は橋に焦点が当たっていたが、それでは不十分だと考えた。「アーチ型の橋はイタリアとヨーロッパの至るところにあり、その多くはよく似ていました。橋だけで正確な場所を特定するのは不可能です。地形にも焦点を当てようと思ったのです」と彼女は語る。
そしてピッツォルッソがマッピング技術などを駆使して絵画の背景に描かれた橋、山脈、湖を、レッコの14世紀に造られたアッツォーネ・ヴィスコンティ橋、この地域を見下ろす南西アルプスの山脈や、レオナルドが500年前に訪れたことで知られるレッコ近郊にあるガルラーテ湖の地形と照合した結果、高い類似性を示したという。彼女は発見の喜びを、「本当にホームランだと思いました。とても興奮しています」と話している。
また彼女は、レッコの岩は石灰岩であり、ダ・ヴィンチは《モナリザ》の岩石を石灰岩に特有の灰白色で描いた可能性があると指摘。ダ・ヴィンチの熟練した画家だけでなく科学や地質学の丹念な研究者でもあった面に触れ、こう語った。
「彼が岩を描くときはいつでも正確です。レッコには完璧な証拠があるのです」
一方で、ヨーロッパ比較史のドナルド・サスーン教授はピッツォルッソの新説について、「レッコでは何年も前から言われていたこと。特に驚くべき発見ではありません」として、レッコ出身の学者による2016年の地元メディアLECCO NEWS.の記事を挙げた。この記事によれば、《モナリザ》の背景はコモ湖とガルラーテ湖周辺の6つの風景から構成されているという。