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フェリックス・ゴンザレス=トレスの展覧会に「クィアの要素を消し去った」と批判の声

ワシントンD.C.のナショナル・ポートレート・ギャラリーで開催中のフェリックス・ゴンザレス=トレス(1957-1996)の展覧会で、ある有名作品をめぐる論争が再燃している。きっかけは、作品のテーマであるゴンザレス=トレスのパートナーへの言及を避けているという批判の声が上がったことだった。

「Felix Gonzalez-Torres: Always to Return」展の展示風景(2024-25年)Photo: Mark Gulezian/National Portrait Gallery
ワシントンD.C.のナショナル・ポートレート・ギャラリーで開催された「Felix Gonzalez-Torres: Always to Return」展の展示風景(2024-25年)Photo: Mark Gulezian/National Portrait Gallery

現在、ワシントンD.C.のナショナル・ポートレート・ギャラリー(スミソニアン博物館が管理する肖像画美術館)で、フェリックス・ゴンザレス=トレスの個展「Felix Gonzalez-Torres: Always to Return」が開催されている(2025年7月6日まで)。そこで論争の種となっているのが、《“Untitled” (Portrait of Ross in L.A.)(無題 [L.A.でのロスの肖像])》(1991)だ。実は、この作品を所蔵するシカゴ美術館でも、2022年の展示の際に今回と同じ抗議を受け、展示室に掲示する説明文を変更したという経緯がある。

「クィア抹殺」の批判とフェリックス・ゴンザレス=トレス財団の反論

クィアアートの研究者イグナシオ・ダルナウデは、LGBTQ+カルチャー誌『OUT』が1月24日に公開した寄稿文で、ナショナル・ポートレート・ギャラリーが「クィアを抹殺した」罪に問われるべきだと主張した。その理由は、ゴンザレス=トレスのパートナーだったロス・レイコック(エイズ関連疾患で1991年に死去)について、作品の説明でまったく触れられていないことだとしている。一方、フェリックス・ゴンザレス=トレス財団は、1月29日付のUS版ARTnewsへの声明でダルナウデの論説に反論。OUT誌の記事に起因する論争は「誤った情報」によって生じたとして、こう述べている。

「ゴンザレス=トレスがこの作品を制作した意図は、誰もが何かに参加し、経験し、意見を持つ権利と責任を受け入れるよう促すことでした。フェリックス・ゴンザレス=トレス財団は活発な議論を奨励していますが、誤った情報の拡散は容認しません。この展覧会で『抹殺』は行われていないと指摘したジャーナリストや鑑賞者の皆さんには感謝しています。実際はその正反対なのですから」

財団の声明はこう続く。

「この展覧会のキュレーターであるジョシュ・フランコとシャーロット・イクスは、厳密かつ膨大な量のリサーチを行い、展覧会を通してクィアの要素を重点的に盛り込みました(ゴンザレス=トレスのクィアとしてのアイデンティティ、パートナーのロス・レイコックについて、そして2人ともエイズによる合併症で亡くなったことへの直接的な言及も含まれます)。それに加え、幅広く多様な鑑賞者がこうした内容や政治的内容、ゴンザレス=トレスの作品と関わるために、開かれた場を提供しています。連邦政府全体で多様性への取り組みが危機に直面しているこの時期に、ワシントンでこの展覧会が開催されることは、とりわけ意義深く、勇気ある行為です」

大量のキャンディを使った「ロスの肖像」は革新的な肖像画

《“Untitled” (Portrait of Ross in L.A.)》というタイトルはゴンザレス=トレスの恋人だったロス・レイコックを指しているが、この作品は一般的な肖像画ではなく、作品の証明書には「無限に供給される」包み紙に包まれたキャンディで構成されると書かれている。すなわち、鑑賞者はキャンディを持ち帰ることができ、減った分は後から補充される。しかし、展示方法についての指示がないため、この作品はキャンディを積み上げたり床に並べたり、さまざまな方法で展示されてきた(財団によると、どのような形であっても作品名が変更されたことはない)。

特筆すべきなのは、この作品の「理想体重」が175ポンド(約79.4kg)と定められていることだ。これは一般にレイコックの体重を指していると見なされ、ゴンザレス=トレスの存命中に研究者や評論家が発表した著述では、その見方が主流だった。しかし、異なる解釈も多く、「理想体重」は平均的な成人男性の体重だとする説もある。さらに、ゴンザレス=トレスを扱うアートディーラーで、フェリックス・ゴンザレス=トレス財団のプレジデントでもあるアンドレア・ローゼンは、ゴンザレス=トレス自身の体重の可能性があると1997年に発表した論考に書いている。一方、ゴンザレス=トレス自身は、「誰かのポートレートを制作する場合、その人の体重を当てはめます」と述べたことがある。

ナショナル・ポートレート・ギャラリーでは、壁に掲示された作品説明で「理想体重」のことを記しているが、詳細は書かれていない。同美術館の広報担当者はUS版ARTnewsの取材に対し、キュレーターのジョシュ・T・フランコとシャーロット・イケスは「作品の中軸を変えるのは適切ではないと考えた」と答えている。また、美術館の声明にはこうある。

「この展覧会の焦点は、フェリックスの革新的なポートレート作品に光を当てることにあります。展覧会の各所で、当館が所蔵する肖像画──クィアの人物像を含め──を彼の作品と呼応させることで、作品の背景がより深く理解できるようにしています。また、《“Untitled” (Portrait of Ross in L.A.)》の展示室には、『ゴンザレス=トレスは、キャンディの作品のタイトルにも登場するパートナーで、1991年にHIV/エイズで亡くなったロス・レイコックを介護していた』という説明が掲示されています」

エイズに関する要素を消し去るのは市場価値を上げるため?

ゴンザレス=トレスの自分の作品に関する発言は、時に矛盾することがある。そのため、作品に1つだけの意味を見出すのは困難だ。財団を率いるローゼンは「フェリックスの作品には、時が経つにつれて新たな解釈が生まれる可能性があるだけでなく、異なる視覚的共鳴が生まれる可能性もある」と1997年のエッセイで書いている。しかし1月末、《“Untitled” (Portrait of Ross in L.A.)》に対する一般の見方を財団が統制しようとしたのではないかという疑惑が持ち上がった。

前出のダルナウデはOUT誌に寄稿した論説で、ナショナル・ポートレート・ギャラリーの展覧会からレイコックに関する言及が故意に削除されたとし、こう主張している。

「アーティストの遺産管理団体がアクロバット的な言い訳を並べ立て、ロスが亡くなった年に制作された《“Untitled” (Portrait of Ross in L.A.)》の意味は鑑賞者の解釈に委ねるべきだと示唆するのは残酷で誠意のない行為だ。エイズを記憶に留めるという意図を無視している」

ダルナウデと同様の批判を、大勢の人々がSNSに投稿している。その中の1人、ゴンザレス=トレスとレイコックの共通の友人であるアーティストのカール・ジョージは、インスタグラムでこうコメントした。

「この作品の説明文が曖昧なままにされているのは、彼らが言うように『作品の解釈を広げるため』……なんてことはない。デタラメだ。ロス、ゲイ、ラティーノ、エイズ、HIV、アクト・アップ(ACT UP)やエイズ・アクション・ナウ(AIDS Action NOW)(*1)を消し去ることで、フェリックスの作品の市場での訴求力と価格を高めようとしているだけだ」

この投稿は、29万8000人のフォロワーを持つアメリカのエイズ・メモリアル(*2)のアカウントによってリポストされた。

*1 アクト・アップ(ACT UP)、エイズ・アクション・ナウ(AIDS Action NOW)は、ともにエイズ罹患者のための活動家グループ。

*2 エイズ・メモリアルは、HIV感染とエイズの体験談を共有し、サバイバーに癒しと希望を与え、次世代の活動家たちを鼓舞することを目指す組織。

そのエイズ・メモリアルはインスタグラムとフェイスブックから投稿を削除したが、ジョージのインスタグラムへの投稿は現在も公開されている。この投稿ではゴンザレス=トレスを扱うデイヴィッド・ツヴィルナーについても言及されているが、同ギャラリーはコメントの依頼に応じなかった。

一方、ダルナウデの論説と相反する指摘を行っている批評家もいる。たとえばグレッグ・アレンは自身のブログで、ナショナル・ポートレート・ギャラリーの展示解説には「エイズ」という単語と「レイコック」の名前が含まれ、一部の作品にはその詳細の解説文も付いていることを理由に、「フェリックスとロスの関係は消し去られていない」と書いている。(翻訳:清水玲奈)

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