万里の長城を建てたのは始皇帝じゃない!? 通説を覆す長城の新区間を中国の研究チームが発見
万里の長城の新たな区間が中国の考古学者たちによって発見され、建設された年代を測定したところ、紀元前1046〜771年にかけて中国東部を治めていた周王朝時代に建設されたことが判明した。

中国の考古学者たちが、万里の長城の「新たな区間」を発見した。
山東省文物考古研究所は、遺物分析や土壌サンプリング、光刺激ルミネッセンス、放射性炭素年代測定などを組み合わせて調査を実施。新区間の建設年代だけでなく、使用された技法や長城の新たな機能も明らかとなった。
調査チームは、紀元前1046年から紀元前771年にわたって中国東部を中心に領土を広げていた周王朝時代にこの新区間が建てられたと特定。紀元前220年に秦の始皇帝がモンゴルからの侵攻を防ぐために長城建設を始めたという通説は覆され、長城の歴史はこれまで考えられていたよりもさらに古く、複雑であることが明らかとなった。
今回発掘された区間は、世界遺産の長城の中で最古かつ最長の「斉の長城」の一部にあたる。斉の長城は山東省中部を横断し、西の長清から東の青島海岸まで約641キロメートルに及び、春秋戦国時代には斉国の軍事戦略において重要な役割を果たしていた。
研究チームは、長城が防御壁以外の役割をもっていたことも明らかにしている。発掘区域北部の初期につくられた壁の下から、住居跡が発見されたのだ。四角い基礎と丸みを帯びた角をもつ半地下式住居からは、防御施設として使用される前の集落生活が見えてくる。これは長城が軍事目的で活用されるだけでなく、地元住民の日常とも密接に関わっていたことを示しているだろう。
今回の研究チームを率いたジャン・スーによれば、長城の建設段階は明確に分けられ、それぞれ技法や規模に特徴があるという。まず春秋時代(紀元前770年~476年)につくられた初期の城壁は約10メートルの厚さで、基礎部分は今回発見された区域のように周王朝時代に築かれた可能性もあるとされる。つづく戦国時代(紀元前475年~221年)の城壁はより高度な技術で建設され、最も頑丈な部分は幅30メートル以上もある。最終段階は斉の宣王(紀元前350年~301年頃)時代のもので、金属製の突き固め棒で圧縮した黄色い細土を使用しているため、現在も保存状態がいいことで知られている。
世界の新七不思議のひとつとされる万里の長城は、2,000年以上かけて建設されており、いまもなお多くの謎が残されている。
かつては約2万1,000キロメートル以上の長さがあり、明朝時代につくられた約8,850キロメートルの区間は現在も良好な状態で保存されている。今後、新発見区間の調査がさらに進めば、中国古代文明の新たな側面が明らかになるだろう。