貴重なドナテッロ作品を50年間も倉庫に放置? 模造品と誤認された胸像は「ほぼ間違いなく本物」

スロバキアの小さな町にある美術館の倉庫で50年間保管されていた胸像が、イタリアの彫刻家、ドナテッロが手がけた作品である可能性が高いことがわかった。

ウフィツィ美術館のファサードにあるドナテッロの彫像。Photo: Courtesy of Wikimedia Commons
ウフィツィ美術館のファサードにあるドナテッロの彫像。Photo: Courtesy of Wikimedia Commons

スロバキアにある小さな町の博物館で、長年ドナテッロの模造品として保管されてきた大理石製の胸像が、本人による署名入り作品である可能性が高いことが判明した。この作品は15世紀に制作されたものと考えられるが、模造品と誤認された上に制作時期も19世紀であるとされ、ときには学生たちのおもちゃとして使われていたこともあったという。今回の発見によって、イタリア国外ではほとんど見られないドナテッロ作品の所在が明らかになったと同時に、その保管方法に関する疑問の声も上がっている。

本物である可能性が浮上したのは、作品が保管されていたスロバキア・スピシュ博物館館長のマリア・ノヴォトナーがこの胸像にドナテッロの署名を発見したのがきっかけだった。彼女がスロバキア・ブラチスラバにある研究機関、スロバキア科学アカデミー(SAS)に調査を依頼したところ、この彫刻はドナテッロが制作したもので「ほぼ間違いない」という鑑定結果が出たといい、専門家らもそう確信しているようだ。

この胸像は、イタリアの貴族セシリア・ゴンザガを描写したもので、15世紀に制作された。その後、マントヴァのゴンザガ家と強いつながりのあったチャーキー家によって東ヨーロッパの国に渡ったと考えられている。両家の関係は17世紀にさかのぼるが、彫刻の所有者が変わった時期は明らかになっていない。

この作品は1975年にスピシュ博物館に収蔵されるまで、何世紀にもわたってスピシュキー・フルホフ村にあるチャーキー家の邸宅に保管されていた。第二次世界大戦後、チャーキー家の邸宅は女子更生学校に改装され、胸像は生徒たちの遊び道具にされていたという。ノヴォトナーによると、胸像はボールのように転がされ、落書きされ、ときには「目の周りにアイライナーを引かれたことも」あったという。

また、スピシュ博物館は本作を収蔵当初、19世紀に作られた模造品と認定し、倉庫で保管していた。しかし、その後ノヴォトナーは台座に刻まれた「Opus Donatelli(ドナテッロの作品)」という銘文に注目。フィレンツェのパラッツォ・ヴェッキオにある《Judith and Holofernes(ユディトとホロフェルネス)》(1457〜64年)を含む、他の7つのドナテッロ作品に刻まれたものと一致しているように見えたのだ。

胸像の真正性に関する調査の大部分はSASに所属する美術史家のマルタ・ヘルツォヴァによって行われた。彼女がフィレンツェの大聖堂附属博物館の責任者、ジョヴァンニ・セラフィニに助言を求めたところ、この作品はドナテッロ作品であるという彼女の調査結果を支持したという。調査の一環として専門家たちは、1422年から1428年にかけてドナテッロが作成したヨハネス23世の墓碑と、この胸像を比較調査などを実施している。

現在、この彫像は厳重に保管されているため一般公開はされておらず、3Dスキャンされた画像でのみ見ることが可能だ。専門家たちは、彫像が美術館で展示されることを求めているが、スロバキア国内のメディアや美術関係者は、政府が任命した専門知識をもたない美術館職員がこのような重要な作品を安全に保管できるはずがないと懐疑的だ。

スロバキアでは過去にも美術の専門知識の欠如が問題視されたことがある。個人が所有していた胸像が国内オークション・ハウスを通じて海外のバイヤーに2万4000ユーロ(約382万円)で売却され、スロバキア文化省も胸像の輸出を許可したが、のちにこの作品はイタリアのバロック彫刻家であるジャン・ロレンツォ・ベルニーニのものであることが判明。その後、サザビーズ・ロンドンのオークションで3000万ドル(約45億円)で落札され、現在はロサンゼルスのゲティ美術館に展示されている。

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