MSCHFの思想に触れる展覧会をレビュー。「作品はコンセプト実現のためのツールにすぎない」

ブルックリンを拠点とするアートコレクティブ「MSCHF(ミスチーフ)」の個展「Material Values(マテリアル・バリュー)」が東京・原宿のNANZUKA UNDERGROUNDで3月22日まで開催されている。ときにアート業界そのものもターゲットとしながら、様々なメディウムを用いて行き過ぎた資本主義や新自由主義を揶揄する作品で物議を醸す彼らが目指すものとは? 来日したMSCHFチームに聞いた。

MSCHFのルカ(左)とケヴィン(右)
MSCHFのルーカス(左)とケヴィン(右)。MSCHF個展「Material Values」展示風景。© MSCHF, Courtesy of NANZUKA Photo: Koki Takezawa
MSCHF個展「Material Values」より、《RAIN CUBICLE SCULPTURE》の展示風景。© MSCHF, Courtesy of NANZUKA Photo: Koki Takezawa

「Material Values(マテリアル・バリュー)」はMSCHFにとって、2024年1月に東京・中目黒の3110NZ by LDH kitchenで行われた「No shoes. No phone. No service.」に続く日本国内では2度目となる個展。展覧会タイトルを直訳すると「物質至上主義的な価値観」つまり「モノこそが全て」。まさに、2016年に創設されたアートコレクティブ、MSCHFが、ATMに入金すると残高が表示される《ATM reader board》や血液を入れたナイキのスニーカー《Satan Shoes》などの作品制作を通じて皮肉ってきた、資本主義や新自由主義を象徴するものと言える。

さて、この「Material Values」の会場でまず来場者を迎え入れるのは、空間に設けられた個人用のオフィスキューブに向かって天井から雨がザーザーと降り注ぐ《RAIN CUBICLE SCULPTURE》。雨水(実際には水道水だが)は循環システムによって排水口から天井へと汲み上げられ、無慈悲にも無限に机を叩きつける。豪雨級の雨量にも関わらず煌々と光り続けるパソコンの画面が、人間の不在を不気味に際立たせている。

MSCHF個展「Material Values」より、《RAIN CUBICLE SCULPTURE》の展示風景。© MSCHF, Courtesy of NANZUKA Photo: Koki Takezawa

「パンデミック後のニューヨークでは、リモート勤務が浸透したお陰で巨大なオフィスが廃墟のようになっているところが多い。それはまるで、屋内に現れたゴーストタウン。2008年のリーマンショックのときにも同様の状況が発生して、突如としてオフィスから人が消えた。空のオフィスは、とても閑散としていて奇妙。でも、多くの現代人にとって会社とは、自分が存在するためのよすがでもあった。会社のキューブこそが自分の居場所であり、他者と自分とを分かつ境界線。でも今や、フィジカルな空間におけるそんなパーソナルスペースはなくなりつつある」

そう語るのは、MSCHF初期から参加する5人のメンバーの一人であるケヴィン。コロナ禍においては感染拡大を防ぎながら事業をどうにか継続するための唯一の方法にも思えたリモートワークだが、従業員のウェルビーイング向上や経済合理性などの観点からパンデミック収束後の世界においても、当然の選択肢の一つとなった。しかしオフィスは存在し続け、そこに集まる人々がいなくなっても事業が止まることはない──本作は、AIが労働の主要な担い手になった遠くない未来のメタファーのようでもあるし、単調な労働の退屈さ、企業のコマとなって働くことの暴力性や虚無感を強調するかのようだ。いつかオフィスという概念は完全に形骸化し、「昔は人間が四角い箱に入って、労働している“フリ”をしていた時代があったらしいよ」などというふうに、博物館で展示されるキューブを見ながら、未来の人類は笑い合うのだろうか。

素材の価値 vs. 芸術作品の価格

MSCHF個展「Material Values」より、《MATERIAL VALUE SCULPTURES》の展示風景。© MSCHF, Courtesy of NANZUKA Photo: Koki Takezawa

《RAIN CUBICLE SCULPTURE》をあとにし、ギャラリー2階へ上がると、ペインティングと彫刻のシリーズが並ぶ。展示タイトルと呼応する本展のメイン作品である彫刻シリーズ「MATERIAL VALUE SCULPTURES」は、アートの「価値づけ」を揶揄したようなコンセプチュアルな作品だ。トップのガラスケースの中には、レアメタルのインジウムでつくられた人物彫刻が収められており、その下部のシルバーのボックスには、作品価格とともに、インジウムのリアルタイムの市場価値が表示される。作品で使用された重量のインジウムの価値が作品価格を上回ると、箱に収められた装置が自動的に熱を発生し、彫刻を溶かしてしまうという仕掛けだ。

半導体に用いられるインジウムは、世界的に需要に対して供給が間に合っておらず、半導体をめぐる地政学的な緊張を象徴する素材の一つだ。同じく初期メンバーの一人であるルーカスは、「5年くらいで作品価格を上回る可能性がある」と話す。多くのアート作品は、そもそも量産品などとは異なり、「原価」に基づいて価格が算出されるわけではない。本作は、そうした市場の曖昧なシステムに問いを投げかけると同時に、世界のパワーバランスや国家間の紛争といったより大きなイシューについても考えさせる。

ルーカスがいうように5年後にインジウムの市場価値が作品価格を上回るとすれば、投機的な目的で購入したならなおのこと、所有者は、5年で資金を回収することができるわけなので悪くない投資だろう。この作品にそもそもレアメタルが用いられている以上、作品の良し悪しに関わらず、あるいは中の彫刻作品が溶けようが溶けまいが、その価値が目減りすることは考えにくいのだから。

MSCHF個展「Material Values」より、《MATERIAL VALUE SCULPTURES》の展示風景。© MSCHF, Courtesy of NANZUKA Photo: Koki Takezawa

一方で、MSCHF自体の評価が高まれば高まるほど、単純に考えて、作品のセカンダリーマーケットにおける価値は上がっていく(彫刻が溶けたなら、むしろその物語や歴史を踏まえて価格は上がる可能性だってある)。「MATERIAL VALUE SCULPTURES」シリーズが、インジウムという物質の価値を超えるアート作品となれるかどうかは、MSCHFのこれからにかかっているのだ。本作は、前述したようなアート市場の曖昧なシステムに身を置くという意味で「危うい存在」である彼ら自身に対する挑戦、いやむしろ、市場という劇場において、ともに需要と供給に運命が左右されるという意味で物質とアーティストは同じ存在であるという自嘲的態度とも言えるのかもしれない。ルーカスはこう語る。

「この彫刻を保存することを望むならば、インジウムの市場価値が作品価格を上回ることを阻止するために、作品をセカンダリーマーケットに流通させるしかない。それはなんだか、この彫刻が市場という牢獄に囚われているかのようでもある。でも、そもそもアート市場というのは保存ゲームみたいなもの。もちろん価値が下がることもあるけれど、アートコレクターは作品を積極的に転売することで利益を得て、作品はその価値を上げながら保存され続けていく。まあ、我々としては、溶けるところを見てみたいと思っているんだけど」

MSCHF個展「Material Values」より、《MATERIAL VALUE SCULPTURES》の展示風景。© MSCHF, Courtesy of NANZUKA Photo: Koki Takezawa

一つ残念なのは、この作品を通じて素材の価値 vs 芸術作品の価値を問うならば、ガラスケースに入った人物彫刻の完成度をもっと上げて欲しかった。「MATERIAL VALUE SCULPTURES」シリーズのコンセプト自体はキャッチーで面白いが、溶けることが前提なのだから中の彫刻の完成度は二の次、というふうにも見えてしまうし、そうであるがゆえに、むしろ「インジウムの価値の盤石さ」が際立ってしまう。「彫刻部分は、コンセプトを実現するためのオブジェの一部。だからその造形はMSCHFにとって、特に関心を注ぐ対象ではない。我々はゲーム、靴、本など様々なプロダクトを作っているけれど、常に優先されるべきはアイデアであり、プロダクトはそれに付随するものだから」とケヴィンが語る通り、コンセプトにこそ価値がある、というのがMSCHFの言い分だ。しかし、果たして本当にそうなのだろうか?

カラヴァッジョとブッシュの共通点

MSCHF個展「Material Values」より、「Animorph Painting」シリーズの展示風景。© MSCHF, Courtesy of NANZUKA Photo: Koki Takezawa

この問いは、「MATERIAL VALUE SCULPTURES」を囲むように壁面に飾られているペインティング「Animorph Painting」シリーズにも引き継がれる。

このシリーズでは、モチーフAからモチーフBへと変化していく経過を描いている。ラファエロの「聖母子像」は空山基の「セクシー・ロボット」へ、レンブラントはドラゴンボールの孫悟空へ、そして、カラヴァッジョはジョージ・W・ブッシュへと変身する。この作品のコンセプトについて、ケヴィンはこう説明する。

「Animorph Paintingは、MSCHFのメンバーに美術史の講義をしようと話したのが始まり。美術史は、人物や運動が連綿と、直線的に進んでいくことに気づいたんだ。しかし、ある時点から今日に至るまで、その線は100万本の異なる触手のように変化しているようにも感じるんだ」

イラク戦争を起こしたブッシュは大統領を退いた現在、絵を描いて過ごしているという。バロック期の偉大な画家カラヴァッジョは人を殺すなど傷害事件を度々起こし、その生涯は暴力にまみれていた。2者の共通点は程度の差こそあれ、暴力と芸術なのだ。

MSCHF個展「Material Values」より、「Animorph Painting」シリーズの展示風景。© MSCHF, Courtesy of NANZUKA Photo: Koki Takezawa

ラファエロの「聖母子像」から空山基の「セクシー・ロボット」へと変化する作品について、彼らはこう説明する。

「セクシー・ロボットをきっかけに、女性たちが西洋美術史においてどのように描かれてきたかを考えた。西洋美術史では、ヴェネチア・ルネサンスの画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオから、19世紀に活躍したフランスの画家ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルまで、ハレムの女性たちがモチーフとして繰り返し描かれてきたが、彼女たちの主体性は無視されてきた。この作品では、客体化された女性が主体化し、再び客体化されるという流れを描くことで、ジェンダー規範について考察したいと考えた」

興味深いのは、「Animorph Painting」シリーズは確かにMSCHFの作品だが、チームに所属する25人のスタッフ──そこにはデザイナーやスタジオマネジャー、プログラマー、プロジェクトマネジャーなども含まれる──の誰かではなく、MSCHFが考案したテーマに基づき外部の若手アーティストが描いたという点だ。「真正性」によって支えられるアート業界のシステムにおいてMSCHFはそもそも謎めいた存在だが、彼らにとって「誰が本当の作者なのか?」ということは、さほど重要ではないようだ。つまり、「MSCHFに『中心人物』は存在せず、脱中央集権型のアート制作を実践していると理解してOK?」という質問に、ケヴィンとルーカスは「悪くないね」というふうに首を縦にふった。

「じゃあ、実際に筆を動かしたアーティストには、報酬としていくら支払われたの? 5000ドルくらい?」と聞くと、二人は笑みを浮かべて「not too far(遠くない)」とはぐらかし、こう続けた。

「僕らは確かにコンセプト・ファ―ストだけれど、同時に、実際に手を動かして作品を制作することも重視している。以前はもっと『アイデア』や『イメージ』に重きを置いていたけれど、活動を続ける中で、『実際につくること』の重要性に気づいたんだ。アイデアをフィジカルな存在として具現化していくことには困難もつきまとうけれど、それを技術的にもコンセプト的にもどうにか乗り越えようと試行錯誤することで、作品としての強度はぐんと上がる。とはいえ最終的には、やはり物理的な存在というのは、コンセプトを実現するためのツールにすぎないことに変わりはない」

MSCHF個展「Material Values」展示風景。© MSCHF, Courtesy of NANZUKA Photo: Koki Takezawa

MSCHFの本当の目的とは何なのか

総合すると、MSCHFというのは市場のシステムに自ら乗っかりながらも、そのシステムの無情さを、意図的な無邪気さに基づく鋭いユーモアを武器に様々な角度から突いていこうという試みなのか。その思想への理解を深める上で、MSCHFの創設者であるガブリエル・ウェイリーについて知ることが一助となりそうだ。

ウェイリーは、韓国人の母と白人の元軍人の父のもと、ノースカロライナ州ミッドランドの田舎で育った。高校卒業後はウエスト・ポイントと呼ばれるアメリカ合衆国陸軍士官学校に進学し、同校の男子サッカーチームの元リーグ代表選手として活動したが、2年でドロップアウト。その後、ノースカロライナ大学で哲学を専攻した。少年時代からサッカーの才能を開花させた彼だが、サッカーキャンプに参加する経済的余裕はなく、この経験が、非営利団体、Kicking4Hungerの設立へと彼を駆り立てたようだ。2006年に始まったこの団体は、サッカーキャンプの参加料の代わりに非生鮮食料品を寄付してもらい、それらを必要としている家庭に分配するという活動を展開していた。これによりウェイリーは、2011年のピープル誌「Readers’ Choice Hero of the Year for 2011」にも選ばれている。

「MSCHFの創設者」として紹介された『Campaign US』の2019年の記事の中でウェイリーは、自身のことを「部外者であり、規則を破る者」と呼び、白人が圧倒的マジョリティだったウェスト・ポイントで「いたずらが私の逃げ場だった」と打ち明けている。そんな彼に居場所を作ったのが、インターネットの世界だった。ウェイリーは同記事の中でこう語る。

「インターネットは、コンテンツの配信手段としては非常に効率的だけど、ストーリーを語るメディアとしては、誰もその限界を押し広げていない。芸術にもなり得るのに」

MSCHFは投資を受けており、バイラルマーケティングにも長けている。発表される作品は突然公表されるストリートブランドの売り方「ドロップ方式」を取る。ベンチャー企業のようであり、ストリートブランドのようでもある。資本主義を揶揄しながらも、そのシステムの恩恵を受ける彼らだが、活動の根底には、Kicking4Hungerにも通じる信念があるような気がしてならないのは、考えすぎだろうか? しかしその意味で、彼らが今後、MSCHFとして得た名声や利益をどんなふうに社会に還元していくつもりなのか(もしかしたら、すでに還元しているのかもしれない)、非常に興味がある。

MSCHF「MATERIAL VALUES」
会期:〜3月22日(土)
会場:NANZUKA UNDERGROUND(渋谷区神宮前3-30-10)
時間:11:00〜19:00
休業日:日・月曜日

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