アプロプリエーションの力学──ジャファとプリンスの二人展が問い直す「所有と創造」の境界

ヴェネチア・ビエンナーレ会期中のヴェネチア・プラダ財団で、リチャード・プリンスアーサー・ジャファの2人展「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」が開催中だ。アプロプリエーション(流用)を駆使する2人の作品の対比は何を伝えるのか、また、アプロプリエーションを超えた共通項は何なのか、本展をレビューする。

アーサー・ジャファ《Viriconium》(2026)。ヴェネチアのプラダ財団で開催中の展覧会「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」の展示風景。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada
アーサー・ジャファ《Viriconium》(2026)。ヴェネチアのプラダ財団で開催中の展覧会「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」の展示風景。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada

「何を流用する(appropriate)のが適切(appropriate)なのか?」

リチャード・プリンスアーサー・ジャファの創作活動の原動力となっているのは、まさにこの問いだ。

現在、ヴェネチアプラダ財団では彼らの2人展「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince(ヘルター・スケルター:アーサー・ジャファ&リチャード・プリンス)」が開催されている。その組み合わせを意外に思う人もいるかもしれないが、両者とも他人が作ったイメージを流用(アプロプリエーション)した作品で知られている。

「驚いている人がいることに驚いています。私の活動の大部分、少なくともアート界での活動に関しては、リチャードの先例なしにはあり得ませんでしたから」

展覧会に先立って行ったビデオ取材で、ジャファは私にそう言った。また、2人展のキュレーションを担当したナンシー・スペクターは、最近のインタビューで次のように語っている。

「2人とも、ありとあらゆるところからイメージを拾い集めるハイエナのようなアーティストです」

ジャファとプリンスの共通点

2人の出合いは、ジャファの《AGHDRA(アギードラ)》(2021)が初公開されたときだった。これは波打つ岩の集積のようなデジタルの海を描いた映像作品で、制作されたその年にハーレムのギャビン・ブラウンズ・エンタープライズで上映されている。招待されていたプリンスが会場に現れたのを見たジャファは、10~15分ほどしたら帰るだろうと思っていたが、75分間の上映時間の最後まで彼はそこにいたという。

「本当にびっくりしました」とジャファは振り返る。「上映が終わると、彼は私の方を向いて『素晴らしかった。連絡を取り合おう』とだけ言って、暗い部屋の中を去っていったのです」

そして、今から3年ほど前にスペクターがジャファのスタジオを訪問したとき、彼は1990年代から関心を持っていたプリンスの作品について彼女に思いを語った。スペクターは当初、ジャファがなぜその話をするのか「よく分からなかった」と明かす。2007年にグッゲンハイム美術館で開催されたプリンスの回顧展を自分がキュレーションしたからかもしれないと考えた彼女は、そう尋ねてみた。

「彼はアプロプリエーションや盗みについて話を広げ、他人の所有物を取り込むことへのスタンスが、プリンスと黒人である自分とでは大きく異なると言いました。なぜなら、アフリカアメリカ人はかつて他人の所有物だった歴史があるからです。それは非常に興味深い会話になりました」

スタジオ訪問の後、スペクターは2022年にデンマークのルイジアナ近代美術館で開催されたプリンスの個展に合わせて同美術館が制作した動画を見つけた。ジャファを含む5人のアーティストがプリンスから受けた影響について語る動画で、「彼は間違いなく、私が知る限り最も『黒人らしい』白人アーティストです」とジャファは述べている。

その言葉を聞いたスペクターは、「2人の作品を並べたらどうだろうかと考える契機となりました。また、AJ(ジャファ)はリチャードの創作に対するある種のオマージュとして、彼の作品をアプロプリエーションしていたのだと納得しました」という。取材時にジャファは、動画内のコメントはほとんど冗談のつもりだったと言いつつ、そこに真実が含まれているとしたら、それはプリンスが「所有という概念に敵対的」であることに関係していると答えた。

「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。手前はリチャード・プリンスの《Untitled》(2018-20)。奥にはプリンスの《The Entertainers》(1982–83)とアーサー・ジャファの《Viriconium》(2026)が展示されている。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。Photo: Masaki Yato/ ARTnews JAPAN

プリンスやシェリー・レヴィーンなどが発展させたアプロプリエーションの手法を見て、「アーティストとはこうあるべきという規範から逸脱した戦略を取ってもいいのだと勇気づけられ」、現在制作しているような作品に取り組めるようになったとジャファは話を続けた。

「重要なのは衝動を肯定し、自分で自分に許可を与えていいと自覚することです。自らに許可を与える自己決定権は、おそらく黒人アーティストはもちろん、黒人一般にとって──自由を除けば──最も根源的な問題です。そもそも自由でなければ、自己決定することもできません」

ウォーカー・エヴァンスなどの写真家の作品を流用したレヴィーンが、アプロプリエーションを「ある意味、一種の結論」に至らせたのに対し、プリンスは流用の対象を「大衆文化やエフェメラル(短い期間だけ出回る印刷物や広告など)にまで拡張した」とジャファは考える。そしてジャファとプリンスは、「アウトサイダーの文化や、労働者階級の文化、反主流的文化など、ブルジョワ的な価値観の枠内に収まらない文化」に対する関心を共有している。

ジャファはまた、2人ともマルセル・デュシャンから大きな影響を受けていると考え、「リチャードはレディメイドの向こう側で可能となる新たな表現をいくつも展開しました。その点で誰よりも際立っていると思います」と力説する。さらに、プリンスの作品を流用した作品についてはこう答えた。

「単なる遊びです。私は基本的に何かを批判することにはあまり興味がなく、誰かの作品を流用したり深掘りしたりするとしたら、それは何よりもまず、その作品が好きだから、その作家がしていることが好きだからです」

展覧会の図録に掲載されたジャファとの対談の中でプリンスは、自身が影響を受けた物事や作品制作へのアプローチについて語った後、こう締めくくっている。

「アーティストは常に──コンセプト重視のアーティストであればなおさら──許容範囲はどこまでかという問題を意識している。一歩引いて、線を引き直すこともある。(中略)超えてはいけない境界線に達したら、一歩下がって新たな線を引くのだ」

ここ数年、ジャファとプリンスの友情は自然に深まっていき、ショートメッセージで画像のやり取りをするようになった。そして、それをもとに2人はジン(ZINE)を発行している。その関係をジャファはこう語る。

「自分が考えていることや面白いと思うことなど、何でもかんでも人に送るんです。リチャードとのやり取りもそんな感じで始まりました。特に深い意味はなかったと思います。私たちの『コラボレーション』について聞かれることもありますが、2人ともちょっと天邪鬼なところがあるので、『そうですね、この展覧会が終わったら一緒に何か作ります』と答えています」

「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。左から、アーサー・ジャファの《The White Album》(2018)、リチャード・プリンスの「White Paintings」シリーズから《Future》(1992)と《Untitled》(1990)。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展の様子。左から、アーサー・ジャファの《The White Album》(2018)、リチャード・プリンスの「White Paintings」シリーズから《Future》(1992)と《Untitled》(1990)。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada

2人の対比に見る「アプロプリエーション」以外の要素

2人の作品をどう対比すべきか──展覧会の構成を練り始めた頃、スペクターはプリンスの作品をそれまでとは違った視点で見るようになった。たとえば、プリンスの「White Paintings(ホワイト・ペインティング)」シリーズを、ヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞したジャファの映像作品《The White Album(ザ・ホワイト・アルバム)》(2018)の提示するアングルを通して解釈するようになったという。

「この作品は、ブラックネス(黒人であること)の視点からホワイトネス(白人であること)を見つめています。私はそれまでずっと『White Paintings』シリーズを、ある特定の時代や場所、階級に関するものだと思っていました。作品名に『ホワイト』という言葉が使われているにもかかわらず、人種の問題についてはあまり考えていなかったのです」

展覧会のタイトルに使われている「ヘルター・スケルター」という言葉は、その種の緊張を示すものでもある。スペクターは図録の小論で、タイトルを「意図的に、多様な意味が汲み取れるようにした」と書いているが、彼女がそこで詳述しているように、この言葉はもともとイギリスの遊具の名前だった(らせん状のすべり台)。それが「混乱や慌てふためく様子を表す俗語」として定着し、ビートルズの曲名(彼らの『ホワイト・アルバム(正式名は「ザ・ビートルズ」)』の収録曲)に使われてから、より広く知られるようになった。

その後、カルト的なヒッピー・コミューンのリーダー、チャールズ・マンソンの信奉者らが1969年に起こしたシャロン・テート/ラビアンカ夫妻殺害事件の現場に、被害者の血でこの言葉が書き残されるというショッキングな出来事があった。マンソン・ファミリーは、ビートルズの「ヘルター・スケルター」には「人種戦争を予言する暗号化されたメッセージが込められている」と信じていた。

さらに、1992年にロサンゼルス現代美術館で開催された「Helter Skelter: L.A. Art in the 1990s(ヘルター・スケルター:1990年代のL.A.アート)」のタイトルにもこの言葉が使われている。だが、画期的な現代アート展として注目された同展に、黒人アーティストは含まれていなかった。

「このタイトルは、流用の流用のさらに流用です」とジャファは言った。「かつてのヘルター・スケルター展に欠けていたり、そこで省略されていたりしたものを浮き彫りにする意図もありましたし、お行儀の良さを捨てたいという思いも込められています。私たちは2人とも、人にショックを与えるために何かをするわけではありません。少なくとも私自身はそうではない。そういった意味で、ここには正直でいたいという思いも混じっています。創作において真実を追求し、制約を受けず、直接的でありたいという思いです」

アーサー・ジャファ《Big Wheel II》(2018)。ヴェネチアのプラダ財団で開催中の「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展(2026)での展示風景。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada
アーサー・ジャファ《Big Wheel II》(2018)。ヴェネチアのプラダ財団で開催中の「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展(2026)での展示風景。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada

プラダ財団のヘルター・スケルター展は、スペクターが「デュエット」と呼ぶ2人の作品の対比が土台となっており、その冒頭では、両者の実践を考察する上で「示唆に富む」と彼女が考える大規模作品の組み合わせを見ることができる。それは、入口の右側の中庭に設置されたプリンスの《Folk Songs (Blasting Mats)(フォークソング [ブラスティング・マット] )》(2006)2点と、階段脇の玄関広間にあるジャファの《Big Wheel II(ビッグホイールII)》(2018)だ。ただしスペクターは、2人の親和性はアプロプリエーションにとどまらないと示すことを意図している。

「両者の作品には暴力性が埋め込まれています。モンスタートラックは他のトラックを破壊し、爆発の衝撃や破片の飛散を防ぐために使われる頑丈なブラスティング・マットは、吊るされた肉塊のような生々しさを放っています」

1階の展示室には、ジャファの象徴的な映像作品《Love Is the Message, The Message Is Death(愛はメッセージ、そのメッセージとは死)》(2016)も展示されている。スペクターがこの作品の中で最も印象深いと感じたのは、何度も現れる燃える太陽の映像で、7分半の作品の中に7回ほど出てくる。太陽の映像は《APEX(エーペックス)》(2013)などジャファが手がけたほかの作品にも見られるものだ。スペクターはこの作品を黒い壁で囲ったスペースで上映し、その近くに1981年から82年にかけてプリンスが制作した写真シリーズ「Untitled (Sunsets)(無題 [夕日] )」を配置した。「2人の作品に出てくる太陽と、その根底に流れるディストピア的な物語が念頭にありました。言葉で表すのは難しいのですが」と彼女は語る。

アーサー・ジャファ《Love Is the Message, The Message Is Death》(2016)。ヴェネチアのプラダ財団で開催中の「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展(2026)での展示風景。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada
アーサー・ジャファ《Love Is the Message, The Message Is Death》(2016)。ヴェネチアのプラダ財団で開催中の「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」展(2026)での展示風景。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada

プリンスとジャファの実践を再考

展覧会企画の初期段階でスペクターが思いついたもう1つの組み合わせは、ジャファの《BEN GAZARRA(ベン・ギャザラ)》(2年前の初公開時は《*****》という作品名だったが最近改名された)と、プリンスの《Spiritual America(スピリチュアル・アメリカ)》(1983)だ。後者は、1975年にファッション写真家のゲイリー・グロスが撮影した10歳のブルック・シールズのヌード写真を流用した作品で、《BEN GAZARRA》は、マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』(1976)のクライマックス・シーンの映像を少しずつ改変したバリエーションをつないだ72分の映像作品だ。

元の映画のクライマックスでは、主人公のトラヴィス・ビックルが12歳の少女アイリス(ジョディ・フォスター)を救い出すために売春宿を銃撃する。ジャファはこの場面に出てくる敵役を、アイリスを食い物にしていたヒモのスポーツを含め、全員白人から黒人に変更した。それは、脚本家のポール・シュレーダーが書いていた当初の設定を再現するためだという。『タクシードライバー』の制作陣は、悪役を黒人にすると差別的だとの反発を招く恐れがあると考え、彼らを白人に変更したのだった。

この2つの作品をスペクターが組み合わせたのは両方に少女が出てくるからだが、「(両作品に見られる)小児性愛的な面を強調したかったわけではなく、趣旨は全く別のところにあります」と話す。彼女が光を当てたかったのは、「プリンスとジャファが、画像や映像から潜在的な物語を引き出してきた」ことなのだ。

プリンスとの対談の中で、《BEN GAZARRA》の構想を抱いたのは1990年代だったと語っていたジャファは、この組み合わせについてこう述べている。

「天才的で、これ以上ないほど冴えたアイディア、(中略)まさにナンシーの真骨頂とも言うべきコンセプトです。自分には思いもよらなかった組み合わせですが、いざ並べてみるとその関連性は明白です。提示されれば一目で理解できますが、かといって露骨すぎるわけでもありません」

「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」(2026)の展示風景。左の映像作品はアーサー・ジャファの《BEN GAZARRA》(2024)。右の壁に掛けられているのはアルフレッド・スティーグリッツの《Spiritual America》(1923)。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada
「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」(2026)の展示風景。左の映像作品はアーサー・ジャファの《BEN GAZARRA》(2024)。右の壁に掛けられているのはアルフレッド・スティーグリッツの《Spiritual America》(1923)。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada

プリンスの《Spiritual America(スピリチュアル・アメリカ)》は、イタリアでは違法な児童ポルノに分類されるため、本展には展示されていない。その代わりに、プリンスが所有しているアルフレッド・スティーグリッツの同名の写真作品(1923)が壁に掛けられている。去勢された牡馬の馬具を付けた臀部を大写しにしたこの写真から、プリンスはタイトルを借用している。「今はもう《Spiritual America》を展示することはできません」とスペクターは話す。「当初構想していた対比とは別の形になってしまいましたが、この作品のタイトルが持つ歴史を説明する良い機会になったと思います」

別の展示室には、写真を印刷した段ボールの切り抜きを用いたジャファの新作インスタレーション《Viriconium(ヴィリコニウム)》、そしてプリンスの《The Entertainers(エンターテイナー)》(1982-83)と《Untitled(無題)》(2018–20)が並んでいる。プリンス作品の前者は、80年代にタイムズスクエア周辺に林立していた性風俗店で働く役者志望の若者たちを写した11枚のスライド写真を引き伸ばしたもので、後者はブロンズ鋳造に銀色のメッキを施したオートバイだ。

このほか、プリンスがウィレム・デ・クーニングの作品を流用した無題のシリーズ(2006)と、ジャファの2018年の写真作品《Man Monster-Duffy(マン・モンスター・ダッフィー)》(19世紀の黒人トランスジェンダー女性のセックスワーカー、メアリー・ジョーンズに扮した自分自身を撮影した写真作品)の組み合わせや、両者が手がけたフォト・アッサンブラージュが並ぶ展示室がある。これらの展示を巡りながら、鑑賞者はそれぞれのアーティストの作品同士をつなぐ糸を、そして最終的には2人をつなぐ糸を見つけ出していく。

ヴェネチアのプラダ財団で開催中の展覧会「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」(2026)の展示風景。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada
ヴェネチアのプラダ財団で開催中の展覧会「Helter Skelter: Arthur Jafa and Richard Prince」(2026)の展示風景。Photo: Andrea Rossetti/Courtesy Fondazione Prada

これまでにキュレーションを務めてきた展覧会と同様、スペクターはヘルター・スケルター展が「アーティストそれぞれの実践を再考する契機になる」ことを期待している。それを後押しするのが、会場として使われているヴェネチアのプラダ財団の建物、カナル・グランデ(大運河)に面した18世紀のゴシック様式のパラッツォ(宮殿)だ。

展覧会のビジュアルと図録デザインを担当したピーター・サヴィルが、企画の初期段階で「この建物自体が3人目の存在に感じられると指摘したことがきっかけで、私たちはそれも両作家の対話者として捉えることにしました」とスペクターは話す。パラッツォのあちこちを写した内観写真をページ全面に印刷し、その上に2人の作品の写真を配置する図録でも、その「3人目」は存在感を放っていると彼女は言う。

「極めてアメリカ的で、アメリカ文化に深く根ざした作品を生み出す2人のアーティストが、それとは正反対の場所で作品を見せることに関心が集まっています」 

一方ジャファは、来場者がこの展覧会をどう受け止めるか、開幕前には全く予想できなかったと言い、特に彼がプリンスを高く評価していることに違和感を覚える人もいるのではないかと危惧していたと打ち明けた。アメリカ文化の広範な引用がジャファの創作活動には不可欠であるにもかかわらず、そう思われるかもしれないと考えた理由について「黒人アーティストに対する固定観念があることは、よく知っていますから」と彼は語った。「かと言って、私は見る人を驚かせるような作品を作ろうとしているわけでもないし、意外性を狙っているわけでもないのです」

現在の世界情勢について話が及んだ後、彼はインタビューの最後にこう言った。「私のお気に入りの皮肉の1つを教えましょう。『それが白人に起こればディストピア、我々に起こればただの日常』というものです」(翻訳:野澤朋代)

from ARTnews

あわせて読みたい