フェアユースは成立せず──インスタ写真の無断使用をめぐる裁判でリチャード・プリンスの主張を棄却
他人のインスタグラム画像を加工・使用したリチャード・プリンスのシリーズ作品をめぐる裁判で、プリンスによるフェアユース(公正使用)の抗弁が再び棄却された。プリンスは、無断で画像を使ったとしてニューヨーク南部地区で2件の訴訟を起こされている。
引用と著作権侵害の境界は?裁判結果に注目が集まる
5月11日にニューヨーク地区連邦地裁のシドニー・スタイン判事が、リチャード・プリンスの「New Portraits」シリーズは「アプロプリエーション(*1)と著作権侵害の境界がどこにあるかを試そうとしたものだ」との見解を示したと、民事訴訟ニュースメディアのコートハウス・ニュースが12日に伝えた。同シリーズは、拡大したインスタグラムのスクリーンショットをカンバス上に再現し、プリンスが辛辣なコメントを付けたものだ。
*1 「流用」「盗用」の意。過去の著名な作品、広く流通している写真や広告の画像などを作品の中に文脈を変えて取り込むこと。
2014年、プリンスが「New Portraits」シリーズをガゴシアン・ニューヨークの個展で初公開するや否や、大きな反発が巻き起こった。作品に写っていた人々が、自分の画像が同意なしに複製されと苦情を訴え、少なくとも5件の訴訟が起こされている。たとえば、写真家のドナルド・グラハムは、自分の作品《Rastafarian Smoking a Joint》が使用されたことに対する排除措置を申し立て、その後2015年に訴訟を起こした。
この件でスタイン判事は、「2つの作品における主要なイメージは写真自体であり、プリンスは、グラハムの構図、表現、サイズ、色調、素材を実質的に変更していない」として、2017年にプリンスによる訴訟破棄の申し立てを棄却した。
グラハムによる訴訟の前にも、フランス人写真家のパトリック・カリウが同じ理由でプリンスを訴えている。2009年、カリウはプリンスの「Canal Zone」シリーズの絵画に、カリウが2000年に出版した写真集『Yes, Rasta』の作品が使われているとして、プリンスを著作権侵害で訴えた。しかしこのケースでは、カリウの主張は認められなかった。
プリンスの作品をめぐる一連の訴訟が注目されているのは、フェアユースの原則がソーシャルメディアにどう適用されるかの先例になる可能性があるからだ。カリウの訴訟でも、今回と同様、プリンスは自分の活動は連邦著作権保護の例外規定であるフェアユースの適用を受けると主張した。この規定では、学術、報道、解説などの目的で知的財産を限定的に流用することが認められている。
新しい領域の素材は、判断基準が不明確
カリウの訴訟は、下級裁判所の判決が繰り返し上級裁判所によって差し戻され、数年間続いた。このときの審理は、プリンスの作品が元の素材を十分に変容していると「合理的な観察者」によって認められるかどうか、特に「新しい表現、意味、メッセージ」が込められていると判断できるかどうかで争われている。そして2013年、第2巡回区控訴裁判所はプリンスを支持する判決を下した。
フェアユースの原則は、アンディ・ウォーホル美術財団にも活用されている。写真家のリン・ゴールドスミスが著作権を有する伝説的ミュージシャン、プリンスの画像を、ウォーホルが一連のポートレート作品に流用したことに関する訴訟で、これはフェアユースにあたると財団は主張している。この裁判は2022年10月に最高裁判所に持ち込まれたが、まだ判決は出ていない。ここでも、「合理的な観察者」によって、ウォーホルの作品がトランスフォーマティブ(変容的)──ここでは「新しい表現、意味、メッセージ」が含まれているかどうか──なものと判断されるかどうかが焦点となると見られる。
しかし、アート作品における素材の流用は訴訟における新しい領域であるため、不明確な点が多い。実際、現在さまざまな訴訟で標準的に用いられる判断基準、「合理的な観察者」の定義が曖昧だと批判する声もある。法律は公平に行使されるべきだという理念を貫くならば、極めて主観的なものであるアート作品に対する価値判断と、どう共存できるのだろうか。
ウォーホルの裁判が行われている中、美術に関連する法律に詳しい弁護士で、国際法曹協会の美術・文化財・遺産法委員会の共同議長を務めるニコラス・オドネルは、US版ARTnewsの取材に対し、アメリカの法制度に「公平な専門家」なるものは存在しないと答え、こう付け加えた。「それぞれの側が専門家を連れてきて、自分の専門家の方が優れている理由を主張するだけだ」(翻訳:清水玲奈)
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