最低の店に最高の本を──気取らないアートブック専門店「flotsam books」【アート好きのためのブックショップガイド】

新宿から京王線に揺られ、代田橋駅で下車。甲州街道を背にして10分ほど歩くと、穏やかな住宅地の路地に全面ガラス張りの空間が現れる。広さは6畳ほど。昼下がりの自然光がほどよく差し込むここが「flotsam books(フロットサムブックス)」だ。
店内に流れているのは90年代のJ-POP。壁には過去に開催された展示で作家が残した落書きがそのまま残されている。
そして、所せましと置かれた本、本、本。書棚はホームセンターで買える単管パイプや数百円の板で組み立てられ、そこに海外の分厚い写真集やビジュアルブックが並ぶ。
「とりあえず、本があればそれなりに見えるんじゃないかと思ってるんですよ。最低のお店に最高の本があるって、いいじゃないですか」。店主の小林孝行は、飄々とした口調でそう笑う。過剰な装飾を削ぎ落とし、純粋に本そのものの力に委ねた空間は居心地がいい。

無茶振りから始まった6畳間
flotsam booksは2010年頃からオンライン専業でアート系のビジュアルブックを扱ってきた。長く古書店で働いていた小林が、自分の好きな本を売ろうと独立したのがきっかけだ。
当初は雑誌を中心にするつもりだったという。しかし、SNSの普及とともに少しずつ方向性が変わっていった。「小説や漫画は、どうしても日本語を話す人にしか通じない部分がありますよね。このころはちょうどSNSが普及して、海外の友人が増えてきた頃で。彼らと共通の話題を持とうとしたとき、アートやビジュアルの本なら言葉がそこまで必要ないなと思ったんです」
オンラインで確かな支持を集めてきた彼が実店舗を持ったのは2020年の冬。それも緻密な計画があったわけではない。近所に住む写真家の友人が「ここで写真展をやりたいから、ここを借りてくれ」と持ちかけてきたのだ。
「『え、僕が借りるの?』という感じだったんですけど、彼がもう内見の予定を入れていて(笑)」
一緒に見に行き、大家や不動産屋と話すうちに、気づけば借りざるを得ない流れになっていた。うまくいかなければすぐにやめられるように内装にはお金をかけず、床も借りた当時のままだ。

妻のミステリー本も
店内を見渡すと、本の並びに明確なルールがないことに気づく。海外の気鋭アーティストの作品集のすぐそばに、小林の妻が読み終えたミステリー文庫や、奇妙な装丁のSF本が紛れ込んでいる。アートブック目当ての客に付き添ってきた人への、彼なりのユーモアを交えた気遣いだ。
「細かくジャンル分けしてしまうと、つまらなくなる気がするんですよね。『この本の隣はこれ』みたいに決まりができるより、もっと適当な方がいい。目当ての本を探しに来たはずなのに、パッと目についた別の本に面白さを感じてしまう。そういう出会いの方が楽しいじゃないですか」
一見ランダムに見える棚は、小林の個人的な直感と好奇心で構成されている。「これ面白いでしょう」と客をびっくりさせたい衝動が選書の原動力だという。
「アマゾンの方が安いよ」
小林の商売はフラットで誠実だ。そのきっかけは意外にもアマゾン。かつて洋書が高価だった時代、アマゾンが適正価格で販売し始めたことに大きな衝撃を受けたという。
「『え、こんなに安いの?』と、当時の衝撃は大きかったですね。それが可能なら、自分もそういう適正な価格でやりたいという思いはあります。それに今はネットで、海外での定価や日本での販売価格が全部わかってしまう。そんな時代に、後ろめたい気持ちで売りたくはないんです」
もし自分の店にある本がアマゾンで安く売られていたら、迷わず「アマゾンで売ってるよ。そっちで買いなよ」と客に伝えてしまう。情報が筒抜けの現代において、正直さこそが最大の価値になると考えている。
「知っているのに隠して高く売りつけて、後でお客さんが気づいた時のほうがこちらのダメージが大きいんです。本当に正直に商売した方が、長い目で見ると続くというのは経験上わかります。今だけ儲けようとするのは、一番やってはいけないやり方。目先の利益よりも、正直に伝えることで『ここは信頼できる場所だ』と思ってもらえる。そっちの方がよっぽど価値があるんです」
正直な商売を続けることが、結果的にファンを増やしていく。世界的に見ても実際に手に取って見られるアートブック専門店は少ない。円安や輸送費高騰の逆風下にあっても、海外のアートブック愛好家たちがわざわざこの6畳の空間を目がけてやってくるのは、店主の嘘のない姿勢が国境を越えて信頼を生んでいるからだろう。

zineを広めるために
そんな小林の活動の幅は、近年では書店業以外にも波及している。それが、flotsam booksが主催するZINEのイベント「flotsam ZINES tour」だ。
2022年にスタートし、年々規模を拡大しているこの企画は、参加者の選考において無審査を貫いている。ルールさえ満たせば、有名無名を問わず全ての作品を受け入れる。2026年も6月19日から11月15日まで、京都や愛媛、茨城、石川や福井など全国18箇所を巡回しzineを販売している。
ブログで小林は、持ち込みの作品を断らざるを得ない店の規模への葛藤とともに、その思いを率直に綴っている。
「個人的には。
ものすごい有名アーティストなんかにならないで。
無名だけどものすごいzineを作る人になってほしい。
で。
そんな人たちが。
100人とか集まったら。
面白いかも。
って思ったのが。
このイベント。」
そこには、表現の初期衝動に対する温かい眼差しがある。

心地よいゆるさ
アートブックをメインとしながらも、高尚な雰囲気をそぎ落とすflotsam books。その心地よいゆるさは、これからも維持されていくだろう。
「カッコつけすぎたりしていると、その時点でもう『無理』って壁を作られてしまう。これくらい緩い方が、『ちょっと行ってみようかな』と思ってもらえる気がして」。年齢を重ねるにつれ、かっこつけるよりも「人になめられるぐらいのスタンスでいた方が楽しい」と思うようになったという小林。「あえてちょっとダサいぐらいの方が、隙ができるというか」という彼の言葉通り、その適度な抜け感が訪れる人の心をほぐしていく。
今日もJ-POPが流れる店内で、誰かが思いがけない一冊と出会う瞬間を、店主はのんびりと待っている。
ARTnews JAPAN読者におすすめの1冊

濵本奏『ー・・』〈真珠出版〉
flotsam ZINES tourへの参加や店内での個展開催などflotsam booksとの親交も深い写真家、濵本奏さんの1冊。濵本が偶然知ることとなった1945年の「伏龍特攻隊」に関する記録や2024年の制作期間に綴った日記、横須賀で撮影した写真と現地の音をフィールドレコーディングしたレコードを収録した写真集だ。写真家自身の出版レーベルである真珠出版より出版されている。「展示も含め、既存の出版社に頼ることなく自分で動いて自ら形にしている点が素晴らしいですよね」と小林。
flotsam books
東京都杉並区和泉1-10-7



