98歳男性、オルセー美術館所蔵のゴッホ作品の返還を請求──「ナチスが祖父から略奪」と主張
- TEXT BY DEVORAH LAUTER
オルセー美術館所蔵のゴッホ《サン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール病院》(1889)をめぐり、98歳の男性がナチスに略奪された祖父のコレクションだとして返還を求めている。
アメリカ在住の98歳、クラウス・カールマンは、オルセー美術館が所蔵するフィンセント・ファン・ゴッホ《サン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール病院》(1889)が、ドイツ系ユダヤ人だった祖父フェリックス・カールマン(1853〜1938)のコレクションに含まれていたものであり、ナチスによって没収された作品だと主張している。
カールマンは、少年時代に目にした1枚の絵を今も鮮明に覚えている。それは1930年代初頭まであった祖父のベルリンの別荘に飾られていた《サン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール病院》だ。この作品には、ゴッホの主治医テオフィル・ペイロンが節くれだった木のそばに立つ姿が描かれている。両手を腰に当て、自らが院長を務める精神療養院の前にたたずむペイロンの背後には、ゴッホ自身も患者として療養したサン=ポール病院が広がる。

しかし現在、この作品はフランスの国有美術品コレクションの一部となり、オルセー美術館に所蔵されている。フランス紙のル・モンドによると、カールマンは、この作品の正当な所有権は自らにあると訴えている。
カールマンはこの9年間、《サン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール病院》がナチス政権下で祖父から略奪されたことを立証するため、法廷闘争を続けてきた。フランスでは近年、ナチスに略奪された美術品の返還を促進する法律が整備されており、通常であればカールマンの主張もその対象となり得る。
しかし、ナチスによる略奪美術品の認定を担うフランスの被害者賠償委員会(Commission for the Compensation of Victims of Spoliation、CIVS)は、この案件の判断に苦慮している。CIVS代表のダヴィッド・ジヴィエはル・モンドに対し、「カールマン家が反ユダヤ主義的迫害の被害者であり、その過程で財産を略奪されたことは間違いない」と認める一方、「このゴッホ作品が、強制的な売却の対象となった資産に含まれていたかどうかを断定するのは難しい」と説明している。
最大の争点となっているのは、1932年6月から1934年2月までの所有履歴が途切れていることだ。確認できているのは、1934年にパリを代表する画商ポール・ローゼンバーグの画廊にこの作品が現れたことだけで、その後、ルーブル美術館に寄贈されたことが分かっている。
一方カールマンは、父ハルトムートが生前、「ナチス政権発足当初、一族の美術コレクションはまだ手元に残っていた」と繰り返し語っていたと証言している。その後まもなく、家財はすべて没収されたという。
祖父フェリックス・カールマンは美術品収集家であるとともに、照明器具メーカー「ドイツ・ガスグリュー社」や、映画会社「ウニヴェルズム・フィルムAG(UFA)」の経営にも携わっていた。だが、1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツ各地で起きた大規模なユダヤ人迫害事件「クリスタルナハト(水晶の夜)」の直後、心臓発作で死去。その後、息子ハルトムート一家はドイツから脱出したという。
一族の代理人を務める弁護士マルクス・シュテッツェルは、この案件は速やかに返還されるべき典型的なナチス略奪美術品の事例だと主張する。その根拠として挙げるのが、1998年に44カ国が採択した「ワシントン原則(Washington Principles)」だ。ナチスに略奪された美術品の返還に関する国際指針である同原則は、「ホロコースト期という歴史的背景と時の経過を踏まえ、所有履歴に残る避けられない空白や曖昧さを考慮すべき」と定めている。
また、ワシントン原則は、ナチス時代にユダヤ人が手放した美術品の多くが、迫害や強制のもとで売却されたものであることも認めている。現在、この案件は裁判官と政府関係者で構成される委員会で審理が進められており、次の重要な審議は9月に予定されている。(翻訳:編集部)
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Photo: Copyright © Musée d’Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt
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