セザンヌの水彩画に「ナチス略奪」疑惑──スイスで問われる来歴調査の限界

スイス・バーゼルのバイエラー財団美術館の企画展で展示されていたセザンヌの水彩画をめぐり、ナチス迫害から逃れたユダヤ系実業家の旧蔵品だったことを示す資料が見つかった。所有権の移転経緯は不明で、来歴研究者は「迫害下で失われた可能性が高い」と指摘している。

ポール・セザンヌ《サント・ヴィクトワール山》(1888頃)Photo: Public Domain

スイス・バーゼルのバイエラー財団美術館で開催されていたセザンヌ展に出品された水彩画1点について、ユダヤ人の所有者がナチスによる迫害の中で失った作品である可能性が浮上した。ある来歴研究者が、元所有者の遺族側からの依頼で行った調査により発覚した。

バーゼルの公文書館に眠っていた証拠

来歴問題が浮上しているのは、ポール・セザンヌの《サント・ヴィクトワール山(La Montagne Sainte-Victoire)》(1888頃)。この作品は、今年1月25日から5月25日まで同館で開催された展覧会「CEZANNE」に出品されていた。展覧会カタログでは、貸し出し元は「個人コレクション」とのみ記載されている。

バイエラー財団美術館のファサード。Photo: Robert Hradil/Getty Images

この作品を調査している来歴研究者のヴィリ・コルテは、アートニュースペーパーの取材に対し、バーゼルの公文書館で重要な資料を発見したと明かした。資料によると、ナチス政権によるユダヤ人迫害が急速に強まっていた1935年、ベルリンからパリへ亡命したユダヤ系実業家グスタフ・シュヴァイツァーが、この水彩画を1936年にスイスのクンストハレ・バーゼルで開催された展覧会に貸し出していたことが確認されたという。

コルテが精査した書簡によれば、展覧会終了後、シュヴァイツァーは同館の学芸員に作品の保管と売却先探しを依頼していた。作品はシュヴァイツァーの費用負担で修復も行われたが売却には至らず、1939年にパリにいた秘書のもとへ返送された。その後の作品の所在や所有権の移転経緯は不明のままとなっている。

シュヴァイツァーは1939年、出張先のマニラで心臓発作により死去した。秘書だった女性は1942年にパリでナチスに拘束され、その1週間後にアウシュヴィッツで殺害された。妻は1938年にアメリカへ逃れている。

研究者はバイエラー財団に仲介を要求

こうした経緯からコルテは、「《サント・ヴィクトワール山》は、シュヴァイツァーがドイツから逃れたあと、強制的に売却させられたか、あるいはナチス占領地域で略奪された可能性が高い」と指摘。バイエラー財団に対し、作品を貸主へ返却するだけでなく、「公正かつ正当な解決」に向けて積極的に関与するよう求めた。

これに対し同財団はアートニュースペーパーを通じ、貸主に申し立ての内容を伝えた上で作品を返却すると表明。これは、スイスの美術館には法的根拠なしに作品を差し止める権限がないためだとしている。また同館は、常設コレクションとは異なり、企画展への貸出作品について同等の水準で来歴調査を行うことは難しいと説明した。さらに、この水彩画は、ナチス時代に略奪・強制売却された美術品情報を公開するドイツの公式データベース「ロスト・アート・データベース(Lost Art Database)」にも登録されていなかったと付け加えた。

スイスで巻き起こる美術品の来歴問題

今回の問題は、スイスにおけるナチス時代の美術品来歴調査への関心が高まる中で浮上した。2021年、チューリッヒ美術館は、武器商人エミール・ビュールレのコレクションを中心とする展示室を開設。しかし、一部作品について、ナチスによる迫害下でユダヤ人が手放した可能性や来歴調査の不十分さが指摘され、再調査が進められている。2024年に公表されたビュールレ・コレクションに関する報告書では、ゴッホの《農婦の頭部》(1885)がシュヴァイツァーの旧蔵品だったことが判明し、「迫害による喪失の可能性を排除できない」と結論づけられていた。

ナチス時代におけるスイスの役割を研究してきたバーゼル大学の歴史学者ゲオルク・クライスは、バイエラー財団が、唯一の相続人であるアメリカ在住のシュヴァイツァーの孫と現在の所有者との仲介役を担うべきだと指摘する。

クライスはアートニュースペーパーに対し、この水彩画について「強い疑惑がつきまとっており、市場で売却することは難しくなるだろう」と述べ、こう見解を示した。

「双方の合意による解決を進めるには、シュヴァイツァーがナチス迫害によって作品を失った事実を認める必要がある。そして、形式的な謝罪ではなく、一般的な慣行に沿った補償が相続人に支払われるべきだ」

(翻訳:編集部)

from ARTnews

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