セザンヌの水彩画に「ナチス略奪」疑惑──スイスで問われる来歴調査の限界
- TEXT BY DANIEL CASSADY
スイス・バーゼルのバイエラー財団美術館の企画展で展示されていたセザンヌの水彩画をめぐり、ナチス迫害から逃れたユダヤ系実業家の旧蔵品だったことを示す資料が見つかった。所有権の移転経緯は不明で、来歴研究者は「迫害下で失われた可能性が高い」と指摘している。

スイス・バーゼルのバイエラー財団美術館で開催されていたセザンヌ展に出品された水彩画1点について、ユダヤ人の所有者がナチスによる迫害の中で失った作品である可能性が浮上した。ある来歴研究者が、元所有者の遺族側からの依頼で行った調査により発覚した。
バーゼルの公文書館に眠っていた証拠
来歴問題が浮上しているのは、ポール・セザンヌの《サント・ヴィクトワール山(La Montagne Sainte-Victoire)》(1888頃)。この作品は、今年1月25日から5月25日まで同館で開催された展覧会「CEZANNE」に出品されていた。展覧会カタログでは、貸し出し元は「個人コレクション」とのみ記載されている。

この作品を調査している来歴研究者のヴィリ・コルテは、アートニュースペーパーの取材に対し、バーゼルの公文書館で重要な資料を発見したと明かした。資料によると、ナチス政権によるユダヤ人迫害が急速に強まっていた1935年、ベルリンからパリへ亡命したユダヤ系実業家グスタフ・シュヴァイツァーが、この水彩画を1936年にスイスのクンストハレ・バーゼルで開催された展覧会に貸し出していたことが確認されたという。
コルテが精査した書簡によれば、展覧会終了後、シュヴァイツァーは同館の学芸員に作品の保管と売却先探しを依頼していた。作品はシュヴァイツァーの費用負担で修復も行われたが売却には至らず、1939年にパリにいた秘書のもとへ返送された。その後の作品の所在や所有権の移転経緯は不明のままとなっている。
シュヴァイツァーは1939年、出張先のマニラで心臓発作により死去した。秘書だった女性は1942年にパリでナチスに拘束され、その1週間後にアウシュヴィッツで殺害された。妻は1938年にアメリカへ逃れている。
研究者はバイエラー財団に仲介を要求
こうした経緯からコルテは、「《サント・ヴィクトワール山》は、シュヴァイツァーがドイツから逃れたあと、強制的に売却させられたか、あるいはナチス占領地域で略奪された可能性が高い」と指摘。バイエラー財団に対し、作品を貸主へ返却するだけでなく、「公正かつ正当な解決」に向けて積極的に関与するよう求めた。
これに対し同財団はアートニュースペーパーを通じ、貸主に申し立ての内容を伝えた上で作品を返却すると表明。これは、スイスの美術館には法的根拠なしに作品を差し止める権限がないためだとしている。また同館は、常設コレクションとは異なり、企画展への貸出作品について同等の水準で来歴調査を行うことは難しいと説明した。さらに、この水彩画は、ナチス時代に略奪・強制売却された美術品情報を公開するドイツの公式データベース「ロスト・アート・データベース(Lost Art Database)」にも登録されていなかったと付け加えた。
スイスで巻き起こる美術品の来歴問題
今回の問題は、スイスにおけるナチス時代の美術品来歴調査への関心が高まる中で浮上した。2021年、チューリッヒ美術館は、武器商人エミール・ビュールレのコレクションを中心とする展示室を開設。しかし、一部作品について、ナチスによる迫害下でユダヤ人が手放した可能性や来歴調査の不十分さが指摘され、再調査が進められている。2024年に公表されたビュールレ・コレクションに関する報告書では、ゴッホの《農婦の頭部》(1885)がシュヴァイツァーの旧蔵品だったことが判明し、「迫害による喪失の可能性を排除できない」と結論づけられていた。
ナチス時代におけるスイスの役割を研究してきたバーゼル大学の歴史学者ゲオルク・クライスは、バイエラー財団が、唯一の相続人であるアメリカ在住のシュヴァイツァーの孫と現在の所有者との仲介役を担うべきだと指摘する。
クライスはアートニュースペーパーに対し、この水彩画について「強い疑惑がつきまとっており、市場で売却することは難しくなるだろう」と述べ、こう見解を示した。
「双方の合意による解決を進めるには、シュヴァイツァーがナチス迫害によって作品を失った事実を認める必要がある。そして、形式的な謝罪ではなく、一般的な慣行に沿った補償が相続人に支払われるべきだ」
(翻訳:編集部)
from ARTnews
1. クロード・モネ《La Grenouillère(ラ・グルヌイエール)》(1869年)
パリ近郊のセーヌ河畔にある水浴場で憩う人々を題材とした《ラ・グルヌイエール》は、パリに住むブルジョワ階級の人々が余暇を楽しむ様子を鮮やかに捉えている。制作されたのは印象派が正式に発足する5年前だが、そこには印象派の萌芽が見て取れる。この場所でモネとイーゼルを並べ、戸外制作を行った友人のピエール=オーギュスト・ルノワールもこれとよく似た絵を描いている。
Photo: Collection of the Metropolitan Museum of Art, New York
2. ピエール=オーギュスト・ルノワール《La Grenouillère(ラ・グルヌイエール)》(1869年)
ルノワールもモネの《ラ・グルヌイエール》と同じ場面を絵にしているが、その視点は少し異なる。モネが水面に反射する光を表現することに主眼を置いているのに対し、ルノワールは水辺で社交に興じる人々に焦点を当てているように見える。
Photo: Collection of the Nationalmuseum Sweden, Stockholm, Sweden
3. アルフレッド・シスレー《La Seine à Port Marly(ポルト・マリーのセーヌ川)》(1875年)
パリに住む裕福なイギリス人家庭に生まれたシスレーは、アマチュアとして絵を描き始めたが、家族が財産を失ってからは絵の収入で生計を立てるようになった。彼がこの作品で描いているセーヌ川は、パリジャンたちが週末に訪れる行楽地ではなく、平日に労働者が行き交う場所だ。当時、この作品を見た評論家のエルネスト・シェノーは、「戸外に身を置いたときの身体的感覚を呼び覚ますという点で、これまでに描かれたどの作品よりも優れている」と絶賛した。
Photo: Collection of the Art Institute of Chicago
4. クロード・モネ《Les déchargeurs de charbon(石炭の積み下ろし)》(1875年)
モネのこの作品は、上述のシスレーの絵と同じく、しかしより直接的に、産業革命がもたらした変化を暗示している。セーヌの河岸に係留されたいくつもの艀(はしけ)から石炭を陸揚げする労働者たちが近景に描かれ、遠くには工場が石炭を燃やした煙を吐き出す様子が見える。モネをはじめとする印象派の画家たちは大気中でさまざまに表情を変える光の効果に魅了されていたが、この絵はその多くが公害による大気汚染から生み出されていたことを思い起こさせる。
Photo: Collection of the Musée d’Orsay, Paris
5. エドゥアール・マネ《Le chemin de fer(鉄道)》(1873年)
印象派と多くの共通点を持ちながらも、マネは印象派展で作品を発表することはなく、アカデミーが主催する公式のサロン展に出品し続けた。とはいえ、印象派の画家たちと同様、彼の作品の多くは、この絵のように人間同士の関係性に焦点を当てている。ここでは紺色の服を着た女性と後ろを向いた少女が、車両基地の鉄柵の前にいる。彼女たちがどんな間柄なのかはわからないが、すぐそばにいるにもかかわらず、2人の間に心理的な距離があるのは明らかだ。これは、急速に変化する都市における不安定な人間関係のメタファーなのかもしれない。
Photo: Collection of the National Gallery of Art, Washington D.C.
6. エヴァ・ゴンザレス《Une loge aux Italiens(オペラの桟敷席)》(1874年)
マネに師事したゴンザレスは、師と同様にサロン展で作品を発表していた。その一方で、印象派の画家の間で人気の主題だった劇場を舞台にした絵も描いている。この絵では、劇場のボックス席から遠くを見つめる女性と、彼女の頭越しに画面の外の何かに目をやる男性が描かれている(モデルは妹のジャンヌ・ゴンザレスとその夫アンリ・ゲラール)。上で紹介したマネの《鉄道》と同様、2人の人物の関係性は意図的に曖昧にされているのが特徴だ。また、女性のブレスレットや髪に挿した花、脇に置かれた花束などのディテールは、マネの《オランピア》(1863)を想起させる。
Photo: Collection of the Musée d’Orsay, Paris
7. メアリー・カサット《In the Loge(オペラ座の黒衣の女)》(1878年)
この絵では、凛とした風情の女性がオペラグラスで観劇をしている。しかし彼女は、離れた席にいる男性客から自分が観察されているのに気付いていない。カサットは2人の視線を巧みに用いて、19世紀のパリにおける女性の社会的立場を表現している。パリを拠点にしていたアメリカ人画家のカサットは、印象派展に出品していたわずか3人の女性のうちの1人だった。
Photo: Collection of the Museum of Fine Arts, Boston
8. クロード・モネ《Boulevard des Capucines(カピュシーヌ大通り)》(1873-74年)
モネは、写真家のナダールのスタジオ(1874年春に第1回印象派展が開かれた場所)の窓からこの景色を描いた。絵の中では、急速に近代化するパリの様子と、加速していく日常生活のリズムが生き生きした筆遣いで表現されている。
評論家のエルネスト・シェノーは、当時モネの作品を見て多くの人々が抱いたであろう感想を代弁するように、こう評している。
「離れて眺めると、人々が行き交う街の活気を捉えた傑作だと思える。だが近づいてみると全ては雲散霧消し、パレットの上でかき混ぜられた絵の具の解読不能な混沌だけが残る。これは明らかに芸術の最終形態ではないし、この作品の最終形態でもないだろう。このスケッチをもとに作品を完成させる必要がある。しかし、注意深く耳を傾ける者は、遥かな未来へと響き渡る号砲をここから聞き取ることだろう」
Photo: Collection of the Metropolitan Museum of Art, New York
9. ナダール《Façade de l’atelier de Nadar, 35, Boulevard des Capucines(ナダールのスタジオの外観、カピュシーヌ大通り35番地)》(1861年頃)
後に印象派として知られるようになった画家・彫刻家・版画家協会が、1874年に初めて展覧会を開いた建物の外観を写したナダール(本名ガスパール=フェリックス・トゥールナション)の作品。マネの友人だったナダールは、その仲間たちが初めての展覧会を開くのに一肌脱ぎ、スタジオとして使っていた場所を会場として貸し出した。風刺画家だったナダールは、1853年に写真を撮り始め、翌年には肖像写真のスタジオを開いている。写真という新しいメディアは、印象派の画家たちとともに発展し、彼らに大きな影響を与えた。
Photo: Collection of the Bibliothèque nationale de France, Paris
10. カミーユ・ピサロ《Gelée blanche(白い霜)》(1873年)
印象派運動に大きな貢献をしたピサロは、年下の印象派の画家たちの導き手でもあった。田園生活に魅了されていたピサロがこの絵に描いたのは、木々の影が斜めに落ちる中、薪を担いだ男が霜に覆われた畑を踏みしめて歩いている様子だ。当初、この作品は批評家たちから「散々な出来」だと酷評されたが、今では光と大気を見事に捉えた作品として称賛されている。
Photo: Collection of the Musée d'Orsay, Paris
11. ギュスターヴ・カイユボット《Rue de Paris, temps de pluie(パリの通り、雨)》(1877年)
カイユボットの代表作であるこの絵は、変貌しつつある19世紀末のパリの都市風景を鮮やかに捉えている。カイユボットは、この絵に描かれた場所の近くで育ったが、当時そこは人家もまばらな丘陵地帯で、道も狭かった。しかし、1870年代までに古い建物は取り壊され、道路も拡張された。この地域が遂げた変化の最後の仕上げと言えるのが、傘をさして散歩する粋な装いの男女──つまり、この時代に急増したブルジョワ階級の人々だ。この絵は、カイユボット自身が企画した1877年の第3回印象派展に出品され、好評を博している。
Photo: Collection of the Art Institute of Chicago
12. エドガー・ドガ《Femmes à la terrasse d’un café le soir(夕暮れのカフェテラスの女性たち)》(1877年)
モノタイプ版画の上にパステルで彩色されたこの作品で、ドガは日が暮れた後に大勢の人々で賑わうパリのカフェの情景を捉えている。戸外で制作することが多かった同時代の画家たちとは異なり、ドガは社交場での人間模様を描くことを好んだ。ここでは、カフェのテラス席に座る女性客たちに焦点を当てながら、後景にナイトライフを楽しもうと道を行き交う人々を描いている。
エドガー・ドガ《Femmes à la terrasse d’un café le soir》(1877) Photo: Collection of the Musée d’Orsay, Paris
13. ベルト・モリゾ《Jeune femme de dos à sa toilette(化粧室で身支度をする若い女性)》(1875-80年)
印象派の数少ない女性メンバーの1人だったモリゾは、鏡の前で身支度をする女性の何気ない姿をこの絵で描いている。絵の中の女性が鑑賞者に背を向けていることで、私的な場面であることが強調されているのが特徴的だ。モリゾは画家としてだけでなく、モデルとしてもポーズの巧みな使い方を心得ていた(マネのモデルを何度も務めたモリゾは、彼の弟ウジェーヌと結婚している)。この絵は1880年に開催された第5回印象派展に出品され、高く評価された。
Photo : Collection of the Art Institute of Chicago
14. エドゥアール・マネ《Un bar aux Folies Bergère(フォリー・ベルジェールのバー)》(1882年)
マネの最後の傑作とされる《フォリー・ベルジェールのバー》は、当時人気を博していた娯楽施設のバーで働く女性を描いている。彼女の周りに並んでいるのは、飲み物やオレンジなど、人々が楽しみのために消費するものだ(オレンジが入ったガラス鉢は、彼女が娼婦でもあることを示す暗号だという研究者もいる)。女性の背後にある鏡には、流行の服を身につけてバルコニー席に集う人々と、バーのそばに立つシルクハットの男性が映っている。鏡に映る後ろ姿からは真面目に接客しているように見えるが、正面から見た女性は心ここに在らずといった様子で、謎めいた表情をしている。
Photo: Collection of the Courtauld Gallery, London.
15. エドガー・ドガ《Dans un café(カフェにて)》(1875-76年)
この絵では、浮かない表情の男女が、満杯のグラスが置かれたカフェのテーブルで隣り合わせに座っている。下を向いている女性の目はうつろで、男性は彼女から視線を逸らし、宙を見つめている。おそらく彼らは酔っているのだろう。ドガは夕暮れのカフェを描いた作品(12.で紹介)で都市の賑わいを活写しているが、一転してこの絵では都市に生きる人々が味わう疎外感を表現しているようだ。その様子があまりに生々しく真に迫っているため、絵のモデルになった女優と画家が本物のアルコール中毒だと信じ込む人が後を絶たず、ドガはそうした事実はないとする公式声明を出すはめになった。
Photo: Collection of the Musée d’Orsay, Paris
16. ポール・セザンヌ《La Maison du pendu Auvers-sur-Oise(首吊りの家、オーヴェル=シュル=オワーズ)》(1873年)
一般にはポスト印象派だとされるセザンヌだが、印象派展にも二度参加し、ピサロやモネ、ルノワールと親しく付き合っていた。この作品のタイトルは物々しいが、絞首刑になった男の家を描いたと言われている。オーヴェル=シュル=オワーズの家々の屋根に光が反射する様子を捉えたこの絵は、彼が印象派の画家たちに影響を受けていたことを示している。
Photo: Collection of the Musée d’Orsay, Paris
17. ジョルジュ・スーラ《Un dimanche après-midi à l'Île de la Grande Jatte(グランド・ジャット島の日曜日の午後)》(1884年)
新印象派という新たな様式を確立したスーラのこの作品は、最後の印象派展に出品された。人々で賑わう公園の風景は、スーラが得意とした点描画法で描かれている。違う色同士を細かい点として密に並べると、遠目には別の色に見える効果を用いたこの画法は、色彩理論や視覚認識などの科学的研究を応用している。
Photo: Collection of the Art Institute of Chicago
18. クロード・モネ《Nénuphars et Pont japonais(睡蓮と日本の橋)》(1899年)
画家として商業的成功を収めたモネは、家族とフランスの田舎町ジヴェルニーに移り住み、やがてそこで土地を購入した。彼は家の壁に日本の版画を並べ、見事な庭を造り上げ、それを題材にたくさんの絵を描いている。この絵は、1899年にモネがアーチ型の橋と睡蓮の池の風景画を同じ視点から描いた12枚の連作の1枚。
Photo: Collection of the National Gallery, Washington, D.C.