展覧会にはいくらかかる? 「見えない労働」を可視化するMITの野心的グループ展
展覧会の予算をあえて公開し、資本主義社会で見えなくされてきた労働や依存関係を問い直す──アート界そのものに鋭い眼差しを向ける、マサチューセッツ工科大学(MIT)リスト・ビジュアル・アーツ・センターで開催されたグループ展をレビューする。
MITリスト・ビジュアル・アーツ・センターで今春開催されたグループ展、「Performing Conditions: Artistic Labor and Dependency as Form(実行の条件:美術労働と依存関係の形)」は、冒頭から一風変わっていた。会場に入ってすぐの壁にはレシートのような表があり、アーティストへの謝礼や輸送、設営費用など、項目別に整理された展覧会の経費が列挙されていたのだ。ちなみに、28組の謝礼総額は、まずまずの2万5000ドル(約395万円)だ。梱包物の固定作業費は1100ドル(約17万4000円)と格安で、プラスチックや装飾・看板等の設営素材は1925ドル(約30万4000円)だった。
しかしそこからの展示は、金銭を超えたコストへと一気に視野が広がっていく。この展覧会が光を当てたのは、開催にかかる費用だけでなく、資本主義社会で計上されない「ヒューマンコスト」だ。参加アーティストたちは、他者に何も借りのない人はいないことをその作品で浮き彫りにしているが、資本主義はそうした人間の相互依存関係──生命を維持し、世代をつないでいく労働──を見えなくしてしまう。

見逃されがちな相互依存関係を可視化する
不可視化された労働の担い手にはジェンダーや人種の偏りがあり、それゆえに軽んじられがちになる。この展覧会中、最も早い時期に制作されたブロンデル・カミングスの《Chicken Soup(チキンスープ)》(1988)は、キッチンで働く黒人女性の何気ない動きをもとにした1981年のパフォーマンスを映像化した作品だ。
このポストモダンなパフォーマンスでカミングスは、ブライアン・イーノ、コリン・ウォルコット、メレディス・モンクによる音楽(映像版では新たに編曲されたものが使われている)に合わせて、食料品の紙袋を揺らし、何かを包み、見えない材料を混ぜ合わせ、見えない糸を使って縫い物をする。その生き生きとした振り付けは日常の何気ない行為を魅惑的なものに変え、見る者の内に関心と敬意を呼び起こす。
「何も軋轢はない」という幻想を保つため、資本主義は人々の負い目を消し去ろうとするが、それを白日のもとに晒す作品もある。たとえば、カミングスの作品の隣に展示されているドレッド・スコットの《Slave Rebellion Reenactment Performance Still 1–6(奴隷の反乱を再現するパフォーマンスの記録写真1–6)》(2020)がそうだ。1811年に起きたアメリカ史上最大規模の奴隷による組織的な反乱を、スコットは約200年後にパフォーマンスとして蘇らせ、その様子を写真で記録した。その中には、ルイジアナ州「キャンサー・アレー(がん回廊)」(*1)の石油精製所が写っているものもあり、資本主義社会で連綿と続く人種差別の歴史を浮き彫りにしている。
*1 歴史的に黒人が多く住むミシシッピ川沿いで、約140kmにわたり石油精製所が並ぶ地域。深刻な環境汚染があり、住民のがん罹患率が全国平均に比べ著しく高いことからこう呼ばれている。

その近くの窓には、詰め物をした布で文字を作り、「IM SORRY MOM(ごめんなさい、ママ)」と綴った悲しくもコミカルな展示がある。オータム・ナイトによるこのインスタレーションは、今年4月に本展で演じられたパフォーマンスの関連作品だ。ナイトはそのパフォーマンスで母親役を演じ、観客を母親の誕生日を忘れてしまった子どもたちとして扱っていた。
返しきれないほどの負債や消し去れない負い目は確かに存在する。それでも、ナイトが求める「感謝」や、スコットが求める「償い」で、少しでも返済を試みることは何もしないよりましだろう。
アート界にも「見えない労働」がある
私たちは皆、互いに依存し合っているが、それは必ずしも悪いことではない。展覧会のチケットカウンターには、コンスタンティナ・ザヴィツァノスが設置した「take a penny, leave a penny” container(1セント持っていく/1セント置いていく)」(*2)のためのトレーがあり、古くからの持ちつ持たれつの精神を思い起こさせる。来場者は小銭を置くか取るかを自由に選べるが、この規模なら、手持ちがあるか、それを必要としているかで気軽に選択できる。
*2 店のレジのそばに置いてある硬貨用のトレーで、現金支払いの際にお釣りを残していったり、逆に少しだけ足りないときにそこから小銭を取って使ったりできる。
こうした負債や依存関係がアート界においても避け難く、かつ不可視化されていることを突きつけるように、壁面の解説文では「アートの自律性という幻想」が指摘されている。コンゴ・プランテーション労働者芸術連盟(CATPC: Cercle d'Art des Travailleurs de Plantation Congolaise)というコレクティブが手がけた映像作品《The Judgement of the White Cube(ホワイトキューブの裁判)》(2023)は、美術館というシステムが植民地を搾取することで築かれた富によって支えられてきたと訴え、遊び心たっぷりにホワイトキューブを法廷で裁いている。
目に見えない労働に言及した出品作の中には、うっかりしていると見逃してしまいそうなものもある。美術館の設営チームに向けた手順書を書き、ところどころで作業を完遂しないよう指示したジスレーヌ・レオンの作品もその1つだ。その指示通り、会場には壁から剥がされた過去の展覧会の残骸のようなものが床に散らばっていたり、石膏ボードに穴が開いていたり、汚れやほこりが溜まっていたりする箇所がある。また、近日刊行される図録にも、これと似た仕掛けが施されている。そこには館長の代わりにアシスタントが書いた序文が掲載される予定で、この業界でゴーストライティングが横行していることを仄めかしているのだ。

このグループ展のテーマやメッセージは、展示物そのものよりも、主に解説文や運営上の表示を通して伝えられるが、私自身はそうした手法に抵抗を感じない。読むのは好きだし、キュレーターのナタリー・ベルとラモナ・ニンの文章は簡潔で明快だからだ。たとえば、同じ恋人同士を描いたポスト印象派風の絵画が3点ある。これはSMの女王として活動するアーティストのリーバ・メイベリーの命令に従って彼女のしもべたちが描いたものだが、解説を読むまではそうと気づかない人もいるだろう。
さまざまな制約や依存関係が制作の原動力に
これまで見てきたことを踏まえ、再び冒頭の「予算表」を見てみると、そのメッセージはより深く響いてくる。この展覧会は、ある種の労働や負債、依存関係に対して私たちの社会が取る典型的な態度を批判し、それらが隠蔽されることでさらに不平等が助長されることに注意を促している。そしてこの表から分かる通り、この美術館が自らを批判の対象から外していないことが重要だ。
また、本展の一番の資金源が10万6006ドル(約1675万円)の寄付金で、その次が7万5000ドル(約1185万円)の年会費だという点にも注目すべきだろう。億万長者で構成される理事会の意向に大きく左右される美術館では、これほどまでにコンセプチュアルで資本主義に批判的な展覧会はなかなか開けないはずで、だからこそ大学の研究機関附属美術館は貴重な存在なのだ。「Performing Conditions」展はこれまで隠蔽されがちだった本質的なテーマを、巧みな視点で掘り下げている。

本展はパフォーマンスアートを軸としているが、作品によってはパフォーマンスそのものよりも、その痕跡や記録として提示されるほうが効果的なものもある。パフォーマンスという表現形式の特性上、それは当然のことだろう。ともあれ、ある種の労働が不可視化されていることを示すのがこの展覧会の重要なテーマの1つであり、どの作品からもそれが伝わってきた。
中でも印象的だったのは、ジョシュア・シュウェーベルとカミーユ=ゾエ・ヴァルクール=シノットの《The Employee(従業員)》(2018–25)のコンセプトだ。2人はカナダ芸術評議会の助成金を使ってパートタイムの助成金申請書作成者を雇い、そのプロセスそのものをアート作品にした。壁にはその過程で交わされたメールをプリントした紙が展示されていたが、それそのものより、助成金を使って助成金申請担当者を雇い、さらなる助成金を獲得するという、創作活動を支えるループを風刺してみせたこの作品のコンセプトの方がはるかに面白い。

だが、結局のところ、この助成金ループは無限ではなく、持続可能でもない。「私には『自分は一切の制約を受けるべきでない』というファンタジーがあります」と、ジスレーヌ・レオンは壁面の解説文で明かした。美術館に展覧会の経費を公開するよう促す指示書を書いたこのアーティストは、さらにこう述べている。
「そのファンタジーの中では、経済力や安定した雇用の必要性、良い母親であること、自分の身体、政治的な影響力など、さまざまな面での制約が障害として感じられます。しかし一方で、そうした制約や依存関係は、作品制作のリソースとして使うこともできるのです」
まさにそれこそが、レオンやこの展覧会のキュレーターたちがやってみせたことなのだ。(翻訳:野澤朋代)
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