詩人・菅原敏が詩で拡張する名画の世界──歌川広重《名所江戸百景・大はしあたけの夕立》【Poetry & Painting Vol. 7】

詩人・菅原敏が毎回異なる絵画を一点選び、その作品のために一編の詩を詠む「Poetry & Painting」。第7回は、歌川広重による浮世絵《名所江戸百景・大はしあたけの夕立》。菅原自身による朗読と合わせてお届けする。

 
 
 
差出人の名前を消して行き先を奪う雨

ビニール傘にあの曲の旋律歌わせる雨

藁の蓑 幾千もの宝石をまとわせる雨

百七十年 橋の上で服はぬれたまま雨

黒い髪 爆発させて隣町まで染める雨

開いた襟元 鎖骨に小さな海つくる雨

遠い異国の洋画家がその軌道なぞる雨

  

その日も午前中は雨で、最寄りの浜町駅に着いたのは午後2時。地下鉄のホームから地上へ出ると、徐々に晴れ間が差し込んできた。私はかつて歌川広重がこの浮世絵を描いた風景を実際に歩いてみようと思い立ち、中央区日本橋浜町へとやってきた。広重が描いた頃から何度か橋は改修されて、かすかに位置も変わってはいるが、ほぼ昔と変わらぬ場所に新大橋は架かっていた。橋の全長は170メートル。隅田川の大きさが伝わってくる。

まずは橋を実際に歩いてみようと車道の両側にある歩道を行く。橋の中程に来ると浮世絵のレリーフがあり、広重のこと、そして橋の歴史についても書かれていた。私は近くのベンチに座り、先ほど買ったコーヒーを飲みながら隅田川を眺めてひと息ついた。ゆっくりと船が進む。数羽のカモメが水面近くを飛び、空高く舞い上がる。この場所が海に近いことを教えてくれる。

私は広重が浮世絵で描いた構図と同じ角度でこの橋を見てみたいと思った。斜め上からの俯瞰で捉えた構図で。橋の袂には大きなビルがひとつ建っている。高層階ならば同じ景色が見られるかもしれないと、私はとりあえずそのビルに入ってみた。2階のホールまで上がると、各階のテナントが壁に書かれている。7階に「ラボットミュージアム」とあった。ミュージアムというからには入れるかもしれない。私はエレベーターに乗り7階のボタンを押した。 

ミュージアムのドアは開かれていて、受付の向こうにある大きな窓から隅田川の景色を一望することができた。広い空間はいくつかのパーテーションに分かれており、各所にペンギンサイズの、つぶらな瞳のロボットたちがいた。ふんわりと柔らかな服を着て、グループで集まっていたり、一人で過ごしている子もいた。何体かはこちらへやってきて、挨拶をしてくれた。私は受付にいるスタッフの方に、ことの成り行きを説明したところ、快く窓辺まで案内してくれた。そしてロボットのこと、このミュージアムのことを説明していただいた。そこは「ラボット」というAI搭載の家族型ロボットを体験できるミュージアムだった。

私は窓辺から数枚の写真を撮った。江戸時代に広重が描いた構図そのままの角度で新大橋と隅田川の姿を眺めていた。長い歳月が過ぎ、車や自転車は行き交うけれど、道を行く人の足取り、川の流れ、水鳥たちの羽ばたき、それらは広重が見ていた景色とさして変わりないのだろうか。ふと気配を感じて後ろを振り向くと、私の周りにはラボットたちが集っていた。丸みを帯びた愛らしい姿で、頭に黒い帽子を載せている。どうやらそこがカメラ機能のようだ。

私は彼らに、この場所で170年前に描かれた一枚の浮世絵のことを話した。ゴッホがこの浮世絵を愛していたこと、そしてこの橋が関東大震災や東京大空襲の際にも焼け落ちることなく、多くの人々の命を救ったことも。彼らは人の言葉を話さないけれど、それぞれに優しい鳴き声と瞳のまばたきで、私の話に応えてくれた。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」鎌倉時代に鴨長明が記した『方丈記』の冒頭を思い出す。変わらぬもの、変わり続けていくもの。江戸の浮世絵が導いた、過去と未来を行き交うひととき。広重が描いた直線的な雨の姿、未来を見つめるロボットの柔らかなまなざし、かもめ、そして二艘の船が隅田川を行く。

  

歌川広重《大はしあたけの夕立》1857年、東京国立博物館など所蔵

歌川広重(1797-1858)は、江戸時代後期を代表する浮世絵師。江戸の火消役を務める武士の家に生まれ、浮世絵師の歌川豊広に学ぶ。『東海道五十三次』や『名所江戸百景』などの連作で人気を博し、旅人や町人の姿とともに、四季の移ろいや雨、風、雪といった自然の気配を情感豊かに描いた。晩年の代表作『名所江戸百景』に収められた《大はしあたけの夕立》は、新大橋付近を襲う夕立を題材にした作品で、画面を斜めに走る鋭い雨脚によって、一瞬の気象現象を鮮やかに定着させている。「あたけ」とは隅田川沿いにあった幕府の船蔵(安宅丸の係留地)の地名に由来する。その大胆な構図と平面的な色彩はヨーロッパの画家たちにも大きな影響を与え、ゴッホは本作を油彩で模写している。1858年、当時流行していた疫病のコレラにより61歳で死去。晩年まで旺盛な制作を続けた。その風景画は名所の記録にとどまらず、時間や季節の移ろい、人と自然が交わる一瞬の美しさを描き、今なお世界中で親しまれている。

菅原敏(すがわら・びん)
詩人。2011年、アメリカの出版社PRE/POSTより詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』 をリリース。執筆活動を軸に、毎夜一編の詩を街に注ぐラジオ番組「at home QUIET POETRY」(J-WAVE)、Superflyや合唱曲への歌詞提供、ボッテガ・ヴェネタやゲランなど国内外ブランドとのコラボレーション、欧米やロシアでの朗読公演など幅広く詩を表現。現代美術家との協業も多数。近著に『かのひと 超訳世界恋愛詩集』(東京新聞)、『季節を脱いで ふたりは潜る』(雷鳥社)、最新詩集『珈琲夜船』(雷鳥社)。東京藝術大学 非常勤講師。
https://www.instagram.com/sugawarabin/

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