「インドのピカソ」の油彩が20億円で落札。近現代インド美術のオークション新記録を樹立
インド出身の画家、M. F. フセイン(1915-2011)が1954年に制作した絵画《Untitled (Gram Yatra)》が、クリスティーズ・ニューヨークのオークションで1380万ドル(約20億円)で落札。公開オークションにおける近現代インド美術作品の過去最高額を記録した。

3月19日にクリスティーズ・ニューヨークで開催されたライブオークション「South Asian Modern + Contemporary Art」で、「インドのピカソ」とも呼ばれるM・F・フセインの油彩《Untitled (Gram Yatra)》(1954)が、予想落札額250万ドルから350万ドル(約3億7000万円~5億2000万円)を大幅に上回る、手数料込み1380万ドル(約20億円)で落札された。2024年9月にも、クリスティーズ・ロンドンにフセインの絵画《Untitled (Reincarnation)》が出品されており、310万ドル(現在の為替で約4億6000万円)で販売されたが、その4倍以上の値が付いた。
今回の記録は、アーティストの最高額である上に、近現代インド美術作品のオークションレコードも塗り替えた。これまでの最高額は、2023年9月にムンバイで740万ドル(現在の為替で約11億円)で落札されたアムリタ・シェール=ギルの《The Story Teller》(1937)だった。予想落札額の最高額としては、2024年3月にサザビーズに出品されたS・H・ラザの1959年の絵画《Kallisté》の200万~300万ドル(同・約3億円~4億5000万円)であり、この作品は560万ドル(同・約8億4000万円)でハンマーが下ろされている。
アートネットによると、M・F・フセインは1915年にインドのボンベイ州パンダルプール(現在のマハラシュトラ州)に生まれて主に独学で絵を学び、ムンバイで映画の看板を描いて生計を立てていた。その後、S・H・ラザらと共に、プログレッシブ・アーティスト・グループの創設メンバー6人のうちの1人に招かれる。 1952年に初めて中国を訪れ、徐悲鴻や斉白石といった著名な芸術家と出会った。その影響は《Untitled (Gram Yatra)》にも見て取れる。
翌年にはヨーロッパに滞在し、パウル・クレー、アメデオ・モディリアーニ、パブロ・ピカソといった巨匠たちの作品に触れた。フセインの作品に登場する魚は、クレーの描いた動物たちを彷彿とさせ、顔や風景のキュビズム的な表現はピカソを思わせる。だが、フセインのその後の作品は、ヒンドゥー教の神々のヌード描写などで国内に論争を巻き起こし、2006年から2010年に死去するまで国外追放の身だった。また、画家であると同時に映画監督でもあった彼は、1967年に『画家の見た世界』でベルリン映画祭の金熊賞を受賞している。

《Untitled (Gram Yatra)》は幅4.3メートルの超大作で、インド独立から5年後の1954年に制作された。同作について、クリスティーズの南アジア近現代美術部門ニューヨーク責任者ニシャド・アヴァリは、「私のキャリアの中で間違いなく最も重要な作品の一つ」と評し、「インドの独立を目の当たりにしたフセインと彼の仲間たちが『現代インド人アーティストであるとはどういうことか』を模索していた時期に描かれており、非常に注目に値する作品です」と説明した。
同作は13の場面に分けられており、それぞれにインドの村の人々の暮らしが描写されている。フセインは作品を通して、新しい国家として前進するための基盤として、インドにおける村落や農村生活の重要性を訴えた。アヴァリはまた、そのうちの1場面に、唯一の男性像として鍬を持った農夫を描いていることを指摘した。これは一種の自画像であり、他の風景にまたがるようにして描かれている。アヴァリは、「これは文字通り、インドの大地を支え、守る者としての農夫の肖像なのです」と述べた。
《Untitled (Gram Yatra)》はかつて、ノルウェーの外科医で個人美術コレクターのレオン・エリアス・ヴォロダルスキーが所有していたが、彼もまた波乱万丈な生涯を送った。第2次大戦中にはスウェーデン、ロンドンを転々とし、靴磨きや新聞売りで生計を立てながら、ノルウェーの首相ヨハン・ニーガード・ヴォルドの担当医にまで上り詰めた。ノルウェー放送協会によると、彼は1954年に世界保健機関(WHO)のチームを率いて胸部外科手術のトレーニングセンターを設立するためにインドに派遣され、ニューデリーの画廊で、当時ほとんど無名だったフセインの絵画を現在の貨幣価値では17ドル(約2500円)にも満たない1400ルピーで購入したという。ヴォロダルスキーの死後、遺産は1964年にオスロ大学病院に寄贈された。
13年前、オスロ大学病院が《Untitled(Gram Yatra)》についてクリスティーズに最初に連絡した際、アヴァリは自分のチームが「すぐに飛行機に乗りましょう」と色めき立ったと語った。当時、フセインの名声はすでに確立されていた上に、70年間大学病院の研究室の廊下に飾られて一般公開されていなかった作品だからだ。
出品までには、オスロ大学病院の理事会から許可を得るなど様々な準備が必要だったため、長い年月を要した。クリスティーズ側にとっては、3月19日にようやくオークションを迎えることができた形だ。アヴァリは、今回の結果を、「これは画期的な瞬間であり、南アジアのモダンアートおよび現代美術市場の驚異的な上昇傾向を継続するものです」と喜んだ。そして、「本当に嬉しいのは、オークションの収益がヴォロダルスキー博士の名を冠した医師のトレーニングセンター設立に使われることです」と付け加えた。(翻訳:編集部)
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