消えたバンクシー作品の謎──超高額作品の行方を知るのはメトロポリタン美術館の元警備責任者?

2005年3月13日、メトロポリタン美術館の開館時間中にやってきたトレンチコートの男が、無断で絵を飾って立ち去った。誰あろう、それは覆面アーティストとして世界を驚かせ続けるバンクシーだった。しかし、その絵の行方は謎に包まれている。

ニューヨークのメトロポリタン美術館(2022年撮影)Photo: hapabapa/gettyimages

バンクシーというと、一夜にして街の壁面に意味深な絵を残すストリートアーティストというイメージが強いだろう。しかし2000年代前半、そのゲリラ的な活動は美術館の館内でも行われていた。それは、有名美術館で「勝手に作品を飾る」という大胆な行為で、特に2005年3月13日に起きた事件は、彼の名が世界に広まる大きなきっかけとなっている。

この日、メトロポリタン美術館(MET)のアメリカンウィングに3人の男がやってきた。うち2人が口論を始めて警備員の気をそらす間、帽子に付け髭、トレンチコートで変装した男が、ガスマスクを装着した女性の肖像画を壁に両面テープで固定。その横には、「バンクシー、1975年、《Last Breath(最後の息)》、木板に油彩、作家による寄贈」と書かれた白いラベルが貼られていた。

バンクシーは同日、ニューヨークでさらに3つの美術館に作品を飾っている。ニューヨーク近代美術館(MoMA)はアンディ・ウォーホルを思わせるトマトスープ缶の絵(イギリスの大手スーパーTESCOのロゴ入り)、ブルックリン美術館は赤い上着でスプレー缶を持つ植民地時代の男性の肖像(背景にはピースマークとNO WARの文字がある)、そしてアメリカ自然史博物館には、戦闘機の翼とミサイル、衛星アンテナを持つテナガカミキリのガラスケース入り標本が残された。同博物館は後日この作品を取得し、科学・教育・イノベーションセンターに展示している。

ちなみにバンクシーは、2003年にテート・ブリテン、2004年にルーブル美術館とロンドンの自然史博物館、2005年秋には大英博物館でも無断で作品を掲示した。ルーブル美術館の顔がスマイルマークになったモナリザは記憶にあるかもしれない。

@banksyblogによる動画。各美術館で作品を飾る様子が収められている。

話をMETに戻そう。ガスマスクを付けた女性を描いた新古典主義風の小ぶりな肖像画に気づいた警備員が絵を撤去したのは、3人の男が立ち去って10分ほどのことだった(ブルックリン美術館では3日後、MoMAでは4日後まで気づかれなかった)。しかしその後、肖像画はどうなったのか。その謎を解く鍵を握ると見られるのが、当時METで警備部門の責任者だったジョン・バレリだ。

バレリはMETの警備部門に38年間勤務し、2001年から16年までは部門長を務めた。退職後の2019年、彼は在職中の経験を回想した『Stealing the Show: A History of Art and Crime in Six Thefts(展覧会を盗む: 6つの窃盗事件に見る美術と犯罪の歴史)』を出版。バンクシーの一件にも触れているが、《Last Breath》の行方は明かされていない。そのバレリに、近頃ニューヨーカー誌がインタビューを行った。

同誌によると、通常こうした品は廃棄されるか、何らかの形で手放されていた。METに自作を掲示した人物はバンクシー以外にもいたらしいが、この手のものは遺失物として扱われず、したがって持ち主に返還されることはないからだ。一方、バンクシーは肖像画を取り戻そうとしたという。「約1カ月後に、彼が絵を返してほしいと言っていると法務部から電話があった。でも、それはできない相談だ。捨ててしまったから」。バレリはこう説明したが、それは事実ではなかった。

バレリの話では、絵をオフィスに持ち帰り、今は故人となった当時のアシスタントに処分するよう伝えたが、このアシスタントは「分かった」と答えたものの、指示通りにせず、そのまま放置していたという。しかしMETの広報担当者が確認したところによると、《Last Breath》は同美術館の所蔵品になっていない。美術関連の法律に詳しい専門家は、このケースの所有権は判断が難しいとしている。仮に上司が捨てろと言った絵を、家に飾る場所があるからと持って行ったとしても、それ自体は違法ではないが、金銭的価値が上がれば話は変わってくるという。

その後バンクシーの絵に何が起きたか、バレリは「どこにあるか知らない」と言ったり、退職時に「持って行った」と言ったり、話が一貫しない。さらには、「もしお金が必要になったら、それで何かするかもしれない」とも付け加えている。

2005年当時、バンクシーの名はまだ一般に浸透していなかったが、今なら《Last breath》には途方もない値が付くだろう。同じ2005年に制作されたバンクシーの《Sunflowers from Petrol Station(ガソリンスタンドのひまわり)》(カンバスに油彩)は、2021年11月のクリスティーズオークションで、1455万ドル(当時の為替レートで約16億4000万円)で落札されている。

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