アンジェリーナ・ジョリーがバスキア元住居を無償提供。「創造を皆に開放する」アートスペースに

アンジェリーナ・ジョリーが手がけるブランドの販売店舗としてオープンしたアトリエ・ジョリーが、アーティストや知識人、多様なクリエイターたちが集う場へと変化を遂げた。2階建てのこの建物は、かつてバスキアが住居兼スタジオとして使っていた場所。「アートをより身近なものに」という彼女の願いが反映されている。

サンタバーバラ国際映画祭に参加したアンジェリーナ・ジョリー。Photo: JB lacroix/FilmMagic
サンタバーバラ国際映画祭に参加したアンジェリーナ・ジョリー。Photo: JB lacroix/FilmMagic

俳優、映画監督、人道支援活動家など、多岐にわたる活動で知られるアンジェリーナ・ジョリーがマンハッタンの建物に自身のクリエイティブ・ベンチャー、アトリエ・ジョリーをオープンしてから1年以上が経つ。この建物は、かつてアンディ・ウォーホルが所有し、1983年から1988年に亡くなるまではジャン=ミシェル・バスキアが住居兼スタジオとして使っていた。グラフィティで覆われた外壁は、バスキアとともにSAMO©として活動していたアル・ディアスによって保存・修復されている。ジョリーはここに入居した当初、自身が手がけるファッションブランドの店舗兼デザイナー育成の場として活用していたが、その方針を転換し、今後はアーティストや知識人、クリエイターたちが集うための場として提供するという。

ジョリーは運営方針を変えた理由に、「数カ月おきに新しいファッションアイテムを買う必要がある、と発信するのは間違っている」と感じたことを挙げている。ファッション業界における大量生産、大量消費、そして大量廃棄による環境負荷に懸念を示す彼女は、ニューヨークの都心部において、より希少価値の高いコンテンツを発信することの重要性を感じたという。

アトリエ・ジョリーの外観。Photo: Kena Betancur/VIEWpress

現在アトリエ・ジョリーは、彼女が掲げる「アートをより身近なものにしたい」というビジョンのもと、再開発により移転を余儀なくされたブルックリンの老舗ギャラリーに無償で貸し出されている。ほかにも、アートシーンや地域社会に貢献するべく、アーティスト・イン・レジデンスプログラムも提供しており、現在はフランスのアーティスト、プルーン・ヌーリーが2階のスタジオに2年ほど滞在し、制作活動を行っている。ヌーリーは、ヒジャブの付け方を理由にイランの道徳警察に拘束されたのち、急死したマフサ・アミニの事件に対する抗議活動「#WomanLifeFreedom」との連帯を示すべく、「Strand for Woman」と題したアートプロジェクトを展開している。アトリエ・ジョリーの展示スペースでも、アフガニスタンの女性アーティストたちとのグループ展を開催しているほか、地下1Fでは、世界各地、様々なアイデンティティの人々から集められた髪の毛で構成される展示を行っている。3月22日にはその一環として、ヌーリートイラン人アーティスト、シリン・ネシャットとの対談も行われた。

ニューヨーク・タイムズ紙の取材に対してジョリーは、「創作という行為は、誰もがアクセスできるものであるべき」と述べ、場所の無償提供を通じて、アーティストたちの創造活動を支援したいという思いを語った。アートをよりアクセシブルにするという人道支援活動家ジョリーの意志の元、今後、ここでどういった展覧会が開催されるのか、注目したい。

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