「洗練され、意図的で、複雑」──庭園が表象する歴史や人間と自然の関係性を捉えた企画展をレビュー

昨年11月、アメリカ東部にあるアルドリッチ現代美術館の彫刻庭園がリニューアルオープン。それを記念したグループ展が開催されている(4月12日まで)。この展覧会に並ぶのは、過去から現在に至る人間と庭の関係を問いかける作品だ。その中から6つの作品を紹介しよう。

ケリー・アカシ《Heirloom》(2022)。タイトルのheirloomには、「在来種」と「家宝」の両方の意味がある。Photo: Paul Salveson
ケリー・アカシ《Heirloom》(2022)。タイトルのheirloomには、「在来種」と「家宝」の両方の意味がある。Photo: Paul Salveson

人間と周囲の環境との関係について、どんな形のアートよりも特異で実体のある洞察を与えてくれるのは、おそらく庭園だろう。著名な庭園史家のジョン・ディクソン・ハントは、庭について「洗練され……意図的で……文化と自然が入り混じった複雑なもの」と表現している。それは、ルイ14世が築いたヴェルサイユ宮殿のように、土地に対する絶大な権力を誇示する場である一方、アメリカ南部の奴隷たちが自給自足のすべとした菜園のように、抵抗のための空間でもあった。

そんな庭園をテーマにした展示が、アメリカ・コネチカット州リッジフィールドのアルドリッチ現代美術館で開催された(屋内展示は終了。野外展示は2026年4月12日まで開催中)。「A Garden of Promise and Dissent(希望と不調和の庭)」と題されたこの企画展は同館の彫刻庭園のリニューアルオープンを記念したグループ展で、庭園の持つ幅広い歴史を、一見相反するように感じる要素を意図的に盛り込みながら提示している。

作品が示唆する植民地支配の歴史や植物の人為的操作

たとえば、レイチェル・ダンの《Seedling Carrier(種苗の運搬箱)》(2019)は、地球規模で自然をコントロールしようとする人間の試みをテーマにしている。ヨーロッパの列強が植民地拡大を目論んだ18世紀、当時の技術革新によって長期間の航海でも植物を枯らさずに輸送できる容器が登場した。その歴史に着想を得たこの作品では、木の台に乗ったアルミニウムのケージに植物がからみつき、その中には割れた植木鉢が置かれ、周囲にはセラミックでできた種のさやが散乱している。木の台以外は幽霊を想起させるような白一色で、細心の注意を払った運搬が失敗し、多くの植物が枯死してしまったことを暗示している。

一方、南米ガイアナ生まれのアーティスト、スチトラ・マッタイの作品《the intrepid garden(恐れを知らない庭園)》(2023)は、異なる角度から海をまたいだ交流を考察している。この作品では、着古したサリーで作ったタペストリーにいくつかの大きな穴が開けてあり、そこから壁に設置された棚が覗く。棚には、自然との調和という牧歌的ファンタジーを象徴するヨーロッパの置物をモチーフにした小さな彫刻が並べられている。タペストリーの鮮やかな色彩と対照的な白さがまばゆい彫刻は、どこかセンチメンタルなイメージで、ガイアナにイギリスの植民地主義が残した負の遺産を思い起こさせる。彫刻が塩を固めて作られているのは、植民地主義が避けて通れなかった海洋航海を示唆するためだ。ガイアナではまた、奴隷制の廃止後、マッタイの先祖でもあるインドからの契約労働移民などによってサトウキビが栽培された。そうした大規模なプランテーションによるガイアナの土壌劣化についても、この作品は含みを持たせている。

ジル・マギド《A Model for Chrysanthemum Stem Elongation where y is 52”》(2023) Photo: Kevin Todora, Courtesy The Warehouse
ジル・マギド《A Model for Chrysanthemum Stem Elongation where y is 52”》(2023) Photo: Kevin Todora, Courtesy The Warehouse

より現代的で商業的な自然操作の試みをテーマにしているのが、花の茎の長さを市場の需要に合わせて最適化するのに用いられるリチャーズ成長関数をヒントにしたジル・マギドの作品だ。《A Model for Chrysanthemum Stem Elongation where y is 52"(菊の茎の伸長モデル yは52インチ)》(2023)と名付けられた作品は、52インチ(約132センチメートル)の高さに伸びた菊の花を模している。52インチは菊の茎が成長できる最大値であり、花の価値を決める尺度でもある。ネオンがまばゆい光を放つこの彫刻は、切り花市場の人工性を際立たせている。

庭園が人に与える楽しみと批評精神の両面を提示

人間の手がモチーフになった2つの作品は、それぞれが何の象徴として手を用いているかは別として、庭には手入れが必要だという基本的なことを思い出させてくれる。キャシー・ルーの《Nuwa (Gold)(女媧[ゴールド])》(2023)は、中国の古代神話で人類を創造したとされる女神、女媧(じょか)を題材としたもので、上に伸ばした腕をかたどった磁器の彫刻だ。全体にちりばめられた多数の小さな穴にブドウの茎を挿してあるが、これはカリフォルニアのソノマバレーで中国人の移民労働者がブドウ園を開墾した史実にちなんでいる。一方、ケリー・アカシの《Life Forms (Labellum)(生命体[唇弁])》(2023)では、作家自身の手で型を取ったブロンズ彫刻の左右の手が、大きなガラスの蘭の花の唇弁をそっと支えている。アカシは吹きガラスを使うことによって、文字通り作品に生命を吹き込み、ガーデニングに必要な人間の肉体と大地との互恵性を強調している。

写真中央はキャシー・ルーの《Nuwa (Gold)(女媧[ゴールド])》(2023)、左奥の壁面に展示された作品はスチトラ・マッタイ《the intrepid garden(恐れを知らない庭園)》(2023)。

アルドリッチ現代美術館を取り巻く森は、植民地の歴史の一部となってきた。リッジフィールドは、アメリカ独立戦争時にイギリス軍との戦闘と一連の小競り合いが繰り広げられた場所で、先住民ワッピンガー族とマンシー・レナペ族の居住地でもあった。そこで開催されているこの展覧会は、環境に対する植民地的支配が続いていることへの批判を、思慮深い方法で展開している。しかし、社会への批評的視点を保ちつつも、庭園が楽しむための場であるという見方を否定しているわけではない。展示されている作品はみずみずしく華やかで、自然がもたらす豊かな色彩や質感を楽しませてくれる。

庭園の楽しみと、庭園を通じた批評の両方が提示されている今回の企画展は、ブランドン・ンディフェの《Shade Tree(日よけの木)》(2022/2024)で、揺らぎのあるクライマックスを迎える。ンディフェは、一般家庭にある家具をマットなグレーのポリウレタン樹脂でかたどった彫刻を作り、美術館の庭に展示した。近づいてみると、キャンプ用の折り畳み椅子の上に重そうな木のテーブルトップのようなものが乗っているなど、不安定な形のアッサンブラージュ(*1)がいくつもある。

*1 雑多な物体(日用品、工業製品、廃品など)を寄せ集めて作られた芸術作品やその手法。

「日よけの木」を意味する作品タイトルは、日陰の多い郊外に比べ暑さが厳しくなりがちな都市部における環境の不平等さを暗示している。しかし、アルドリッチ現代美術館の敷地周辺には木々が多いにもかかわらず、彫刻は風雨にさらされる芝生の上に置かれている。ンディフェの作品は、見慣れたものの中にも重層的な歴史が潜んでいることを感じさせる点で、庭園に似ていると言えるだろう。庭園史研究者のハントの言葉を借りれば、洗練され、意図的で、複雑なのだ。(翻訳:清水玲奈)

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