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人間や社会の小さな営みへの希望──毛利悠子が語る創作の源泉と現在地

「人間がコントロールできないこと」の多さを実感した経験をもとに、メディウムや構造・仕組みとの「ネゴシエーションと小さな解決」を通じた作品制作を行なってきた毛利悠子。2024年の第60回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館(主催:国際交流基金)、続くアーティゾン美術館での「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」(2月9日まで)、そして現在はYutaka Kikutake Gallery京橋でトレヴァー・ヤンとの二人展「帰ってきたやまびこ」を開催中(3月8日まで)の彼女との対話から、その創作の源泉を探る。

Photo: Timothée Lambrecq

見慣れたモノたちが、ときに愉快で奇怪な音、匂いを発しながら働き続けている。喉を潤したりお腹を満たしたりするフルーツは、電極が刺され、その水分量に応じて発せられる信号によって接続されたスピーカーから不器用な音を紡ぎ光を明滅させる。複数のスキャナーの上で頼りなくヒラヒラ舞う水玉のベールは対面に掲げられたスクリーンに詩的な肖像画として映し出され、プラスチックホースやチューブ、ビニールシートなどで繋がれたバケツやジョウロなどの道具は、プログラムを解かれた生命維持装置よろしくマイペースに水を循環させている。それらのひたむきな運動の様子はどこか滑稽でもあるが、「何のために?」という疑問を打ち消すかのように、有為転変という言葉が頭をよぎる。

2024年の第60回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館(主催:国際交流基金)代表作家として国際的評価をさらに高めた毛利悠子は、それと並行して準備を進める必要のあったアーティゾン美術館での国内初となる大規模展「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」(2月9日まで)を成功に導き、現在はYutaka Kikutake Gallery京橋で同じくヴェネチア・ビエンナーレで香港代表作家として作品を出展したトレヴァー・ヤンとの二人展「帰ってきたやまびこ」を開催中だ(3月8日まで)。ニューヨークタイムズの「かつてアート市場を席巻した日本。復活の準備はできているのか?」と題された挑発的な記事(2025年1月25日付)の中でも大々的にフィーチャーされ、2月にはソウルの国立現代美術館(MMCA)、9月にはミラノのピレッリ・ハンガービコッカでの個展もそれぞれはじまる。2017年から務めた東京藝術大学大学院での最後の講義を1週間後に控えた2024年12月、毛利に、現在地とそれまでの道のりについて話を聞いた。

アーティゾン美術館「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展示風景。Photo: Timothée Lambrecq

──ヴェネチア・ビエンナーレの日本館を訪れたとき、看視員の若い女性たちが作品が発する音に合わせてからだを揺らして踊っていたのが非常に印象的でした。

展示の看視員として働いている人たちの中には、美術の分野で博士号を取得している研究者もいて、時限付きのアルバイトとはいえ専門性と誇りをもって仕事をしているんです。私以前の日本館の作品も、他のパビリオンの作品もよく見ていて、クリティカルな視点で私の作品に触れていたと思います。彼らに認めてもらえないと展示がうまくいかないことはわかっていたのでプレッシャーも感じましたが、6カ月の間ほぼ毎日、私の作品とともに過ごす彼らとの定期的なコミュニケーションから多くを学びました。春にオープンしてから閉幕した晩秋まで、季節が移ろうなかで作品にどんな変化があったかなど、細かく教えてもらえたし、フルーツの選定も彼らに任せていたんです。結果、ファミリーのように仲良くなって、最終日は展示時間を1時間早く切り上げて、日本館の中で皆で打ち上げパーティーをしました。

──毛利さんからフルーツの選定などにまつわる条件のようなものは伝えていなかったんですか?

今回の作品制作において私が掲げたルールは「循環」でした。作品と周囲の環境のなかで循環を生み出すためには、その環境において無理や矛盾が生じないことが重要です。フルーツの入手先について、当初はヴェネチアの農家と連携することも考えましたが、それよりも、展示場所から一番近くにある八百屋から、季節ごとに傷みやすいフルーツを優先的に譲ってもらったり購入したほうがエコだという結論に至り、事前に自分で交渉しました。ちなみに、フルーツの交換時期については、カビによる喘息発作の懸念なども考慮して、カビが生える前の溶けるか乾燥してカピカピになるくらいまでに留めておくようにしました。

同シリーズの作品のコレクターも、めいめいにフルーツや野菜を変えて楽しんでいる方が多いみたいです。ハロウィンのときにはパンプキンを置いたり。甘いフルーツのほうが大きい音が出るということも、コレクターから教えてもらいました。皆それぞれに日々気づきがあるのが、私もうれしい。暑くて湿度の高い地域と寒くて乾燥した地域とでは入手できるフルーツも変わるので、作品のありようが場所に左右されるのも面白いと思っています。

Yuko Mohri in Venice
ヴェネチアのマーケットでフルーツを買う毛利悠子。Photo: kugeyasuhide

余談ですが、ビエンナーレの準備でフルーツに関する文化的事象についてリサーチした際に知ったことで、戦前・戦中の俳句界において、その首領である高浜虚子が「有季定型花鳥風月」という俳句のルールを死守するために、当時日本の植民地であった台湾の風物を、現地の人々の写生(リアリズム)に則することなく「南国」=「夏」の季語とする雑な仕分けをした事実がありました。しかもそれは日本の「南進」を文化的に準備するような動きでもあった。ちなみに韓国の風物は同じく自動的に「冬」となり、そのくせ西洋からの輸入品である「グラヂオラス」などは花鳥風月を表す季語に選定している。つまり花鳥風月は、虚子による文化的な検疫(クアランティン)の結果なのです。戦後、虚子は「俳句は〔戦争から〕何の影響も受けなかつた」と言ってのけました。しかしその陰で、彼の編纂による『新歳時記』の戦後すぐの重版時に、植民地と軍事とにまつわる季語だけを「改訂」と明記しないまま取り除いています(1947年9月)。花鳥風月の内実なんて、こんなもんなのだなと思わされます。

ビエンナーレの日本館作家に選出された後で、コンセプトとしてフルーツの種類を決めるべきではと指摘されたのですが、そのようなコントロールをしたくない、逆に作品が素材の場所に左右されるほうがいいと直感した方向性は間違っていなかったと、このエピソードを知って感じました。開放系であることにもそれなりの意味がある。今年5月に予定されている台北での個展では、この話題も取り上げてみたいと考えています。

毛利悠子 「Compose」 2024 第60回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館での展示風景。Photo: kugeyasuhide, Courtesy of the artist, Project Fulfill Art Space, mother’s tankstation, Yutaka Kikutake Gallery, Tanya Bonakdar Gallery
毛利悠子 「Compose」 2024 第60回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館での展示風景。Photo: kugeyasuhide, Courtesy of the artist, Project Fulfill Art Space, mother’s tankstation, Yutaka Kikutake Gallery, Tanya Bonakdar Gallery
毛利悠子 「Compose」 2024 第60回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館での展示風景。Photo: kugeyasuhide, Courtesy of the artist, Project Fulfill Art Space, mother’s tankstation, Yutaka Kikutake Gallery, Tanya Bonakdar Gallery
毛利悠子 「Compose」 2024 第60回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館での展示風景。Photo: kugeyasuhide, Courtesy of the artist, Project Fulfill Art Space, mother’s tankstation, Yutaka Kikutake Gallery, Tanya Bonakdar Gallery
毛利悠子 「Compose」 2024 第60回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館での展示風景。Photo: kugeyasuhide, Courtesy of the artist, Project Fulfill Art Space, mother’s tankstation, Yutaka Kikutake Gallery, Tanya Bonakdar Gallery

──毛利さんの作品には、比較的どこでも手に入る道具やオブジェクトが素材として使われていることが多く、人間の日々の営みについて考えさせられます。作品制作は、どのようにスタートするのでしょうか。

多くの場合、身のまわりにあるこの素材に興味があるからやってみよう、みたいな感じで、自分の生活の中で触れられる範囲のことから作品がはじまることがほとんどです。最初から明確なコンセプトがあるわけではなく、あくまで手探りで、気になったもの──それがオーディオ機器であったり映像機器であったり、あるいは食べ物であったりと様々なのですが──をとにかく試しに触ってみる。日本をベースに暮らす私自身の生活の中にすでに存在しているもの、容易に手に入るようなものを手がかりにして、作品の構想が生まれています。

──身のまわりの素材への関心が、どんなふうに実際の作品制作として動き出すのでしょうか。

素材であれこれ遊ぶ過程で何か面白そうな現象が起こせそうだとひらめいたときに、いわゆる作品制作がはじまります。そこから、現象を純粋に抽出して動かしながら、歴史を調べたり文献を読んだりしてリサーチを進め、コンセプトを発展させていきます。リサーチは、作品制作において大切なプロセスです。最近でこそ焦点を絞ったリサーチができるようになりましたが、基本的に多趣味なので、かつてはリサーチも非常にランダムでした。日常の延長上に存在する無数のアイデアが最終的にどんな作品として結実しうるかは、リサーチの過程でようやく見えてくることもあります。手探りで色々と試したり考えたりしているうちに、あるとき作品としての輪郭が現れはじめることが多いですね。

──毛利さんの作品の主題となるのは多くの場合、仕組みや構造ですね。ゆえに、作家の関与はコンセプトづくりからシステムの構築までであることが多く、その先の作品の「動作」や「ありよう」は、その環境や状況、素材に委ねられ、常に変化していきます。人間ではない何かとの共同作業に関心があるのはなぜでしょうか。

環境や状況に委ねられていることが作家としての自分らしさであるというのは、自分にとっては本当に理想的です。私の作品の特徴は、私に最終的な決定権がないこと(笑)。

そういう境地は脱俗的だと思われがちですが──森の中でキノコを採って暮らしてそうですよね(笑)──フルーツなどの様々な素材に触れながら作品を制作していく行為の根幹にあるのは、むしろ、常に変化していく社会に対する興味です。経済や社会情勢、インフラストラクチャーなど、アート業界を含め、自分の生活に関与している大きな力の構造や仕組みを自分なりに実感したくて作品を作っているところがあります。そういった力に対して私が与えることのできる影響の範囲は小さくても、地続きで考えれば、社会という「作品」においては、一人の人間はフルーツ同様に素材の一つだとも仮定できる。「人間も小さな歯車でしかないのだ」と言いたいのではなく、逆に、私の表現において一つひとつの歯車がとても大事なのと同様、一人ひとりが与えることのできる影響は大きいのだ、ということになります。

逆説的かもしれませんが、そんなふうに考えるようになった背景に、2010年以降、人間がコントロールできないことの多さを実感した経験があります。当時、私は30代にさしかかり、自分たちがカルチャーを作っていくんだ! といった、ダイナミクスの中心にいる感覚がありました。しかし、2011年3月11日の東日本大震災やその後に長期化する日本経済の低迷などを経て、自分ではどうにもしようのないものがたくさんある、むしろそういったもののほうが多いことに気づき、打ちのめされたんです。でもそうであれば、当時、実験的に行なっていたプラクティスのように、自分のような存在にでもできることをどんな場所でも地道に続けるほうが地に足がついていると思うようになった。それが現在の作風や立ち位置へと繋がっていったように思います。

Photo: Timothée Lambrecq

──大きな力に対する草の根的な運動が次第に大きくなっていくのと似ていますね。

抵抗ではあります、私は激しいタイプではないけれど。コントロールできるほどの力はなくても、アクションはできる。当時、アンダーコントロールとか言われていた世の中で、アクションから生じた小さな力がどんなふうに発展したり変化を起こしていくかを見てみたい、みんなで観察してみようよ、というようなことかもしれません。

──人間の肉眼では見えないものの存在に着眼したきっかけは?

学部生時代から、電波や磁場のような見えない現象が、地球にどんな影響を与えたり、調和/反発作用をしているのかに関心がありました。それで、卒業制作で電磁波を使った作品を作ろうと思い、磁力を発生させる装置を苦労して作ったんですが、講評では「これは単なる科学実験だ」と評価されなかったんです。パウル・クレーのようにほのめかしができたらいいけれど、私が作品内で起こす「見えないもの」は本当に小さな現象だし、たしかに現象自体は人間とは関係ないものなので、それを可視化させる作品をつくるにはどうすればいいか、ずいぶんと悩みました。ところがアーティゾンの展示でも卒業制作作品のアレンジが展示されていたりして、私はまったく懲りていないわけです。

──毛利さんのキネティック作品は、はじまりと終わりがない、循環し続けているものが多いですね。どこかに力が働いた結果としてこれが動き、こういう結果を生む、という直線的な動きではなく、いろんなものの力が相互に影響しあいながら循環していて、その様子はいつも同じではない。大袈裟かもしれませんが、地球のダイナミズムを身の回りのものを用いて再現しているような作品だと感じます。

私は電子基板が好きで、作品にもよく使います。基板にはスタートとゴールがあるように見えますがそうではなく、あるコンポーネントが乗った電子回路(サーキット)の中で、電気がぐるぐる回ることで音が大きくなったり、光ったりする。電気というエネルギーが循環し、フィードバックを与えあうことで、ようやく何らかの事象が起きるんです。電気や水、1日とか1年という単位で捉えれば、地球だってぐるぐると回り続ける回路かもしれません。あるいは人間も、一人の生にはスタートとゴールがあるけれど、巨視的に見れば何世代にもわたる生物の営みとして循環する回路を描いている。回路であるからこそ、社会というエネルギーが生まれているわけです。でも、これも「見えない力」なわけで……。

Photo: Timothée Lambrecq

──作品の動き方も、あくまでヒューマンスケール。データなどの情報量が人間の脳が処理できる量を超えてしまった今の時代において、老若男女を問わず誰もが認知できる範囲であるところに、毛利さんの優しさのようなものを勝手に感じました。

作品のイメージとしては、コーヒーカップにコーヒーと砂糖、ミルクを入れて1回混ぜたらそのうち混ざるだろうというような、池に石を投げたら次第に波紋が広がっていくような感覚に近い。スプーンや石の動きによって起こるエネルギーは大きくなくても、変化自体は起きている。もちろん、小さなエネルギーなので時間はかかります。でも、地球上で起こるすべての事象がそこで起こっている。今ふと思い出したのは寺田寅彦の「茶わんの湯」という、イームズ夫妻の映画『パワーズ・オブ・テン』のようなエッセイです。

私の作品は、ひと目で伝わるというより、鑑賞者にはその場に長くいてもらう必要があります。だから、温泉に浸かるような感じで、じわじわと温まっていくような状況をつくりたいんです。実家が寺だったこともあり、答えは焦って出すものじゃない、まずは観察し、考えるという態度には、仏教哲学の影響があるのかもしれません。

もちろん、例えばロケットを飛ばすような大きなことをやってみたいという気持ちがないわけではない。でも、その準備にもエラーは起こるわけで、実際に起きたときに、ヒューマンスケール、つまり人間が扱えるスピード、人間が持てる重さの作品であるというのが私にとっては重要です。質量が感じられないまま巨大化するデジタルは、私の身に余ります。エラーが起こると大変そうだし。

他方で水のように、どんなに少量でも想像を超えた影響を及ぼしてくるメディウムもあります。部屋の天井から水が数滴垂れるだけで、気が滅入るに充分じゃないですか。ヴェネチア・ビエンナーレ日本館での設置中、気づかぬほどの数滴の水漏れが次第に広がって、ある日ビシャビシャになってしまったことがありました。バランスを取り戻すための苦労はつきものですが、メディウムとの対話があったほうが結果的にいい作品になっているように思います。

──温泉の温熱効果の説明は非常に腑に落ちます。そうした鑑賞者の身体感覚への働きかけ、そのためにかかる時間は意図的なものだったんですね。

ヴィンテージのスピーカーを使い始めたのもそのためです。Bluetoothのスピーカーを使うこともありますが、デジタル化された音源ってなぜか心地よくないんです。古いスピーカーにケーブルから電気が通い、重い磁石で一生懸命音を出そうとするときに生じる振動や音波、磁気で動く振動モーターの振動、照明から発せられる光の波動といったものが重層的にもたらす身体への影響はけっこう考えています。オーディオもいい湯かげんであることが大事なんです(笑)。鑑賞にますます時間をかけなくなっている傾向がある中でこそ、こういった作品を発表したくなります。

「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展示風景。2024年、石橋財団アーティゾン美術館 Photo: kugeyasuhide
「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展示風景。2024年、石橋財団アーティゾン美術館 Photo: kugeyasuhide
「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展示風景。2024年、石橋財団アーティゾン美術館 Photo: kugeyasuhide
「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展示風景。2024年、石橋財団アーティゾン美術館 Photo: kugeyasuhide
「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展示風景。2024年、石橋財団アーティゾン美術館 Photo: kugeyasuhide
「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展示風景。2024年、石橋財団アーティゾン美術館 Photo: kugeyasuhide

──アーティゾン美術館の展示「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」は、過去に発表した作品を含めて7つのシリーズで構成されていますが、展示会場の条件が作品に与える影響もあり、これまでと同じでいて同じではない固有性があります。

面白いと感じた現象を作品で実現していくわけですが、その空間と作品が相互作用して予期せぬ反応──光のリフレクションや風の動きなど──が起きるんです。そういうサイトスペシフィックな要素をどうやって作品に取り込んでいくかを展示の現場で考えていくと、おのずと複雑化していく。昔はもっとひどく複雑になっちゃって、「失敗したなんとかゴールドバーグ・マシン」のように言われたこともありました。いや、失敗したり成功したりランダムなのが私の作品なんです、と(笑)。ところが、経験が重なることで洗練されてしまい、よりシンプルな構造に収斂されてきた実感もあるんです。パンクの演奏が上手になってしまう悩ましさ、みたいな……。ポストパンクの音楽が好きなのでそれはそれでアリですが、巧くなりすぎないためにも新作をつくらなければなりません。

今回、アーティゾン美術館での展示でわれながら面白いと感じたのは、これまで、スキャナーを使う作品、紙を使う作品、フルーツを使う作品、というようにマテリアルによって分類してきたものが、ホームカミング的に一つの大きな空間の中で調和していた点です。意図的にそうしたわけではなく、昔の作品と近作をオムニバス的に見せようとした結果、自然とそうなったことに、そして現在に至る活動の過程において理想としていた状況があるていど実現されていたことに、自分でも驚きました。

──それはどこか、ヴェネチア・ビエンナーレでの展覧会「Compose」にも通じますね。2021年に最初に発表した、時間の経過とともに朽ちていくフルーツの「声」を捉えた《Decomposition》が、ヴェネチア・ビエンナーレでは代表作「モレモレ」シリーズとともに「Compose」展として紹介されていました。「decomposition=分解・腐敗」から「compose=作る・作曲する」への変化についても教えていただけますか?

《Decomposition》はおっしゃるとおり、腐敗とか分解という意味で、フルーツが腐っていく過程をタイトルにしたものですが、De・composition、つまり「私は作曲しない(フルーツに任せる)」と宣言したタイトルでもあります。反対に、「Compose」は作曲するという意味でもあるけれど、その原義をたどると「com・pose=共に・置く(place together)」となります。「共に置く」というのはつまり、排除したりされたりすることの逆の意味なわけです。先ほどの高浜虚子的な「文化的検疫」への──もちろん検疫という制度がヴェネチア発祥であることを踏まえたうえでの──私なりのアンサーでした。

ヴェネチアの展示においても、作曲する主体はあくまで作者=毛利ではなく、われわれを生かしている環境なんです。作品と作品、あるいは素材同士のネゴシエーションに興味があります。そこには葛藤も生じるけど、そうした葛藤や矛盾を乗り越えていくために「小さな解決」を繰り返していく。世界には、複雑な問題が山積しています。でも、まずはもっと謙虚に、私たちが他の人々と場所を同じくして「共に置かれてある」ことに開かれていたい。例えばオープニングに際し、さまざまなフルーツに混じってスイカが展示されてあることに私はこだわり、皆でヴェネチア近郊を探しまわって設置しました。世界は複雑で、でもいろいろな種類のフルーツが排除されることなく共に置かれてあることが大事でしょう?

「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展示会場にて。Photo: Timothée Lambrecq

──そう聞くと、冒頭でお伝えした「Compose」の会場で看視員がフルーツが奏でる不協和音の「賛歌」に合わせて身を揺らしていたことに、アートの力や希望を感じます。

私は2017年度から2024年度まで、東京藝術大学大学院グローバルアートプラクティスという専攻の講師を務めたのですが、このクラスには様々な国籍の学生が所属しています。母国の複雑な状況や問題に直面し、打ちのめされそうになりつつも、作品制作を通じてそれに向き合おうとする学生がいます。でも、大きなテーマの作品をいますぐ一挙に実現するには、問題が大きすぎたりハードルが高すぎたり、経験値がなかったりする。彼らとのコミュニケーションを通じて、そうしたことにも気付かされました。そんなとき、問題をいったん「分解(decompose)」し、自分なりに咀嚼できる大きさにして作品化してみることを助言してきました。それは決して問題を矮小化することではありません。小さくした部品を、自分の手で一つひとつ確実に動かしていくことで、きっといつかもう一度社会に繫がる機会が巡ってくる。

私自身、ヴェネチア・ビエンナーレやその後のアーティゾン美術館での展示を経験して、ネゴシエーションや「小さな解決」といった方法が以前よりも理解できたように思います。作家活動をどうにかこうにか20年続けてきて、ようやく後進のアーティストたちに「こういう方法もあるよ」と自分なりに伝えられるようになれた気もするんです。

Text & Edit: Maya Nago

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