編集部が厳選! 2024年に最も印象に残った展示/作品14選
地政学的な混迷が深まった2024年、アート業界でもそうした世界情勢や業界の構造的問題に対するメッセージを含んだ展覧会や作品が多く制作された。また、進化と普及が加速した生成AIを筆頭に、新しいテクノロジーを取り入れた野心的な試みも活発化した印象だ。そんな一年を振り返り、ARTnews JAPANエディターたちが特に印象に残った作品・展示を紹介する。
ミラ・マン《stripper / 탈, changer / 변, revolutionary love, mon cheri / 공, Baridegi-D, and mother may recall another》(2024)光州ビエンナーレ
韓国・光州の美術館やギャラリー、アートセンターで無数の作品が展示された光州ビエンナーレのなかでもひときわ目を引いたのが、デュッセルドルフを拠点に活動するアーティスト、ミラ・マンの作品群だった。母親との旅行を通じてつくられた映像作品《mother may recall another》やソウルの街なかで見つかった鏡面タイルや金属板を加工してつくられた《stripper/탈》など、会場となる廃屋のあちこちに配置された作品群は、いまはもう誰も住んでいない廃屋の記憶と共振しているようにも感じられる。女性の労働やアイデンティティ、韓国社会の儒教文化を捉えようとしてきた多くの作品は、光州という土地で展示されることでさらなる物語の広がりを生み出す。それは美術館やギャラリーではない場所で展示が行われるビエンナーレの魅力のひとつとも言えそうだ。(Shunta Ishigami)
「石内都 Step Through Time」大川美術館
群馬・桐生の大川美術館で8月10日から12月15日まで開催された石内都の大規模展は、展覧会タイトル「Step Through Time」(ここでは「時を歩む」と翻訳することにする)が示す通り、石内のこれまでのキャリアと、その過程で作家の眼差しがどう変化し、あるいはどう変わっていないのかについて、頭だけでなく身体的にも理解する機会を得られたという意味で、本当に素晴らしい展示だった。国内外の様々な場で目にする機会の多い「Mother’s」との再会はいつも新たな発見に満ちていて個人的に非常に大切な時間だが、代表作《絶唱、横須賀ストーリー》(1976-1977年)以前の作品《はるかなる間》(1976年)や、木村伊兵衛賞を受賞した《APARTMENT》(1979年)、東京歯科大学の取り壊しに際して依頼され撮影した《水道橋》(1982年)など初期作のヴィンテージプリントの数々には、テープの痕や破れ、掠れなど、石内の「展示や保管」という行為と時間のフィジカルな痕跡が残っており、写真というメディウムの奥深さについても改めて考えるよい機会となった。(Maya Nago)
ホー・ツーニェン《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》東京都現代美術館
東京都美術館で開催された、シンガポールを拠点に活動するアーティスト、ホー・ツーニェンの個展「エージェントのA」で展示された《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》は、3体6面の映像作品《左阿彌の茶室》《監獄》《空》とVRを合わせて構成されたインスタレーション作品だ。本作は、東南アジアの歴史的な出来事、思想、文化についてのリサーチから作品制作の過程で醸成された、日本によるアジアの植民地支配への関心から生まれた。京都学派の哲学者たちの対話、テキスト、講演などの資料をもとに作られた本作品は、観賞者が作品の一部として巻き込まれる。茶室では速記者として、監獄では囚人として、場面が変わっても傍観者でいることが許されない状況で、歴史の一部としての哲学者たちの存在と、その延長線上にいる私自身の存在を意識させられた。また、VR作品ではゴーグルをつけて姿勢を変えることで4つの空間を行き来し、より身体的に作品に関わることが求められる。長時間の作品ではあったものの、頭の中に響き渡った「声」がいまだに脳裏にこびりついて離れないほど、強烈な没入体験だった。(Aya Kudo)
岩崎宏俊「Daughter of Butades/ブタデスの娘」資生堂ギャラリー
新進アーティストを支援するために行われている公募プログラムである「shiseido art egg」の入選作品となった、岩崎宏俊の「ブタデスの娘/Daughter of Butades」は、アート×アニメーション表現の可能性を考えさせられる展示だった。モデルの動きをカメラで撮影し、実写映像をトレースしてアニメーションを制作するロトスコープという手法で制作された本作において岩崎は、パンデミックの影響で直接会えなくなった人や風景の記録映像をトレースする行為が追憶であると再解釈している。表現方法として歴史が比較的浅く、美術として捉えられる機会が少ないアニメーションとアートを結びつけて考えるよいきっかけとなった。(Naoya Raita)
「Unravel:The Power and Politics of Textiles in Art」バービカン・センター
女性的で柔らかく、ファインアートというより工芸品、あるいは日用品──テキスタイルは、何かとバイアスがかかりがちな表現手法だ。ロンドンのバービカン・センターで2月13日〜5月26日に開催された「Unravel:The Power and Politics of Textiles in Art」は、そんな陳腐な見方を一蹴する衝迫に満ちていた。13歳のときにレイプされたときの心の叫びが込められたトレイシー・エミンのタペストリー。殺害された女性の血が染みついた布を使ったテレサ・マルゴレスの作品。HIVの闘病生活を記録したホセ・レオニウソンの刺繍。植民地としての歴史や紛争の傷跡、コミュニティや愛を表現したタペストリーなど、世界各国のアーティスト約50人による100点以上の作品はときに繊細に、ときに激烈に、ときに壮麗に、テキスタイルを通じて作者の声を拡声していた。もうひとつ印象的だったのは、展示会場の空白だ。展覧会の会期中、バービカンがイスラエル・パレスチナ戦争関連のトークイベントへの会場提供を拒否したことへの抗議として、アーティストたちは相次いで展示から作品を取り下げていた(その顛末はこの記事に詳しい)。展示への参画を継続するか、作品を取り下げるか──参加作家それぞれが半ば強制的に政治的立場を示す必要に迫られたという事態を含めて、強く印象に残っている。(Asuka Kawanabe)
ハリソン・ピアース《Valence》(2024)光州ビエンナーレ
薄暗い空間に並べられた10基のアルミニウム製ケージには、それぞれ同じサイズの真っ白な球体(近くで見ずとも、それが柔らかな素材でできていることがわかる)が載せられており、透明の液体の入ったチューブが床下まで垂れている。ケージからは空気圧を制御するアームが球体を目がけて設置されており、ひと目で、これがキネティック作品であることはわかる。しかし実際にそれら白い球体(実際にはシリコンでできている)が時に激しく、不規則なパターンで、未知なる生命体のようにぶよんぶよんと一斉に踊り出した途端、怪奇と諧謔が入り混じったその様子に思わず声を上げて笑ってしまった。これは、ロンドンを拠点に活動するハリソン・ピアース(Harrison Pearce)による、光州ビエンナーレのために制作された《Valence》(2024/Valanceとは原子価や、染色体などの結合する結合価の表す化学用語)。本作は、分析哲学の修士号を取得したピアソンが、20代で脳腫瘍の誤診を受けた経験に着想を得て制作された、脳という複雑怪奇な存在と医科学のある種の傲慢さに対する芸術的探求であり、科学的真理は必ずしも正義ではないという可笑しさへの賛歌、あるいは「悦びの舞」のようだった。(Maya Nago)
「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」森美術館
この展覧会は正直、一気に観て回るのがきつかった。アートフェアやグループ展でルイーズ・ブルジョワの作品を個別に目にすることは多いし(前述の「Unravel」展にも作品が展示されていた)、彼女の人生や創作活動は知識として頭にあるものの、その作品の多くが一堂に会すとなると話が違う。家族との関係や母性、身体、そしてそれにまつわる苦しみやトラウマ、恐怖、ときに愛といった感情をぎゅっと凝縮した作品は、一つひとつが観ているこちら側にのしかかってくる。その重さたるや、自分の人生を一片残らず作品に昇華させたのではと感じるほどだ。だからこそ、最後のほうに登場する《雲と洞窟》は異彩を放つ。濃度の違う青と黒が半円状に連なった作品は、展覧会の説明いわく「回復と再生の力を表現したもの」だそうだ。そこに勝手に希望と安心感をおぼえたのは、その展示室に至るまでに並んでいた数々の作品とその裏の感情と対峙したからだろう。その流れを含めて、この作品はブルジョワというひとりのアーティストの異なる一面を見せてくれた。(Asuka Kawanabe)
アピチャッポン・ウィーラセタクン《太陽との対話(VR)》シアターコモンズ’24 日本科学未来館
同作は、2022年に国際芸術祭「あいち2022」で公開された作品だが見逃しており、シアターコモンズで鑑賞する機会を得た。観客は、映像作品を30分、次にVR作品を30分鑑賞することとなる。会場の数か所に設置されたモニターには、タイの街角の夜景と眠る人々が映し出されていた。それだけでもずっと見ていたいと思える美しい映像だったが、30分後にVRゴーグルを装着すると、暗闇と岩石の世界が広がっていた。すると仏教や原始信仰の神の像を思わせるモニュメントが現れ、突然体が宇宙へと昇っていく。宙に到達した私たちを待ち受けていたのは、吸い込まれそうなほどに巨大な太陽だった。アピチャッポンがこのとんでもないスケールの作品を通して伝えたかったのは、太陽も、太陽によって生命を得た人間もみんな「一緒に動いている」ということ。坂本龍一の微に入り細に入る音響もアピチャッポンの作品世界を伝える素晴らしいナビゲーターの役割を果たしていた。現在東京都現代美術館で開催中の「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」(3月30日まで)でもアピチャッポンと坂本龍一の協働作品が展示されているが、そちらもおすすめだ。(Kazumi Nishimura)
「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」森美術館
シアスター・ゲイツの過去の代表作から新作までを、背景にある黒人史や黒人文化と併せて包括的に紹介する「シアスター・ゲイツ展 アフロ民藝」。4月24日から9月1日まで森美術館で開催された本展は、歴史保存やコミュニティ形成など、芸術という言葉では語りきれないゲイツの幅広い実践を振り返る場となった。ブラック・アートや歴史、文化に関する本で埋め尽くされた「ブラック・ライブラリー」では、実際に本を手に取り読むことができ、《へブンリー・コード》(2022)では歌と共にオルガン奏者による生演奏が行われた。ゲイツの作品は、その基礎に日本人にとっては遠く感じられるアフリカ文化がありながらも、日本の民藝の美学から受けた影響から、どこか親近感を覚えずにはいられなかった。その感覚はとくに陶芸作品に顕著で、様々な国や地域の文化にインスピレーションを得て作り出された黒い器のシリーズ《ドリス様式神殿のためのブラック・ベッセル(黒い器)》(2022-2023)は、緊張感がありながらも、固有の文化への温かな愛を感じさせた。(Aya Kudo)
毛利悠子「Compose」第60回 ヴェネチア・ビエンナーレ 国際美術展日本館
2024年4月20日~11月24日まで開催された第60回ヴェネチア・ビエンナーレの日本館代表作家に選ばれた毛利悠子。彼女が「Compose」というタイトルのもとこの機会に試みたのは、水を滴らせながら、日用品が踊るように動く「モレモレ」と、腐っていく果物の水分量の変化を音と光に変換させる「Decomposition」の2つのシリーズを、サイトスペシフィックな要素をふんだんに取り込みながら発展させ、一繋がりのインスタレーションとして構築すること。気候変動などの諸問題をテーマに扱いつつも、重々しくならず、軽やかに詩的に、そしてユーモラスに魅せる手腕は見事だった。アーティゾン美術館での展示「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」でも、自身のプロジェクトと石橋財団の収蔵品を呼応させながら発展したものを提示しているので、機会があればぜひ訪れてほしい(2月9日まで)。(Masaki Yato)
栗林隆《元気炉》AOMORI GOKAN アートフェス
現代アートを扱う青森県内にある5つの美術施設が共同で開催したアートイベント「AOMORI GOKAN アートフェス」を巡回した栗林隆の《元気炉》。原子炉を模した構造物の中に、近隣で採取された薬草の香りをまとわせた蒸気を発生させ、観客が作品と一体となるスチームサウナ式のインスタレーションである本作は、原子力発電の是非や差別、経済的格差といった社会問題が目の前に存在していることを認識する機会を得ることができ、頭の中の靄が晴れたような感覚をおぼえた素晴らしい作品だった。薬草スチームを体内に取り入れ、中の暑さに耐えられなくなったら外に出てお茶を飲みながら一息つく。これを何度か繰り返していくうちに、日頃の不摂生が帳消しされるような気分を味わえたのもグッドだった。(Naoya Raita)
「SIDE CORE 展|コンクリート・プラネット」ワタリウム美術館
普段、見過ごしがちなことに「気づき」を与える役割が現代アートにはある。8月12日から12月8日までワタリウム美術館で開催されたSIDE CORE展では、まさにそれを感じた。SIDE COREは、都市の独自な公共性や制度に着目し、これに介入・交渉することで作品作りを行なっているアートチームだ。会場では、ダイナミックなインスタレーションを織り交ぜながら、彼らの創作の軌跡が分かりやすく展示されていた。中でも印象に残ったのが、羽田空港の近くにあるトンネルを歩く人物を写した映像作品《untitled》(2022)だった。人物は、自動車の排ガスのすすがついて汚れた壁に肩をつけて歩いており、擦れた場所は長い筋となっていく。作品の解説には、制作から2年が経過した今も「(誰にも掃除されることがなく)トンネルには擦れた跡が残っている」と書いてあった。彼らが工事現場のピクトグラムのデザインが場所によって微妙に異なることに気付き、それらを一堂に集めた《東京の通り》(2024)も同様だが、私たちは、自らが生きる場所(都市)にあまりに無関心なのではないだろうかということに気付かされた。会場を出て、視点を変えて外苑前の街を眺めると、街は賑やかにメッセージを伝え始めた。(Kazumi Nishimura)
エルムグリーン&ドラッグセット「Spaces」アモーレパシフィック美術館
マイケル・エルムグリーンとインガー・ドラッグセットからなるアーティストデュオ、エルムグリーン&ドラッグセットによるアジア最大規模の展示が韓国・ソウルのアモーレパシフィック美術館で開催。プールと一軒家、レストラン、キッチン、スタジオという5つの超大規模なインスタレーションによって空間が構成されており、来場者は広大な空間の中を歩き回りながらさまざまな作品を体験していく。各インスタレーションはすべて実物大で精巧につくられており、美術館内にプールやレストランが広がるさまはシンプルに驚きを感じさせるものだ。無論、ただリアルな空間がつくられているだけではない。複雑に絡まる水道管によってつながった洗面台《Separated》や調理場で防護服に身を包み顕微鏡を覗き込む蝋人形が配された《Untitled(the kitchen)》など、個々の作品はSF的な想像力を喚起するものであり、その多くからは現代社会の過剰な接続と孤独を感じさせられる。SNSへ投稿するためにあちこちで写真を撮る来場者の姿もまた、こうした接続や孤独と重なりあっているだろう。人々はみな、なにかに没入している。その視線は、決して交わらない。(Shunta Ishigami)
内藤礼「生まれておいで 生きておいで」東京国立博物館/銀座メゾンエルメス フォーラム
内藤礼の「生まれておいで 生きておいで」展は、まずは東京国立博物館(2024年6月25日〜9月23日)、そして銀座メゾンエルメス フォーラム(2024年9月7日~2025年1月13日)に会期を一部重ねるかたちで、2つの会場で同名の展覧会を開催するという意欲的な試み。注意深く鑑賞しなければ見落としてしまうような繊細なディテールで構築された展示は、鑑賞者に感覚を研ぎすますことを促し、鑑賞後にもじわじわと影響を及ぼすような体験だった。東京国立博物館の展示では、収蔵品や建築との関わりから、連綿と続く歴史や先人たちの営みを想起させられた。銀座メゾンエルメス フォーラムでの展示は1月13日(月)まで。新年の「アートはじめ」にぜひ。(Masaki Yato)