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ファインアートの視点で九谷焼を探究する──牟田陽日が壊す焼き物の固定観念

いま日本では、伝統工芸と現代アートをつなぐ試みが各所で行われている。11月2日から5日に京都で開催される「日本の美術工芸を世界へ 特別展『工芸的美しさの行方―うつわ・包み・装飾』」もその一つ。本展の出品作家であり、アーティストとして伝統工芸の手法を開拓する牟田陽日に話を聞いた。

金沢からクルマで1時間ほどの石川県能美市に、牟田陽日の工房がある。広々とした空間に並ぶ作品はすべて九谷焼。そのなかには、1mを優に超える大型の壺や伝統的なモチーフが現代風にアレンジされた作品など、「九谷焼」という言葉からイメージするものとは異なる印象を与えるものも多い。

東京とロンドンの美大でファインアートを、石川県立九谷焼技術研修所で九谷焼の技術を学んだ彼女は、アーティストとしてどう伝統工芸の手法を開拓しているのか? その制作過程やインスピレーション、そして九谷焼への想いについて訊いた。

ファインアートから九谷焼へ

──もともと東京やロンドン大学のゴールドスミスカレッジでファインアートを専攻されていたと伺いました。

現代美術に興味を持ち始めたのは高校生のころで、展覧会もよく観に行っていました。大学での専攻は絵画です。これは素材が理由でした。例えば彫刻だと、まず素材について学ぶ必要がある。でも当時は素材よりも現代美術のコンセプトに興味があったので、素材的しばりの少ない絵画の道に進んだんです。

油絵なので、当然のごとく周りはみんなはじめ絵を描いていましたし、最初の課題は裸婦の油彩でした。でも、私はなぜ裸婦を描かされているのかとか、そもそも平面絵画から始めることに疑問を感じたんです。それもあって、自分の体のパーツを題材にインスタレーションを作ったりしていましたね。

──油絵とはかなり離れた作品ですね。

先生たちもそうした学生には慣れていたようで(笑)。特に批判されることもありませんでした。ただ、だんだんと私自身が現代美術とは何かがわからなくなってしまって。次は現代美術が盛んな場所で勉強してみようと思ってロンドンに行きました。現代美術教育といえばゴールドスミスが一番だと信頼していた方から聞いたからです。

そうして学んでいるうちに、現代美術は実はとてもローカルなものであることに気づきました。例えば、とても面白いアート作品があっても、英語や英語圏の文化を理解できないとなかなか作品を体感できないことがあります。また、何にでもアートの思考が宿りうることも学びました。最後の数年は、インスタレーションやビデオ、パフォーマンスなど、形が残らない作品をつくっていましたね。

──そう考えると、九谷焼へのシフトはかなり大きな変化です。

形に残るアートを作りたくなったんです。例えばビデオ作品の小道具はレジンや石膏で作っていたのですが、10年ほどで劣化してしまいます。そうした劣化もアートのひとつのあり方だとは思うのですが、私は百年、あるいはそれ以上の時間存在し続けるような、物質的に強固なものを最終的に作りたいと思ったんです。そう考えたとき、例えば2000年前のギリシャの壺はいまも有形のまま残っていることに気づき、粘土を使った作品に興味が向きました。

牟田陽日の作品《えびす》。

「侘び寂び」ではない日本の美

──多くある陶磁器なかでも、九谷焼を選ばれた理由はなんでしょうか?

最初はイギリスの陶磁器に興味を持ったのですが、ロンドンでは素人が本格的に学べるような場所がなかなか見つかりませんでした。そんなとき、九谷焼のお土産をもらったんです。今となっては何気ない転写の急須でしたが、紫や緑、黄色といった濃厚な色使いが目に留まって。

当時のロンドンでの日本のイメージは、シンプルでミニマル、あるいは「侘び寂び」のようなイメージが強かったのですが、その逆を行く九谷焼の派手な焼き物に興味を持ちました。どこかイギリスの古いタイルや焼き物とも何かリンクしていて、自分の好みと重なったんです。

──それから日本に帰国されたのですね。

はい。石川県を訪れるうちに、石川県立九谷焼技術研修所という学校があることを知りました。そこでは、土の扱い方から形状づくり、絵付けまですべて一貫して学べます。これは珍しいことなんです。例えば京都の訓練校の場合、学校も分業制を前提としていて、ろくろや絵付けなど、それぞれの専門技術だけを徹底的に学びます。それぞれの作業においてスピードや精密さといった技術を洗練させていくのです。

九谷はちょっと違っていて、午前中は絵付け、午後は土を扱うというように、ろくろや手びねり、鋳込(いこみ)という素地の作り方まで様々な技法を学びます。また、デッサンやお茶、お花の授業もあります。それは単に職人を育てるのではなく、作品作りのできる人、モノ作りを総合的に考えられる人を育てようという考えがベースにあるからだと思います。なんと初期には舞踏の授業まであったそうですよ。

──職人や担い手を育てる場であると同時に、モノ作りを総合的に支援する場でもあるのですね。

そうなんです。九谷焼技術研修所は九谷陶芸村というエリアにあるのですが、ここには学校のほかに体験施設や九谷焼専門の美術館、古い作品から今の作家さんの作品まで購入できるお店もあって、九谷焼をとても包括的に支援しているんです。

時間制で窯を借りられるレンタル工房があったり、九谷焼技術研修所で学んだ人が3年間だけ入れるスタジオがあったりと、技術を学んだ人が次のキャリアを歩むためのベースが用意されてます。いまは自分の工房がありますが、私も大きい物を作る時などはこのレンタル工房で制作を行っていました。こういった環境で学ぶ中で、九谷焼の魅力、特に絵付けという表現方法に惹き込まれていきました。

不完全さも許容する焼き物


──なぜ絵付けだったのでしょうか?

元々ビビッドな色味や色彩豊かな表現が好きだったという理由もあります。また、九谷焼にはよく描かれてきた古典のモチーフがあるのですが、その描き方や配置、色味を変えていくことで、印象を変えられます。例えば、龍や鳳凰も昔から描かれてきたモチーフですが、私たちがゲームや映画、アニメーションで見る龍のイメージと掛け合わさって、また新しい存在となっていく。伝統的な柄を現代風に解釈して描くことも、私の実験です。

また、不完全さも許容するような焼き物も目指しています。例えば、花をびっしりと描く「花詰め」という技法があるのですが、描く人によって優しく美しい極楽のような雰囲気になったり、狂気じみた印象になったり、または野暮ったくなったりもします。古九谷の特徴は、そうした人間的な線にあるんです。私自身も、機械のような精密な筆さばきからは離れた、不完全な人間の眼を通して感じる自然の生命力を表すような作品作りを心がけています。

──アトリエに並んでいる絵具の種類の多さにも驚きました。

焼き物の絵具は非常に限られていて、出せる色も限定的です。その限られた中で色数をどう増やすか、温度によって使える色、使えない色もあったり、例えばカドミウムのような毒性のある原料もあったりします。そうすると食器の場合は素材を選びますよね。

私ほど色数を使うケースは、九谷焼でも少ないと思います。九谷焼の技法は合理的に確立されていて、絵付けの作法や手法もかなり定まっています。使う絵具も、基本色は5〜6色くらいですね。

──九谷焼という言葉からはあまり想像できない、巨大な作品も作っていますよね。

そもそも、九谷焼の粘土は大きな作品には適さないと言われてきたんです。試験場という、技術を支援する行政の施設の研究者の方にも「九谷焼では大きなものは作れません」と言われたこともあります。でも、粘土に工夫を加えてみたり、上から下まで均等に熱を入れ、ゆっくりと乾燥・焼成するなど手法を考えることで、大きな作品を手びねりで作ることに成功しつつあります。

この工房も、そのために整えたものです。元々九谷焼の業者さんが建てられたものですが、その後は仏師さんが所有され、私が入る前は中古車販売業が入っていました。大きな作品をつくろうと思うと大きな窯や作業場所も必要になってくるので、ここに移ることを決めました。

1階は作業スペース。前の所有者が残した室内用クレーンは、大型作品の移動に重宝しているという。

作家だからこそ探究できる可能性

──一方で、牟田さんがデザインしている「irobiyori いろびより」のように、数千円で購入できる食器もありますよね。

はい。昔は自分でそば猪口などを制作して、金沢のお土産屋さんで売ってもらっていたんです。それをお客さんに見てもらって買ってもらったり、「かわいい」と言って見てもらったりする体験がすごく楽しくて。それがなくなってしまうのは悲しいので、九谷焼の転写技術で気軽に手に取れる食器も販売しています。作品だとどうしても気軽に日常使いをするといったことは難しいですが、こうした食器プロダクトであれば気軽に手に取ってもらえると思ったので。

──小型の作品から大型の作品まで、すべて一人で制作されているのでしょうか?

「irobiyori」は転写技術をもつ工房に依頼していますが、作品は自分で制作しています。九谷焼は一般的に生地を作る人と絵付けをする人で分業していることが多いのですが、私は粘土しごとから絵付けまで一貫して自身で作っています。

ただ、それができるのは夫のおかげも大きいです。やきものには表に見えない仕事がたくさんあります。例えば、土を練り合わせたり、釉薬の準備をしたり、さまざまな素材の焼成テストを繰り返してそれをまとめたり。経理や梱包、発注、管理といった事務的な作業もあります。そうした作業をすべて一人で担ってくれる夫は、いわば工房長です。

工房の2階は作品を紹介するギャラリースペース。大きな木のテーブルは、このスペースを前に所有していた仏師が残した木材を牟田の夫が加工したものだという。

──本来は分業である生地作りや焼成、絵付けを一人ですべて行う理由はなんでしょうか?

伝統工芸の職人さんの場合は、それぞれ自分の作風や手法を完成させ、それを突き詰めていきます。ひとつの技法を極めていくという考え方ですね。だからこそ、九谷焼には職人それぞれの作風があって、多様性があるんです。

ただ、私は作家としてはファインアートの考え方を起点としているので、作りたいもののイメージを決めて、そこに近づけるために何ができるかを考えています。「こうすべきである」とか「こういうものだ」といった固定観念は脱して考えるようにしています。

──アーティストだからこそ探究できる九谷焼の面白さがあるのですね。

ロンドンのファインアートの話に戻るのですが、言葉や文化といった背景がわかったからこそわかる面白さというものもあります。それは焼き物も同じで、最初は柄に惹きつけられましたが、その作り方を学ぶうちにいろいろな手法を融合させてみたり、絵付けだけでなく生地づくりも含めて自分の世界観を表現してみたいと思うようになりました。いまも果てしない実験を重ねながら、さらに何ができるだろうかと考えながら冒険しているさなかです。

 

工房の1階の大きな黒い機材は、大型作品の制作のために特注した電気窯。「おそらくかっこいいからという理由で、窯屋さんが黒に仕上げてくださったんです」と牟田は笑う。

Photos: Timothée Lambrecq