生き物はアートの材料ではなく「協力者」──人間中心主義からの脱却を試みるアーティストたち

バイオアートやエコロジーアートの分野で活躍するアーティストたちは、様々な作品を通じて気候変動や環境破壊といった地球規模の危機を訴えている。ここでは、「異種の共生」をテーマに作品制作に取り組むアーティストたちを取り上げる。

アン・ドクヒ・ジョーダン《Disembodiment》(2012) Photo: Courtesy Anne Duk Hee Jordan

蜂を制作のパートナーにしたガーネット・プエット

1980年代の初め、アーティストのガーネット・プエットは、4代にわたり養蜂業を営んできた家族が住むジョージア州の田舎から「逃げるように」出てきた。

プエットはニューヨークのアート界に憧れ、ブルックリンにあるプラット・インスティテュートの美術科修士課程に進学したが、そこで知り合った新しい友人たちに、幼い頃から親しんできた養蜂の話をすることはなかった。しかし、彫刻の授業でロストワックス鋳造(*1)という伝統的な技法を教わったとき、プエットは自分の知識に新しい使い道があることを知った。ロウは、養蜂業の家で育った彼が昔からよく知っている素材だ。通常、彫刻には塑像用のワックスを使うが、それに馴染めなかった彼は、扱いが難しいと教授から忠告されていた蜜蝋を使うようになった。


*1 最初にロウで原型を作り、その周りを石膏などで固めて鋳型を作る。ロウの原型を溶かし、流してできた空洞にブロンズなど金属を流し込む。

やがて彼は、鋳型ではなく彫刻そのものを蜜蝋でつくるようになり、さらには作品を蜂と共同制作するようになる。鉄や木でできた骨組みの上に蜜蝋を塗ると、蜂たちが寄って来て、巣を作ろうとその上に新たに蜜蝋を重ねる。そうするうちに、新しい形が徐々に形成されていくというわけだ。共同制作者の蜂は、ニューヨークまで郵送してもらった。「9.11の同時多発テロ事件の前は、20ポンド(約9キログラム)までなら、生きた蜂を郵送することができたんです」とプエットは説明する。彼は完成した作品を、「アピスカルプチャー(蜂彫刻)」(*2)と名づけた。


*2 ミツバチ属を意味する「apis」と彫刻「sculpture」を組み合わせた造語。
ガーネット・プエット《Mr. Zivic》(1986) Photo: Courtesy Hirshhorn Museum and Sculpture Garden, Washington, D.C.

プエットのアピスカルプチャーは、在学中から大きな注目を集めた。1985年にグレース・ボーゲニヒト・ギャラリーで開かれたグループ展に出した作品は、伝説的評論家のゲイリー・インディアナから絶賛されただけでなく、ピープル誌でも取り上げられた。26歳のときに制作した2作目のアピスカルプチャー《Mr. Zivic》(1986)も、すぐにハーシュホーン博物館と彫刻の庭に収蔵された。この彫刻には人々を興奮させる力があったようで、1985年にギャラリーで行われたオープニングパーティでは、蜂の巣にかじりつく客もいたほどだ。

プエットが頭角を表し始めた1980年代のアート界は、超商業主義的かつインパクト重視で、繊細で誠実な彼の作品がありのまま受け止められるはずもなかった。「あの頃のギャラリーシステムは本当に目まぐるしくて、コンスタントにアウトプットを求められました」と彼は回想する。所属ギャラリーは、蜜蝋の作品を保存し、売りやすくする方法を見つけるために協力してくれた。そして行き着いたのが、蜂たちが彫刻を作り終えたらロウを凍らせ、殺菌した上で、観客がスナックと間違えて食べてしまわないようにガラスケースに入れて展示するという方法だ。こうして、蜂の彫刻を収集可能なアート作品として売り出す体裁は整った。しかし、同じ時期に台頭してきていたジェフ・クーンズアニッシュ・カプーアのような作家たちは、ピカピカで巨大な作品を次々発表してアート界の注目を独占していた。プエットは、こうした環境の中で競争しなければならなかった。

同世代のアーティストたちのように大規模作品を作るよう所属ギャラリーから迫られたプエットは、蜂にはそんなことはできないと説明するほかなかった。10万匹の蜂の大群といっても、大きさとしては小型冷蔵庫ほどしかない。

「でもそこでは、とてつもない数の蜂が、膨大なエネルギーを使っています。その小さな頭脳を集結して、多くの仕事を成し遂げているんです。それに、フォルクスワーゲンほどもある蜂の大群を集めたとしても、より大きく、より良い作品を作ってくれるとは限りません」

ギャラリーはまた、作品をより魅力的にできないか、あるいはブロンズで作らないか、とも要請してきた。プエットは、「確かに、蜜蝋の塊は鶏肉のように見えると言われればその通り」と認めつつも、そうした要求はプロジェクトの精神に反していたため断った。蜂は彼の協力者であって、道具ではない。協力するもしないも蜂たちの勝手だから、「嫌になって、群ごと飛び去ってしまうかもしれない」。そもそも、この彫刻は人間の目を楽しませるためだけに作られたものではなく、「美しさを意図したものではない」のだ。

ガーネット・プエット《Soul Spur》(1996-2016) Photo: Courtesy Jack Shainman Gallery, New York

当初プエットは、注目を浴びたことは励みになると感じていたし、これを機に蜂に対する人々の意識が変わるのではないかとも期待していた。人間を刺す恐ろしい昆虫という風説(当時はミツバチが絶滅危惧種に指定され、救うべき種だとの認識が広がる前だった)とは裏腹に、ミツバチは人々が考えているほど頻繁には刺さないそうで、「モコモコとした、かわいい動物」なのだと彼は言う。また、ミツバチは蚕以外に人間が家畜化した唯一の昆虫でもある。プエットはさらに、自分の作品を通して都会の人々が自然とのつながりを取り戻してほしいとも願っていた。彼のアピスカルプチャーの多くが人の形をしていたのも、蜂の群れが個々人を覆い尽くし、自然が人間を覆い尽くす様子を見せたかったからだ。

しかしプエットは、その後、所属ギャラリーのディーラーのある行いを知ってしまう。

「毎春、業者を呼んで、自宅の敷地全体に殺虫剤を散布させていたんです。蜂アーティストを売り出していた彼が、そんなことをしていたなんて!」

幻滅したプエットはギャラリーで作品を売ることをやめ、商業美術の世界から足を洗った。たまに美術館の展覧会に参加する以外には作品を発表しなくなった彼は、ニューヨークに見切りをつけ、1995年には月400ドル(当時の為替レートで4万円弱)で借りていたブルックリンのウォーターフロントにあるロフトを引き払った。移住したハワイでフルタイムの養蜂家になったプエットは、現在アメリカ最大級のオーガニック認定蜂蜜農園を経営し、2000ほどある蜂のコロニーを管理している。

異種間コラボレーションの先達、リン・マーギュリス

ごく最近まで、種を超えた芸術的コラボレーションは非常に珍しかった。メディアで注目を浴びた数少ない作品に関しても、ほとんどがアートそのものより話題性が先行し、多くの場合、明らかに動物虐待と言える行為だった。中でも最も悪評高い事例は、昆虫ではなく毛皮のある動物を使ったアーティストの作品だ。たとえばヨーゼフ・ボイスは、1974年にコヨーテとギャラリーに3日間閉じこもる《I Like America and America Likes Me》という伝説的なパフォーマンスを行った。そしてその3年後、トム・オタネスは保護犬を射殺する様子を捉えた映画を制作した。オタネスはのちに作風を変えて彫刻家になり、その丸くかわいらしいブロンズ像は、ニューヨーク地下鉄の14丁目駅を飾っている。2007年に彼は、数十年前に作ったこの『Shot Dog Film』について「釈明できない」と謝罪した。

また、スン・ユアンとペン・ユーによる2003年の映像作品《Dogs That Cannot Touch Each Other》では、ランニングマシンにつながれた犬たちが互いに向かって走り寄ろうとしている。この作品はグッゲンハイム美術館で2017年に開催された展覧会に出展されたものの、動物愛護団体の抗議を受けて、会期が終わる前に撤去された。2000年にはエドゥアルド・カックが、クラゲから抽出した緑色蛍光タンパク質を用いた遺伝子操作によって、アルバという名の光るウサギを作ったと主張した。アルバの実物は公にされなかったので、その実在を疑う者もいるが、カックは「神の領域に踏み込んだ」と非難されている。

これらの作品はコラボレーションではなく、動物をアートの素材あるいは遊び道具、人間中心の物語に奉仕するシンボルとして扱ったものと言える。しかし今では、人間以外の生命体に対する人間中心的なアプローチが破滅的な結果を招きかねないということが、気候変動危機によって浮き彫りになっている。

そんな中、プエットなどの手法にも通じるエコアーティストたちが出てきている。たとえば、イェナ・ステラ、ベアトリス・コルテス、キャンディス・リンのような作家たちは、作品に独自の視点を加えてくれる貢献者や協力者として、ほかの種を迎えている。私たち人間が、倫理的に、かつ責任を持ってほかの種と協力し、共存していくにはどうしたら良いのか、その方法を探るために種を超えたコラボレーションに取り組んでいるのだ。

こうした異種間のコラボレーションは喫緊に取り組むべき課題だとの認識が、アーティストや思想家たちの間で広まるのに大きな役割を果たしたのが、進化生物学者の故リン・マーギュリスだ。彼女は、適者生存を前提とするダーウィンの進化論に異議を唱え、生物は相互依存的な関係を築きながら共に進化してきたことを示した。たとえば、私たち人間は、光合成をする植物のように自分の体内で食物を作れない。人間は他の種が繁栄できるよう手助けし、またその繁栄に依存して生きている。単に生存競争をして、他の種を打ち負かすわけではない。

MITリスト・ビジュアル・アーツ・センターで最近開催された展覧会「Symbionts: Contemporary Artists and the Biosphere(共生者:現代アーティストと生物圏)」展の共同キュレーター、キャロライン・A・ジョーンズは、マーギュリスのことを同展の「守護聖人」と呼んだ。同展のカタログの中でジョーンズはこう問いかけている。

「自分達が生き残るために、他の生命体に依存しているわれわれは、その関係をどのように認め、尊重すべきなのか? どうすれば、責任と互恵性を意識しながら生きていけるのだろうか?」

MITリスト・ビジュアル・アーツ・センターで開催された「Symbionts: Contemporary Artists and the Biosphere」展(2022年撮影)。Photo: Dario Lasagni/Courtesy MIT List Visual Arts Center

近年、「Symbionts」展のように、種を超えたアートの新時代を切り開く画期的な展覧会がいくつか開かれている。たとえば、トマス・サラセーノやピエール・ユイグのような異種の共生を訴えるアーティストの大規模展や、2015年にニューヨークのギャラリー、キッチンで開催され、大きな話題を呼んだアニカ・イの展覧会などだ。バイオアートのアイコン的存在として知られるイは、アート関係者の女性100人の体から綿棒で採取したバクテリアを使って香水を作成し、バクテリアカルチャー(培養)とアート界のハイカルチャーを融合させた。また、2022年のヴェネチア・ビエンナーレのメイン展示で、アルセナーレ会場の最後の展示室を飾ったプレシャス・オコヨモンのインスタレーションでは、人型の彫刻を包み込んだ葛とサトウキビが、会期中ずっと成長し続けていた。

ナマコと魚の共生関係に着想を得たアン・ドクヒ・ジョーダン

人類は何千年もの間、ほとんど無自覚に、ほかの種の進化を方向づけてきた。牛の祖先であるオーロックス(原牛)は、皮肉にも家畜から感染した病気(そしてもちろん狩猟)が原因で絶滅した。イエネコは、世話をしてくれる人間の関心を引くためにニャーと鳴くことを覚えたという。また、現在アメリカで樹木や農作物への脅威となっているスポッテッド・ランタンフライ(ビワハゴロモ科の虫)は「侵略的外来種」のレッテルを貼られているが、それを貨物船で持ち込んだのは人間だ。

地球上では、異なる生物種同士の関係によって、あらゆるスケールで生命が維持されている。たとえば、1人の人間の体内には10兆から100兆もの微生物が住んでいるというが、これらは私たちの共生者だ。マーギュリスをはじめとする科学者たちは、(人間のような)多細胞生物が今日存在するのは、古代に単細胞生物同士が結んだ共生関係のおかげだと主張してきた。異なる単細胞生物が融合することによって新たな種が生まれたというこの主張は、「細胞内共生説」と呼ばれている。

こうして見ていくと、私たちは自覚の有無にかかわらず、常にほかの種と協力し合っていることが分かる。種を超えた関係は科学的な事実であるのはもちろんだが、関係性である以上、それは文化的、社会的なものでもあると言える。だからこそ私たちは、不均衡に満ち、感情的で関係性に依存するこの領域を理解するための手がかりを見つけ、モデルとして提示してくれるアーティストを必要としているのだ。

こうした芸術的モデルの中でも、アン・ドクヒ・ジョーダンの仕事は際立っている。彼女の作品は、私たちの日常の中でほかの生物たちがどのように息づいているかを気づかせてくれるのだ。Zoomでインタビューを行ったときにジョーダンは、子どもの頃は「いつも動物と一緒だった」と話している。

現在ベルリンを拠点に活動する彼女は、朝鮮半島に生まれ、養子として迎えられたドイツの田舎で育った。

「人間があまり好きではありませんでした。特に私が育った地域の人々はとても人種差別的で、周囲には私と兄弟以外にアジア人はいなかったので辛い思いをしました」

近所の子どもたちから「ライスイーター」や「スリット(細目)」などと呼ばれていた彼女は、家で飼っていた犬や鶏たちと一緒に過ごし、ケガをした野生のカラスとも仲良くなった。そして27歳の時にベルリン芸術大学に入学し、自然の要素を取り入れた作品で知られるオラファー・エリアソンに師事している。

アン・ドクヒ・ジョーダン《Culo de Papa》(2021) Photo: theta.cool

「海の女神」を意味する韓国名を持つジョーダンは、大学に入る前はレスキューダイバーとして働いており、水中に潜る中でナマコに魅了されていった。海底に積もった有機物を食べるナマコは知能が高くないと考えられているが、ある意味で不死身と言えるかもしれない。ナマコの命が老化の末に尽きることを示す証拠はなく、傷や病気が死因になるという。また、ナマコはある種の魚と共生関係にあり、この魚たちは捕食者から身を守るために、ナマコの肛門に隠れるのだそうだ。

こうした共生関係に着想を得たジョーダンは、2012年に《Disembodiment(肉体からの離脱)》というプロジェクトに取り組み始めた。ただ、ジョーダンは魚をナマコの肛門に入れる代わりに、自身のお尻からジャガイモが生えてくるアニメーションを制作した。彼女と同様、ドイツに根付いてはいるが、異国から持ち込まれたジャガイモに、親近感を抱いていたのだという。

南米のインカ帝国の人々が栽培していたこの植物をヨーロッパにもたらしたのはスペイン人征服者だ。1774年の飢饉の際には、プロイセン王のフリードリヒ2世の指示によってドイツで広く栽培されるようになり、今では主食になっている。ジョーダンは、共通する過去を持つこの植物との関係を深めたいと考えたのだ。

これに先立つ2011年にも、彼女は《Compassion(思いやり)》というジャガイモとのコラボレーション作品を発表している。それは、ジャガイモに水ではなく自分の血液を与えて栽培するというものだった。

2021年、ジョーダンはベルリンでフンボルト・フォーラムのオープンを記念するプロジェクトに参加しないかと誘われた。再建されたベルリンの王宮内に2020年末にオープンしたこの施設には、ベルリン民族学博物館とアジア美術館のコレクションが展示されている。ジョーダンは多くの人々と同じく、世界中から略奪された品々を帝国主義的な宮殿に収蔵したこの施設に対して深い疑念を抱いていた。

そこで彼女は、断られることを前提に、提示された予算の3倍ほどの制作費がかかるサイトスペシフィックなインスタレーション案を提出した。ところが、驚いたことにこの案は受け入れられた。こうしてできたのが、《Disembodiment》をアレンジした《Culo de Papa(パパのお尻)》だ(スペイン語で「パパ」は「父」と「ジャガイモ」の両方を意味する)。ジョーダンは自分のお尻をスキャンした形をもとに3Dプリンターで33個の植木鉢を出力し、ジャガイモを植えてフンボルト・フォーラムの外に並べた。33個にしたのは、それが最もお尻の形に似た数字だからだ。

アン・ドクヒ・ジョーダン《Culo de Papa》(2021)Photo: theta.cool

フンボルト・フォーラムは、「ジャガイモ王」やフリードリヒ大王などの異名を持つフリードリヒ2世を含め、かつてのプロイセン王たちが住んでいた宮殿に入っている。ジョーダンの作品は、ジャガイモとこの施設の両方に関係する植民地の歴史に対する皮肉な切り返しだった。ジャガイモが植えられた植木鉢の列の向こうにあるキオスクでは、この植物に関する植民地時代の歴史を解説したポストカードが配布された。「来場者たちの中にはショックを受けて、私を怒鳴りつける人もいました」と彼女は語る。「よくもそんなことを! ここがどういう場所か知っているのか? という感じでした」

異種への謙虚な姿勢を反映したアートを

アート界やアカデミズムの世界では、同じ生物でも、知性や生産性など人間の基準で価値のあるものが優遇されるが、ジョーダンの作品はこうした傾向を巧みにあぶりだしている。たとえば、トゥオマス・A・ライティネンは謎解きをするタコとコラボレーションしており、アグニエシュカ・クラントは塚を作るシロアリと彫刻シリーズを制作した。クラントの作品はシロアリの集団的知性を強調し、人間は彼らの協業モデルから学べるのではないかと訴えかけている。これとは対照的に、ジョーダンはナマコやジャガイモといった単純素朴とされる種を取り上げる。軽視されがちなこうした生物であっても、世話をしたり注目したりするのに値するからだ。

12月4日から、ジョーダンにとってアメリカの美術館で初となる展覧会がマイアミのザ・バス(The Bass)で開かれている。種を超えたコラボレーションで知られるほかの多くのアーティストと同様、彼女は学者で著述家のダナ・ハラウェイの影響を受けており、2019年にはハラウェイの著書『Staying with the Trouble』(2016)にちなんだタイトルのビデオインスタレーションを制作している。このインスタレーションでは、オオカバマダラ蝶と人間の5世代にわたるシンビオジェネシス(*3)的な関係についての思弁的なストーリーが語られている。


*3 2つ以上の有機体が統合され、新たな1つの有機体が形成されること

人間とほかの種との交わりというジョーダンが掲げるテーマは、ハラウェイの2007年の著書『犬と人が出会うとき──異種協働のポリティクス』にも通じる。画期的な論考を提示したこの本の中でハラウェイは、異なる種同士の関係について、日常的ないたわり合いの視点を欠いた哲学的、理論的、そして過度に知的な議論を批判している。たとえば、『千のプラトー 資本主義と分裂症』(1980)で、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは「動物になること」についての理論を展開した上で、種を超えたいたわり合いなど感傷的すぎて取り合うに値しないとばかりに「猫好きや犬好きは愚か者だ」と付け加えていることを指摘。さらにハラウェイは、飼い猫の前で裸になることへの恐怖心について哲学的エッセイを書いたジャック・デリダも揶揄している。

種を超えたコラボレーションが、知的、あるいは科学的な取り組みとして枠にはめられがちなアートの世界で、ジョーダンの異種に対する謙虚な姿勢はある意味異彩を放っている。彼女が作る作品は、人間以外の生き物と日常的に接してきた人物の手によるものだと分かる。それは蜂たちと生きてきたプエットの作品も同じだ。

実はプエットは、最近、アートの世界に戻ることを発表した。ジャック・シャインマン・ギャラリーに所属した彼は、2024年にロサンゼルスのハマー美術館での新作発表を予定している。これは、ゲティ財団が数百万ドルもの資金を提供し、「アートとサイエンスの衝突」をテーマに掲げる「Pacific Standard Time」というプロジェクトの一環として開かれる展覧会。彼はそこで、3Dプリンターで出力した骨組みを設置するという。展示期間中、その周りをミツバチが行き来し、彫刻を作っていく様子を来場者は見ることになるだろう。棒を削ったり、土器を作ったりする人間を表現したものになるというそれらの彫刻について、プエットは、「アルゴリズムが出現する以前の人類」の姿だと説明する。(翻訳:野澤朋代)

from ARTnews

あわせて読みたい

  • ARTnews
  • SOCIAL
  • 生き物はアートの材料ではなく「協力者」──人間中心主義からの脱却を試みるアーティストたち