「アフリカ美術」を制作する意味とは──母国スーダンを追われたアーティストたちが見る未来

2024年4月、アフリカの現代アートを発信する「space Un」が東京・青山にオープン。また、2026年ヴェネチア・ビエンナーレの芸術監督に、カメルーン出身のコヨ・クオが任命された。しかし、アフリカの現代美術は、多くの日本人にとってまだ身近な存在ではないかもしれない。本稿では、2年前から内戦が続き、国内外の避難民が1200万人以上にのぼるスーダンのアーティストたちに光を当て、その境遇と作品を紹介する。

ラシード・ディアブ「Out of Focus」シリーズの作品(2021)。Photo: Courtesy Dara Art Gallery
ラシード・ディアブ「Out of Focus」シリーズの作品(2021)。Photo: Courtesy Dara Art Gallery

スーダンで最も多作な画家の1人で、美術史家でもあるラシード・ディアブ(Rashid Diab)は、息子のヤフィル・ムバラク(Yafil Mubarak)の隣に座り、現在拠点としているマドリードのスタジオからビデオ通話で取材に応じてくれた。アーティスト、そしてキュレーターとして活動しながら、スタジオマネージャーとして父を支えるムバラク、そしてディアブは、スーダンで内戦が勃発して以来、2年近く国外で避難生活を送っている。彼らは愛する祖国の過去と現在、そして未来について、こう話しはじめた。

「私たちの国に来て、全てを破壊した人たちはスーダン人ではない。どうすれば本物のスーダン人を存続させられるのか、それが問題だ」

ディアブがそう言うと、ムバラクは父にこう問い返した。「本物のスーダン人を存続させるって言うけど、そもそも本物のスーダン人って?」

「本物のスーダン人とは、自国の人々を尊重する人たちだ。自国を愛し、自国民を愛し、国がより良い方向へと変化することを望んでいる人のことを言う」とディアブ。

「つまり、国粋主義者でなければスーダン人ではない、ということ?」とムバラクは父に迫る。「スーダンを誇りに思えなければ、スーダン人ではないと?」

内戦で数千の作品が失われ、アーティストが避難民に

こんなやり取りを1時間ほど続けていた父と子は、スーダンの2つの世代を体現している。自分が育った国がかつての姿を取り戻せるとの希望を捨てきれない年長者と、そうした期待を捨て、白紙からやり直すしかないと考える新世代だ。どちらも自らが故郷と呼ぶ国に深い絆を感じつつ、そうした帰属意識がもたらす緊張をはらんだ重みを痛いほど感じている。そうした思いをディアブはこう吐露した。

「想像しうる限り最悪のことは、記憶や思い出を失うことだ」

2023年4月に勃発したスーダン国軍と準軍事組織との武力衝突は、それまで盛り上がりつつあった同国のアートシーンに壊滅的な打撃を与えた。戦争の前、首都ハルツームには複数のギャラリーが並び、立派な展示施設やコミュニティセンターが設立され、国立美術館の建設に向けた議論が進められていたところだった。

しかし、それらはことごとく破壊され、放棄され、廃墟と化してしまった。

ラシード・ディアブ《Out of Memory》(2017) Photo: Courtesy Dara Art Gallery
ラシード・ディアブ《Out of Memory》(2017) Photo: Courtesy Dara Art Gallery

内戦の前、ハルツームにあるダウンタウン・ギャラリーは、スーダンのベテラン作家による大作から新進アーティストの作品まで500点以上の絵画を所蔵していた。2019年の設立以来、「制約や規制を設けず、スーダン人作家による世俗的な作品を展示するスペース作り」を目指していた同ギャラリーの展覧会は、幅広い世代のアーティストの作品が見られると定評があった。ダウンタウン・ギャラリーのオープン以降、ここで作品を発表したアーティストの数は合計68人ほどで、そのうち40人は所属作家だ。

同ギャラリーの創設者ラヒム・シャダード(Rahiem Shadad)によると、同ギャラリーは首都での戦闘で60点から80点の絵画を失った。だがスーダン全体で見ると損害はずっと大きいという。

「数千点もの作品が失われたと思います」と話す彼が最も心を痛めているのは、図録にまとめる機会がなかった長老アーティストの作品が失われたことだ。デジタル画像として記録が残っていないそれらの作品は、この世から永遠に消えてしまった。一方で、こうした事態を避けるための取り組みも生まれている。その1つがギャラリストのリーム・アルジャリー(Reem Aljeally)が設立したデジタル保管庫「スーダン・アート・アーカイブ」で、過去100年にわたるスーダンの美術作品を保存している。

ヤスミン・アブドゥラ《SURROUNDED BY UNSPOKEN WORDS》(2024) Photo: Courtesy the artist
ヤスミン・アブドゥラ《SURROUNDED BY UNSPOKEN WORDS》(2024) Photo: Courtesy the artist

スーダンらしさとその多様性を独自の色彩や写真で表現

現在、多くのスーダン人アーティストやキュレーターが国外へと逃れ、避難先で自国の記憶を保存しようと努めている。スーダンでは、戦争が始まって以来、1200万人超が家を追われ、国内外の避難民になっているが、これは同国人口の4分の1以上に相当する。

現在、オマーンのマスカットに住むヤスミン・アブドゥラ(Yasmeen Abdullah)もその1人だ。彼女は妊娠8カ月のときに自宅があったハルツームを脱出し、停電の中、隣町で出産。その後、息子のために故国を離れることを決意した彼女は、家族を養う収入を得るためにフリーランスのグラフィックデザイナーとして働いている。

「私は何も持たずに故郷を出ましたが、最も辛かったときにもアートは常に私とともにありました。暗闇の中に一条の光があったのです」

アブドゥラの絵の多くは、パレスチナを代表する詩人、マフムード・ダルウィーシュの詩に着想を得ている。その1つは、浸水した室内で人々が暮らす超現実的で夢のような情景を描いた《SURROUNDED BY UNSPOKEN WORDS(口に出さない言葉に囲まれて)》(2024)だ。

ヤスミン・アブドラ《The Buttefly Effect》(2024) Photo: Courtesy the artist
ヤスミン・アブドラ《The Buttefly Effect》(2024) Photo: Courtesy the artist

《The Butterfly Effect(バタフライエフェクト)》(2024)という作品では、顔のない1人の人物が黄金色の野原に座っている。この人物の周りにある綿花のような植物は、薄明かりの中を飛び交う蛍のように明滅する。重さを感じさせない花の1つひとつが記憶の入れ物のようでもあり、時間の中で宙吊りになったそれらは、熟して摘み取られるのを待っている。

絵を描くとき、アブドゥラはまず背景に色を塗り重ねる。そして一休みし、「顔が浮かび上がってくるのを待ちます」と彼女は説明する。「主人公が私の前に姿を現すまで待ってから、その周りを埋めていくのです」。一見、スーダンの伝統的なアートとは異なる自らの作品について、アブドゥラはこう断言する。「間違いなくスーダン的な作品です。この色を見てください」

彼女はスーダンらしさにこだわりつつ、それ以上に強く心がけていることがある。それは自作が、自らが生き抜いてきた時代の証、自国の人々が困難を乗り越える強さの証になることだ。現在2歳になる息子について彼女はこう話す。

「この子が言葉を話せるくらい大きくなったら、この色の層の中に自分自身を発見してほしいと思っています。説明せずとも、絵の中に自分の一部を見出してほしいのです」

アラ・ヘイル《Tea under the bridge, Omdurman》(2022) Photo: Courtesy the artist
アラ・ヘイル《Tea under the bridge, Omdurman》(2022) Photo: Courtesy the artist

写真を使ってスーダンの美しさを捉えるのは、アーティストのアラ・ヘイル(Ala Kheir)だ。静かな金曜の朝、街が完全に目を覚まし、本格的な暑さになる前に通りをぶらつきながら、彼はレンズ越しに独特の視点でこの国を見ていた。

「スーダンにいて実際に感じる雰囲気と、メディアの中のスーダンやその政治状況との間には大きな隔たりがあります。実際のスーダンは信じられないほど多様です。多数派を形成する民族は存在しますが、この国では驚くほどさまざまな要素が混ざり合っているのです」

現在ヘイルは国外の複数の拠点を渡り歩きながら、たびたびスーダンに戻っている。戦争が始まる前、彼は「The Other Vision(ジ・アザー・ビジョン、TOV)」という写真教育プログラムをスーダンで立ち上げていた。しかし、内戦勃発後はTOVの活動を国外からリモートで行うことを余儀なくされ、レンズを向ける対象もスーダンの美しさから破壊へとシフトした。

「私がやらなければ、誰もやらないでしょう。外国人ジャーナリストはいませんし、いたとしても彼らは紛争に焦点を当てるだけで、人々の声や人間的な側面は取り上げません」

アラ・ヘイル《Renad Abdul Rahman, 2023—near the Sudan-South Sudan border, in Renk》(2023) Photo: Courtesy the artist
アラ・ヘイル《Renad Abdul Rahman, 2023—near the Sudan-South Sudan border, in Renk》(2023) Photo: Courtesy the artist

自らのアイデンティティを自問自答するアーティストたち

冒頭で紹介したアーティストのディアブは、アフリカ大陸を離れた今、「アフリカ美術」を制作する意味とは何だろうと取材中に自問しながら、その背後にある思いを語った。

鮮やかな色使いでスーダンの生活を緻密に描くことで知られるディアブは、作品の中で伝統と現代性を交差させることが多い。日常生活のリズムを捉えた彼の絵には、流れるようなトーブ(大きな布を体に巻き付ける伝統衣装)をまとった女性たちがよく登場する。ある絵の中では、空や砂漠など広々とした空間を背景に。また別の絵では、屋台が並ぶ賑やかな市場の中に。ディアブの作品は彼の記憶の記録であり、国外に逃れた現在、それはより痛切なものになっている。

「どこにいても私という人間は変わりません。肉体が別の場所に移ったとしても、私の魂はそこにとどまり続けています」

50年以上にわたり収集してきた物が飾られたスタジオ兼自宅があるハルツームについて、ディアブはそう語った。また、自らがデザインした文化センターを開設するという子どもの頃からの夢を実現したのもハルツームだった。だが今や、ラシード・ディアブ・アーツ・センターは略奪と破壊に遭い、彼の夢も打ち砕かれた。

内戦はこの4月で2年目を迎えるが、スーダン人が再び1つになって国を復興させるという希望は遠のき、荒廃へ向かう悪循環から抜け出せないでいるようだ。多くのアーティストにとって、帰還の見込みは日を追うごとに手が届かないものになっている。

ラシード・ディアブ「Portrait of War」シリーズより《Portrait I》(2023)。Photo: Courtesy Dara Art Gallery
ラシード・ディアブ「Portrait of War」シリーズより《Portrait I》(2023)。Photo: Courtesy Dara Art Gallery

ディアブと同じ思いを抱いているスーダン人アーティストは多い。その1人に、現在ロンドンを拠点としているコラージュアーティスト、ヤスミン・エルヌール(Yasmin Elnour)がいる。かつて、スーダン北部にあるヌビア人の町、ワディハルファに住んでいた彼女の家族は、1960年代のアスワン・ハイ・ダム建設の際に水没した町から出て行かざるを得なかった。

エルヌールは、そうした過去によって形成された自身のアイデンティティを、コラージュ作品の中で追求している。その根底にあるのは、喪失の中で見出した可能性だ。作品の1つは、珊瑚色や白、青色で描かれた宇宙的な景色の中にトーブをまとった女性が立っているもので、目からは赤いルビーのような涙が流れ落ちている。

彼女はUS版ARTnewsの取材にこう語った。「私はよく自問自答します。アイデンティティを持つにはその根拠となる物理的な場所が必要なのか、私たちが私たちであり続けるために、ヌビアという土地は必要なのかと」

ヤスミン・エルヌール《Carry Me Home》(2019) Photo: Courtesy the artist
ヤスミン・エルヌール《Carry Me Home》(2019) Photo: Courtesy the artist

今のところ、避難生活を送るスーダン人アーティストたちにできることは、作品を作り続けることだけだ。「私ができるのはそれだけです。父も同じ意見だと思います」と、ディアブの息子ムバラクは語る。

「私たちは軍人でもなければ自由戦士でもありません。けれども、スーダンを代表する大使として祖国の記憶をつなぎ、世界に発信することはできます。スーダンが、終わりのない内戦や流血沙汰だけの国ではないと、世界に向けて示すことができるのです。私たちは思想家であり、創造者です。私たちには哲学があり、芸術があります」(翻訳:野澤朋代)

from ARTnews

あわせて読みたい