女性アーティスト支援団体の25年の軌跡を示すグループ展がNYで開催中。オープニングには長蛇の列

女性作家への助成金プログラムを30年近く続けてきた非営利団体、「アノニマス・ワズ・ア・ウーマン(Anonymous Was A Woman)」の活動を振り返る展覧会が、ニューヨーク大学グレイ美術館で開かれている(7月19日まで)。「女性は名もなき存在だった」を称するこの団体が支えてきたアーティストによる作品のレビューをお届けする。

メアリー・ハイルマン《Jack of Hearts》(2005) Photo: Oren Sor/Courtesy the artist, 303 Gallery, New York, and Hauser & Wirth/©Mary Heilmann/Private collection, Los Angeles
メアリー・ハイルマン《Jack of Hearts》(2005) Photo: Oren Sor/Courtesy the artist, 303 Gallery, New York, and Hauser & Wirth/©Mary Heilmann/Private collection, Los Angeles

ニューヨーク大学グレイ美術館の展示室の1つに入ると、中央に設置された台座からアーティストのロナ・ポンディックの頭——正確には彼女の頭を模した彫刻——が突き出ている。その肌は濃いピンク色で、耳は半透明、頭には毛がなく、目は閉じられている。まるで水面から顔を出すかのように、不自然なほど鮮やかな黄色の樹脂でできた水面から顔を出すかのように、長い間自分を覆い隠してきた膜の外へ出ようとするようなその姿を見ていると、そこから目を離せなくなる。

《Magenta Swimming in Yellow(黄色の中で泳ぐマゼンタ)》(2015-17)と題されたこの彫刻は、グレイ美術館で7月19日まで開催中の展覧会「Anonymous Was A Woman: The First 25 Years(アノニマス・ワズ・ア・ウーマン:最初の25年)」のアイコンにふさわしい象徴性を持っている。29年前の設立以来、「アノニマス・ワズ・ア・ウーマン」(以下、AWAW)は300人以上の女性を自認するアーティストに助成金を授与してきた。美術評論家のナンシー・プリンセンタールとキュレーターのヴェセラ・スレテノヴィッチが企画した同展では、これまでの受賞者のうち5分の1ほどが紹介されている。もちろん、ポンディックもその1人だ。

毎年15人に、それぞれ700万円超の助成金を授与

スペース的な制約もあり、ここにAWAWの全歴史は網羅されていない。グレイ美術館は、野心的な展覧会を度々開催しているものの、施設の規模としては小さいからだ(実を言うと、私は10年以上前の学部生時代にここでインターンをしていた)。しかし、不完全な形であれ、この展覧会はAWAWがアメリカのアートシーンをより良い方向に変えてきたことを、説得力を持って示している。そして、アート界の大部分が女性アーティストに冷淡だった時代から創作活動の支援を続けてきたAWAWが、多くの人に愛されていることを称えるだけでなく、その活動を世間に知らしめるための苦労とそれを乗り切るために必要だった忍耐力にも光を当てている。

展示されている作品の多くは、厳粛さと緊張感に満ちている。1999年にローラ・アギラールが手がけた写真作品《Stillness #25(静寂 no. 25)》もその1つだ。この写真では、カリフォルニアの砂漠で裸のアギラールが丸くなって横たわっている。鑑賞者に背を向けているので顔は見えないが、その上ではためく布とは対照的に、アギラールの身体はしっかりと大地とつながり、揺るぎない。一方、近くに展示されているジャネット・ビッグスによる2007年の映像作品《Airs Above the Ground(空中で舞う)》(*1)では、1人の女性がプールの中で手脚を動かし、浮力に逆らいながら水面下に長くとどまっている。そうするにはたゆまぬ努力と訓練、持久力が必要で、同じ姿勢を保つのは簡単ではない。見てくれる人が誰もいないとなると、なおさらだ。

*1 「Airs Above the Ground」とは古典馬術の大技の1つで、技巧を凝らしたジャンプ。馬には瞬発力、バランス力、持久力など高い能力が求められる。

ほぼ同時期に完成した2つの作品は、この展覧会で見ることができる多くの作品と同様、AWAWの助成金を得て制作されている。助成金受賞者になった2000年当時はまだ、アギラールの大規模な美術館展が開かれたことはなかった(その後、2017年にロサンゼルスのヴィンセント・プライス美術館で初めて実現)。ビッグスのほうは、いまだその機会を得られていない。

ロナ・ポンディック《Magenta Swimming in Yellow》(2015-17) Photo: Courtesy the artist and Steven Zevitas Gallery, Boston/Private collection, Boston
ロナ・ポンディック《Magenta Swimming in Yellow》(2015-17) Photo: Courtesy the artist and Steven Zevitas Gallery, Boston/Private collection, Boston

AWAWは現在、毎年15人にそれぞれ5万ドル(約720万円)の助成金を授与している。対象者は知名度があまり高くない作家だけではなく、美術館での展示実績を持つ中堅アーティストが選ばれることも少なくない。たとえば今年の夏、メトロポリタン美術館恒例の屋上庭園における展示で、コミッションワークを発表するジェニー・C・ジョーンズは、2017年に助成金を獲得。同じ年には、現在ホイットニー美術館で個展が開かれている画家のエイミー・シェラルドもいる。2012年に助成金を得たアンドレア・フレイザーは、当時すでに体制批判を軸としたパフォーマンス・アーティストとして名が知られており、2010年のルイーズ・ローラーは、かなり前からピクチャーズ・ジェネレーション(*2)の中心的なメンバーとして活動する写真家だった。

*2 1970年代半ばに台頭した写真家の一群。既存の広告や写真を再度撮影することでイメージを流用し、大衆文化を批評する作品を生み出した。

ほかにも幅広いジャンルのアーティストたちが、AWAWの助成金を受賞している。ジョーン・ジョナス、センガ・ネングディ、キャロリー・シュニーマン、ベティ・サール、セシリア・ビクーニャ、イヴォンヌ・レイナー、ロレイン・オグラディ、シモーヌ・リー、タニア・ブルゲラなどの顔ぶれから分かる通り、その多くは今では広く知られた存在だ。

もちろん、昔からそうだったわけではない。少し前まで、アメリカの美術館に作品が収蔵されている作家のジェンダーバランスは男性に大きく偏っていた(ジャーナリストのジュリア・ハルペリンとシャーロット・バーンズの最近のレポートによれば、この傾向は現在も続いている)。そうした中、1996年に写真家のスーザン・アンターバーグが状況を改善しようと設立したのがAWAWだ。この団体の名前は、先駆的なフェミニズムのエッセイとして有名なヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』(1929)の一節(*3)から取られている。

*3 「For most of history, Anonymous was a woman(歴史の大半において、女性は名もなき存在だった)」

2018年にニューヨーク・タイムズ紙がこの非営利団体についての記事を掲載し、アンターバーグが創設者だということが公になるまで、AWAWは一般にはほとんど知られていなかった。しかし、メディアから注目されるのは遅かったが、アーティストやアート界の関係者の間ではしばしば話題に上り、愛される存在だった。そして今、AWAWの支援を受けたアーティストの数は誰も無視できないほど増えている。誰が助成金を授与されるかは毎年の大きな関心事で、その注目度はアメリカで最大級の美術賞と並ぶほどだ。

ジャネット・ビッグス《Airs Above the Ground》(2007) Photo: Courtesy the artist, New York

フェミニスト視点の社会批評や抽象的な女性差別表現も

グレイ美術館で開かれている展覧会は、表に出ることが少なかったこの団体にとって、またとない宣伝の場だと言える。キュレーターのプリンセンタールとスレテノヴィッチはこの機会を活用し、実力に見合う評価をまだ得られていない受賞者に光を当てている。私が見たところ、出展作家のうちニューヨークで個展を開いたことがあるのは、写真家のアン・ミー・レーと画家のメアリー・ハイルマンだけだ。

展示されている作品全てに共通するスタイルはないが、当然ながらフェミニストの視点から社会を批評した作品は少なくない。A.I.R.ギャラリーの創設者、ドッティ・アティ(彼女の業績を包括的に紹介する回顧展が待たれる)が2018年に手がけた作品もその1つだ。それは4つの画面で構成された絵画作品で、俳優オーソン・ウェルズの暗いトーンの写真を描いたものや、「WHO KNOWS WHAT EVIL LURKS IN THE HEART OF MAN?(男が内心でどんな邪悪なことを考えているか、誰が知るだろうか?)」というテキストが目に入る(*4)。この問いへの答えはすぐ隣にかけられた絵の中にある——そこに描かれているのは古いラジオを触りながら微笑むヌードの女性だ。

*4 オーソン・ウェルズも出演していた人気ラジオドラマ「ザ・シャドー」のセリフをもじったもの。このドラマはのちにパルプ・マガジン化され、さらに映画化された。

また、ビバリー・セムズの《RC》(2014)という作品もある。壁にかけられたベルベットの長い布は女王のドレスのように見えるが、タイトルの2文字はポルノ女優をテーマにしたセムズの「Rough Censor(荒々しい検閲者)」シリーズから来ている。さらに、故アイダ・アップルブルーグの作品《Monalisa(モナリザ)》(2009)は女性ヌードを皮肉った作品で、身体が膨張し、コブだらけのように見える皮膚に覆われた人物が虚ろな表情で鑑賞者を見つめ返している。

上で紹介した作品より遠回しな形で、何世紀にもわたる女性差別を表現した作品もある。こうした作品の多くは、特に男性優位が目立つ分野である抽象表現に取り組むアーティストのものだ。たとえばポリー・アプフェルバウムは、丸めた絵画を床に並べて展示し、キャリー・ヤマオカは、緩衝材の気泡シートを使って滲みを表現している。また、男らしさを茶化した作品もあり、たとえばチャカイア・ブッカーは、タフな不良のイメージが強い自動車カルチャーの象徴であるタイヤを用いて、セクシーで遊び心のある彫刻に仕上げている。細くちぎったゴムタイヤで作ったその作品、《Reclining Torso Breastfeeding Herself(横たわり、自らに乳を飲ませるトルソー)》は、タイトルが仄めかしているように、子どもに授乳する母親のように見える。

キャリー・ヤマオカ《Blue Verso》(2018) Photo: Courtesy the artist, Ulterior Gallery, New York, and Commonwealth and Council, Los Angeles

今回の展覧会は彫刻や絵画、染織作品が中心で、パフォーマンス・アートやビデオ・アートは少ない。おそらくこれはグレイ美術館のリソース不足によるものだろう。しかし、トランスジェンダーアーティストの作品が皆無なのは、簡単には見過ごせない。AWAWは2018年に助成金の対象を「女性(women)」から「性自認が女性である人(women-identifying)」に変更しているが、ミカ・カルデナスが選ばれた2022年まで、トランスジェンダーの受賞者は1人もいなかった(グレイ美術館の展覧会は2020年までの受賞者で構成されているため、カルデナスは出品作家に含まれていない)。AWAWが今後も重要な存在であり続けるには、もう少し早く時代の変化に追いつく必要があるだろう。

しかし、AWAWの活動が人々の心を捉えていることは間違いない。その証拠に、グレイ美術館の展覧会オープニングには長蛇の列ができていたし、展示作品も活気に満ちたこのコミュニティが拡大し続けていることを物語っている。

そうした中、何人かの作家が女性同士のネットワークを視覚化した作品を制作しているのは不思議ではないだろう。その1人、ヴァレスカ・ソアレスの2017年の作品《For To (X)([X] へ捧ぐ、のために)》は、何十冊もの本から献辞のページを切り取ってコラージュのように並べている。集められた献辞のほとんどには、相手の名前が記されていない。そして、女性だけでなく、男性がこうした扱いを受ける場合もある(たとえば「この本を私たちの人生の中の全ての男性たちに捧げる」というように)。

しかし、この作品を見ていて気付かされるのは、献辞で「妻」や「母」という言葉がいかに頻繁に使われているかだ。ソアレスがここで明らかにしたように、名もなき存在として扱われるのは女性が圧倒的に多い。アートの世界でこうした慣行がなくなるよう活動を続けてきたAWAWが、さらに発展することを願う。(翻訳:野澤朋代)

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