世界中のカラヴァッジョが大集結! 波乱万丈な生涯を送った大芸術家の回顧展をレビュー
ローマのバルベリーニ宮殿でカラヴァッジョの回顧展「Caravaggio 2025」が開催されている。波乱に満ちた生涯を送った天才画家の作品24点が一堂に集められた本展覧会には、「これまで一度も見ることのできなかった唯一のカラヴァッジョ」と評される肖像画や、美しさと暴力性、神聖さと世俗性の緊張関係を映し出した作品などが展示されている。

カラヴァッジョがオールドマスターと呼ばれるようになってから、そう時間は経っていない。16世紀末に「ローマで最も優れた画家」として評価されていた彼の人気は死去して数十年後には衰え、1660年になるとフランス人画家のニコラ・プッサンに「カラヴァッジョは絵画を破壊するためにこの世に生を受けた」と非難された。その後、第2次世界大戦が終戦するとイタリアの美術史家、ロベルト・ロンギによって再評価され、再び注目されるようになった。以来私たちは、彼の作品に魅了され続けている。
ローマの国立古典絵画館(バルベリーニ宮殿)で開催されている回顧展「Caravaggio 2025」(7月6日まで)は、カラヴァッジョの現存する約60点の作品のうち、厳選された24点が展示されている。これらは彼がローマで制作活動を開始した1595年頃から38歳で没する1610年までの期間に制作されたもので、特に注目すべきは、2021年にスペインのオークションで誤って低価格で出品されかけた《Ecce Homo》(1606-1607頃)や、1595年頃にカラヴァッジョが描いたと考えられるマッフェオ・バルベリーニの肖像画など、カラヴァッジョ再評価の流れとともに、彼の作品目録が現在も拡大し続けていることを物語る作品群だ。教会や美術館に所蔵されている14点の作品と、ボンコンパーニ・ルドヴィージ邸で公開されている天井画を加えると、ローマへ一度訪れるだけで、カラヴァッジョが残した作品の約3分の2を鑑賞できる。
私生活が色濃く反映された作品群
カラヴァッジョに惹きつけられるのは、作品もさることながら彼が送ってきたスキャンダラスな生涯そのものも理由の一つと言えるだろう。ミケランジェロ・メリージ(父が仕えていた貴族から名前を取る前の本名)は、彼が残した絵画と同じくらい、素行の悪さで知られた人物だった。彼は許可なしに剣を携行し、ウェイターにアーティチョークが乗った皿を(おそらく侮辱の言葉とともに)投げつけて逮捕されたこともある。カラヴァッジョはのちに、テニスの試合の賭け金の支払いをめぐるトラブルで対戦相手を殺害したため死刑判決を受け、最終的にはローマを離れることとなった。ローマから逃げ出した彼は、同市の司法権が及ばないナポリに住む貴族、コロンナ家の庇護を受け、その後マルタ騎士団の騎士として迎え入れられている。その後カラヴァッジョは友人を頼ってシチリアへ逃れたのちに、再びマルタを経由してナポリへ帰還したが、何者かに宿屋で襲撃され、その顔は「誰だか認識できないほど」傷つけられた。さらに彼はマラリアに罹患し、ローマへ戻る途中で孤独死した。

自身の姿を作中に巧みに紛れ込ませたアーティストはそう多くないが、その波乱万丈な人生は、カラヴァッジョの作品に色濃く反映されている。例えば、ローマを離れるきっかけとなった殺人事件で赦免を求めていた時期に制作されたとされる《David with the Head of Gliath》(1606年頃)では、ゴリアテの首が自らの顔に置き換えられている。こうした描写は、カラヴァッジョが自身と作品を鑑賞者に差し出した証ともいえ、まるで自らの悲惨な末路を予感していたかのような印象を与える。
一方、カラヴァッジョの制作手法は、年月を経るごとに新鮮さを増している。強烈で特異な人物の存在感を描くと同時に、カラヴァッジョは現実を映し出す鏡のような純粋な表現の世界を創出した。展覧会の冒頭に展示されている《Narcissus》(1597-1598)はその好例と言えるだろう。彼の絵画は技術的に極めて精巧かつ魅力的でありながら、不穏さを孕み、より多くの疑問を鑑賞者に投げかけている。マニエリスムが盛んだった当時のローマでは想像上の美が理想とされていたなか、カラヴァッジョは現実世界を切り取って描くことに固執していた。
ナチュラリズム的な手法は、《The Cardsharps》(1596-1597)のような世俗的な絵画においては単なる描画方法の一つにすぎない。この作品では、しゃれた身なりの若者たちがトランプに熱中している様子が描かれており、彼の技巧を誇示するために作られた絵画だと考えられる。こうした制作スタイルは、展示されている3点の肖像画にも現れており、マッフェオ・バルベリーニの2つめの肖像画はその例に挙げられる。カラヴァッジョを支援し、のちに教皇ウルバヌス8世となるバルベリーニの肖像画は鮮やかな緑色で描かれており、1598〜1599年に描かれて以来初めて一般公開され、かつてバルベリーニ家が所有していた宮殿に戻ることになったのだ。

宗教画を多く手がけるようになった一方で、カラヴァッジョの私生活は荒れ果てていった。彼の作品における世俗的な身体表現は、宗教というテーマとの間に独特の緊張感を生み出している。展覧会では照明効果によって、冒頭の部屋にある明るく照らされた初期作品と、人物たちが闇に包まれた後期作品とのドラマチックな対比が生まれ、独特な緊張感を醸し出している。その陰影の中には、善と悪、神聖と世俗のせめぎ合いといった複雑な道徳的テーマが織り込まれているように見える。
官能性を帯びた後期作品
こうした緊張感のある宗教的主題を扱いながらも、カラヴァッジョは官能的な身体的表現を取り入れ、鑑賞者を誘惑する。その一例として、次第に官能性を帯びていく洗礼者ヨハネの3作品(1610年に描かれたヨハネのたたずまいは、まるで女神像のように官能的だ)や、繰り返しモデルとなったシエナの娼婦、フィリーデ・メランドローニが描かれた作品が挙げられる。メランドローニは、カラヴァッジョの成熟期への転換点と考えられている《Saint Catherine of Alexandria》(1598-1599)で気品ある聖人として描かれ、《Martha and Mary Magdalene》(1598-1599)では虚栄を象徴する鏡の傍らに立ち、《Judith and Holofernes》(1599-1600)では、バビロニアの将軍、ホロフェルネスの首を切り落としているユディトとして描かれた。
カラヴァッジョの作品を見ていると、彼にだまされているような気分に陥ることもあるかもしれない。これらの魅力的な絵画を見ることは、まるでその中を覗き込むようなもので、常に緊張感に満ちた体験だ。しかし、カラヴァッジョが描く身体の写実性、その複雑な表情、触れることのできそうな肉体の質感こそが、これらを真に神聖なものにしている。芸術においても、人生においても、世俗的世界の深淵に飛び込んだカラヴァッジョは、別世界へと誘われたようだ。
カラヴァッジョが描いた宗教画のなかで最も優れた作品と言われているのが、《Taking of Christ》だ。キリストは裏切られる瞬間に凍り付いた表情を見せており、ユダの口づけを受けながらも祈り続けている。長い物語が圧縮された画面の右側からは、鏡のような鎧を身に着けた兵士たちが突入しており、左端では弟子が闇へと叫んでいる。カラヴァッジョ自身も混乱した群衆の中に立ち、ランタンを掲げながら様子をうかがっている。カラヴァッジョは、物語の避けられない結末へと向かう途中で素通りするような曖昧な瞬間を永遠に引き延ばされた苦しみではなく、一瞬の罪として本作で捉えているのだ。
展覧会の最後を飾る不気味な絵画《Martydom of Saint Ursula》(1610)は、カラヴァッジョが最後に手がけた作品だ。結婚の申し出を拒んだウルスラは、フン族の王から放たれ身体に刺さった矢を見つめている。彼女の後ろに立つカラヴァッジョの口は開き、その表情は畏怖というよりも混乱に満ちている。王を見つめたまま、ウルスラの存在に気づいていないようにも見える。闇の中にいるカラヴァッジョの顔を照らす光は、どこから差しているのだろうか。(翻訳:編集部)
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