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訃報:100点のNFTが30秒で完売。95歳のデジタルアーティストが語った「アートとテクノロジー」

95歳のオーストリア人アーティスト、ヘルベルト・W・フランケは、コンピュータアートの草分けとしてだけではなく、物理学者、SF作家としても名の知れた存在だ。そのフランケが今、アルゴリズムとコンピュータプログラムを駆使して数学の世界を視覚化した作品で、アート界とNFT界にセンセーションを巻き起こしている。その最中の7月16日、妻のスザンヌがツイッターでフランケの死を伝えた。生前の彼の活躍とこれまでのキャリアについて、インタビューを交えてお伝えする。

ヘルベルト・W・フランケ OÖ Landes-Kultur GmbH

6月のアート・バーゼルに、ブロックチェーンプラットフォームのテゾス(Tezos)が出展。そのブースにフランケのデジタルアート作品、《MONDRIAN(モンドリアン)》(1979)が展示され、大きな話題になった。名前から想像できるように、ピエト・モンドリアンの有名な幾何学的抽象画へのオマージュで、最初期の家庭用コンピュータで作成されたプログラムが基になっている。

フランケは第2次世界大戦後のウィーンで物理学を学び、1953年にシーメンスに入社。在職中は、仕事が終わると写真の実験に明け暮れていたという。アート・バーゼルの少し前には、彼のコンピュータアートの代表作、《Math Art(数学アート)》(1980-95)のシリーズから、100点の画像をNFTとしてクアンタム(Quantum)のプラットフォームで発売した。すると、95歳になる5月14日の誕生日を記念し、自らの財団の資金調達を目的に売り出されたNFTは30秒で完売。NFTアートのパイオニア、ケビン・アボッシュなどが数点を購入したという。


フランケのNFT作品が扱われるクアンタムのHP 画像引用元:https://quantum.art/artist/herbert-w-franke

今春には、オーストリアのリンツにあるフランシスコ・カロリナム美術館で、フランケの過去数十年の作品を紹介する回顧展が開催された。この展覧会に関連し、フランケの写真アーカイブの一部が公開される計画で、1957年に出版された代表的な著作『Kunst und Konstruktion -- Physik und Mathematik als fotografisches Experiment(芸術と建築−写真実験としての数学と物理学)』(以下、『芸術と建築』)の英訳版も2022年末に刊行が予定されている。

長いキャリアを経て、今また熱い視線が注がれているフランケの多彩な仕事について、ARTnewsはメールインタビューを行った。

── 2022年はかなり多くのコラボレーションや展覧会に関わっていますね。最近では、アート・バーゼルのテゾスのブースで《MONDRIAN》が紹介され、リンツのフランシスコ・カロリナムでは、回顧展「Herbert W. Franke: Visionary(ヘルベルト・W・フランケ:ビジョナリー)」が開催されました。この2つについて詳しく教えてください。

《MONDRIAN》は、1979年にテキサス・インスツルメンツ社の家庭用コンピュータTI-99/4A用に開発した映像・音声生成プログラムの名前なんですよ。オランダ人画家のモンドリアンにちなんだ名前を付けたように、モンドリアンの特徴である水平と垂直の組み合わせでできています。使い方は2つあり、1つは段階的な操作で各画像を選択的に構築するもの。色や帯の幅といったパラメータを、いつでもユーザーがインタラクティブに変更できます。もう1つは、常に変化する動的なシークエンスを設計することが可能なもので、アルゴリズムやランダムプロセスによって制御されます。エンドレス・オートモードでは、画像の構造に関連した効果音もアルゴリズムで生成されます。

テゾスのブースで上映された映像は、2010年にドイツのカールスルーエにあるZKMセンター・フォー・アート・アンド・メディアでの個展のために制作した作品です。ZKMに寄贈した古いコンピュータのうちの1台、TI 99/4Aにつないだモニターをビデオカメラで撮影しました。テゾスのブースには大きなスクリーンがあったので、《MONDRIAN》のような動きのある映像は、そこで見せる歴史的作品としてふさわしいと思ったんです。ただ、1つ条件があって、それは作品を売るつもりはなかったということです。

フランシスコ・カロリナムでの展覧会には、私自身はあまり関わっていません。かなり前から、アートに関する仕事は妻のスザンヌに任せているんです。彼女は、2007年から私の作品を紹介するウェブサイト「art meets science」の運営もしてくれています。私の考えを最もよく理解しているので、フランシスコ・カロリナムのキュレーター、ジェノベバ・ルエッカートと一緒に展覧会の企画をしてほしいと頼まれたんですよ。結局、スザンヌが私にコンセプトやアイデアを伝え、作品をどう見せるかは2人で話し合って決めましたけどね。


《MONDRIAN(モンドリアン)》(1979)、アート・バーゼルでの展示風景 Photo Anika Meier

── 今年になってNFTの販売もされていますが、今回が初めてだったのでしょうか。NFTはまだ新しいテクノロジーで、価格が乱高下したり、賛否両論があったりしますが、なぜNFTに取り組もうと思ったのですか?

5月31日に《Math Art》シリーズの画像100枚を、95歳記念バージョンとしてドロップ(発売)したのが、大規模なものとしては唯一です。それ以前にも、この技術を理解するために3〜4点の画像を試験的に販売したことはありますが。確かに、乱高下しているうえに賛否両論があるという表現は当たっていると思います。でも、アーティストである私にとっては問題ではありません。ブロックチェーンはまったく新しい環境ですし、この技術はまだ始まったばかりで、コンピュータアートの創成期のような段階にあります。とはいえ、ブロックチェーンがデジタルアートの新しい扉を開き、次世代に新しいテクノロジーの世界を見せたことは間違いないでしょう。

── 4月にブロックチェーンやNFTの専門メディアによるインタビューで、NFTの世界では「コンピュータアートが多額の資金とともに既存のアート界に押し入って、雄叫びを上げているような状況だが、メインストリームになったというわけではない。コードを使って制作をしているアーティストたちは、今も60年代当時と同じように、あまり認知されず苦労している」と話していましたね。何がメインストリームになれない理由なのでしょうか?

6、70年前から問題は変わっていませんね。一般の人はもちろん、美術史家の多くが、いまだにテクノロジーとビジュアルアートは相容れないと考えています。私が常々主張しているのは、ハイテク機器が長年にわたって芸術性の高い作品を生み出してきた音楽界に目を向けるべきだということ。電子音楽は長い歴史があるおかげで誰も変だと思わないのに、アートの世界では21世紀の今も伝統的な技法にこだわる作家が多い。

── そんな状況でも、何カ月か前にあなたがツイッターを始めると、1万5000人近いフォロワーが集まって、ちょっとしたセンセーションを巻き起こしましたね。なぜでしょうか。50年代からコードで視覚的作品を生み出すことを追求してきたメディアアートのパイオニアであるあなたがツイッターに参加したことで、人々の興味が高まったんでしょうか?

3月にツイッターを始めたのは、オーストリアの美術史家で美術館の館長でもあったアルフレッド・バイディンガーと、ドイツの美術評論家でキュレーターのアニカ・マイヤーから、作品が評判になっているからやったほうがいい、と言われたのがきっかけです。半信半疑だったんですが、ふたを開けてみたら2日間で1万人のフォロワーができたことで、私の作品を知っているコミュニティがあることが分かった。暗号やメタバースに関連する分野で活動するたくさんの若いアーティストが、私の作品に影響を受けたとツイートしてくれましたからね。

これまで、妻のスザンヌがパートタイムでマーケティングやセールスの面倒を見てくれていましたが、ジャーナリストでありメディアの専門家であるスザンヌの本業ではありません。今回、ツイッターで大きな反響があったことで、彼女は、さらに先に進むには「プロフェッショナルなやり方」が必要だと言い、展覧会やコラボレーションなど、私がやってきたことをより多くの人に知ってもらうための方法を模索し始めました。そうこうするうちに、私の先駆的な作品で展覧会を充実させたいという声が多く寄せられるようになったんです。


《Tanz der Elektronen(電子のダンス)》(1962) Courtesy the artist

── 少し個人的ことについて伺います。今年95歳になられたわけですが、デジタルアーティストとして、執筆家として、大きな転機になったことはあるのでしょうか。また、こうしておけばよかったと思うことはありますか?

私のキャリアはどちらかというと地道なもので、これといった転機はなかったと思います。ただ、師匠であるドイツの美術史家、フランツ・ローとの交流は自分にとって大きかったですね。彼には、「自分の作品を趣味の域にとどめず、真剣に取り組みなさい。アートの世界に通じるものがあるから」と言われました。これは50年代のことで、『芸術と建築』を出版したいと思っていた頃です。でも、本を出してくれる編集者がなかなか見つからなかった。

同じ頃、ローはブルックマン・エディションから出版予定のアート関連の本を執筆中でした。それで、美術史家で、有名な出版社の創設者でもあるフリードリッヒ・ブルックマンに、「こういう考え方は重要だと思うから、自分の原稿の代わりにこっちの本を出してほしい」と私の著作を勧めてくれたんです。若手アーティストが本を出版するためには注目される必要があり、ローのおかげで私はその条件を満たすことができたというわけです。ちなみに、結果的にはローの本も出版されましたよ。転機と言えるかどうかはわかりませんが、そのおかげで自分の進むべき道を見つけ、前進できるようになったんです。ローのような指導者の存在は、若いアーティストが道を切り開くためにとても重要なことです。

もう1つの点についてですが、特に変えたいと思うことはありません。ただ、フリーランスでいると、お金を稼ぐ仕事に時間を使わなければならない。だから、自分のアイデアやプロジェクトに時間を全て使えるようなお金持ちの家に生まれたかったかもしれませんね。

── NFT、メタバース、バーチャルリアリティーといったテクノロジーを通じて、アートの世界や一般の世界で進行しているデジタル・ディスラプション(デジタル技術による破壊的イノベーション)についてどう考えているのでしょうか。また、「コンピュータアートの父」であるあなたの作品は、こうした動きにどう貢献したと思いますか?

NFTアートの商業的側面という観点からすると、既存のアート界に影響を与える破壊力は新しい現象のように見えます。でも、結局のところ、破壊そのものは特に新しいものではないんです。新しい点があるとすれば、それは一般にも認知が広がっているということ。そして、そこが重要なところです。暗号空間には莫大な資金が流れ込んでいますからね。

『芸術と建築』の序文から引用すると、「テクノロジーは通常、アートに敵対する要素として退けられている。私が証明したいのは、事実はそうではなく、むしろテクノロジーが私たちには想像もつかないような新しい芸術的領域を開くものであるということだ」。これを書いた当時、計算機による新しいアート技法の創成期にあるということを、私は確信していました。アーティストの仕事は分析的な構築へ、つまりデジタルの世界で私たちがコーディングと呼んでいるものへ移行していくと考えたのです。私が初期に行った実験の中心は、カメラ、X線装置、顕微鏡、そして光の波を計算するためのアナログコンピュータを使って、現在ジェネラティブアート(*1)と呼ばれる光のアートを作り出すことでした。


*1  コンピューターを使い、意図的に偶然性を取り入れたプログラムで制作されたアート。

── 今後10年〜50年の間に、デジタルアートはどのように変化していくと思いますか?

私はいつも「数百年先の未来を予測するのは簡単だが、10年先を予測するのは難しい」と言っています。ただ確信しているのは、我われはアートを実現するコードの理解に至る途上にあるということです。そこで、私はあえて予言します。音楽は、今後数年のうちに自動作曲に向かって大きな進化を遂げるでしょう。この流れにビジュアルアートなどの芸術が続き、最後になるのが文学です。文学は、アルゴリズムに落とし込む場合に最も複雑な芸術ですから。(翻訳:清水玲奈)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年7月7日に掲載されました。元記事はこちら

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