重視すべきはテクノロジーよりシステム。「AIアート」懐疑派キュレーターが新ギャラリーを開設

ニューヨーク・マンハッタンに、異彩を放つギャラリーがオープンした。機械学習やアルゴリズム、スキャナーなどのツールを用いた作品を制作するアーティストを扱いながら、「AIアート」という表現を拒絶するこのギャラリーの創設者に、その意図と目標を聞いた。

アダム・ヘフト・バーニンガー Photo: Heft
アダム・ヘフト・バーニンガー Photo: Heft

アート市場に関する見出しのほとんどに「減速」や「調整」などの言葉が入るこのタイミングで、新しいギャラリーをオープンさせたのがキュレーターのアダム・ヘフト・バーニンガーだ。へフトと名付けられた彼のギャラリーは、ロウアー・イースト・サイドの雑然とした通り沿いにある。

「AIアート」ではなく「システムベース」の作品を扱う

ジェネラティブコードや機械学習、スキャナーからレゴブロックに至るまで、「システム」をベースにした創作を行うアーティストを紹介するヘフトは、何もかもを十把一絡げにしてしまう「AIアート」という言葉を使わない。それらの概念を区別することがバーニンガーにとって重要な意味を持つからだ。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)やパブリック・アート・ファンドなどのアート関連機関と何年も仕事をした後、自身のキュレーションプラットフォーム「テンダー(Tender)」を立ち上げた彼は、また新たな賭けに出た。取り組むのは物理的な空間やコミュニティ、そして人々に対面で見てもらうべき作品だ。バーニンガーはギャラリー設立の背景をこう説明する。

「こうしたツールを用いた素晴らしい作品がたくさん作られているのに、それを発表する場がほとんどありません。それに、この種のアートを専門とするギャラリーは、世界でも両手で数えられるほどです」

専門ギャラリーの少なさが、いわゆる「AIアート」に対する大きな誤解につながっていると彼は主張する。

「オンラインで誰かのAIアートに対する見方を変えられる確立は基本的にゼロです。けれども対面なら、ほぼ100%可能です」

そう話す彼の戦略は、誰もがネットを介した拡散に執着する中、ラディカルに感じられるほどアナログだ。つまり、スクリーン越しではなく1人のコレクターと直接会い、対話することを目指している。

バーニンガーが扱っているアーティストたちの多くは、アルゴリズムやスキャナー、コード化された命令を用いて作品を制作している。しかし、彼らの共通点はテクノロジーではなく、考え方にある。それは予期せぬことが起こる余地を残したプロセスや方法、あるいはシステムへのこだわりだ。つまり、方法論であって、ジャンルではない。そのような方法論で作られた作品を間近で見れば、もっと多くの人が評価をするようになるはずだと彼は信じている。

US版ARTnewsは、ギャラリーをオープンしたばかりのバーニンガーにインタビューを行い、なぜ今、この場所でヘフトを立ち上げたのかを尋ねた。さらに、システムベースの作品が、実はあらゆる作品の中で最も人間的であるかもしれない理由について話を聞いた。

物理的空間としてのギャラリーを開く意味

──ここはAIギャラリーではないということですね。では、いったい何なのですか?

現代アートのギャラリー、ただそれだけです。私たちが紹介しているアーティストは、AIやアルゴリズム、スキャナーといった現代的なツールを使っていますが、重要なのはテクノロジーではなく彼らの考え方です。作品を導き、発見を可能にするルールや構造のようなシステムを彼らは設定しています。それはコードを書くことかもしれませんし、フラットベッドスキャナーで人体をちょっとずつスキャンすることかもしれません。しかしツールそれ自体が焦点となっているわけでなく、思いもよらないところに到達するためにそれを利用しているのです。

──あなたはギャラリーで扱っている作品を、システムベースのアートだと表現しています。それは「AIアート」と呼ばれるものとどう違うのですか?

「AIアート」というと議論が浅くなってしまいがちで、作品制作の主体が機械であるかのように感じられます。その一方で、システムベースのアートには長い歴史があります。ソル・ルウィットやエドワード・マイブリッジの作品を思い浮かべてください。そこには構造があり、方法論があります。アーティストはそれを通して驚くべき発見をしています。私たちが扱っているのはそうした系譜に近い作家たちであって、インスタグラムでバズるために生成AIに入力されるプロンプトのようなものとは違います。

──「AIアーティスト」という言葉は、彼らがやっていることを矮小化してしまうということですね。

そうです。だからその言葉は使いません。私は誰かを「デジタルアーティスト」や「AIアーティスト」とは呼ばず、ただアーティストと呼びます。アンディ・ウォーホルはシルクスクリーンで作品を制作しましたが、だからといって彼が「シルクスクリーンアーティスト」と呼ばれることはありません。それと同じです。20年後にこれらのアートについて語られるときは、デジタルアートのムーブメントとしてではなく、1人1人のアーティストについて語られることになるでしょう。

──デジタル技術で作られた作品を見せるのに、なぜ物理的なギャラリーが重要なのでしょうか?

それが鑑賞される文脈を重視しているからです。ほとんどの人はこうした作品をインスタグラムを通して見ていますが、そこにあふれているのは浅い議論か敵対的な見方ばかりです。けれども実際に作品を見てもらって、対面で時間をかけて話をすると、そうした考えは変化していきます。この分野に懐疑的な人たちがギャラリーを訪れ、帰る頃にはまったく違う見方をするようになるのを私は見てきました。

物理的な形で作品を見せることは、変化を促すのに役立ちます。単にスクリーン上にある映像だけではなく、作品をプリントや彫刻、立体作品といった物理的な形として提供できるよう、アーティストと一緒に工夫をしています。作品を手に入れた人々がそれを暮らしの中に取り入れられるようにするためです。

発表の場が限定されていた作品の「買いやすさ」に配慮

──市場が不安定な今、なぜギャラリーを開いたのですか?

実は2年前からずっと展示スペースを開こうとしていて、ちょうどいい場所とパートナーに出会えた今、実現できたというわけです。とはいえ、より広い視点からも、こういう場を設けるのが急務だと感じていました。人々はテクノロジーをめぐる終末論的な論調にうんざりしています。そして、良質の作品が数多く作られているのに、ほとんど展示されていません。そんな状況を私が少しでも変えられるなら、そうしたいと思います。それに、新しいアーティストや、新しいタイプの作品、新しい展示方法など、これまでにないものに人々は飢えています。新鮮なものを提示できれば、気づいてくれる人はいるはずです。

──オンラインでのスケールではなく、人と対面で会って深い対話を追求するというのは、昨今では珍しいアプローチですね。

そうですね。ネット上で1万人に向けて発信しようとは思いません。それよりも、毎日数人と中身のある話をしたいのです。そうしたエンゲージメントの仕方だと成長のスピードは遅いかもしれませんが、ずっと有意義です。正直なところ、変化はそういうところから起こるのだと思います。

──展示プログラムの戦略について教えてください。短いスパンで展示替えをしていくとのことですが。

3~4週間ごとに新しい展覧会を開き、その間にイベントも行っていきます。そうすることで勢いを保ち、人々が繰り返しギャラリーを訪れてくれるようにしたいと思います。この種の作品はこれまであまり紹介されてこなかったので、見せたいものがたくさんあります。これまで発表の場がなかった秀逸な作品をどんどん紹介していきたいので、早いペースで展示替えをするのも、私たちのミッションの一部だと言えます。

──作品を入手しやすいよう、価格設定に気を配っていますか?

もちろんです。現在展示している作品の価格帯は2000ドルから1万ドル(約29万〜145万円)です。あるシリーズについては、2000ドルと4000ドル(約29万円と58万円)の値付けで一点物のプリント作品2点を販売し、さらに1点100ドル(約1万4500円)のデジタル作品を128点オンラインで販売しています。見た人が作品を気に入れば、何らかの方法でそれを手に入れられるようにしました。

──テクノロジーを一切使わないアーティストを扱うことはあると思いますか?

方法論が合えば、もちろんです。私たちはシステムを使うアーティストに注目しています。作品の素材は陶器のタイルでも、レゴブロックでも構いません。何らかのシステムが背後にあり、そこに新たな発見が生まれる余地のある作品であればぜひ扱いたいと思います。(翻訳:野澤朋代)

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