「ChatGPT」のスタジオジブリ風機能をめぐる議論にOpenAIのサム・アルトマンが的外れなコメント
3月下旬にOpenAIがChatGPT「GPT-4o」を発表するや否や、そのジブリ風画像生成機能が世界中で大ヒット。しかしそこには、芸術表現や倫理面での批判もある。スタジオジブリ宮崎駿監督の過去の発言を振り返りつつ、OpenAIのアルトマンCEOの的外れな主張を含めたAIアートの問題点を考える。

3月25日にOpenAIが発表したGPT-4oのアップデートでは、どんな画像でもスタジオジブリ風のイラストに加工できることが話題をさらった。この機能は瞬く間に世界を席巻し、ホワイトハウスからイスラエル軍まで、誰もがこぞってジブリ風画像を投稿。その一方で、大きな反発も起きている。
その背景として再注目されているのは、スタジオジブリ創設者で、手描きのアニメーション制作へのこだわりで有名な宮崎駿が、かつてAIで作られた映像を見て「生命に対する侮辱」と切り捨てた発言だ。
AIによる「民主化」は社会に何を与えたのか
注目された宮崎監督の「生命に対する侮辱」発言は、2016年に日本のテレビ局が放映したドキュメンタリー番組から引用されたもの。生成AI支持派は、この発言が文脈から切り離され、曲解されていると主張する。では、実際の文脈はどのようなものだったのか。当時、エンタテインメントメディアのインディ・ワイヤー(Indiewire)は、その発言を以下のように紹介している。
(「人工知能を使うと、人間が想像しえない気持ち悪い動きができるのではないかと考えた」という説明を受けながら)ゾンビのようにグロテスクな生き物が手足をバタバタさせて動く短いデモ映像を見た後、宮崎監督は一瞬間を置いて、ハイタッチもできないほど重度な障害を持つ友人を思い出したと口を開いた。
「彼のことを思い出すとね、僕はこれを面白いと思って見ることはできないですよ。これを作る人は、痛みとかそういうものについて何も考えないでやっているでしょ。極めて不愉快です。そんなに気持ち悪いものを作りたいなら、勝手にやっていればいいだけで、僕はこれを自分たちの仕事に使いたいとは思いません。極めて何か、生命に対する侮辱を感じます」
宮崎監督のスタンスはとても明確だと私には思える。

OpenAIのサム・アルトマンCEOは、これまでそうした反発や批判に反応していなかったが、先日ようやく口を開いた。4月6日に公開されたインド人起業家ヴァルン・マイヤのYouTubeポッドキャストにゲスト出演したアルトマンは、画像生成AIはアート作品の制作を「民主化」するものだとし、こう語っている。
「コンテンツ制作の民主化は、大局的に見れば社会のためになってきたと思います。それは完全な勝利ではないかもしれません。もちろん否定的な側面があることは確かで、コンテンツ制作のあり方を変えてしまったことも事実ですが、全体としては勝利だと思います」
この発言に驚きはない。OpenAIの「DALL-E(ダリ)2」やMidjourney(ミッドジャーニー)、Stable Diffusion(ステーブルディフュージョン)が2022年に相次いで公開されて以来、X(旧ツイッター)やReddit(レディット)などの主要ソーシャルメディアで熱心なAI支持派が主張してきたことと変わらないからだ。一方、AIに否定的なユーザーが多いBluesky(ブルースカイ)では、こうした主張はほとんど見られない。
前述のポッドキャストでアルトマンは、AIの台頭によって「雇用が失われる」ことはあるかもしれないが、「能力の差」を超えてさまざまな人々が創作に携われるよう参入障壁を下げ、「競争」を促せば、「社会にとって真の利益」となるはずだと続けている。
生成AIが生み出すアートを見た人が、それを「良い作品」だと実際に思えるなら、この主張は通るのかもしれないが、少なくとも今のところ大勢の評価はネガティブだ。AIツールによって生み出された作品は、スタイルが奇妙に画一的で、感情や意図に欠け、何と言っても気味が悪いという見方をされることが多い。人間不在で生成された芸術作品に何の意味があるのかという哲学的な議論に至る前の段階で、これだけの不評を買っているのだ。
とはいえ、残念ながら作品の「良し悪し」という視点は、そう遠くないうちに無意味になってしまうかもしれない。ソーシャルメディア上ではすでに、AIが生み出した低品質のゴミコンテンツが人間によるコンテンツを数の上で凌駕し始めている。たとえば最近のある研究によると、LinkedIn(リンクトイン)では長文投稿の半分以上がAIによって生成されたものだという。
また、ピッツバーグ大学の研究では、AIが生成した詩と、ウィリアム・シェイクスピア、バイロン卿、エミリー・ディキンソン、T・S・エリオットなど文学史に名を残す詩人の作品を読み比べ、両者を区別できるかを実験した。その結果、参加者は両者を区別できなかっただけでなく、AIが生成した詩のほうを人間が書いた可能性が高いと考え、実際の作家の詩よりも好意的に評価している。何とも暗澹たる思いになる状況だ。
マイヤとの対談でアルトマンは、アートへの参入障壁が下がることの利点を、インターネットの普及で起業のハードルが下がったことに例えている。昔ならOpenAIのような会社を立ち上げることは不可能だったとアルトマンは言うが、彼は重要な点を無視している。それは、2015年にOpenAIを設立したのは、テック業界の最有力者たちだったということだ。イーロン・マスクやLinkedIn共同創業者のリード・ホフマン、PayPal(ペイパル)共同創業者で右派政治家への大口献金者でもあるピーター・ティール、そしてシリコンバレーで最も有名なアクセラレーター(*1)、Yコンビネーター元代表のアルトマンが名を連ねていたのだから、OpenAIを「はみ出し者の集まり」だとするアルトマンの表現は的外れにもほどがある。
*1 スタートアップ企業や起業家をサポートし、事業の成長を促進するための人材・団体・プログラム。
単なるプロンプト入力は「真のAI活用」ではない
現在OpenAIやその競合企業が、生成AIアートをめぐって繰り広げている議論のあり方は残念なものだと言わざるを得ない。これまで長い間、アーティストたちはAIや機械学習を使って興味深い作品を作ってきた。抽象画家のハロルド・コーエンが1970年代に開発した絵を描くコンピュータ「AARON」がいい例だろう。そして今日も、数多くのアーティストがこうしたツールを活用し、現代社会のさまざまな側面や意識の本質、技術の根底にある論理などの多様なテーマを探求している。
3月に開催されたアート・バーゼル香港でもそうした作品がいくつか見られた。たとえば、シンガポール人アーティストのホー・ツーニェンは、昔の香港映画を学習素材に使った独自の生成AIで、ノスタルジーの限界と危険性を探っている。また、中国人アーティストのリン・ジンジンは、AIアーティストのアバターを作り、AIで生成された絵を自身で作り直しながら、作家性の概念が従来考えられているより流動的なものであることを示した。
上記の作品や同様の手法でAIを取り入れたアーティストたちの作品には明確な意図があり、AIというツールそのものへの深い関与がある。単に「レンブラントの絵画、ジブリ風」といったプロンプトを入力するのとは違うのだ。
(翻訳:野澤朋代)
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