ルーヴル美術館に現れた「時の彫刻」──ヴァシュロン・コンスタンタン、270年の到達点

創業270年を迎えたヴァシュロン・コンスタンタンが、その歴史の結晶と言える天文時計「ラ・ケットゥ・デュ・タン(時の探求)」を完成させた。発表の舞台となったのはルーヴル美術館。18世紀啓蒙思想の精神を受け継ぐ「時の彫刻」は、いま私たちに何を問おうとしているのか。

Photo: Stephane Sby Balmy

1755年9月17日、スイス・ジュネーヴで24歳の若き時計師ジャン=マルク・ヴァシュロンが工房を開いたことからはじまったヴァシュロン・コンスタンタンが、創業270年を迎えた。「世界最古のマニュファクチュール」の軌跡は、単に精緻な計時装置の進化にとどまらず、「芸術」と「時間」という普遍的なテーマに挑み続けた歴史でもある。その節目を祝うべく、今年9月16日に世界に向けて発表されたのが、「La quête du temps(ラ・ケットゥ・デュ・タン=時の探求)」だ。

高さ約1メートルにも及ぶこの天文時計は、実に6293個の部品と23種類の複雑機構によって構成され、構想に8年、制作に7年を費やした。クリスタルドームのトップには、創業年である1755年のジュネーヴの星空が再現され、その中央には、ダ・ヴィンチの黄金比も参照したというブロンズのオートマタ(からくり人形)が神秘的に佇んでいる。時計を起動すると、下部に組み込まれたメタロフォンとワウワウ管からなる音楽装置の響きとともにオートマタが優雅に動き出し、やがて両腕がそれぞれ時間と分を指し示す。その仕草は144通りにも及び、鑑賞者は視覚と聴覚を通して悠久の時の世界に引き込まれる。

ヴァシュロン・コンスタンタンのスタイル・アンド・ヘリテージ・ディレクターを務めるクリスチャン・セルモニが「真の人間的な冒険」と形容する本作の制作には、世界的に知られるスイスのオートマタ作家フランソワ・ジュノー、ジュネーヴ天文台の天文学者、そして機械式置時計を専門とするマニュファクチュール、L’Épée 1839が参加した。天文表示、永久カレンダー、トゥールビヨンなど高度な複雑機構に、ラピスラズリやマザーオブパールを贅沢に用いた装飾が施され、「時間の科学と美の哲学」を同時に体現している。それはまた、自らの限界を超え続けてきたメゾンの技術力と芸術性の現時点での集大成であり、ヴァシュロン・コンスタンタンの270年にも及ぶ探求そのものでもある。

クリスタルのドームには、創業年と270周年が記されている。Photo: Stephane Sby Balmy
「La quête du temps(ラ・ケットゥ・デュ・タン=時の探求)」を象徴するオートマタ(からくり人形)は、スイスにおけるその第一人者であるフランソワ・ジュノーが手がけた。Photo: Stephane Sby Balmy
作品を起動すると、下部の音楽装置が奏でる美しい音(3パターンの旋律が組み込まれている)が時を刻む音に重なり、オートマタが優美に動き出す。Photo: Stephane Sby Balmy
腰を屈めたり、腕を上げ下げしたり、顔を横に向けたりする一連のシークエンスは約80秒。動作の最後には、腕が片方ずつ、ドームに記された時・分の目盛りを指して現在時刻を示す。Photo: Stephane Sby Balmy
ラピスラズリやマザーオブパール、ダイアモンドを贅沢に用い、単なる時間を伝える機械ではなく、時間という概念を科学的・哲学的・美的に体現する唯一無二の装飾芸術品へと昇華することに成功している。Photo: Stephane Sby Balmy
心臓部である時計部分。12時位置に設られたトゥールビヨンや、パーペチュアルカレンダー(永久カレンダー)、レトログラード式の時・分の表示、ジュネーブの太陽と月の出没時間、星座など、合計19もの複雑機構が搭載されている。Photo: Stephane Sby Balmy
時計の背面には、ジュネーブ天文台の天文学者の協力を得て制作された天体図を搭載。季節ごとのジュネーブの夜空を正確に示す。Photo: Stephane Sby Balmy
オートマタ、時計部分、音楽装置からなる「ラ・ケットゥ・デュ・タン」は、合計6293個にもなる機械部品、23種類もの複雑機構で構成されている。Photo: Stephane Sby Balmy

啓蒙思想の空気の中で誕生したメゾン

ジャン=マルクが工房を構えた18世紀半ばのジュネーヴは、すでにヨーロッパの時計産業の中心地として成熟しており、時計師たちが精密な機構と装飾芸術の融合を高次元で競い合う風土があった。これに強い影響を与えたのが、パリ・サロンの批評家として美術批評を確立した哲学者ドゥニ・ディドロと、同じく哲学者・数学者・物理学者として知られるジャン・ル・ロン・ダランベールが中心となって編まれた同時代の刊行物『百科全書』だ。本書が掲げた「科学・芸術・技術の統合」という啓蒙思想は、当時のヨーロッパにおける「知の革命」であり、“人間の理性と手の知性”を称えるその精神は、ジャン=マルクの中にも確かに息づいていた。

こうした時代の空気の中で研鑽を積んだジャン=マルクの工房は、やがて子孫へと受け継がれ、孫のジャック・バルテルミーの代となる1819年に共同経営者となったフランソワ・コンスタンタンによって、大きな転機を迎える。

当時、産業革命の波がヨーロッパ全土に広がり、生産の合理化が進む中、時計づくりにも機械化の兆しが見え始めていた。そんな時代にあって、ヴァシュロン・コンスタンタンの選んだ道は対照的だった。
彼らは効率よりも「手の知性」を信じ、科学と美の統合という啓蒙の精神を手仕事の中に再発見しようとしたのだ。

それを支えたのが、のちにメゾンの精神として受け継がれることとなる、コンスタンタンがジャック・バルテルミーに宛てた手紙の言葉だ。

「できる限り最善を尽くす。そう試みることは、いつでも可能である(Do better if possible, and that is always possible)」

その後も幾度となく時代の変化を目の当たりにしながらも、ヴァシュロン・コンスタンタンが創業270周年を「ラ・ケットゥ・デュ・タン」とともに迎えられたのは、「複雑機構と芸術性の追求」という旅路において「最善を尽くす」ことを決して諦めなかったからにほかならない。

ルーヴルに現れた記念碑「ラ・ケットゥ・デュ・タン」

話を現代に戻そう。「ラ・ケットゥ・デュ・タン」のお披露目の場として選ばれたのは、ヴァシュロン・コンスタンタンと同じく18世紀末、啓蒙思想の理想を体現する公共美術館として誕生したルーヴル美術館だ。現在、この単なる時計を超えた「機械仕掛けの芸術」は、同館で11月12日までまで開催中の「Mécaniques d’Art(機械美の芸術)」展における中心的作品として一般公開されている。

会場となるシュリー翼602号室は、18世紀ヨーロッパの装飾芸術を集めた空間だ。そこでは、「ラ・ケットゥ・デュ・タン」とともに、ルーヴル美術館デコラティブアート部門ディレクターのオリヴィエ・ガベが「時間や技術に関連しつつも、高い美的価値を持つ品々」と説明する所蔵品が並び、全体として「時という概念」について私たちに問いかけている。

ヴァシュロン・コンスタンタンが修復を支援し、ルーヴル美術館とのパートナーシップのきっかけとなった「天地創造」。Photo: Yuji ONO

「ラ・ケットゥ・デュ・タン」の背後には、メゾン誕生の前年となる1754年にルイ15世に献上された大型の置き時計「天地創造」が展示されている。ルーヴル美術館は2016年にヴェルサイユ・トリアノン宮殿国立博物館からこの時計を預かり、ヴァシュロン・コンスタンタンがその修復を支援したことから、二つの名門のパートナーシップがはじまった。両者は2019年に正式に提携を開始し、コロナ禍の2020年に開催されたチャリティオークションや、職人の技術を讃えるヴェネツィアの国際工芸展「ホモ・ファーベル 2024」への共同出展を経て、今回の「Mécaniques d’Art(メカニック・ダール ‒ 機械美の芸術)」展の開催へとつながった。

ガベは、「ラ・ケットゥ・デュ・タン」発表後に開催されたプレスカンファレンスで、この時計が体現する価値についてこう語った。

「ルーヴルの所蔵品を見てもわかるように、我々は純粋美術よりも応用美術が劣っているという考えに同意しません。『ラ・ケットゥ・デュ・タン』は、その考えが真実ではないことを証明したと思います」

9月16日に開催されたプレスカンファレンスの様子。イギリスの歴史家・作家でありオートマタや時計製造に精通するニコラス・フォルケス(左)を司会に、ルーヴル美術館デコラティブアート部門ディレクターのオリヴィエ・ガベ(左中)、フランスの物理学者であるクリストフ・ガルファール(右中)、ヴァシュロン・コンスタンタンのスタイル・アンド・ヘリテージ・ディレクターを務めるクリスチャン・セルモニ(右)が「時」と「芸術」について語り合った。Photo : Stephane Sby Balmy

270周年の記念碑的作品は、実はもう一つある。「ラ・ケットゥ・デュ・タン」という途方もない時の芸術に込められた精神を、より親しみやすい形で結晶化させた限定20本の腕時計「メティエ・ダール ‒ 時の探求へ敬意を表して ‒」だ。「ラ・ケットゥ・デュ・タン」同様に、文字盤の中央では天文学者を模した人形が両腕で時と分を示し、裏面には天文表示を備える。9000年以上で1日の誤差という驚異的な精度は、まさに「腕に宿る宇宙」と言える。

同じカンファレンスでセルモニはこう語っている。

「私たちはデジタル時代に生き、時間の概念は加速度的に縮小している。『ラ・ケットゥ・デュ・タン』は、そうした加速と消費の流れに対抗し、時間に異なる視点を与える存在です。それはまた、人間の手仕事の価値を再考させます。真に卓越した作品は、何年もの忍耐と“手の知性”によってのみ成し遂げられるのです」

永遠と瞬間の交差点

ガラディナーは、ルーヴル美術館を象徴するガラスのピラミッド下の空間で開催された。
ディナー前後には、ダンサーたちが時をテーマにパフォーマンスを行った。

「ラ・ケットゥ・デュ・タン」が発表されたその日、ルーヴル美術館を象徴するガラスのピラミッド下ではヴァシュロン・コンスタンタンの270年を祝うガラディナーが開催された。何世紀も前の芸術家たちが大理石の塊から生み出した彫刻作品に見守られる中、時を讃える音楽や舞踏が繰り広げられ、ピラミッドを見上げると、ヴァシュロン・コンスタンタンのシンボルであるマルタ十字が宇宙に浮かぶ星のように投影されていた。

私たちは、まだ誰も見たことのない「創造性」に対する飽くなき探求の上に生きている。この宇宙の中にあって、ヴァシュロン・コンスタンタンの270年の探求ですらほんの一瞬の出来事にすぎないが、それでも「創造とは何か」「時とは何か」と問い続けることこそが、人間が未来へ進み続ける理由であり、「できる限り最善を尽くす」精神こそが、その道を照らす光なのかもしれない──「ラ・ケットゥ・デュ・タン」は、そんな果てしない問いへの応答であると同時に、私たちを宇宙へと誘う、詩的な「時の彫刻」だ。

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