「国王に盗まれた」エル・グレコの傑作奪還なるか。ルーマニア政府がオークション中止を勝ち取る
エル・グレコ(1541-1614)による絵画《聖セバスティアヌス》(1610-14)がクリスティーズ・ニューヨークのオークションにかけられる寸前でルーマニア政府が絵画の所有権を主張した件で、法廷闘争の結果、政府はオークションの中止を勝ち取った。

2025年2月、エル・グレコの絵画《聖セバスティアヌス》(1610-14)がクリスティーズ・ニューヨークでオークションにかけられる寸前で、ルーマニア政府が所有権を求めて提訴。オークションは中止となり、作品はクリスティーズに留め置かれることとなった。
ルーマニア政府が主張するところによると、この絵画はアートコレクターとして知られたルーマニア初代国王カロル1世の所有物であり、同国王が1914年に死去した際に、ルーマニア王室に遺贈された。国王は自身のコレクション全てを「ルーマニア王室の所有物として、永遠に、かつ完全に国内に留める」よう遺言したという。だが1947年、同国の共産主義政府によって退位・亡命を余儀なくされたミハイ王は、1976年にニューヨークのWildenstein & Coギャラリーに《聖セバスティアヌス》を売却した。
このほど《聖セバスティアヌス》を巡るクリスティーズとルーマニア政府による裁判の判決が下された。ルーマニア側の弁護を担当するニューヨークの法律事務所ニクソン・ピーボディによると、同作は、「ルーマニアの回収努力が適切な法的当局によって審理され解決されるまで」クリスティーズ・ニューヨークに留まることが決まったという。政府はパリの裁判所を通して、絵画を回収するための訴訟を開始した。
同作をクリスティーズに出品したのは誰なのか、これまで不明だった。だが今回の法廷文書により、モナコ在住のロシアのオリガルヒ、ドミトリー・リボロフレフであることが判明した。アート・コレクターであるリボロフレフは、2017年にクリスティーズ・ニューヨークで4億5030万ドル(当時の為替で約510億円)で落札され、世界で最も高額な美術品となったレオナルド・ダ・ヴィンチに帰属するとされる《サルバトール・ムンディ》を1度手に入れた人物としても知られている。
リボロフレフは、アートアドバイザーのイヴ・ブーヴィエを通して《聖セバスティアヌス》を購入した。リボロフレフはブーヴィエの助言のもとでコレクションを構築していたが、美術品の料金が過大に請求されていた疑いで、2024年にブーヴィエと、それを幇助したとしてサザビーズを訴えている。
法廷文書によると、リボロフレフは2010年、著名なアートアドバイザリーグループであるジロー・ピサロ・セガロット(2011年に解散)と、美術品取引を委託しているバージン諸島にあるイギリスの会社アクセント・デライトを通じてブーヴィエからこの絵画を購入した。ルーマニア政府の訴状では、クリスティーズが示した同作の来歴について、リボロフレフがジロー・ピサロ・セガロットから直接作品を取得したとしてブーヴィエの関与を記載していないため、「誤解を招く」内容になっていると主張している。
さらにルーマニア財務省は、来歴にある「所有権は1947年11月11日から12日に、ルーマニア当局の同意のもとミハイ1世国王に移され、1976年に同当局からニューヨークのWildenstein & Coギャラリーに売却された」という説明も「虚偽」であるとして声明を発表。次のように抗議した。
「《聖セバスティアヌス》がルーマニア国家・政府のコレクションから政府の合意により移転されたという主張を明確に否定します。1947年に絵画の所有権を移転した件について、ルーマニア政府の合意を記録した有効な文書は存在しません」
ルーマニア政府は、1947年にミハイ1世が亡命を余儀なくされた際に、《聖セバスティアヌス》は国家のコレクションから違法に持ち出されたため、返還されるべきであると考えている。実際に政府は、1976年に絵画が売却されて以降10年間に渡って、この絵画を含む数点の美術品の返還を求めて働きかけを行っていた。
《聖セバスティアヌス》の奪還について、ルーマニアの副首相バーナ・タンチョスは声明で、「国家コレクションから失われたこの絵画は、ルーマニアに返還され、ブカレストのルーマニア国立美術博物館に所蔵されるべきです。私たちは、我が国の遺産であるこの傑作を回収するため、引き続き断固とした措置を講じていきます」と固い決意を表明した。
一方、クリスティーズの広報担当者は6月20日に声明を発表し、次のように述べている。
「クリスティーズは問題の可能性を認識し、この作品を売却から取り下げました。関係者が問題を解決するまで、当社は作品を保管しています」(翻訳:編集部)
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