ピカソ《アヴィニョンの娘たち》に新説。鍵を握るのは顔に描かれた「謎の印」?
ピカソの代表作《アヴィニョンの娘たち》に関する新説が発表された。アフリカ美術の影響という通説に対し、「アート探偵」を名乗る収集家は、スペインとフランスのピレネー地方に残る中世壁画が着想源だった可能性を指摘している。

パブロ・ピカソの代表作のひとつ、《アヴィニョンの娘たち》(1907)に、新たな見解が提示されている。従来はアフリカ美術の影響が有力視されてきたが、このほど発表された研究結果では、スペインのピレネー山脈にある教会の中世フレスコ画が着想源だった可能性が示されている。
5人の裸体女性を描いた本作は、トロカデロ民族学博物館をピカソが訪れた後に制作されたとされている。しかしピカソ自身は、その経験と作品との関連を一貫して否定しており、1920年のインタビューでは「黒人芸術? そんなものは知らない」と語っている。
フランスの収集家で「アート探偵」を自任するアラン・モローがサン・ジョルディ王立カタルーニャ美術アカデミー紀要に発表した論文によれば、ピカソがアフリカ美術や工芸品に興味をもったのは《アヴィニョンの娘たち》が完成した後だったという。モローはまた、カタルーニャ地方とフランス・ピレネー地域の複数の教会にある中世の壁画に影響を見いだせると論文に記している。
モローは論文執筆にあたり、ピカソが訪れた場所を改めて調査。そのなかには、1906年にスペイン・ゴソルへ向かう途中、友人で美術愛好家のホアン・ビダル・ベントサのすすめで立ち寄った教会も含まれていた。そこに残された中世の壁画は、当時の文化エリートたちの注目を集めており、人物の顔立ちや造形、鮮やかな色彩など、本作に見られる特徴と通じる点があるという。
1939年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された回顧展では、《アヴィニョンの娘たち》と並んでアフリカの仮面が展示され、キュレーターのアルフレッド・バーは仮面が作品に直接影響を与えたと主張した。しかしモローは、その仮面がヨーロッパに持ち込まれたのは1935年であり、作品の完成から約30年後であると指摘している。
アーティストや美術史家たちは、《アヴィニョンの娘たち》の着想源について長らく議論を重ねてきた。黒人美術の要素を盗用したとする見方もあれば、曖昧さそのものが意図された表現だと考える専門家もいる。
さらにモローは、《アヴィニョンの娘たち》に描かれた人物の顔にある謎の印「チリンボロ」にも注目している。この形状については、耳や腫瘍、あるいは腕などさまざまな解釈がなされてきたが、彼はカタルーニャのキリスト教美術に登場する抽象的な顔の印と類似しており、それがインスピレーション源になった可能性を示唆している。(翻訳:編集部)
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