「ベデイル財宝」が示すヴァイキングの知られざる商才──中東とも交易か

ヴァイキングは海賊活動で財を成したことで知られているが、最新の調査で、彼らは遠く中東とも交易を行う商人としての一面があったことが明らかになった。

研究者らが調査し、新事実が明らかになったベデイル財宝。Photo: Wikimedia Commons

欧州研究評議会などの支援を受けた研究チームは、イギリスに移住したヴァイキングの10世紀の財宝を調査し、彼らが遠く中東とも交易していたことを突き止めた。この研究成果は8月11日、学術誌『Archaeometry』に発表された。

LIVE SCIENCEが伝えたところによると、調査の対象になったのは、2012年にイギリス北部のベデイルで2人の金属探知機愛好家が見つけた財宝だ。金製の剣の柄頭、銀製装身具、29個の銀の延べ棒で構成されるこれらは、10世紀にイギリスに移住したヴァイキングが所持していたもので、発見地から「ベデイル財宝」と名付けられた。現在はヨークシャー博物館に保管されている。

調査チームが鉛同位体と微量元素分析を用いて財宝に使われた銀の出所を追跡すると、アングロ・サクソン人が製造した硬貨やカロリング朝のものに加え、高い割合でアッバース朝下で鋳造されたディルハム銀貨由来の銀が含まれていることが分かった。

アッバース朝は、イスラム教の預言者ムハンマドの後継者としてイスラム共同体を率いるカリフが統治した国で、8世紀から13世紀まで存在した。現在のイランとイラクを含むアラビア半島、北アフリカの大部分などの広大な領土を支配していた。

研究者たちは様々な文献から、ヴァイキングがどのようにしてアッバース朝の銀貨を入手したのかを調べた。すると、ヴァイキングにとってアッバース朝のディルハム銀貨は憧れであり、「アウストルヴェーグル」と呼ばれる東方交易路を通じて、毛皮、琥珀、剣、奴隷といった貴重品と交換していたことがわかった。

だが、折角入手した銀貨を、なぜ溶かして塊にしてしまったのか。研究者は、ヴァイキングの取引では重量で銀の価値が評価されたため、外国の硬貨はしばしば延べ棒にされたと説明する。そして、研究の主著者であり、オックスフォード大学のヴァイキング時代考古学准教授であるジェーン・カーショーは論文の中で、「ヴァイキング時代、これらの財宝は溶解と再溶解を繰り返し、不安定な情勢になるとリスクヘッジのために地中に埋められたのでしょう」と分析した。

カンジナビア半島やデンマークを原住地とし、8世紀から11世紀にかけて現在のイギリスやフランスなど西ヨーロッパ各地で海賊活動を行ったヴァイキング。今回の発見は、かれらが単に略奪によって富を築いただけではなく、遠くはイスラム世界とも商業で結びついていたことを裏付けている。

カーショーは論文の中で、「私たちの多くはヴァイキングを略奪者、つまり富を求めて修道院やその他の裕福な場所を襲った人々と捉えていますが、ベデイル財宝は、それが全体像のほんの一部に過ぎないということを示しています」と述べている。

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