宙吊りにされた「不朽の名作」──「ダミアン・ハースト:Nothing Is True But Everything Is Possible」【EDITOR'S NOTES】

ダミアン・ハーストのアジア初となる大規模展覧会が韓国・国立現代美術館で開催されている。圧倒的な物量を誇る本展の見応えは十分だが、ソウル市内で行われるべつの展覧会と対置することで、ハーストの特異性はますます際立っていく。

Photo: Shunta Ishigami

ダミアン・ハーストのアジア初となる大規模個展「Nothing Is True But Everything Is Possible」(3月20日〜6月28日)が、ソウル国立現代美術館(MMCA)で開催中だ。約50点の作品を通じて40年のキャリアを一望する本展は、圧倒的な物量と密度で観る者を引きつける。

会場は4つのセクションに分かれており、初期作から代表作、近年の作品まで包括的に紹介する構成となっている。死体の横に笑顔で立った写真《With Dead Head》から始まり、最も有名な作品のひとつであるサメのホルマリン漬け《The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living》、牛の頭部とハエと殺虫灯が共存する《A Thousand Years》、そして8,601個のダイヤモンドを埋め込んだプラチナ製頭蓋骨《For the Love of God》へ。死と生の欲望、混合する宗教と科学、それを商品化する資本主義のシステム──さまざまな作品が一堂に会することで、ハーストが数十年にわたり一貫したテーマに取り組んできたことがわかる。

個々の作品はたしかにセンセーショナルで力強く、ハーストが取り組んできたテーマは死と生のスペクタクル化や欲望と資本の癒着といった形をとりながら現代社会においてますます切実なものとなっている。ハーストのキャリアを包括的にたどる展覧会は2012年のテート・モダン以来14年ぶりであり、代表的な作品の数々をアジアで観られる機会が貴重であることは間違いないだろう。

しかし同時に、会場を歩いていると時間が宙吊りにされたような感覚に襲われたことも事実だ。今回の展覧会ではハーストのアトリエを再現したエリアも設けられるなど、近年の活動にもフォーカスされてはいるものの、展示されている作品の多くはテート・モダンでも観られたものである。ホルマリン漬けのサメが生と死の間で宙吊りにされているように、時間が止まっているようにも思えてくる(もちろん、包括的な展覧会である以上、作品の重複は不可避でもあるのだが)。

興味深いのは、同じMMCAで開催されている「Sak-Da: The Poetics of Decomposition」展がむしろ、作品の腐敗や発酵をテーマにしていたことだ。「不朽の名作」というクリシェを疑うことから始まる本展は、展示室に土を敷き詰めたアサド・ラザのインスタレーション《Absorption》や、果物が腐敗するにつれて日々音と光が変化する毛利悠子の《Decomposition》など、腐敗や消滅を前提とした作品を提示している。ホルマリン漬けのサメが決して腐敗しないことによって「不朽の名作」でありつづけるのに対し、こちらの展示はむしろ作品の死を受け入れてしまう。

加えて、同じくソウル市内のリウム美術館では「ティノ・セーガル」展が開催されていることも象徴的だ。物理的な作品を一切残さず、口頭のやりとりだけで取引し、記録写真さえ許さないセーガルの実践は、ハーストの過剰な物質性の対極にある。奇妙にも開催期間の重なった展示たちが作品と時間、作品と美術館の関係性を問いなおす一方で、ハーストは時間を凍結させてしまう。(皮肉なことに、と言うべきかもしれないが)その対置によってハーストの作品が「不朽の名作」であることが証明されてもいるだろう。それはどこか、虚しく見えるようにも思える。

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