暴力と癒しのあいだ──プレシャス・オコヨモンが描く「絶え間なき小さな殺戮」
2022年と25年の「岡山芸術交流」でも、巨大なクマのぬいぐるみを用いたインスタレーションなどで話題になった気鋭アーティスト、プレシャス・オコヨモン。ホイットニー・ビエンナーレで発表された最新作を入り口に、その表現の核に迫る。

3月初旬、ホイットニー・ビエンナーレがいつも通り華々しく開幕した。しかし、参加予定の作品の中に1つだけ展示されていないものがあった。それは、何体ものぬいぐるみや人種差別的な要素のある人形を首吊りロープで天井から吊り下げたプレシャス・オコヨモンの大規模インスタレーションだ。当初はロビーで公開される予定だったが、プレス向け内覧会の直前に作家本人とキュレーターが展示計画の変更を決断したのだ。
それについてオコヨモンは、作品の不穏なテーマが問題だったのではなく、物理的な理由だったとUS版ARTnewsに語った。ロビーでの展示案は「思ったようにいかなかった」といい、この意欲的なプロジェクトには、もっと広いスペースが必要だと感じたという。
「人形やぬいぐるみは、もっと低い位置にくる必要がありました。鑑賞者が人形たちをじっくり眺め、一緒に過ごす感覚を持てる空間でなければ、作品に引き込むことはできないのです」
「美しいと同時に暗い物語性のある」刺激的インスタレーション
こうして3月25日、《Everything wants to kill you and you should be afraid(全てがあなたを殺そうとしているから恐れたほうがいい)》(2026)と題されたインスタレーションはホイットニー美術館の8階でついに公開が始まった。取材時にオコヨモンは、愛犬であるプードルのグラビティを抱きかかえながら、完成した作品を誇らしげに見渡していた。それも当然だろう。なにしろ、今回のホイットニー・ビエンナーレで指折りの出来栄えなのだから。
オーストリア有数の現代美術館、ブレゲンツ美術館で2025年に展示された作品を拡張・再構成したこのインスタレーションは、約50体のぬいぐるみや人形を梁からぶら下げたものだ。普段は目にすることのない天窓から陽光が降り注ぎ、作品の奇妙な美しさを際立たせている。可愛らしさと不気味さが混ざり合い、見る者を落ち着かない気持ちにさせるこの作風こそオコヨモンの真骨頂で、今、最も刺激的なアーティストの1人として注目される理由でもある。

ヴェネチア・ビエンナーレやパレ・ド・トーキョーをはじめ、世界のさまざまな場所で展示されたオコヨモンの作品には、引き裂かれたぬいぐるみや制御不能な勢いで成長するクズ(葛)、土の塊で作られた神々など多種多様なものが登場してきた。それらに共通するのは、暴力と癒やしについての探求だとオコヨモンは言う。
「私の作品の多くは、際限なく思考を巡らせることから生まれます。私たちは幼少期のマゾヒズムを乗り越えられないと児童精神療法の専門家であるアダム・フィリップスは述べていますが、その通りだと思います」
ホイットニー美術館の展示作品に使われているぬいぐるみは、オコヨモンが子ども時代に遊んでいたものもあるが、それ以外は自分が育った中西部の古物店で購入したものだ。人形のほうは、オコヨモンいわく「まともではなく、気味が悪い」品々が並ぶクイーンズのアストリア地区にある骨董品店で手に入れた。また、人形に貼り付けられた羽根は、オコヨモンの友人が死んだペットの鳥から採取したものだという。
それらを組み合わせて作った不気味なインスタレーションは、至る所で絶えず起きている小さな殺戮を描いている。そして流血の惨事を表現するため、オコヨモンはぬいぐるみや人形を切り刻み、そのパーツを再構成して新たな存在を作り出した。敬愛する哲学者の言葉を引用することが多いオコヨモンは、作品についてこう語った。
「これらの小さな彫刻たちは、超越の途中で留め置かれた状態にあります。ミルトン的な意味で『天使である』とは何なのでしょう? 天使や、そこに宿る絶え間ない引力を葬り去ることはできません。自分自身や黒人であることで日常的に巻き込まれる関係性の暴力から、私の作品を切り離すことはできるのかと考え続けています」

マルセラ・ゲレロと共に今回のホイットニー・ビエンナーレのキュレーションを担当したドリュー・ソーヤーは、オコヨモンが「美しいと同時に極めて不吉で暗い物語性のあるインスタレーション」を生み出していると指摘。使い古された様子のぬいぐるみを例に挙げ、それを「愛されてきた証」だとする一方でこう述べている。
「このように優しい側面がある一方で、それらは捨てられたものでもあります。また、羽根は死んだ鳥から取られたもので、そこには悲しみと暴力が垣間見えます。さらに、首にかけられたロープで吊るされている点にも、リンチや自殺などさまざまな含意があります」

「連続する空間」を探し求めた幼少期の体験
オコヨモンの作品は、掴みどころがなく、恐ろしく感じられるものが少なくない。それはホイットニー・ビエンナーレの作品にも、オープンしたばかりのニュー・ミュージアムの新館で展示中の《When the Lambs Rise Up Against the Bird of Prey(子羊たちが猛禽類に立ち向かうとき)》(2024)にも顕著に見られる。

ニュー・ミュージアムの作品には、薄い生地の白いワンピース(私の取材時にオコヨモンが着ていたレースのワンピースに少し似ている)と羊の耳を着けた黒人が登場する。鑑賞者の方をまっすぐ見つめた後、ぎこちなく動くそれは機械仕掛けの人形なのだが、一見しただけでは分からない。
作品が設置されている窪んだスペースを覆う房状の素材について、「あれは断熱材で、ピンク色のガラス繊維です」とオコヨモンは笑いながら教えてくれた。「近づいて吸い込んだら、死んでしまいます」(ニュー・ミュージアムの担当者によると、この作品は来場者が直接触れることのできない奥まった場所に設置されているため害はないという)。
この作品の意図は、観客にショックを与えることなのだろうか? そう問いかけると、こんな答えが返ってきた。
「挑発したいわけではありません。これは、日常的な欲望を現実的かつ緩やかに再配置したものです」

アート作品だけでなく、庭づくりや詩作などの活動も行っているオコヨモンは、身のまわりの土地に注意を向けることが多かった。1993年にロンドンで生まれ、家族とともにイギリス、ナイジェリア、アメリカへと国境をまたいで何度も転居する中で、「連続する空間」を探し求めて育ったという。
「どこへ行っても、何らかの形で自然があったのです。テキサスの後はオハイオに住みましたが、そこには森がありました。周りの人々を理解できないときもありましたし、全てが常に変化しているように感じていました」
創作活動は「関係性に基づき世界を捉えること」
そうした中で何かしら不変性のあるものを探していたオコヨモンは、幼い頃から土が大好きになり、詩を書いては地面に埋めていたという。
その後オコヨモンは哲学を学び、2014年にイリノイ州ネイパービルのシマー・カレッジ(後にシカゴへ移転)を卒業した。しかし自分は、哲学分野の人々とは「異なる関係性を言語と結んでいる」と感じたという。自身のアート作品は、今も書き続けている詩と完全に切り離されたものではないと考えるオコヨモンは、創作活動を「関係性に基づいて世界を捉えること」で、「そこで起きていることを見届けているだけ」と述べている。
2010年代後半にアーティストとしてのキャリアが軌道に乗り始めると、作品規模は次第に大きくなっていき、2020年にドイツのフランクフルト現代美術館(MMK)で開催した展覧会でそれは頂点に達した。今日最も高く評価されているキュレーターの1人であるスザンヌ・フェファーが企画し、オコヨモンがまだ20代だった2020年に開催されたこの展覧会では、大規模なガーデン・インスタレーションが披露された。
その核となった作品が《Resistance is an atmospheric condition(抵抗とは大気の状態だ)》(2020)で、日本からアメリカへ持ち込まれた侵略的外来種であるクズが黒人のメタファーとして使われていた。この植物は一度繁茂し始めると止めるのが難しく、展覧会終了時にはいくつかの彫刻を覆い隠しそうなほど成長していた。US版ARTnewsは、21世紀になって四半世紀が経った昨年、この作品を「21世紀のアート作品ベスト100」に選んだが、オコヨモンはそこにランクインした最も若い作家の1人だ。

「自然と人間、生と死」を問う作品ではない
「MMKの展示を見て、完全に圧倒されました」
そう語るのは、2022年のヴェネチア・ビエンナーレの企画展にオコヨモンを選出した同年のアーティスティックディレクター、チェチリア・アレマーニだ。オコヨモンの展示室は、2つあるメイン会場の1つであるアルセナーレの一番奥にあった。かつて武器庫だった場所が土と植物で満たされ、生きた蝶が飛び交うインスタレーションは、今も鮮明に記憶に残っている。
「3月のヴェネチアで、それも15世紀の建物の中に庭を作るのは決して簡単なことではありません。私たちが植物を温室で育てる間、オコヨモンはその中に置く彫刻を羊毛で制作するという大変な作業でした」と振り返るアレマーニは、ビエンナーレ開幕後は展示室を覆い尽くしそうになるクズに悩まされたと明かした。
アレマーニはオコヨモンの作品についてこう続ける。
「オコヨモンの作品は、『自然と人間、生と死、どちらが強いか』という問いを投げかけるものではありません。それはハイブリッド性についての作品です。オコヨモンはこうした中間領域を受け入れているのです」

オコヨモンの作品が持つ超越性は、しばしばその表面のすぐ下で沸き立つ醜悪さを覆い隠す。ホイットニー・ビエンナーレのぬいぐるみが宙に浮いているように見えるのを、オコヨモンは人種差別が及ぼす影響になぞらえた。「白人至上主義は日常の重力を奪う行為で、それは天も地も停止させてしまいます」。そして、あちこちにぶら下がったぬいぐるみは、「どれも一度バラバラに分解し、それぞれのパーツをつなぎ合わせて作られています」と説明した。
そして、自分自身がバラバラにならないよう、毎日瞑想しているというオコヨモンはこう言った。
「せめて少しは休めるように、先のことばかり考えたがる脳をハッキングしようと務めています。今この瞬間に集中しようとするのですが、簡単ではありません」(翻訳:野澤朋代)
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