オークション各社の戦略と顧客動向──プライベートセール台頭の舞台裏

アート市場が上向く兆しはあるものの、全体的な経済環境は依然として楽観できない。そんな先行き不透明な状況で注目されるのが、オークションハウス各社が力を入れるプライベートセールだ。その実績や背景にある顧客心理などを取材した。

2026年2月26日撮影。ロンドンで3月4日に開催された「モダン&コンテンポラリー・イブニング・セール」に先立ち、サザビーズのオークションハウスで行われたフォトコールにて、デヴィッド・ホックニーのシリーズ《The Arrival of Spring》の一部であるiPadドローイングを運ぶハンドラーたち。Photo: Wiktor Szymanowicz/Anadolu via Getty Images
2026年2月26日撮影。ロンドンで3月4日に開催された「モダン&コンテンポラリー・イブニング・セール」に先立ち、サザビーズのオークションハウスで行われたフォトコールにて、デヴィッド・ホックニーのシリーズ《The Arrival of Spring》の一部であるiPadドローイングを運ぶハンドラーたち。Photo: Wiktor Szymanowicz/Anadolu via Getty Images

3月中旬、ロンドンサザビーズが近現代美術イブニングセールを開催する直前のある日、同社の招待制展示販売会「The Apartment(ジ・アパートメント)」のために設えられた優雅な部屋を訪れた。案内してくれたのは、イギリス現代アート部門のプライベートセール共同責任者、ジェームズ・フランシス・フォックスとデイヴィッド・ロスチャイルドだ。

壁にはデイヴィッド・ホックニージョージ・コンドゲルハルト・リヒタージャン=ミシェル・バスキアなどの作品が掛けられ、ローズ・ウニアックが手がけた家具(これも販売対象)など、総額約4000万ドル(最近の為替レートで約63億円、以下同)相当の作品が、豪華な邸宅のような空間を彩っていた。

フォックスとロスチャイルドの話によると、会期終了まで2日を残していたその時点で、12点の出品作の約半数が売約済みだった。また、壁の白さが目立つ場所は、ドル記号をモチーフにしたウォーホル作品を新たな所有者へ引き渡すために取り外した跡だと説明してくれた。サザビーズが上得意のコレクター200人限定で送付した展示会への招待状は、箱に入った鍵をかたどっていたという。

先行き不安な時代に「確実性」を求める顧客がプライベートセールの成長を後押し

「重視したのは話題性です」──上記のイベント後にプライベート展示販売会のグローバル責任者に昇格したロスチャイルドはそう言った。「有力コレクターに足を運んでもらい、実際に作品を見ながら自宅に飾ったときのイメージをふくらませてもらおうと考えました」

3月の展示販売会はサザビーズが開いている招待制プライベートセールの最新回だが、近年は競合のクリスティーズも同様のイベントを2度実施している。その後サザビーズを退社したフォックスの話では、プライベートセールは同社の中でも「景気の良い」部門で、前述のようなイベントは「コレクターを引き込む新たな方法」だと捉えられている。

2020年にサザビーズはプライベートセールの売り上げが過去最高となる15億ドル(約2350億円)を記録したと発表した。この年の売上は、さまざまな事業が休止を余儀なくされたコロナ禍の影響で押し上げられたことは間違いない。だが、同社によればプライベートセールの売上はそれ以降も毎年11億ドルから13億ドル(約1720億円〜2030億円)の間で推移している。これは同社の年間総売上高の約4分の1に当たる額だ。

ロスチャイルドは、近年この部門の中心人物として存在感を増している。2024年にニューヨークからロンドンへ移って以降、4つの展示販売会を企画し、「収益面で大成功した新規事業」と自賛する2025年の第1回「ジ・アパートメント」と、今年3月に行われた第2回目の売上合計は約3億4000万ドル(約532億円)に達した(残り2つの展示販売会は一般公開イベント)。

サザビーズは今年中にさらにいくつかの招待制展示販売会を予定しており、6月のアート・バーゼル開催時期にはチューリッヒの新スペースで、10月にはパリで開催される。パリのイベントについてロスチャイルドは「豪華なものになるはずです」と胸を張った。

クリスティーズもまた、プライベートセールへの依存度を高めている。同社によると、2025年に販売した絵画のうち、価格のトップスリーは全て非公開で取引されたという。取引の詳細は明かされなかったが、同社の広報担当者によると3点の販売価格はどれも昨年の同社オークションの最高落札額である6210万ドル(約97億円)を上回るという。ちなみに、この最高額は、ニューヨークで落札されたマーク・ロスコの《No. 31 (Yellow Stripe)(No. 31 [黄色いストライプ] )》(1958)が記録したものだ。

クリスティーズは2025年に15億ドル(約2350億円)相当の美術品を非公開で販売したが、これは同社の総売上高の4分の1弱を占める。そのうち、1500万ドル(約23億円)を超える価格で売却されたのは17点で、13点だった2024年から増加した。同社によると、プライベートセールで作品を購入した買い手の50%は、初めてこの販売チャンネルを利用した顧客だったという。

クリスティーズでプライベートセール部門のグローバル責任者を務めるエイドリアン・マイヤーは、プライベートセールの人気が高まっている背景を次のように説明した。

「この成長は、世界的な不確実性の高まりと市場全般のボラティリティに関係しています。こうした状況において、顧客に安心感を与えられるプライベートセールは販売環境として理想的です。事前に金額が明示されるプライベートセールとは対照的に、オークションでは最終的な金額がいくらになるか分かりません。安全性と秘匿性こそ、プライベートセールモデルのカギとなる要素だと思います」

ロスチャイルドも同様に、「先が見通せない時期には……売り手側も予想価格が控えめに設定される可能性があり、落札されるかされないか不確実なオークションとは別の選択肢に惹かれるものです」と述べ、「秘匿性も重要ですが、価格面における確実性が最大の動機になります」と付け加えた。

中東やウクライナで長期化する紛争、アメリカ主導の貿易戦争、世界的な景気後退への懸念といった打撃の中、2025年のアート市場は小幅とはいえ成長を見せた。これは、昨年11月に行われたいくつかの大型オークションの成果によるところが大きい。しかし、もし明日世界に平穏が訪れたとしたら、プライベートセールは今ほど重視されなくなるのだろうか?

おそらくそうはならないだろうと考えるマイヤーは、「私たちは誰が購買意欲旺盛な買い手で、彼らが何を求めているかをよく理解していますから、売り手と買い手を自然な形で結びつけることができるのです」と言う。この点、サザビーズのロスチャイルドも同意見だった。

新しい販売フォーマットや趣向を凝らしたプライベートオークションも登場

プライベートセールはフィリップスでも急伸しており、昨年は前年比で66%増、2020年比では販売総額が2倍になった。だが同社は招待制の展示販売会や非公開オークションは行っておらず、すべてのセールが一般公開されている。同社のプライベートセール部門チェアマンのミエティ・ハイデンは、コロナ禍後のアート市場では「以前より思慮深く慎重な収集」を行う姿勢が顕著になり、それが「プライベートセールの伸びに貢献している」と指摘する。

「プライベートセールはオークションとは違う環境を顧客に提供します。コレクターと売り手の双方が秘匿性や柔軟性、確実性を重視していますが、まさにそこがプライベートセールの強みです。この方法なら、それぞれの市場特性に合わせてきめ細やかに、かつ効率的に対応できます」

最近発表されたアートネット誌の「インテリジェンス・レポート」でも指摘されているように、クリスティーズが開催している秘匿性が高いシングルロットの招待制プライベートオークションについては、同誌のコラムニストであるケニー・シャクターやカンバス誌のジェレミー・ホジキンがここ数年詳しく報じてきた。

それによると、こうしたプライベートオークションでは、マーク・ロスコの《No. 6 (Violet, Green and Red)(No. 6 [紫、緑、赤] )》(1951)が1億9500万ドル(約305億円)で、また、フィンセント・ファン・ゴッホの《The Zouave(ズアーブ兵)》(1888)が約2億ドル(約313億円)で落札されている。

フェア・ウォーニングのような新興のオークションプラットフォームも、独自の招待制シングルロットオークションを開催している。同社は昨年、ウォーホルが手がけたブリジット・バルドーの肖像を1670万ドル(約26億円)で販売した。サザビーズ・ニューヨークが5月に開催するオークションで、ウォーホルによるバルドーの別のポートレート作品を予想価格1400万~1800万ドル(約22億〜28億円)で出品する予定なのは、これがきっかけだったのかもしれない。

クリスティーズの元グローバルプレジデントで、ロンドンを拠点とするアドバイザリー企業、アート・ピルッカネンの創設者であるユッシ・ピルッカネンも、フェア・ウォーニングでの高額落札が「記録破りの予想価格設定につながったのは間違いない」と話している。

新興オークション企業のフェア・ウォーニングはこの4月、クリスティーズとサザビーズの双方でスペシャリストを務めた経験を持つサアラ・プリチャードをパートナーとして迎え、4月22日には「ノー・ウォーニング(No Warning)」という新しい販売フォーマットを発表した。それは、買い手はその値で即購入するか、1回に限り任意の金額でオファーを提示できる仕組み。オファーは72時間の拘束力を持ち、最も高いオファーが売り手に届けられ、売り手がyes/noを最終判断する。競り上げはなく、他の入札者の状況も買い手には知らされない。

一方、クリスティーズは、3月5日・6日にわたってロンドンで開催し、2億6400万ドル(約413億円)の総売上高を記録して大成功を収めた20世紀美術と21世紀美術の3つのオークションの勢いを維持すべく、5月のヴェネチア・ビエンナーレ開幕に合わせて招待制の展示販売会を開催する。

「Ghost Pavilion: A Venice Revealed(ゴースト・パビリオン:知られざるヴェネチア)」と銘打たれたこのイベントは、大運河沿いの宮殿パラッツォ・ダリオを会場として、J.M.W. ターナーエドゥアール・マネティツィアーノの名作のほか、ウォーホル、ルイーズ・ブルジョワ、マーク・ブラッドフォードなど現代アーティストの作品も並ぶという。これについてマイヤーは次のように抱負を語った。

「ドラマチックな展示にするつもりです。印象深い会場で開くこの展示販売会は、私たちが常にビジネスモデルと顧客体験を刷新し続けていることを反映しています。パラッツォ・ダリオには幽霊が出るという噂があるので、展示会は夢や悪夢、幽霊、死などのテーマを探求するものになります」

あっと驚くような体験重視の展示販売会で顧客を惹きつけようと、二大オークションハウスはしのぎを削っている。これを競争と捉えるなら、現状ではクリスティーズのヴェネチアでの企画が、サザビーズの「ジ・アパートメント」をわずかにリードしているかもしれない。ハードルを上げてきたライバルにどう挑むのか、今後の展開が注目される。

作品の購入・売却両面で選択肢が多様化する理由は「リスクの軽減」

フェア・ウォーニングの講演会に登壇することもあるピルッカネンによると、プライベートセールの拡大を後押ししているのは、オークションに慎重になっている新興のトップコレクターたちだ。この15年ほど、アート市場のグローバル化に伴って台頭してきた彼らは、名作に焦点を絞ってコレクションをしているという。

「市場は劇的に拡大し、真にグローバルなものになっています。サザビーズやクリスティーズにいた私たちのような者でさえ、ここまでの変化は予想していませんでした」とピルッカネンは説明する。ロシア中国、中東の個人や展示機関が美術館級の名作を熱心に収集し始めたことで、2000万ドル(約31億円)クラスの作品が売れるのは「比較的普通のこと」になっている。また、こうした変化で市場はかつての「取引件数重視」から「最上位層での二極化」へと移行し、2010年代に名作の主な買い手だったトップ層のコレクターたちは現在、「オークションで購入するリスクの軽減を図りたい」と考えている。

コレクターはまた、作品を売却する方法の選択にも慎重になっている。公開オークションか、プライベートオークションか、あるいはプライベートセールか──どれが最適解かを模索するコレクターが、アドバイザーへ問い合わせることが多くなったとピルッカネンは話す。

「売却には、これまで以上に複雑で微妙な判断が求められるようになりました。15年前は単純明快で、有名作家の絵を売る時はオークションに出品するか、1人のエージェントを通じたプライベートセールで個人に売却するかのどちらかでした。しかし今、重要作品を持つコレクターは、どのルートで売るかを判断するため、アドバイザーに相談するケースが増えています」

長年サザビーズのプライベートセール部門を率いてきたデイヴィッド・シュレーダーは、一部の関係者から「ザ・トレーダー」と呼ばれている。彼は昨年12月に同社を退社し、ペース・ギャラリーおよびエマニュエル・ディ・ドンナと共同でセカンダリー市場の販売に特化した新たなギャラリーを設立した。

2017年にサザビーズに入社したシュレーダーは、プライベートセールに対する同社のアプローチを刷新したことで知られている。そのシュレーダーに採用されたロスチャイルドによると、シュレーダー退任後のサザビーズは、「プレゼンテーションと顧客エンゲージメントの向上」に注力しているという。

「とはいえ、日々の商いで確実に利益を上げていくことも重要です。デイヴィッドはそれにも長けていました。1点でも多くの作品を売りに出せるよう心血を注いでいたのです」

そう話すロスチャイルドも、そしてマイヤーも、プライベートセールは今後も伸び続け、自社の収益源としてさらに大きな割合を占めていく可能性があると見ている。それでも、公開オークションに取って代わることはないだろうというのが彼らの考えだ。(翻訳:野澤朋代)

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