「眠り」から覚めた日本のアートシーン──武田菜種が案内する2026年のアートウィーク東京
11月4日から8日まで開催されるアートウィーク東京(AWT)は、世界のコレクターが作品を買い求める一方、誰もが気軽にアートと出会える場でもある。本格開催から6年目を迎えた今年、東京のアートシーンはどう変わり、どこへ向かおうとしているのか。VIPリプレゼンタティブを務めるアートアドバイザーの武田菜種に、AWTの意義や日本のアート市場の課題、楽しみ方を聞いた。武田自身が注目する展覧会3選も紹介する。

「海外からAWTに参加するコレクターたちは皆、日本のアートシーンに対する知的好奇心も購買意欲も、本当に高い。これまで彼らが名前も聞いたことがなかったギャラリーを訪れ、すごい勢いで買っていく光景を何度も目にしてきました」
そう語るのは、2021年の初開催から今年で6年目を迎えたアートウィーク東京(AWT)のVIPリプレゼンタティブを務めるアートアドバイザーの武田菜種だ。武田は以前、さまざまな国から集まったVIPを乗せたバスに同行した際には、さながら「国連みたいな状態」だったと振り返り、(もちろん「数百万円から数千万円に及ぶ高額作品が次々と売れるわけではないにしても」と前置きした上で)コレクターたちは「競うように」作品を買い求めていたという。
武田によれば、毎年訪れるリピーターも少なくない。ハイカルチャーと大衆文化、洗練と雑多さが共存する東京という街への関心に加え、まだ知らないアーティストや作品と出会う楽しみが、多忙なコレクターにとってもAWT訪問の優先順位を上げる理由になっているのだ。
とはいえ、アートバーゼルとの提携によってスタートしたAWTを、「日本のアートシーンを海外に発信する機会」「アートを購入する場」という側面だけから捉えようとすると、その本当の意義は見えてこない。アートフェアのように特設会場にギャラリーを一堂に集めるのではなく、東京各地の美術館やギャラリーを巡りながら、多様なアーティストの表現に出会う。その過程で、これまで知らなかった価値観や社会のあり方に触れたり、自分自身のものの見方を問い直したりすることもできる。アートに精通しているかどうかにかかわらず、そんな体験を楽しめることもAWTの魅力だ。
日本のアートシーンは「眠れる森の美女」だった
AWTの立ち上げ当初からその構想に関わってきた一人である武田は、意外にも、かつては日本で国際的なアートフェアを開催することに懐疑的だったという。その理由は、「マーケットがまだ成熟していないし、ギャラリーにとっても、出展料や輸送費など経費の負担があまりに大きい」から。
世界のアート市場に占める日本のシェアだけで市場の成熟度を測ることはできないが、アートバーゼルとUBSによるアート市場レポートでは、AWT始動当時から現在まで、日本のシェアは約1%でほぼ横ばいだ。国際的な注目が高まる一方、市場規模は依然として小さい。さらに、国際アートフェアを持続的に成立させるためには、コレクター層の厚みやギャラリーの経営基盤など、売上規模だけでは測れない条件も必要になる。
「だから、私はもともと日本でアートフェアを開催するよりギャラリーウィークエンドのような形態の方が東京には合っているのではないかと思っていました」
確かに、既存の展示スペースを活用するギャラリーウィークエンド形式なら、参加のハードルを抑えながら普段は接点のない来訪者を迎えられる。東京のギャラリーは広い範囲に点在しているため、移動手段を用意すればいい。武田はAWTが始まる以前から、そんなアイデアを周囲に話していたという。
「昔、海外の人から『日本はスリーピングビューティー(眠れる森の美女)だ』と言われたことがあるんです。魅力的なんだけど、情報がなさすぎてどこから手をつければいいのかわからない、と」
武田自身、2010年にニューヨークから帰国後、海外のアート愛好家やコレクターに向けて日本のギャラリーなどを案内するアドバイザリーサービスを立ち上げた経緯がある。そこで感じていたのは、日本のアートシーンが持つ魅力と、その情報が海外に十分届いていない現実との隔たりだった。
「日本のギャラリーは、情報発信やマーケティングがあまり得意ではないところも多い。だからこそ、海外の人にこちらへ来てもらい、実際に見てもらうことには大きな意味があると思ったんです」
武田がAWTの役割として挙げるのは、大きく二つだ。ひとつは、日本のアートシーンを海外に開き、国際的な交流を促すこと。もうひとつは、国内で現代アートに親しむ人を増やし、エコシステムへの理解を深める機会をつくること。前者については、日本のアーティストやギャラリーを海外に紹介するだけでなく、海外の美術館、キュレーター、ギャラリスト、コレクターと継続的な関係を築くことが重要だと考えている。
「日本で起きていることしか見えていないと、どうしても視野が狭くなってしまう。日本の現状と世界で起きていることを接続し、互いに情報を交換し、交流できる場であることが大切なんです」
一方、国内に向けては、現代アートが一部の愛好家や業界関係者だけのものにならないことを目指す。
「アートに関係のない人たちの会話でも、『あの展覧会、見た?』と自然に話題になるような環境には、まだなっていないと感じています。ギャラリーや美術館がどこにあって、どんな展示が行われているのかをもっと知ってもらいたい」
国際的なアート市場との接続と、国内での裾野の拡大。一見すると異なる二つの目標を同時に追いかけることが、AWTというイベントの特徴であり、意義だ。

アートフェアとは違う、ギャラリーで「買う」ことの意味
武田は以前、AWTの特別展、AWT FOCUSで、たまたま東京を訪れていたマイアミのコレクターが会場に立ち寄り、作品を2点購入したというエピソードを教えてくれた。しかし、コレクターの誰もが自分の知識や審美眼をもとに作品を判断し、購入できるわけではない。その上でも重要なのは、作品を深く知ったうえで購入できる環境を用意することだと武田はいう。
「アートって、やっぱり対話が大事なんです。アーティストやその思想との対話だったり、ギャラリストとの対話だったり。アートフェアではスピードが求められますが、ギャラリーで個展やキュレーションされた展覧会を見ることで、もっと深く作品を知ることができます」
ギャラリーは、初めて訪れる人にとって敷居が高く感じられる場所かもしれない。しかし、作品を購入するつもりがなくても、専門的な知識がなくても構わない。AWTの期間中なら、複数の会場を巡るイベントの一環として、普段は足を踏み入れないギャラリーにも立ち寄りやすい。まずは作品を見て、気になったことを尋ねてみる。その経験が、アートとの継続的な関係を築く入り口になる。

世界に開かれた、その先に必要なこと
武田は、ここ3~4年ほどで、日本のアートシーンは海外に対して大きく開かれたと感じている。AWTに加え、アートフェアのACKやTokyo Gendaiなど、海外のアート関係者と交流できる機会の増加がそれを後押ししたことは確かだ。日本のアーティストが国際的なギャラリーやアートフェアで紹介される機会も広がり、海外からの関心は確実に高まっている。
「今は日本のアート自体がすごく注目を浴びていると感じます。『スリーピングビューティー』はもはや、目を覚まして飛び起きているぐらいです」
もっとも、海外から注目を集めることと、日本のアートシーンが持続的に発展することは同義ではない。武田が今後の課題として挙げるのは、国際的な評価を高めている日本人アーティストが、一過性のブームに終わることなく、長期的なキャリアを築いていけるかどうか。
「今、注目を浴びている作家たちが、きちんとキャリアを続けて、美術館の文脈にも入っていけるといいんですけど。トレンドになって終わらず、ちゃんと美術史として残っていってほしい」
人気が高まれば、作品の価格も上昇する。しかし、作家の価値を支えるのは売買の実績だけではない。市場での評価が先行しすぎることには危うさもある。作品を研究し、展覧会を企画し、批評し、収集し、次の世代へと伝えていく人々の存在が不可欠だ。その意味においても、武田は、ロサンゼルス現代美術館(MOCA)のジェレミー・ストリックや、アフリカやディアスポラをめぐる文化表現に取り組むエコウ・エシュンほか、国内外の10組のキュレーターが都内10カ所のギャラリーで展覧会を企画する形式へと刷新された今年のAWT FOCUSに、大きな期待を寄せているという。これはウィーンのギャラリーフェスティバル「Curated by」とのコラボレーションによるもので、キュレーションの多様性そのものが今年の見どころだ。
「海外との交流がさらに進むことで、日本の若いキュレーターが国際的な展覧会やビエンナーレで活躍する機会も増えてほしいですね」
そして、もうひとつの課題が、国内のコレクター文化の成熟だ。
「コレクターには、文化を後世に残していくという役割があると思うんです。もちろん、全員が作品を美術館に寄付・寄贈しなければいけないという話ではありません。しかし、そういう意識があるかないかで、アートとの関わり方は大きく変わってくると思います」
作品の市場価格や流行だけを追いかけるのではなく、作家や作品について学び、自分なりの視点を育てること。さらに、収集した作品が文化としてどのように受け継がれていくのかを考えること。武田が求めるのは、購入額やコレクションの規模では測れない、アートへの向き合い方だ。
AWTでも、こうした学びや交流の機会を提供するプログラムが用意されている。例えば今年の「コレクター初心者向けミートアップ」では、武田が「文化的な意義を持って活動する日本のコレクターの一人」として名前を挙げるタグチアートコレクションの田口美和と武田自身によるトークが予定されている。作品を見る、買うという行為から一歩踏み込み、アートと社会の関係を考える。そうした機会が増えることも、東京のアートシーンが成熟していくための条件なのだろう。

AWT BUSに乗れば、東京の見え方が変わる
では、こうした国際交流やアート市場の動向とは少し距離のある人は、AWTをどのように楽しめばいいのだろうか。それを考える際に一つの障壁として懸念されうるのは、「東京の意外な広さ」。東京では、広域にわたってアートスポットが点在している。そのソリューションの一つとして武田は、本人も「大ファン」だという、参加する美術館やギャラリーなどを結ぶ無料の「AWT BUS」の利用を、一般にもVIPにも強く薦める。
「バスのルートは本当に便利で、何も考えずに移動できる。谷中の方に行くと景色が違うし、途中で降りれば巣鴨だったり、普段なかなか行かないところも一気に回れてしまう。旅行ツアーみたいになるんです」
特定の展覧会を目指して出かけるのではなく、とりあえずバスに乗って気になる場所で降りてみる。そこで偶然出会った作品に惹かれたら、ギャラリストに話を聞いてみる。まさに、皆に開かれた「東京ぶらりアート・バスの旅」だ。
それをさらに盛り上げるためにも、武田は、AWTの主催者が用意するプログラムだけでなく、街全体がイベントに参加するようになってほしいと話す。例えばスイスや香港などで開催されるアートバーゼルの期間には、美術館やコレクター、街のさまざまな施設が自主的に企画を展開し、世界から集まる来訪者をもてなす。それらすべてを主催者が取り仕切っているわけではない。東京でも、周辺のギャラリーや文化施設、店舗などが自発的に参加するようになれば、AWTはさらに豊かなイベントになるはずだ。
世界に向けて東京のアートを開くこと。そして、日本に暮らす人々にとっても、東京のアートシーンをもっと身近なものにすること。AWTが目指す二つの方向は、決して相反するものではない。
武田の話を通じて見えてくるのは、アート市場の成熟とは、単に取引額が増え、世界市場におけるシェアが拡大することだけではないということだ。コレクター層の厚みや多様性、国際的な交流に加え、アーティストが長期的なキャリアを築き、作品が研究・批評され、次世代へと受け継がれていくこと。そうした文化的な基盤が育まれてこそ、アートシーンは持続的に発展していくのだろう。
その意味で、AWTが果たす役割は、海外のコレクターを東京に呼び込むことにとどまらない。これまでアートに縁のなかった人が、ふと立ち寄ったギャラリーで作品に出会うこともまた、その文化的な基盤を育てる一歩になる。入り口は案外シンプルだ。まずはバスに乗って、まだ知らない東京のアートシーンに出かけてみてはどうだろうか。
AWTで武田菜種自身が「観たい」展覧会3選
1. 「日本国憲法展2026」|無人島プロダクション(AWT FOCUS)/青山|目黒

「ものすごく楽しみにしているんです」と武田が真っ先に挙げた展覧会。早稲田大学教授のグレッグ・ドボルザークとキュレーターの小野賢が共同企画し、無人島プロダクションと青山|目黒の2ギャラリーで、日本国憲法の理念と現代社会の現実を問い直す。風間サチコ、嶋田美子、呉夏枝、トゥアン・アンドリュー・グエンらが参加。武田が重視するのは、特定の政治的立場を支持することではなく、作品を通じて「知ること」だ。「アートにはそれぞれの思想がある。何かを押し付けるのではなく、今こそ考えなければいけないことに向き合うきっかけになります」
会期:2026年11月4日(水)~29日(日)
会場:無人島プロダクション(東京都墨田区江東橋5-10-5)、青山|目黒(東京都目黒区上目黒2-30-6 保井ビル1階)
時間:11月4日(水)~8日(日)は両会場とも10:00~18:00。11月9日(月)以降は月・金曜13:00~19:00、土・日・祝日12:00~18:00
休廊日:AWT開催期間中は無休(それ以外は火~木曜)
入場料:無料

戦後日本を代表する抽象彫刻家・造形作家、多田美波(1924–2014)の約70年にわたる活動を振り返る、没後初の大規模回顧展。ステンレスやアクリル、ガラスなど、高度経済成長期に普及した工業素材を積極的に取り入れ、光の反射や透過を生かした彫刻、照明、建築造形を手がけた。本展では初期の絵画から彫刻、シャンデリアなど約70点と関連資料を紹介する。「女性の作家としてこの時代を生きることには、すごく大変なことがあったはず。それでも屋外彫刻や大きな建築的な作品に挑戦し続けた」と話す通り、武田はその先駆性と創作を続けた姿勢に注目する。
会期:開催中~2026年12月6日(日)
会場:東京都現代美術館(東京都江東区三好4-1-1)
時間:10:00~18:00(11月の金曜は20:00まで。入場は閉館30分前まで)
休館日:月曜(11月23日は開館)、11月24日(火)
観覧料:一般1,600円、大学生・専門学校生・65歳以上1,100円、中高生640円、小学生以下無料

「歴史的な文脈から日本の美術を捉える視点が、渋くて面白い」と武田が期待するグループ展。日本語の思考を形づくる「もの」と「こと」を軸に、毎回異なるキーワードを加えて考察するシリーズの第4弾だ。今回は「対話」をテーマに、複数の作家による共同制作や、個人・集団・社会の関係から生まれる表現に着目。近現代の美術や写真を通じて、創作が他者との関わりの中でどのように成立してきたのかを探る。武田は、日本の美術史を新たな視点から知る機会として、海外からの来訪者にも薦めたいと話す。
会期:AWT開催期間は2026年11月4日(水)~29日(日)
会場:MEM(東京都渋谷区恵比寿1-18-4 NADiff A/P/A/R/T 3階)
時間:12:00〜18:00(11月6日〜8日は10:00–18:00)
休廊日:月曜(月曜が祝休の場合は、翌平日)
入場料:無料