石原海 Umi Ishihara

《重力の光》(2021)《重力の光》(2021)

石原海は、映画監督兼アーティストだ。主な制作テーマは愛やジェンダー。政治や社会問題へも関心を向ける。大きな注目を集めたのは、東京藝術大学の卒業制作として制作された映画「忘却の先駆者」。記憶を失わなくなる薬の服用が義務付けられたオリンピック前の社会とアルツハイマーを患う母についての物語で、その後2019年にロッテルダム国際映画祭に正式出品された。近作の「重力の光」は、コロナ禍により留学先の英国から帰国し、引っ越した北九州で撮影したドキュメンタリー作品である。友人の親が牧師をする教会に約1年間通い、集う人たちによる聖書劇を主題にした。登場人物には、元生活困窮者もいる。社会にうまく適合できない状態にいる人や救いを求める人を肯定しようとする視線は、彼女の作品に共通した態度でもある。映画制作のほか、映像を基にしたインスタレーション作品も発表し、現代アートの領域でも高い評価を得ている。

石原海
Umi Ishihara

1993年東京生まれ。北九州市在住。2018年東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業。現在ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ在学中(休学中)。主な受賞歴に、21年第15回shiseido art egg入賞、16年現代芸術振興財団CAF賞岩渕貞哉賞。主な展覧会に21年個展「重力の光」(資生堂ギャラリー)、グループ展「ジギタリスあるいは1人称のカメラ」(Takuro Someya Contemporary Art)。映画作品に、19年「ガーデンアパート」、「狂気の管理人」、18年「忘却の先駆者」がある。
作家ウェブサイト Instagram

「どうしようもない人の生をそのまま肯定して描き出す」

石原海は、美術や映画はセーフスペースでもあると話す。その作品の軸にあるのは、どうしようもない人をありのままに肯定しようとする視線だ。9月30日まで渋谷イメージフォーラムで上映されている『重力の光:祈りの記録編』は、石原が移住先の北九州で通うようになった東八幡キリスト教会が舞台。近作でのエピソードを中心に話を聞いた。

パーソナルな主題から、社会や政治に対する問いを投げかける

──まず、東京芸術大学での卒業制作で、ロッテルダム国際映画祭に出品された『忘却の先駆者』について。これは、若年性アルツハイマーの母からインスピレーションを受けたものであり、社会や政治への問いかけでもある作品とご自身で話されていますが、制作の動機、また「社会や政治への問いかけでもある」という点について解説いただけますか。

「私の作品のほとんどは、個人的なことから出発しています。ただ、全ての政治は、本来個人が抱える問題、個人の声を反映するものだと思うし、その意味で、『個人的なこと』を描いた作品であっても、『政治的な問いかけ』につなげられる方法があるのでは、と思うようになりました。『忘却の先駆者』を作ったのは、まさにそう思うようになったタイミング。映画の内容は、オリンピックが開かれる東京で、日本政府がオリンピックを忘れないように国民に記憶を保持する薬を配る──ただ、主人公のお母さんはアルツハイマーで薬が効かず、非国民だと政府が捕まえようとする、というもの。物語のベースにあるものは、私の母という極めてパーソナルなことですが、それをSFでおおげさに描くことで、いまの日本の政治に対しての問いを投げるという意図もありました」

──近作の『重力の光:祈りの記録編』(*1)も社会的なメッセージが潜んでいます。この作品が素晴らしいと思ったのは、ドキュメンタリーとフィクションを混ぜるという手法です。そうすることで、元極道の人、生きる意味に悩む人、病を抱える人など9名の出演者の声が、より強度をもって伝わっているような気がしました。


*1 
北九州・東八幡キリスト教会に集まる、さまざまなバックグラウンドをもった9名(元生活困窮者や極道だった人、虐待を受けていた人、教会で働く夫婦など)と聖書劇をつくる日々を撮った長編映画。その練習現場や教会での日常風景、9名のインタビューを捕らえたドキュメンタリーパートと、完成した聖書劇を中心にしたフィクションパートによって構成されている。

「フィクションとドキュメンタリーの間を探るような試みに関しては、これまでいろんな映画監督──たとえば、シャンタル・アケルマンやアニエス・ヴァルダ、アピチャッポンなど私が影響を受けた作家もやってきたこと。私自身も、『重力の光』を作る以前から、市原湖畔美術館でのグループ展『更科日記考―女たちの、想像の部屋』で発表した『ローズシティ』(2016年)、webで公開している7分ほどのショートムービー『永遠に関する悩み』(2015年)で、ドキュメンタリーにフィクションや詩をまぜるようなことをしてきました。なぜそのような手法をとるかについては、私が状況をそのまま伝えるようなドキュメンタリー作家ではないということがひとつあると思います。

『重力の光』も、フィクションパートとして撮ったもの、ドキュメンタリーパートとして撮ったものを混ぜながら作っていますが、教会に集まる素人の人々のありのままの生を撮っているので、フィクションパートも、ある意味ドキュメンタリーになったという感覚があります。実際、天使役の女の子が山でタバコを吸うシーンは本来フィクションパートとして撮っていたものですが、彼女のほうから、天使の格好をして山でタバコを吸いたいと提案してくれたりして、一種のドキュメントになっている。私自身、今回の撮影中、フィクションとドキュメンタリーの間を行き来しながら作っていた感じがあります」

作らないと自分の人生が進んでいかない

──『重力の光』は、製作費を借金し、クラウドファンディングを募り、完成させました。そこまで自身を突き動かしたことは何だったのでしょうか?

「クラウドファンディングを募ったのは、申請していた文化庁の助成プログラムに落ちてしまったことが理由。ただ、借金してまでなぜつくるのか?──その答えは、私自身も謎ですね(笑)。前作の長編映画『ガーデンアパート』は約100万円で制作しました。いま思うとよくその金額で長編を作れたなと思いますが、この作品でも借金をしています。加えて言えば、そうやって借金をして作っても、誰かに見てもらえる保証はない。『重力の光』は、資生堂ギャラリー(『第15回shiseido art egg』/2021年)で映像インスタレーションの形式で発表し、『恵比寿映像祭』(2022年)にも呼んでもらえ、今回、イメージフォーラムで上映することになりましたが、たいていの作品は見てもらう機会があまりありません。それなのにずっと作り続けているというのは、自分でも気が狂っているいなと思います。だけど、作らないと自分の人生が進んでいかないと思うことがあるんです。自分の人生が停滞しているような感じというか。だから作るんだと思います」

──本作で印象的だったのが、出演者のインタビュー部分の言葉。自分の存在意義に対する不確かな気持ち、心の何処かに傷のようなものを持っている人たちですが、その部分を自らカメラの前ではっきりと話す。出演者9人との信頼関係の構築も重要だったと思います。

「北九州に移住してすぐ教会に通いはじめたのですが、その中で仲良くなっていった人もいるし、撮影を通して近くなった人もいます。当然、9人全員と深い関係になるのは大変。ただ教会という場所そのものが、自分の傷をさらけだしても大丈夫なセーフスペースだということもあったと思います。東八幡キリスト教会という場に集まっている人たち。そのみんなが勇気と覚悟をもって、自分をさらけだしてくれたのだと思います」

──タイトルは、石原さんの愛読書でもある、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの著書『重力と恩寵』(岩波書店)がヒントになった、と。

「ヴェイユはもともと学校の先生という、学があって、お金を稼げる職業についていた人。ただ、このままだと労働者の気持ちがわからない、人間のありのままの姿がわからないと、職を辞め、工場で働きはじめるんです。体が弱く、疲労と病で心身がボロボロになって、療養の旅にでる。そこでキリスト教の教えと出会ったそうです。私自身、キリスト教と関係のない人生を送ってきたので、彼女のキリスト教的な思想があまり理解できていないところがありました。でも、北九州で教会に通うようになり、ヴェイユが言っている『重力と恩寵』──恩寵は神からの愛、と言い換えられると思いますが、それが感覚的に理解できるような体験がありました。

それは、礼拝でお祈りをした時。最初はお祈りするという行為が、どこか気恥ずかしかったのですが、ある日、ああとんでもない失敗をしてしまったなと思った日があって。その翌日がたまたま礼拝の日で、はじめて心からお祈りをしたんです。手を組んでぎゅっと目を瞑る。すると視界は真っ暗になるんですが、その先に、ぽっと何かが光る瞬間があった。神からの愛、恩寵というものとはこういうことかなと思ったんですね。『重力と恩寵』の重力とは、ものが落ちていくように、下に向かって働く力。わたしたち人間は、みんな重力によって下に引っ張られているから、気をぬくと心も下に下にと落ちていってしまう、そういう存在なんだということです。ただ祈っている間、暗闇の中でパッと光が見えた瞬間は、その重力から解放されて、浮かび上がることができるのかもしれない──。重力という言葉はヴェイユの『重力と恩寵』から、光は私の個人的な体験から。それをタイトルにしています。もうひとつ言えば、映画を見るという行為そのものが、暗闇の中で光をみつめる、光を探す行為でもある。映画とは光の体験でもあることが、タイトルに光を選んだ理由でもあります」

美術や映画は私にとってのセーフスペースでもある

──過去、なぜ私は美術をやるのか、なぜ医療や介護など人を直接助ける仕事についていないのかと思うときがある、と話されています。そういう人を助けることあるいは政治や社会活動を、そのやり方ではなく、アートや映画のかたちでやる、という心持ちが石原さんのなかにあるのでしょうか?

「作家スーザン・ソンタグの日記に、サラエボに行って様々な人と出会うなかで、なぜ、自分は医者ではないのか、医者だったらよかったのに、といったことを自問する記述があります。医者ならば直接に人の命を助けることができる、戦場においてはそのほうが文化や芸術より役に立つということだと思います。

私も、文化や芸術が人に役に立つことがあるのだろうのか、と考えていた時期がありました。というもの、北九州の前に住んでいたイギリスで、歴史のなかで芸術が特権階級のものであったという現実をまざまざと感じ、どう向き合ったらいいかわからなくなって。美大に行っても、美術館に行っても、やはりアッパークラスの人が多い。もともと、どん底にいる人たち、しんどくてグチャグチャな人たちのそのままの生を肯定したいという気持ちがあって作品を作りはじめたところがあるのですが──なぜなら、私もそうだから。でも、美術に触れられるのは、ある種、特権的な人。その構造自体どうなのか、しかし私はその構造に呑まれながら作品を作っているんだ、という葛藤があったわけです。そういうとき、先ほど触れたソンタグの言葉を思い出したのですが、それでも作品を作り続けていくなかで、この4年くらいは考え方が変わってきました。以前は100年残るような作品を作つくりたいと思っていましたが、いまは目の前の人に届けたい。100年先なんて考えず、まず目の前の人に伝える。その人が明日忘れてもいいから、とにかく目の前の人に、と。

また、美術、映画というものが、私自身にとってのセーフスペースでもあることを改めて自覚するようになりました。先日、ベルリン・ビエンナーレを訪れた際、刑務所に何回も入っている人をインタビューしたドキュメンタリー作品がありました。映像の中で、なぜ刑務所に入ったのか? と質問しているのですが、その人は、お金がなかったので鉄を盗んで捕まった、と答えていました。その情けないような、悲しいような、真っ直ぐな姿を見ていると、犯罪を犯した当人だけなく、そこまでしないと生活ができない人がこの世にいる、という社会構造にも問題があるなと思わずにはいられません。一見、社会の規範から外れているような人たちも、実はさまざまな理由が複雑に絡み合っていることもあるんだ、と伝えることができるのが、美術や映画のよいところなのかなと思います。なので、なぜ自分は直接的に人を助ける仕事についていないのか、という葛藤はありながらも、やはり、私は私なりのセーフスペース──美術、映画で作品を作り続けて、目の前の人に届けていくしかない。そういう悲しみと諦めと、覚悟みたいなものがあります」

──今、関心があること、今後の予定を教えてください。

「今回、『重力の光』で、困窮者支援をしている人たち、また傷ついた人たちを描きましたが、一方で、『この人は善い人だと周りから思われたらどうしよう!』『この作品を作った人は善人だと思われたら困る!』という気持ちも少しあって(笑)。だから、私は別に善人でもなんでもないんだと伝えたく、みんながギョッとするような気持ち悪いもの、人からみたら善くないことを描きたいという欲望があります。それに向けて、少しずつ準備をしています」

──『重力の光』は、9月30日まで渋谷のシアターイメージフォーラムで上映中。その後、地方でも公開されます。

「福岡のKBCシネマ(10月28日〜11月3日)で、大阪のシネ・ヌーヴォ(10月1日)、名古屋のシネマテーク(10月22日〜10月28日)京都のみなみ会館(11月18日〜12月1日)、横浜のシネマリン(12月17日~12月31日)が決まっています。これからゆっくり全国各地で上映されていけば、と思っています」

<共通の質問>
──好きな食べ物は?
「そら豆、そば、牡蠣、みょうが、ビール」

──影響を受けた本は?
「たくさんあります。影響を受けた本っておそらく毎日変わっているので一つを選ぶことがむずかしいのですが、今日のインタビューの流れで、スーザン・ソンタグの日記(『私は生まれなおしている 日記とノート 1947-1963』(河出書房新社)、『こころは体につられて 日記とノート 1964-1980』(上・下)(河出書房新社)からすごく影響を受けているなと改めて思いました。高校生のときに初めてソンタグの日記を読んで、ずっと自分の中にどこかソンタグが生きているような気持ちに時々なります」

──行ってみたい国は?
「ジョージア。たまたま昨日、友だちと話していたら、ジョージアのレイブパーティに行くというのを聞いて、興味を持ちました」

──好きな色は?
「赤」

──アート活動を続けるうえで一番大事にしていることは?
「作品、特に映像メディアはプロパガンダにもなりえるし、一歩間違えると支配的なものになる。いくら気をつけていても、人を傷つけてしまう可能性があるメディアを扱っていることを、自分の戒めのようにしながら、それでも作り続けていくことが大事だと思っています」

(聞き手・文:松本雅延)