村上早 Saki Murakami

《ふうせん2/ Balloon 2》(2018) Photo: 齋梧伸一郎 写真提供:コバヤシ画廊《ふうせん2/ Balloon 2》(2018) Photo: 齋梧伸一郎 写真提供:コバヤシ画廊

銅版画家の村上早は、自身の制作技法であるリフトグランド・エッチングを、人の心の傷と治癒の過程になぞらえる。彼女にとって銅版は人の心、そこにつける傷は心的外傷と同等のもの、またインクは血であり、それを刷り取る紙はガーゼや包帯だという。実家は獣医業。けがや病気に苦しむ動物の姿が比較的身近にあった。自身も幼少期に大きな手術を経験し、入院体験から夜が来ることの不安や恐怖、トラウマを抱えながら生きてきた。主に描くのは、動物や顔のない人間、眠る人、落下事故の瞬間や、血が滴り落ちる心臓など。幼い頃の記憶や体験を基にすることもあれば、映画の一場面や本の一節、散歩中に見つけた生き物に着想を得ることもあるという。不穏さや残酷さをのぞかせながらも、作品の奥には子供の頃に誰もが想像したような寓話(ぐうわ)的世界が広がる。近年は版画以外の技法にも関心を寄せており、今後の新展開が期待される。

村上早
Saki Murakami

1992年群馬県生まれ。群馬県在住。2016年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻版画コース修了。主な受賞歴に、17年群馬青年ビエンナーレ2017優秀賞、16年VOCA展入選、アートアワードトーキョー丸の内フランス大使館賞、15年第6回山本鼎版画大賞展大賞。主な展覧会に、21年「カオスモス6―沈黙の春に」(佐倉市美術館)、19年「放輕松―動漫謬想的秘密花園」(銀川當代美術館)、「gone girls 村上早展」(上田市美術館ほか)。
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「『生』の選択肢の中に『死』が存在してもいいのではないかと思っています」

銅版に刻む線は、心の傷。線を埋めるインクは血であり、インクを載せる紙は包帯──。幼少期、大きな手術を経験し、苦痛や不安というものを抱えながら生きてきたという村上早は、銅版に傷をつけていくという銅版画の制作プロセスに、自身のトラウマを投影する。そうやって生まれる絵は、一見、素朴で童話的だが、死や恐怖を連想させるものも潜む。何がそのイメージを作り上げるのか、作家に聞いた。

──過去に “自分が何を描くかということと銅版画の技法がマッチした“、“絵筆よりも銅版画のほうが自然と絵が描ける”といった旨を話されていたと思います。具体的に、ご自身の表現が銅版画と相性が良いと思う点を教えていただけますか?

「まず、私が絵を描き始めた理由、そして描き続けている理由について言えば、『自身の心にある傷のパテ埋めをするため』と『加虐欲求(自分を含めた人間を傷つけたい気持ち)を抑えるため』です。あくまで私の偏見ですが、大半の絵描きの方の原動力もそれなのではないかと思います。とくに私の場合、『傷』というものに対する意識が強く、それが制作の主なエネルギーになっています。銅版画は、金属という物質感の強いものに、半永久的に消えない傷をつくることで表現していく技法。そのプロセスが、マッチしているのだと思います。また、そういった制作──金属の表面を指でなぞったときの指の腹に引っかかるざらついた傷、そしてそこにインクを詰め、紙に刷りとったときに現れる、黒く、強く、確かな線の存在に、どこか救われる気もします」


《嫉妬 -どく-》(2020)銅版画 130×130cm

──銅版に刻む線は心の傷、インクは血、紙はガーゼだとなぞらえています。銅版画のプロセスを、身体的なものも重ねていらっしゃいます。

「肉体は日々老いていくもの。死後、世界との境界線を失い、土と水、空へと混ざり合い、私という人間がいた痕跡も、命を震わせて生きた中で血が出るほど憎み怒り愛した感情なんてまるで何ひとつ無かったかのように溶けて無くなっていく。全ての物事に平等で、仕方のないことですが、もしかしたら、銅板ならこの先も何千年とこの世界に在ってくれるかもしれないと思うときがあります。人の身である私では辿り着けないところまでいってくれるかもしれない。いつまでも、世界との境界線を失わず、世界のことわりから外れた所へ行ってくれるかもしれないと。そんなことを思いながら、銅という金属にすがって寂しく生きているのかもしれません」

──動物や顔のない少女など、描かれているモチーフやシーンも見る人の目を引きつけます。それは、どういったときに、頭の中に浮かんでくるのでしょうか? 

「モチーフは、犬の散歩をしているときに思いつくことが多いです。道に落ちている葉、花、虫やカエル、小動物の死骸を見るのが好きで、それが直接モチーフになることもあります。どちらかというと日常にある些細な『死』を拾うのが好きなんだと思います。人の顔を描かないのは、特定の印象を絵につけないようにするためです。喜怒哀楽が絵の中に存在すると、それに全体が引っ張られてしまうので。私が普段から心がけているのは、感情を絵の中に込めないようにすること。絵の中の人物、または生物をできるだけ無機質に淡々と表現する。それは、まだ生命に対して慈愛の心が育まれていなかった頃の子どもが、無邪気に花や虫をちぎって遊ぶ様を表現したいから。その子どもの無邪気さが好きだからです」

──下絵を描かないそうですが、どうやってイメージを構築していくのでしょうか?

「しっかりした下絵は描きません。まっさらな版を床に置いて、描こうと思っているモチーフをそこに並べていく感覚です。私はポスターカラーと筆を使って描写する『リフトグランド(*1)』という技法を使っています。なので、版上にポスターカラーで描いては水で拭き取って、また描いては拭き取って……を繰り返し、絵をつくっていきます。だいたいの形が定まったら、『腐食』という過程に移るのですが、腐食した後も間違えた線は削ってならして平らに戻し、またその上から腐食して……を繰り返します。ポスターカラーと違って、腐食されてしまった金属を削るのは本当に大変でツラいのですが、絵の中に腐食痕が入るとカッコ良くなるので頑張ります(笑)」


*1 銅版画の主な技法。銅版に、ポスターカラーやゴムを混ぜた砂糖の飽和溶液で絵を描き、乾燥させ、グランド(防蝕剤として使用する液体)を全体に塗布。その後、水などで洗浄すると、描画した部分が剥ぎ取られ、凹凸が生まれる。そこに腐食液を塗り、調子を整え、版を完成させる。


《原罪 -red bed-》(2020)銅版画 130×130cm

闇の部分に助けられて生きている

──作品のために鹿の解体作業現場にも行ったこともあると聞きました。印象的だったエピソードがあれば教えてください。

「鹿の解体をしに行ったのは、とくに理由はなく、ただ経験しておきたいと思ったからです。あまりにも人間としての経験値がないので……。いろんな所に出ていく性格でもなく、人と話すのがとても苦手。私は本当にどこにも行けない臆病な人間です。印象に残っていることは、肉に刃が通らなかったこと。それは気持ちの問題ではなく、ただの技術の問題ですが、解体できるという謎の自信があったので、すごく恥ずかしく、悔しかったのを覚えています」

──村上さんの作品からは、死と生、喜びと悲しみが対極にあるのではなく隣り合わせになっているような感覚も受け取れます。

「『生と死』『喜びと悲しみ』は同じ所にあると思っています。暗い話になりますが、私は『生』の選択肢の中に『死』が存在してもいいのではないかと思っています。それは『死にたい』を推奨するわけではなく、『死』をそんなに穢らわしいものとして拒絶しなくていいのではないかと。友人にこの話をしたとき、『それは間違っている。生への冒涜だ』と強く言われました。確かにその通りかもしれませんが、私は必ずしもそうだとは思わないのです。光と闇のように、人間の明るい側面は、暗い側面がないと成り立たず、死がなければ、人の生は在ることができない。その意味で、人はネガティブな感情に助けられているし、それをきれいに失ったら生きていけません。とくに、私のようなものづくりの人間は、そういう闇の部分にとても助けられています。だから、『死』という存在に興味があるし、タブーとしすぎなくてもいいのでは?と思うのです。ただ、こういった思想を持つようになったのは大学を出てからなので、今後考え方が変わっていくかも。もしかしたら10年後はかなりポジティブな考え方をする人間になっているかもしれません(笑)」

──作品集『gone girl』では、版画作品に言葉も添えられています。言葉や文学も、絵作りを助けるものなのでしょうか。

「もちろん、そうです。浮かんだ言葉から絵をおこすこともあります。言葉は、人を地の底から引っ張りあげる力も、人をぐちゃぐちゃに潰して殺す力も持っています。それなのに、何よりも簡単に使うことができる。こんなこと言うと絵描きの方々に『そんなわけない』と怒られそうですが……絵というのは、間接的に、作者が描くという行為がフィルターとして挟まるぶん、そういった力が少し弱まっているような気がします。だから、私は絵が好きだというのもあります。強すぎる人間の感情を柔らかくしてくれるから。直接的に人を傷つけなくてすむからです」

──影響を受けた作家として、ドナルド・バチュラーなどを挙げていらっしゃったと思います。どういったところに惹かれたのでしょうか。

「私が好きな作家のほとんどは、単純に『絵が好きだから』という理由で、彼らの思想や在り方ではなく、ただ『モチーフ』や『形』について影響を受けています。ドナルド・バチュラーやヨックム・ノードストリュームからは人や物の形を学びました。学生時代にまだ絵に定まりがなかった頃、『リフトグランド』に出会い、そこから『子どもが引くような線』はどういうものかを求めていていくようになりました。彼らは、そのときに出会った作家で、当時からとても参考にさせていただいています」


《かくす》(2016)銅版画 118×150cm 撮影:齋梧伸一郎

「私は私のためだけに絵を描いてく」

──いま、新しく挑戦していることやテーマ、今後の活動予定について教えてください。

「この質問を、この数年で幾度となく答えてきましたが、この一年、とくにいまが一番、回答に悩んでいる時期かもしれません。一昨年、体調を崩してしまい、同時にプライベートでもこれまでの価値観がガラッと変わるようなことがおきました。おまけに、世界情勢が危うく、未来は真っ暗の中で30代に突入し、生活環境もじんわりと変わりつつある中で『私はなぜ、絵を描いているのか』という疑問が頭の中をぐるぐるし続けていました。風刺を描くわけでもなく、誰かの役に立つような仕事でもなく、お金はかかるくせに需要があまりなく、古臭いアナログ技法を使い続ける私は『何をしているんだろう』と。本当にそう思い続けて、自分のなかにあった自信は空っぽになりました。ですが、ここ最近は『私は私のためだけに絵を描く』という、自分の原点が改めてわかったような気がします。開き直りでは?と思われてしまっても仕方ないのですが(笑)」

──『私のために絵を描く』というのは揺るぎない原点だと思います。

「寂しさ、孤独感、という感情の名前も知らなかった幼い頃、両親があまりに忙しく、真っ暗になるまで保育園に迎えが来ませんでした。園長室で待つのですが、母を待っている間、ひとりで絵を描くのです。寂しさ、孤独──心臓にまとわりつくその得体の知れない不快感を持て余していた私は、手に持ったクレヨンで紙いっぱいに、大きくて真っ赤なリンゴを描きました。それは私の目の中に力強く刺さり、私の心のそばに横たわってくれました。私にとってそのリンゴが今の銅版画です。自分の寂しさを紛らわすためだけの線でした。いまでも私にはそれしかできないのだと、やっとわかったということです。その意味で、いまは、無理に新しいことにチャレンジしたいとは思えず、あと5年はいまのやり方を続けていきたいと思っています。ただ、これまでの制作の延長として、作品《かくす》で描いたブルーシートというモチーフを使って立体動物を作ったり、《red bed》という作品を物体化させてみたり、また、銅版画ではない技法で絵本を描いてみたいと思っています」

<共通の質問>
好きな食べ物は?
「エビ。ただ、最近、甲殻類アレルギーが出るようになってしまいました」
 
影響を受けた本は?
「恥ずかしながら、私は本をほぼ読まないのでありません。強いて言うなら本屋で偶然見つけた『かわいい闇』(河出書房新社)という絵本が心に残っています。少女の死体に住む小人たちの話です」
 
行ってみたい国は?
「フランス。マティスの礼拝堂にはいつか行ってみたいです」
 
好きな色は?
「赤。強い色が好きです」
 
座右の銘は?
「メメントモリ(死を忘れることなかれ)ですが、私の場合、死を生と同じくらい大事なものとして捉えたいという気持ちからです。『生』の選択肢の中に『死』があってもいいはずだと思っています」

アート活動を続けるうえで一番大事にしていることは?
「幸せにならないよう、心がけること」

(聞き手・文:松本雅延)