布施琳太郎 Rintaro Fuse

《隔離式濃厚接触室》(2020) Photo: Naoki Takehisa《隔離式濃厚接触室》(2020) Photo: Naoki Takehisa

映像や絵画を中心に、さまざまなメディアを用いた表現をしている布施琳太郎。現代詩の可能性に着目し、自作の詩を交えて構成した映像作品なども発表。活動は幅広く、展覧会評や文芸評論を多数執筆し、展覧会のキュレーションも手がけている。iPhoneの登場後に急速に変化した生活習慣や価値観を題材にした作品や論考が多い。2019年に発表した評論「新しい孤独」は、第16回美術手帖芸術評論募集で佳作に入選、東京芸術大学美術館に買い上げになった。2020年の緊急事態宣言下では、詩人の水沢なおと共に、一人ずつしかアクセスできないウェブページを会場とした二人展「隔離式濃厚接触室」を開催。これまで繰り返し語ってきた「新しい孤独」に、コロナ下の新しい生活様式によって強制される孤独の意味を加え、展覧会での鑑賞体験の再考を促した。同展の情報はSNSを中心に拡散され、大きな注目を集めた。

布施琳太郎
Rintaro Fuse

1994年東京都生まれ、東京都在住。2019年東京芸術大学大学院映像研究科(メディア映像専攻)博士課程在籍中。21年「Reborn Art Festival 2021-22」(宮城県石巻市萩浜の人工洞窟)、「オープン・スペース2021」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])。「現代詩手帖」「美術手帖」などへの寄稿多数。 Photo: Naoki Takehisa
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「アートの領域を越え、横断的に社会とものをつくることを本気で考えたい」

布施琳太郎は、絵画、映像、評論、詩などさまざまなメディアを用い、現代のネットワーク社会における人間のつながりを題材にした作品を発表している。コロナ禍で一変した私たちの新たな生活様式の中で、その作品はより強いメッセージを投げかける。布施の作家活動の根幹にある思いを聞いた。

社会や文化に影響を与える共同体への憧れ

──布施さんの作品制作のきっかけを教えてください。

「特定の誰かとのコミュニケーションの中で生まれてくる疑問や違和感などが、制作の出発点となることが多いです。例えば、インターネット上で互いに相手の本名や顔を知らないまま連絡を取り合うような状況というのは、人類の歴史において、あるいは現代の社会においてどういうことなのだろうか、と考えたり」

──いまNTT インターコミュニケーション・センター[ICC]で開催中のグループ展(「オープン・スペース 2021 ニュー・フラットランド」)に展示されている《名前たちのキス》は、まさにそうしたオンライン上で生まれる人間関係を扱った作品です。布施さんはデジタルネイティブ世代ですが、どういったものから影響を受けましたか?

「10代の頃から、オンラインゲームやチャットを通じて、相手の顔の見えないコミュニケーションに触れていました。中学生の時にブログを書き始めて、タイトルや文章を工夫し画像を編集することで、ブログのPV数が伸びることに面白さを感じるようになりました。何かを表現することで、人が集まってきたり、社会と接点を持てたと感じられる瞬間が楽しかったんです」

「そうした経験の中で、同好の仲間が集まり作品をつくってやがて社会に大きなインパクトを与えていく、そういう同人活動に憧れを抱くようになりました。映画監督の庵野秀明さんが立ち上げに携わったGAINAXはまさにその歴史的な例ですが、なかでもボーカロイドカルチャーにのめり込む中学生でした」

「東京藝大の油画科に進んだのは、入学後の表現手段や活動の自由度が高いことを知ったからです。アートの分野でも、Chim↑Pomやカオス*ラウンジといった、アーティストコレクティブを高校生の頃に知って、大きな刺激を受けました」

──自分の理想像に近づくための通過点として、美大を意識したというのが面白いですね。その後、布施さんの活動に影響を及ぼしているものはありますか?

「二十歳を過ぎてからは、ジョルジュ・バタイユ(1897〜1962)の人生に大きな影響を受けました。影響というより、追いかけていると言うべきかも知れません。エロティシズムに関する著作で有名な、フランスの思想家です。彼は批評や評論だけでなく、文学作品も発表していますし、政治活動も行っています。そうした広い領域で活動したバタイユの姿に惹(ひ)かれています。彼もまた、岡本太郎やロジェ・カイヨワといった文化人たちを集めたアセファルという秘密結社を戦前に組織していました」

──集団組織とその社会的な影響に対する布施さんの興味がうかがえます。布施さんご自身はいま特定のメンバーとグループで活動をされたりしていますか?

「特定のグループでの活動はしていません。僕にとってその代わりとなるのが、展覧会企画なんです。展覧会は、期限付きの共同体だと考えています。だからこそ面白い。そして人々がそこに集った理由を表しているのが展覧会のタイトルなのだと思っています。タイトルを付けることは僕にとって最も本質的な表現行為です。自身の作品発表と並行して、展覧会の企画は今後も一定のペースで続けていきたいです」

スプレー絵画で探り続ける、人と人の距離

──布施さんは表現の手段にさまざまなメディアを用いられていますが、その中のいずれかの制作プロセスについてお話しいただけますか?

「おそらく今後も継続的に制作していくであろう作品に、2017年から手がけているスプレー絵画があります。『Retina Painting』というシリーズ名で、画面に触れずに制作することを自分に課しています。スプレーでの描画は画面に近づき過ぎると液が垂れてしまうし、離れると絵がぼやけてしまう。絶えず画面との距離をはかりながら描くポートレイトです」

「当初の『Retina Painting』は、インターネット上に存在するセルフィー(自撮り写真)をモチーフにしてきました。それが加工されている可能性も含め、そのセルフィーと僕との間には、空間的にも時間的にも距離があります。現代社会における出会いが内包する距離を探るのが、『Retina Painting』です。近作では誰かの写真を参照するのではなく、画面上に無作為に打った三つの点から立ち現れる顔、その点たちが自分の記憶の中にある誰かの顔と類似することで描写が進むというあり方で、制作をしています」

──Reborn-Art Festival 2021-22に出品されている作品など、布施さんは洞窟壁画を題材にした作品も制作されています。距離という観点からすると、現代の私たちからは随分離れたところにあるテーマのようにも思いますが、どういうところに興味があるのでしょうか。

「僕が知る限り、洞窟壁画に対して最も示唆に富むテキストを書いているのがバタイユです。生/死といった両義性のなかで揺れ動きながら立ち上がる共同体の例として、彼は洞窟壁画を描いた人々を挙げています」

「僕自身が洞窟壁画に惹(ひ)かれる理由のひとつには、それが一人の卓越した技術と意思を持った人間の制作したものなのか、なんらかの共同体が意志をもって制作したものかわからないというところです。僕は、洞窟壁画の成立に、僕たちの知らない『作者の身体』を妄想してしまうんです。それはひとりでも、ふたりでもない、複数の人間の身体をバラバラにして、その部位を集めて作ったサイボーグのような、怪物的な身体です。ロラン・バルトが述べた、いわゆる『作者の死』とはまったく異なる、集合的な作者を考えることに強い興味があります」

詩の言葉が拓く地平、他分野へアートを「輸出」する

布施は2019年、雑誌「美術手帖」が主催する「芸術評論募集」にて、評論「新しい孤独」が佳作に選出されている。またこれまで、他の作家の展覧会評なども執筆している。論理的に文章を組み立てることには慣れている印象だが、自身の作品の中で用いる言葉は散文的だ。

──他の作家の作品に対する論述とご自身の作品の中で扱う詩的な言語は、どのように使い分けているのでしょうか。

「僕の批評の仕事のなかには、すでに確立された文章技術を、まだあまり言及されていない対象に適用しているに過ぎないものもあります。僕の表現活動の前提となっている作品や作家を説明するというか。それは、そういう方法でのみ語ることができる領域があるからです。しかし文章を書くことは、それ自体が表現として、もっと面白いはず、という感覚もあります」

「まだ誰も考えたことがないこと、わかっていないことについて考えるために、『制作』はあると僕は思っています。未知を扱うときは、作り方から作ったほうが良いのです。人間の脳の演算能力の限界を引き出す可能性を秘めているのは、まだ十分に構造化されていない方法ではないでしょうか。だからこそ詩に興味がありますし、文章を書くことを制作として行いたいと考えています。詩によって、パソコンの画面や紙の上で日本語の前提から再構築されていく中でしか、思考できない領域もあると僕は思っています。最終的には批評も、そうやって書きたいです」

──詩人の水沢なおさんと2020年4月にウェブ上で展開した展覧会「隔離式濃厚接触室」が、大阪大学の総合学術博物館で開催されている展覧会「身体イメージの創造 感染症時代に考える伝承・医療・アート」で紹介されています。

「『隔離式濃厚接触室』は、あらゆるものが接続過剰な現代の社会において、作品と一対一で向き合う体験を提供したウェブ上の展覧会です。ページにはひとりずつしかアクセスできないようプログラムされています。そのあとで、僕の作品と水沢さんの詩を鑑賞する。これは『新しい孤独』を、現代の社会に、誰かの人生の時間の中にインストールする試みです」

「同展のドキュメンテーションである《資料版:隔離式濃厚接触室》を、総合学術博物館で紹介いただいています。大阪大学が開発したCOVID-19の検査キットから始まる展示で、近世の国内外の解剖図などが並ぶ最後に、自分の作品があります。こうした分野をまたぐ学際的な展覧会の中で、自分の作品が紹介されるのは大変嬉しいです。今回、国際日本文化研究センターに自分の作品が収蔵されたことも意義深いことだと思っています(※現代アートの作品では初の事例)」

──従来のアート界の文法にとらわれない布施さんの作品には、さまざまな可能性を感じます。作家活動を続けていく上で意識していることや、今後の展望をうかがえますか。

「まだまだ道なかばではありますが、アートという方法によって思考や実践が可能となった物事や出来事を、いろんな領域や歴史の中で運用していくことを意識しています。自分の存在が、さまざまなプロフェッショナルの信頼関係を結ぶ鎖のように機能していけたらと」

「たとえば『詩が面白いからアートの中に詩を取り入れる』のではなく、アートによって現代の詩人たちに刺激を与えたい。医療の問題をアートの中に持ち込むより、医療の分野で通用するアートの話ができるほうが、拡がりがあるし面白いと僕は思っています」

「実は最近、企業に入ってライトノベルや漫画の出版にも関わっています。アートの領域を越えて、より広く横断的に社会とものをつくることを本気で考えていきたいんです。数百、数千万人に届けるエンタテインメントと、ごく限られた人数が鑑賞するアートと、対象の振れ幅が大きい仕事を往き来することで、作家としての表現の自由度が上がってくるんじゃないかと考えています」

<共通質問>
好きな食べ物は?
「カレーなら3食7日間食べられます」

影響を受けた本は?
「バタイユが編集した雑誌『ドキュマン』。シュルレアリスム批判や洞窟壁画論といった内容の魅力もさることながら、一見何の脈絡もないテキストと図版を組み合わせる操作も非常に興味深い」

行ってみたい国は?
「今年はドクメンタが開催されるので、ドイツ。個人的に注目しているネットアートの作家がいるカナダにも行ってみたい」

好きな色は?
「青。人間から一番遠い色だと思っています。空だったり海だったり、青いものは遠いところにあるし、遠近法においても後退色として用いられます。高校生の頃にインターネット上で集めた『かっこいい画像』をプリントアウトしたら、青の色域だけ他に比べて彩度が落ちてしまったことがありました。自分が好きな青は、このディスプレイの透過光の中でしか存在し得ないのだということを認識したのは、すごく良い経験でした」

座右の銘は?
「好きな自由律俳句としては、尾崎放哉の『咳をしても一人』」

(聞き手・文:松崎未来)