近藤亜樹 Aki Kondo

《おひさまとおひるね》(2021)©Aki Kondo courtesy of ShugoArts Photo: 奥山茂俊《おひさまとおひるね》(2021)©Aki Kondo courtesy of ShugoArts Photo: 奥山茂俊

画家の近藤亜樹は、「描くことは生きることそのもの」だと言う。明確に実感したきっかけは、東北芸術工科大学大学院に在学中に山形市で経験した東日本大震災だ。ShugoArtsのウェブサイトで公開されているインタビュービデオでは、当時、絵筆を持つことに罪悪感を覚えながらも、祈るように、日に何十枚も絵を描いたと語っている。気持ちに区切りをつけようと2016年、1年間絵筆を持つことを止め、短編映画「HIKARI」も制作した。ガラス板に筆を加えながらコマ撮りした油彩アニメーションと実写を組み合わせた映像作品で、東日本大震災の犠牲者への鎮魂とも言える。息子の出産も作風に大きく影響した。近作の《星、光る》は、生きることの幸せを真っ正面から描いた、いわば生命賛歌。幅5メートルを超える巨大なパネルに、生命力あふれる草花や動物に囲まれて、子を抱く母の姿が描かれている。

近藤亜樹
Aki Kondo

1987年北海道生まれ。山形県在住。2012年東北芸術工科大学大学院修了。主な展覧会に、21年「星、光る」(山形美術館)、20年「高松市美術館コレクション+身体とムービング」(高松市美術館)、18年「絵画の現在」(府中市美術館)。21年VOCA 奨励賞受賞。22年3月11日からの「VOCA展2022現代美術の展望─新しい平面の作家たち─」(上野の森美術館)に参加予定。作品集に21年『ここにあるしあわせ』(T&M Projects+ ShugoArts)。 Photo: Kohei Shikama
作家所属ギャラリーウェブサイト

私のありのままが絵として現れている」

近藤亜樹の絵は、ダイナミックなエネルギーに満ちている。自身を突き動かすもの、絵を描く意義について、現在、子育てと制作を両立させながら暮らす彼女にメールでインタビューを行った。

──アートに関心をもったきっかけ、影響を受けた作家がいれば教えてください。

「3歳の頃、朝、紙と鉛筆を突然持って起きてきたようです。それから誰に何を言われるでもなく、迷いなくずっと描いています。影響を受けた作家は特にいませんが、小さな頃、ポッケにはよく花札をいれて持ち歩いていました。お気に入りの持ち歩ける絵画でした」

──過去のインタビューで、「3カ月描き、3カ月描かない」というルーティーンを繰り返しながら制作していると答えていらっしゃいました。今もそれは変わらないことですか?

「そうですね。今は子育てもあり自分が自由に使える時間が少なくて、期間や時間配分は自分で決められないことが多いですが。インプットして、アウトプットするというのは今も変わらないことですが、制作時間に関しては臨機応変に、子どもが寝ているときなど一人になったときに描ける時間をみつけて制作をしています」

どんなあなたも、どんな日も、特別

──近藤さんの絵には「花」が描かれることが多いと思います。「花」はどういう存在ですか?

「いつも仏様やお釈迦様、神様にお供えしたり、母に花をあげたりしていました。花はいつも私のそばにありました」

──近藤さんの描く「虹」も印象的です。何か特別なエピソードがあれば教えてください。

「私にとって虹は特別。雨上がりや晴れながら雨が降っているときに見かけると、すごく心が穏やかになるものなんです。人間の心にふわっと届くような、見つけるとなぜか嬉しいもの。七色の光を見ていると、世界中にいる人々を想像し、可能性を感じます。みんなそれぞれ違うけれど、隣の人と手をつなげたらもっと素敵だなと。エールを送られているような気持ちになります。私が描く虹は、心に届いた虹。どんなあなたも、どんな日も特別なことだということを描きたくて、すっと絵に現れます」

──シュウゴアーツでの「飛べ、こぶた」展(2017年)で発表した作品など過去の作品と近作を比べると画風に少し変化があるように見えます。その間、絵に対する考え方に変化があったのでしょうか。

「よく絵が変わったと言われることがあるんですが、本人は気づいていないことが多くあります。作風とか、そのようなことにあまり興味がないのかもしれません。私は今何を描くのか、常にそのことに興味があります」

変化があるたびに人間は進化していく

──大学院時代に山形県で東日本大震災を経験し、その被害者の方への鎮魂作品として2015年に映画『HIKARI』を発表されました。この作品は、実写と油絵のアニメーションで構成されていて、その表現性はもちろん、髪の毛というモチーフで表した独自の死生観や、「わしらはみんなおんなじ宇宙に生えた毛なんだよ」と言ったフレーズも印象的でした。脚本もご自身で手がけられていますが、書くにあたってまずはじめに思い浮かんだ言葉やシーンを教えてください。

「この作品は、今を生きる全ての人に『また会える』というメッセージを込めて書き、天国から届けられた手紙のような内容となっています。東日本大震災は、多くの命が亡くなり、被災地は家も流され、まっさらになり、近くにいるのに被災地に入ることも助けることもできない、人間の無力さと自然の大きさの違いに圧倒され、これ以上の酷いことは不思議と考えられませんでした。この世に生まれてきた全ての生命には、必ず死が訪れます。残された人間は、死にゆく大切な生命を想い、自らの命に疑問を抱き、消えてしまいたいと思うことすらあるかも知れません。しかし、人間は過去を生き直すことはできなくても、生きてさえいればどんな未来も描くことができるのです。この地球で様々な命が生きている、それぞれが天から与えられた限りある命の時間をこれから私達はどう生きていくのか、生きる光を包み、未来に種を飛ばすためにこの映画を制作しました」

──映画「HIKARI」の冒頭に「絵画は死んだ、おかしな言葉よね?」というフレーズがあります。実際には、死んだ人が、絵の中で自分の記憶をしゃべるシーンで使われていますが、この言葉は、近現代の美術史でたびたび言われてきたことです。「いや、絵が死ぬはずなんてない!」というような画家としての「抵抗」のようなものも感じたのですが、このフレーズはどういう思いで映画の中で使ったのでしょうか。

「私も美大にいたころ、たびたび聞いていた言葉だったんですが、正直なところ、台詞(せりふ)の通りおかしな言葉だなぁと思っていました。結局、なぜ人はそんな答えのない討論をするのだろうか? 絵画が死んだかどうかを問うより、絵の世界に入り込む楽しさを素直に味わえたほうが、絵から心で受け取った何かはずっと輝き、味わい深い日常になるのではないか?と思ったりしていました。人間の心と言葉は、必ずしも伴わなかったり、白黒はっきり分けられない感情があり、この言葉もまたそういったものかもしれませんが、最終的に何を生み出すために生まれてきた言葉なのだろうと思います。実際には、映画を作りながら突然、出てきました。今も理解はできないけれど、面白い言葉だなと思います」

祈りのようなチカラ

──3月には、VOCA展に参加されます。どのような作品を出す予定ですか?

「一人一人が生きる喜びを感じながら、人間として生きていけるような世界になることを祈って描いた絵が出ます」

──近藤さんにとって「祈ること」と「絵を描くこと」は同じような意味合いであるということでしょうか? 

「これまでの作品を振り返ってみると、私のありのままが絵として現れているので、祈ることと絵を描くことは必ずしもイコールではないとは思います。ただ、私は私が感じたことしか、実感を持ってリアルに描くことはできません。どんな生き物も、生きることが大変。そうではない生き物はきっとこの世にはいませんし、長い人生には山道も坂道も平坦な道も砂利道もいろんな道があります。また、迷惑をかけて生きるのも人間。毎日私たちは生きるために何かの命をいただいています。だからこそ感謝と愛を持って生きていかなければいけないと、私は常々思っています。私の人生、そのような日常に絵というものがあって、完成した作品を見ると、『あの時、私は絵を描きながら祈っていたんだ』と気づくことは多いです。祈るために描いているとは言えませんが、結果的に描かれているエネルギーは、祈りのようなチカラを秘めているのかもしれませんね」

──2022年は、どのような活動を予定されていますか。挑戦したいことも含めて教えてください。

「引き続き、絵を描きます」

<共通質問>
好きな食べ物は?
「果物」

影響を受けた本は?
「日本昔ばなし(紙芝居)」

好きな色は?
「全部」

アート活動を続けるうえで、一番大事にしていることは?
「我慢しないこと」

(聞き手・文:松本雅延)